竹島問題の歴史

23.10.07

1882年4月7日 高宗が于山島は鬱陵島の隣接島であると述べたこと

Gerryの投稿の日本語訳です。原文はこちら ↓
1882 April 7 - King Kojong says Usando Neighboring Island of Ulleungdo

高宗実録の1882年4月7日の条において、高宗が検察使の李奎遠に謁見した時の事が書かれています。李奎遠は、鬱陵島で"外国人"がやって来て資源を収奪している事について報告するよう、特命を受けました。この二人の間で交わされた会話は、ドクト擁護派が言うような于山島が"独島"(竹島/Liancourt Rocks)ではありえないことの更なる証拠と言えます。高宗実録の原文はこちらを参照しました。

高宗 19卷, 19年( 1882 壬午 / 청 광서(光緖) 8年) 4月 7日 壬戌
1번째기사

初七日。 召見檢察使李奎遠。
辭陛也。 敎曰: “鬱陵島, 近有他國人物之無常往來, 任自占便之弊云矣。 且松竹島、芋山島, 在於鬱陵島之傍, 而其相距遠近何如, 亦月何物與否未能詳知。
今番爾行, 特爲擇差者, 各別檢察。 且將設邑爲計, 必以圖形與別單, 詳細錄達也。” 奎遠曰: “芋山島卽鬱陵島, 而芋山古之國都名也。 松竹島卽一小島,
而與鬱陵島, 相距爲三數十里。 其所産卽檀香與簡竹云矣。” 敎曰: “或稱芋山島, 或稱松竹島, 皆《輿地勝覽》所載也。 而又稱松島、竹島,
與芋山島爲三島統稱鬱陵島矣。 其形便一體檢察。 鬱陵島本以三陟營將、越松萬戶, 輪回搜檢者, 而擧皆未免疎忽。 只以外面探來, 故致有此弊。
爾則必詳細察得也。” 奎遠曰: “謹當深入檢察矣。 或稱松島、竹島, 在於鬱陵島之東, 而此非松竹島以外, 別有松島、竹島也。” 敎曰:
“或有所得聞於曾往搜檢人之說耶?” 奎遠曰: “曾往搜檢之人, 未得逢著。 而轉聞其梗槪矣。”

(日本語訳)

“7日、王は檢察使李奎遠を呼んで謁見した。

王曰く「近頃、鬱陵島に他の国の者が絶えず往来して島を占有する、という被害がでている。松竹島と于山島は鬱陵島の傍にあるはずだが、互いの距離はその産物についての詳細が分かっていない。君は特別にこの検察使に選ばれたわけであるから、しっかりと仕事をせよ。民を住まわせる村を作るかもしれないから、詳細な地図と記録をとるように。」

李奎遠曰く「于山島は鬱陵島のことです。つまり于山とは、彼の国の昔の首都の名前です。松竹島は島から三数十里ほど沖の小さな島です。産物は、檀香と簡竹です。」

王曰く「芋山島(于山島)あるいは松竹島と呼ばれるものは、輿地勝覽に記述がある。それはまた、松島、竹島とも呼ばれ、于山島と3つあわせて鬱陵島と呼ばれる島を成している。全てについてその事情を検察せよ。そもそも三陟と越松の土候が鬱陵島の調査を行っていたが、皆いい加減で島の外周しか検察していない。こうしたことが外国人による弊害を招いたのだ。」

李奎遠曰く「深く分け入って検察を行います。その島は鬱陵島の東にあり、時に松島とも竹島とも呼ばれています。しかし、そこにあるのは、松竹島で、松島と竹島と言う別々の島があるわけではありません。」

王曰く「それは前任の検察使から聞いたのか?」

李奎遠曰く「いいえ前任者とはまだ話をしておりません。しかし、これが前任者の話の要旨であると聞き及んでいます。」”

隣接島の数について意見が食い違う

鬱陵島の隣接島の数について、二人の意見が食い違っていることがお分かりでしょうか。高宗は「二つある」と言い、李は「一つしかない」と言っています。また、王は「"松竹島"と "芋山島" は鬱陵島の隣接島である」と言い、一方李は「"于山島"は鬱陵島の別名に過ぎず、"松竹島"が鬱陵島の唯一の隣接島である」と答えています。王はそれでもまだ自説にこだわり、"松島"と"竹島"と言う名が"于山島"とともに使われており、三島で所謂鬱陵島を形成している、と述べています。李はしかしそれに同意せず、「松島と竹島が鬱陵島の東にある」と言う者はいるが、実際は松竹島と言う一つの島があるのみで、松島と竹島と言う別々の島があるわけではない、と答えています。

高宗は、名称については曖昧であったようですが、3つの島が鬱陵島を形成している事に確信を持っていたようです。李が松竹島は鬱陵島の隣接島に過ぎない、と言った時、王は松竹島は松島と竹島と言う、二つの別々の島であり、芋山島が鬱陵島の別名に過ぎないのなら、やはり鬱陵島はそれらの三島で形成されていることになる、と言っています。李は、その仮説を否定し「鬱陵島は松竹島、と言う隣接島が一島あるのみ」と答えました。

