竹島問題の歴史

22.1.10

1960 - 申奭鎬「獨島の来歴」(雑誌『思想界』), Part 2

1960 - 申奭鎬「獨島の来歴」(雑誌『思想界』), Part 1 に続く、後半部分(5~結論)を掲載します。matsuさんによる翻訳は初稿であり、皆さんのご意見を伺いながらこちらで内容とともにチェックして参りたいと思います。よろしくお願い致します。(matsuさん、翻訳有難うございました。)


申奭鎬「獨島の来歴」(雑誌『思想界』)1960(126p~137p)
高麗大学校 文理大学教授 国史

5 鬱陵島開拓と独島帰属
鬱陵島所属問題が解決した以後も、わが国では以前のように空島政策をとり、鬱陵島に人が入って居住することを禁止し、しばしば捜討官を派遣してこれを管理した。大体一年おきに一回ずつ平海郡守あるいは蔚珍県令を捜討官に任命して居民の有無を巡審し、本島特産の香木、竹、山蔘などを採取し、カジェ(可支)を捕まえて来たが、特に鬱陵島の香は有名であり、ソウルの宰相家で非常に愛用した。そして徳川幕府でも、竹島(鬱陵島)を朝鮮領土と認定した後、日本漁民の往来を厳禁し、憲宗三年(西紀1837 日本天保八年)に秘密に鬱陵島に入り伐本(訳注:伐木か)した浜田の巨商・無宿八衛門を捕えて死刑に処し我が国に対する約束を厳守したが、明治維新以後、日本政府が従来の鎖国政策を捨てて国民の海外進出を奨励するようになると、日本人は空島であった鬱陵島に着眼し、これを松島と呼んで外務省に松島開拓願を提出したこともあり(武藤學平(訳注:武藤平學の誤)、児玉真易など)、密かにここに行き、千古手付かずの鬱蒼たる山林を採伐する者もいた。しかし、わが国ではこのような事実を全然知らずにいた。高宗十八年(1881 日本明治十四年)5月に、鬱陵島捜討官が本島で伐木している日本人7名を発見し政府に報告したため、政府では初めて日本人が密航する事実を知り、礼曹をして粛宗時代の約束された事実をもって日本の外務卿代理・上野景範に厳重な抗議を提出させると同時に、副護軍・李奎遠を鬱陵島検察使に任命して鬱陵島の形勢を調査し、従来の空島政策を変更してこの島を開拓することに決定し入住者を募集した。

このように、鬱陵島開拓令が発布され、五百年間かたく閉ざされていた門が開かれると、江原道、慶尚道沿岸の人たちは言うまでもなく、遠く全羅道地方からも移住する人が多く現われ、鬱陵島の山野はその歳に開拓され、翌年島長を設置し、光武五年(1901)に島長を郡守に昇格させたので(訳注:1900年の誤)、鬱陵島の開拓と同時に独島もわが国の所有となり鬱陵島の人たちが多くこれを利用した。鬱陵島庁に保管されている光武十年丙午陰三月五日付 鬱陵郡守・沈興澤の報告書の冒頭に「本郡所属獨島」という言葉があり、梅泉野録 巻五光武十年丙午4月5日条に「鬱陵島の東の百里の海上にひとつの島があり、獨島という。昔は鬱陵島に属していたが、倭人が強引にその領土だとして審査して行った。(距鬱陵島洋東百里、有一島、曰獨島、旧属鬱陵島、倭人勒稱其地、審査而去)」と記録されている。この二つの記録により、日本が独島を強奪する前に独島がわが国の領土だということは確実に証明することができるのであるが、鬱陵島開拓当時に江陵から移住したという鬱陵島の古老、洪在現氏の言によれば(洪氏は第一次学術調査当時、筆者が直接お会いした方であるが、当時85歳の老人であった)鬱陵島開拓当時、鬱陵島の人はすぐにこの島を発見し、あるいはコンブ、アワビをとるために、あるいはカジェをとるために、何度も独島に出漁したということで、洪氏自身も十数回来往したと話していた。独島は日気が清明な日、鬱陵島から眺めることが出来る島であるから、鬱陵島開拓当時の人がこの島を発見しないことはありえず、彼らがしばしばこの島を利用したのは当然のことであり、この事実は日本海軍省で発行した朝鮮沿岸水路誌(第三編 鬱陵島及竹島)にも次のように明白に記録されている。
「(前略)島上には家屋を建築できる場所は極めて少なく、明治三十七年十一月に軍艦対馬がこの島を実測するとき、東方島に漁夫用の菰草小屋があったが、風浪のためにひどく破壊してしまったという。毎年、夏になると海驢を捕まえるために鬱陵島からこの島へ来る者が数十名の多数に達する時がある。彼らは島上に小屋を建て、毎回約十日間仮居するという。」

