竹島問題の歴史

4.8.08

問1 : 竹島/独島は、6世紀以来韓国の一部と言うのは本当?

Gerryの投稿の日本語訳です。原文はこちら
Q1: Has Dokdo been a part of Korea since the sixth century?


答 : 韓国側は、竹島は新羅の時代(西暦512年)以来の韓国の領土の一部であると主張していますが、その主張を裏付けるいかなる地図も文献も韓国側には存在しません。にも関わらず彼等は証拠はあると言い、一例として「三國史記」(1145年)と言う文献をを提示します。

「三國史記」の中では、于山国は溟州の真東の島として描かれています。韓国側は、"于山国"は鬱陵島と独島/竹島(Liancourt Rocks)の二島を指しているといいます。しかしながら、鬱陵島は于山国の別名として言及がありますが、独島/竹島(Liancourt Rocks)については、いかなる名称としても言及されていないのです。実際、その記述にある方位と面積では一島でしかないのです。

左の地図は、韓国の国立図書館所蔵の、1600年代の地図帳「支那朝鮮古地圖」の中にあるもので、「新羅高勾麗百濟肇造區域之圖」と言う地図です。この地図では、朝鮮半島の東沖に、”羽山國 今 鬱陵島”と書かれた独立した一つの島が浮かんでいます。この地図は、于山国が二島ではなく一島であると考えられていた更なる証拠と言えます。

その後李朝朝鮮の時代になって、彼等は鬱陵島の約2.2km東沖に浮かぶ竹嶼(韓国名竹島)を発見しますが、鬱陵島東南沖92kmにある独島/竹島(Liancourt Rocks)が于山国、鬱陵島、さらには韓国・朝鮮の一部であると考えられていた証拠は全くありません。 以下は韓国大使館のウェブサイトに掲載されている「独島 : 6世紀以来の韓国領土」( PDF / HTML : 英語)からの引用で、独島/竹島(Liancourt Rocks)が六世紀から韓国の一部であったと主張しています。

1. 独島(竹島)はいつ韓国の領土の一部になったのか?

独島(竹島)に対する韓国の領有権は6世紀までさかのぼります。 三國史記(1145年)によれば、韓国の主権は西暦512年の于山国の新羅編入により確立された。異斯夫と言う新羅の将軍が島国を服属させた。于山国の領土は鬱陵島と于山島(今日の竹島/独島)である…

さて、実際に「三國史記」に書かれたものを見ましょう。 次に挙げるのは、韓国人が、独島は6世紀以来韓国の領土であることを立証すると主張する、三國史記の巻四 新羅本記です。

十三年 夏六月 于山國歸服 歲以土宜爲貢 于山國在溟州正東海島 或名鬱陵島 地方一百里 恃嶮不服 伊飡 異斯夫 爲何瑟羅州 軍主 謂 “于山人愚悍 難以威來 可以計服” 乃多造木偶師子 分載戰船 抵 其國海岸 誑告曰 “汝若不服 則放此猛獸踏殺之” 國人恐懼 則降

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13年目(西暦512年)の夏の5月、于山国は降伏し、年に一度土地の名産を朝貢するようになった。于山国は溟州の真東の島であり欝陵島ともいう。面積は百里で、地形は険しく服従させるのは難しいという。

将軍の異斯夫が何瑟羅州の軍主になり、こう言った。「于山国の民は無知で野蛮で、軍事力で服従させることは困難なので、一計を案じよう。」そこで、彼は木製の猛獣の模型を作製して軍艦に分載し、「服従しなければ猛獣を放って踏み殺させてしまうぞ」と言って騙したところ、その国の人々は怯えてすぐに降伏した。

上記の訳から分かるように、独島/竹島(Liancourt Rocks)については、いかなる名称でも登場しません。単に于山国は溟州(現在の朝鮮東岸の江陵市)の真東の島であり欝陵島ともいう、ということだけです。このことは「三國史記」が独島/竹島(Liancourt Rocks)領有の証拠であると言う韓国側の主張を、否定するものです。

参照
問2 : 鬱陵島の隣接島のうち、最大なのはどの島?
問3 : なぜ韓国の古地図は鬱陵島を二つの島として描いているの?
問4 : 世宗実録地理志は竹島/Liancourt Rocks/独島について記述している?
問5 : 「新增東國輿地勝覽」(1530)は竹島/Liancourt Rocks/独島について記述している?

5 comments:

  1. Kaneganese,

    It looks great. Good job.

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  2. Kaneganese,

    ありがとうございます。ご苦労様でした!

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  3. Thanks, guys

    pacifist, if you find any mistake or you come up with better Japanese expression, let me know.

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  4. Could anybody translate please?
    Otherwise the Japanese will think that everybody (even the Koreans and the foreigners) agrees.

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  5. 愼鏞廈『史的解明』日本語版(23ページ)によると『三国史記』の新羅本紀智證王十三年条にある于山国の領域「百里」は「約120km」と付記されています。朝鮮里の1里は0.4kmだったと思います。とすると、百里は40kmですよね。『三国史記』の編纂された高麗時代には宋の度量衡に習ったとの指摘もありますが、それによっても55kmほどにしかなりません。「約120km」という数字がどこから出てきたのか。合理的説明が付けられるものなのでしょうか?

    合理的な説明が付けられずに、仮に韓国語版でも120kmとされているのならば愼鏞廈氏による歪曲といえます。鬱陵島と竹島の距離は92Kmほどであり、40kmあるいは55kmとして古人が記録したのだとすると竹島を「独島」と称し512年から朝鮮領だとする韓国の主張は成り立たなくなります。そのことを隠蔽するための工作と見られても仕方がないでしょう。

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