Gerryの投稿の日本語訳です。原文はこちら↓
1904 Sep 25 - First Record of "Dokdo" for Liancourt Rocks
1904年9月、日本帝国海軍は軍艦新高を、鬱陵島と朝鮮半島蔚珍近くの竹邊の間に電信ケーブルを敷設する為に鬱陵島に派遣しました。9月25日の航海日誌に、鬱陵島の日本人が個人的に竹島/Liancourt Rocksを訪れ、さらにその島を韓国人は"獨島"と書き、日本人漁民はリャンコ島と呼んでいる、と話していたことが記録されています。彼は又、竹島/Liancourt Rocksにはある程度真水が湧いていると述べています。さらに、松島(鬱陵島)からアシカ猟にやってくる人々は、日本の舟を使用した、と述べており、それは例え韓国人がこの猟に参加していたとしても、それは日本人の配下の元で雇われて働いていた事を示しています。
韓国側のウェブサイトが何を言おうと、又何をほのめかしても、"獨島"が竹島/Liancourt Rocksを指す言葉としてはこれが初出の記録なのです。この前年の1903年には、日本の文書(訳注:『韓海通漁指針』葛生修吉著。)の中で、韓国人漁民は、日本人と同じ名称(ヤンコ)を竹島/Liancourt Rocksを指すのに使っていたと書かれています。それはつまり、韓国人が直近に、この岩(竹島)について日本人から教えてもらったという事を示唆しています。1903年以前に、韓国人が竹島/Liancourt Rocksへ行った事を示す地図も古文書さえも何一つ無いのです。
軍艦新高の航海日誌の関連部分(田中氏のサイト より)
(軍艦新高行動日誌:松島でリアンクルド岩の実見者から聞きだした情報:現代語訳)
リアンクルド岩は韓人は独島と書き、我が国の漁夫はリャンコ島と呼んでいる。添付した略図で分かるように、ふたつの岩島で西島の高さは約400尺で傾斜がきつく登るのに難しそうだが、東島は比較的に低く雑草が生え、頂上には平坦な所があり、二、三つの小屋を建てられそうだ。
東島の東側の洞窟のようなくぼみに真水が出る。また南側のB地点の水面から三間ほど離れた所に湧き水が出る。その湧き水は西側に流れていくが、その量はかなり多く年中枯れる事はない。
西島のC地点もやはり真水がある。島の周囲には岩が散らばっており、岩はだいたい平たく大きいものはゴザを数十枚置ける。常に水面から露出している。毎年この岩に群集するものがある。二島の間の所に船を横付けするには十分な広さがある。小船なら陸に揚げて泊める場合が多い。
嵐がきつく船を泊められないような時は、大体松島で風が静まるまで非難しているらしい。松島から毎年猟にやってくる人は六十から七十石積の日本の船を使うらしい。島の上に仮の小屋を建てて十日間ほど滞在するが、稼ぎが相当なものらしい。また漁夫もたまには四十名から五十名を超える時もあるらしいが、真水の不足をどう補っているかは報告されていない。そしてまた、今年になって数回ここに来たが、6月17日にロシアの軍艦が三隻この付近に現れ、周辺をしばらく漂泊していたが、北西の方向へ航行するのを実際に見たものがあるという。
No comments:
Post a Comment
Note: Only a member of this blog may post a comment.