この記事は、日本が独島を強奪する1年前の1904年、(光武八年 明治三十七年)に日本の軍艦対馬号が独島を調査した時に、鬱陵島の漁民が毎年夏数十名ずつこの島へ来て、・・で・・した小さな家を建てて十余日ずつ滞在し、カジェ(海驢)を捕っているのを見て記録したもので、独島が鬱陵島の人たちによって最も効果的に利用されたわが国の領土であったことを証明する重要な資料の一つである。日本政府は1954年2月10日付けの覚書で、ここに記録された鬱陵島の漁民は、日本人と日本人に雇用された朝鮮人であるとして、我々の主張を反駁したが、日本人が鬱陵島に居住するようになったのは、1910年、韓日合邦以後、または1905年保護条約締結以後のことであったので、対馬号が独島を調査した1904年には、まだ一人の日本人も鬱陵島に住んでいなかった。よって日本政府の見解は成立し得ないものである。(訳注:この「日本人が鬱陵島に居住するようになったのは」以降の記述は、申奭鎬のまったくの事実誤認)

以上説明したことでも、独島が韓国の領土であったということを充分に証明したといえるのであるが、この他に、2つのより重要な日本側の記録を上げることが出来る。一つは、1923年(大正12年)島根県教育会で編纂発行した島根県志であり、その中に独島を貸下するために日本領土に編入することを猛烈に運動した島根県人の中井養三郎が、独島は韓国領土と信じていたために東京に行き、韓国政府からその島の譲渡を獲得するため、農商省(訳注:務が欠か)に交渉しようとしたというもので、もう一つは1905年(明治38年)に発行した田淵友彦の韓国新地志(訳注:韓国新地理の誤)(帝国百科全書第134編)で、独島を鬱陵島とともに韓国領土と明記したものだ。中井養三郎の活動については次項でまた論ずるが、「彼は独島を韓国の領土と信じていたため、東京に行き韓国政府からその島の譲渡を獲得するために農商務省で交渉した」ということは、独島が本来韓国領土だという確証して余りあるものである。そして田淵友彦の韓国新地理は、日本が独島を島根県に編入して半年後に発行した本である。日本が独島を島根県に編入したのが1905年2月22日であり、この本の発行の日付が同年9月9日である。それなら、この本の原稿は独島を島根県に編入する前後のいつかに執筆されたものであろう。万一、著者が独島を島根県に編入したことを知っていれば、これが日本領土だったのであれば、著者はこれを韓国新地志から除去したはずである。ところがこれを我が国の領土として記録したのであるから、古来、独島は韓国の領土として日本に広く知られていたことを、また証明するものである。

6 日本の独島強奪と日本人の独島についての観念
以上のように、独島は鬱陵島開拓以後、鬱陵島の人たちが最も効果的に利用した名実相符のわが国の領土であったが、日本は1905年(光武九年 明治38年)2月22日付の島根県告示第40号で、これを竹島と称し島根県に編入した。これより先、1903年9月29日に、島根県人・中井養三郎が、独島で海驢を捕まえることが有利な事業であることを知り、竹島領土編入及貸下願を内務・外務・農商務の3大臣に提出したが(訳注:1904年の誤)、日本政府は長い間これを処決していないでいたのが、1905年1月28日の内閣会議で竹島を日本領土に編入することを決定し、同年2月22日付け島根県告示でこれを発表したのである。島根県志の中に「中井は竹島を朝鮮領土と信じていたために、東京に行き韓国政府に島嶼の譲渡を申請することを彼に許可するように農商務省に説得しようとした」という記事があるが、これはたぶん日本政府も竹島を韓国領土と知っていて中井の許可願を処理しなかったため、中井は東京に上がり、彼に韓国政府に申請させてくれるようにと農商務省に交渉したようである。要するに、独島が韓国の領土であるために、日本政府は1903年9月29日に提出した中井の「竹島領土編入及貸下願」を長い間処理しないでいたが、1904年(明治37年)2月6日に露日戦争が起こり、日本軍が我が国に上陸したのと同時に、同月23日に韓日議定書を締結し、我が国の土地を思いのままに収用し、同年8月22日に第一韓日協約を締結し、わが国政府の各部に日本人あるいは日本人が推薦する外国人の顧問官を設置し、我が国の内政外交を思いのままに処置できたので、1905年2月22日に独島を島根県に附属せしめ、中井に独島の海驢捕獲権を許可し、1906年すなわち光武十年4月8日(陰3月4日)、隠岐島司・東文輔など十余名の官員を鬱陵島に送り、郡守・沈興澤に独島が日本領土に決定されたということを通告した。鬱陵島唯一の属島でありカジェ(可支)の産地として有名な独島を失うことになった鬱陵郡守・沈興澤は、光武十年丙午三月五日付で次のような報告書を作成して政府に上申した。