松竹島までの距離

李は、松竹島までの距離は、鬱陵島の岸から"三数十里"である、と述べています。それ早く、8-12km(当時の韓国の一里は約0.4km)で、実際の鬱陵島の隣どの隣接島よりも遠いことになります。ドクト論者の中には、この"松竹島"が独島(竹島/Liancourt Rocks)の可能性がある、と言う人もいますが、竹島/Liancourt Rocksは鬱陵島から8-12kmではなく、92kmも離れており、しかも、檀香と簡竹が生えている、と述べている事から、そんな可能性はまったくありません。松竹島は、鬱陵島の隣接島である竹島(現在の韓国名:本サイトでは現竹島と区別する為に竹嶼と言う名称で統一しています。)であることは、ほぼ間違いありません。この竹島(竹嶼)は高宗と李のそれぞれが松竹島の別名としてあげた二つの名前の内の一つでもある事も鑑みて、確実です。

三数十里を、三十里、と解釈する事はよくみられ、実際、國史編纂委員會もこのように 三十里としています。しかし、これは"数"と言う漢字を無視した方法であり、数十~三十までの幅を持った数字である、と言えると思います。韓国人が幅のある数字を言うときは、大きな数字から始めます。従って、三数十里は、三十~数十里であると言えます。よって、三十が大きな方の数字ならば、数十は二十、と訳せるはずなのです。


名前の混乱 : 于山島,松竹島,松島と竹島

高宗と李の会話で、1882年の時点においてもなお、大韓帝国の国王とその顧問達さえ鬱陵島の地理に疎かったことがはっきりと分かります。韓国の古地図は于山島を鬱陵島の隣接島である竹嶼として描いていますが、会話に出てきた輿地勝覽を含め、古文献では明らかに、鬱陵島には松竹島と言う隣接島がある、と記述されていたようです。また、1869年に韓国に派遣された日本の調査が残した1870年の報告書 には、鬱陵島には松島という日本の記録には無い島が隣接して存在する、と記述されています。それ以前にも、1794年に鬱陵島の検察使、沈晉賢が鬱陵島には竹島と言う隣接島がある、と報告していますが、于山島や松島についてはどちらも報告書には出て来ません。

1882年に李奎遠が鬱陵島の視察を行ったとき、彼は二つの島を発見しています。竹島と島項です。彼の鬱陵島地図では、竹島は現在の鬱陵島の隣接島の竹嶼(韓国名竹島)であり、島項は同じく鬱陵島の観音島であることは確実です。李は松竹島や于山島については発見できず、于山島は鬱陵島の単なる別称である、と結論付けています。高宗と李のどちらにしても竹島/Liancourt Rocksの存在にさえ気付いていたことを窺わせるものはなにもありません。


それにしても、何故于山島、松竹島、松島そして竹島の何れか二つが同時に載っている韓国の地図は存在しないのでしょうか?最も論理的な説明は、これら四つの名称が全て同じ島をあらわす名前であった、と言うことでしょう。松竹島は、明らかに松島、竹島と言う二つの名前を組み合わせたものです。これらの二つの名称は、1690年代に起こった鬱陵島の帰属問題についての日朝間のやりとり(いわゆる竹島一件)において、どちらも言及されているものです。当時、韓国は竹島は朝鮮漁民の使用する鬱陵島の別名にすぎない、と主張しました。さらに安龍福は日本人の言う松島は于山島である、と証言しました。韓国の地図は于山島を鬱陵島の隣接島である竹嶼(竹島)として描いている事から、必然的に誰かが松島と言う名称を、鬱陵島の最大の隣接島である竹嶼(竹島)を示すのに使用し始めたのでしょう。1899年の時点になっても、大韓帝国皇城新聞の記事 は「于山島竹島が鬱陵島の最も顕著な島である」と言っており、一つの島に二つの名称があったことを示しています。もしも、この"于山島竹島"がある特定の人物が主張するように、二つの別々の島であったとすれば、なぜ、鬱陵島を郡に昇格させた翌年の大韓勅令41号の中で、竹島(竹嶼)だけが言及されたのでしょうか?

1 comment:

  1. 1881年の時点で外務省の北沢正誠は、
    松島ハ古代韓人称スル処ノ爵陵島ニシテ他ニ竹島ト称スル者アルモ蔓爾タル小島ニ過キサルヲ知リ事情愈明了ナリ由此観之ハ今日ノ松島ハ即チ元禄12年称スル所ノ竹島ニシテ古来我 版図外ノ地タルヤ知ルヘシ 是竹島古今沿革ノ大略ナリ」と結論を出している事。
    そして、李圭遠は鬱陵島で、「大日本帝国松島の碑文」を見て報告している事。

    朝鮮王朝が金玉均を使いとして日本に日本人の鬱陵島渡航に抗議したことに対して、日本側は、朝鮮国所属蔚陵島(我邦人竹島又は松島と唱ふ)への渡航を禁止した旨を先方に伝えている事、つまり北沢の認識と一緒の内容を伝えている事から、この頃から 于山=倭松島=竹島=鬱陵島であるとの認識が朝鮮側にもあったと思われます。

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