本郡所屬 獨島가 在於本郡外洋百里이읍드니 本月初四일辰時量에 輸船一隻이 來泊于郡内道洞浦、而日本官人一行이 到于官舎하여 自云 獨島가 今為日本領地 故로 視察次 来島이다인 바 其一行 則日本島根縣 隠岐島司東文輔 及事務官神田西由太郎 税務監督局長吉田平吾 分署長警部影山岩八郎 巡査一人 會議員一人 醫師、技手各一人、其外随行者十餘人이 先問戸總・人口・土地及生産多少라고 次問人員及経費幾許 諸般事務를 以調査樣으로 録去이암기 茲以報告하오니 照亮하심을 務望함
(訳注:語句は、1948年『史海』に記録されているものとやや異なる)

この報告書は、鬱陵島庁に保管されている副本を転載したものである。海泉野録(訳注:梅泉野録の誤)にも、前項ですでに引用したように光武十年丙午四月条に倭人が強引に独島を日本領土だと言って審査していったという記事があることを見ると、この沈興澤の報告書は中央に報告され新聞にも報道されたようだ。なぜなら海泉野録は、黄玹が全羅南道の求礼で主に皇城新聞と大韓毎日申報を見て記述したものであるからだ。わが国政府ではこの問題をどのように処理したかわからないが、この時露日戦争は決定的段階に到達し、日本の勝利がほぼ確定し、このため韓国に対する日本の圧力がより加わって、国家全体の運命が重大な危機に直面しており、政府は独島のような小さな無人の孤島についてかえりみる余裕が無かっただけでなく、抗争する能力も無く、また親日米国人スティブンス(stivns ママ)が外交顧問官としていたために、たぶんこの問題は黙殺されてしまったのだろう。

以上のように、日本は独島を強奪したが、地理上独島は日本の隠岐島から60浬(ママ)、島根県のサカイ(境)市(訳注:鳥取県の誤)から130浬にもなる遠い距離にあり、わが国の鬱陵島からは僅かに49浬にしかならない近い距離にあることから、日本が独島を強奪した後にも日本人よりも鬱陵島の人たちがより効果的に利用した。このため日本人たちは、大概この島を朝鮮の所属と認識した。1930年(昭和五年)6月に発行した『歴史地理』(第55巻第6号)に載せられている樋烟雪湖(訳注:樋畑雪湖の誤)の「日本海にある竹島の日鮮関係について」という小論文に、竹島と鬱陵島はいま朝鮮江原道に属し、朝鮮の領土であり、日本海の最東端に属している」と記録されて独島は朝鮮領土であると認定されており、日本政府各機関で編纂した韓国水産誌と朝鮮沿岸水路誌もまた、これを朝鮮の所属と記録した。韓国水産誌は日本が独島を強奪してから3年後の隆熙二年(1908)に、韓国政府の農商工部に□用(訳注:一字欠。任用か)された水産課長・庵原文一など、日本人官吏が総出動して韓国に属する島を一つ残らず実地踏査し、その位置と地勢、産物などを細密に調査した後、編纂出版した本であり、その第1輯水路告示条に竹島すなわち独島を記録し、朝鮮の属島と認定した。朝鮮沿岸水路誌は、1923年(訳注:1933年の誤)(昭和八年)に日本海軍省で発刊した本で、これも朝鮮に附属する島を総網羅し、その位置と地勢および産物を記録したものであるが、その第三編朝鮮東海岸に鬱陵島と竹島を記述し、独島を朝鮮に付属する島と認定した。ところで日本海軍省から朝鮮沿水路志(訳注:朝鮮沿岸水路誌の誤か)と同時に発刊した本州沿岸水路(訳注:本州沿海水路志の誤か)第二巻日本海沿岸にも竹島が載せられているが、朝鮮沿岸水路志に載せられている竹島の記事と比較すれば差異が大きい。朝鮮沿岸水路志には、竹島の位置や地勢および産物を詳細に記録しているのに対し、本州沿岸水路志にはただ竹島の名称のみが載せられているだけである。これは竹島すなわち独島が昔から朝鮮に属する島であり、地理的に朝鮮に付属させることが合理的だからである。

結論
以上を要約すれば、独島は、朝鮮初期に于山島、または三峯島と呼んでいたわが国の領土であり、世宗実録地理志と成宗実録、東国輿地勝覧などの古文献に明記されたところであり、粛宗時代に鬱陵所属問題が起こったとき、安龍福の特別な活動によって日本が鬱陵島とともに子山島(于山島)すなわち独島もわが国の領土として承認したもので、これは粛宗実録と文献備考、通文館志に明記されているところであるが、高宗時代に鬱陵島を開拓した以後、鬱陵島の属島として鬱陵島の人たちにより最も効果的に利用された名実相符のわが国の領土であることは、我が国の史料である鬱陵郡守沈興澤の報告書と梅泉野録に記載されているだけでなく、日本側の史料である朝鮮沿岸水路誌と韓国水産誌、島根県志、田淵友彦の韓国新地志などに明記されたところで、少しも疑う余地のないところである。ところが、日本はこのような歴史的事実を無視して、ただ1905年2月22日付の島根県告示で独島を日本領土に編入したことを合法的であるとして、国際法を持ち出してその領土権を主張しているのである。私は法律には門外漢で法的条文と解釈はわからないが、他人の国の領土を、相対国と何等の商議もなく、一介の地方官署の告示で自己の領土に編入するということは、常識に反する不法な行動であるばかりでなく、独島編入当時の両国の政治的関係を考える時、実に強盗行為としか言いようのないものである。前にすでに説明したように、日本は島根県人の中井養三郎が「竹島領土編入及貸下願」を提出したので1905年2月22日に独島を島根県に編入したものであるが、中井が編入願を提出したのはこれより一年半前の1903年9月29日である。(訳注:1904年の誤であり、実際には半年前である)万一、独島が本来から日本の領土であったのなら、中井が願書を提出した時にすぐにこれを許諾したことであろう。これが韓国領土であるために許諾せずにいたが、露日戦争が起こり韓国を完全に支配した時にこれを一個の地方官署の告示で編入したのだから、強盗行為でなければ詐欺行為と言うべきものである。(終)

参考 :

1960 - 申奭鎬「獨島の来歴」(雑誌『思想界』), Part 1

1470 - "Sambongdo(三峯島)" was just an another name of Ulleundo, not Takeshima/Dokdo

1900 - Japanese map of Ulleungdo (赤塚正助 鬱陵島山林概況)

1900 - "Uldo-gi" (鬱島記), by U Yong-jeong (禹用鼎)

1900 - Imperial Edict Makes Ulleungdo a County of Gangwon Province (大韓勅令第41号)

1901 - "Daehanjiji" (大韓地誌) Map of Korea's Gangwon Province (玄采)

1901 - No Korean Fishermen on Ulleungdo in 1901 (Kim Ho-dong (김호동) The History of Dokdo & Ulleungdo (독도, 울릉도의 역사) )

1902 - Japanese Document Describing Ulleungdo (外務省通商局編纂 通商彙纂)

1902 - German map of "Japan und Korea"

1903 - The Fishery Guide of Sea around Korea (黒龍会 韓海通漁指針)

1903 - Mar 30 - "Hwangseong Sinmun": "于山島에 二百二十名" (皇城新聞)

1903 - German Map of Japan which was owned by German Embassy

1904 - February 20th Japanese map of Korea and Manchuria (満韓新図 日露戦争実記)*

1904 - September 29 - Petition to Incorporate Ryanko-to (Liancourt Rocks) (中井養三郎 リャンコ島領土編入並二貸下願 )

1904 - Sep 25 - First Record of "Dokdo" for Liancourt Rocks (軍艦新高行動日誌)

1905 - "Trade Documents" by MOFA (外務省通商局編纂 通商彙纂)

1905 - January 5th - The Report about Laincourt Rocks by the captain of the naval ship Tsushima, Commander Sendo Takeo對馬艦長海軍中佐仙頭武央"竹島報告")
1933 - 朝鮮沿岸水路誌
(112コマ)(89p)(句読点追加)「島上ニハ、前記ノ如ク家屋ヲ建築スベキ地、極メテ乏シク、明治37年11月、軍艦対馬ノ此ノ島ヲ實査セシ際ハ、東方島ニ漁夫用ノ菰葺小屋アリシモ、風浪ノ為、甚シク破壊シアリト謂フ。毎年、夏季ニ至ラバ、海驢猟ノタメ、鬱陵島ヨリ渡来スルモノ數十名ノ多キニ及ブコトアリ。彼等ハ島上ニ小屋ヲ構ヘ、毎囘約10日間、假居ストイフ。」

1948 - Jan. - OOLNUNGDO, HISTORIC ISLAND OF KOREA(古色蒼然な 歴史的遺跡 鬱陵島を捜して)
1948 - 12月12日 - 申奭鎬「独島所属について」『史海』創刊第一号
『鬱陵島と独島-韓日交渉史の一側面』(1953年 崔南善)
1470年代 「三峯島」は、金漢京の嘘で、その実態は鬱陵島 成宗実録
15世紀の三峯島 (国際法からみる竹島問題

10.1.10

The 24th column “Seeking Truth Based Solely on Facts(実事求是)”

Below is a translation of The 24th column “Seeking Truth Based Solely on Facts(実事求是)” by Prof. Shimojo Masao


"South Korean Government dug their own grave by publishing the English version of "The Dokdo/Takeshima Controversy" by Prof. Emeritus Naito Seichu and Mr. Park Byeong-seop.”

On Nov. 4th, the National Assembly Library of South Korea released an English-translated version of the book titled "The Dokdo/Takeshima Controversy" by Naito Seichu, a Emeritus Professor of Shimane University and Mr. Park Byeong-seop. The book was already published by Shinkansha in Japan in March, 2007 and Korean version was published in March 2008 in South Korea. This English version is assumed to be "Part of the books excavation and the translation business promoted to share a historical fact that relates to Dokdo with the international society" and was published according to the instruction of Mr. Kim Hyong-o(金炯旿) who is a chairperson of the Diet of South Korea.Mr. Park Byoung-sup, whom Yonhap News Agency introduced as "a Korean Dokdo specialist residing permanently in Japan and a representative of "Takeshima = Dokdo research network", along with Naito Seichu, who serves as a emeritus professor at Shimane University in Japan, has been repeated baseless criticism/slander, such as "Criticism on Masao Shimojo" and "Criticism on Funasugi Rikinobu", through his "newsletter of half-moon"(半月城通信) and so on.

However, that is not the conclusion derived through the proper document criticism. If we look into the historical details why Takeshima, that had been named Matsushima in Edo period, was not named Matsushima but Takeshima in 1905, it explains naturally that today's Takeshima (Liancourt Rocks) was not mentioned inDajokan Order.

On Nov. 15, 1904, Hori Shinji(堀信次), a secretary of the office of interior of Shimane Prefecture, inquired Higashi Bunsuke(東文輔), a Oki island governor, in regard to the naming of Takeshima, that had been called as "Ryanko". ("島嶼の命名に付、併せて御意見承知致度、此段及照会候也"). In reference to this, Higashi answered as follows.

However, there is a fatal defect in "The Dokdo/Takeshima Controversy". The authors seems to be under misapprehension that they had confuted Japanese claim by holding up only the points at issue which hardly influence the dispute over sovereignty of Takeshima.

In conclusion, publishing the English version of "The Dokdo/Takeshima Controversy" made South Korea disgrace herself in public, to all over the world, to expose the evidence that they have fabricated the false history by a groundless documents and cheated the international society.

This time, his baseless claim was published and distributed to "the National Diet Libraries, diplomatic establishments, cultural academies in the United States, Germany and each countries plus foreign embassies in South Korea, and 326 of Library of Congress and Center for International Exchange, as well. Mr. Park's and Naito's true value is now exposed to the world under public scrutiny. Korean government, who distributed this "controversial" book to the world, drove herself into getting judged by the Historical Court of Justice before judgement by International Court of Justice they refused to go. However, the points of issue this book focused were criticism on the theory of "Inherent territory of Japan" by Ministry of Foreign Affairs of Japan and the instruction byDajokan , which said "Takeshima and another island is nothing to do with Japan" in 1877. If we look into these two points, the truth will come out of their own accord.

Prof. Naito's criticism on "the theory of Inherent part of the territory of Japan" started when Shimane Prefecture assembly enacted "Takeshima Day" ordinance on March 16, 2005, and Japanese MOFA wrote Takeshima as "the inherent territory of Japan" on its website. Prof. Naito criticized the theory of "the inherent territory of Japan" by MOFA by the article "Was Takeshima a Inherent territory of Japan?" published in 'World(世界)' magazine (June 2005 issue), and "Problem of the Takeshima as inherent territory theory" was announced in the No.69 edition of 'Hometown Iwami(郷土石見)' (August, 2005). His criticism on MOFA was compiled in the book " The compilation of translated articles on Dokdo, vol. I (独島論文翻訳撰I)" published by South Korean governmental organization, 東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団( Northeast Asian History Foundation's former organization) on Dec. 2005, and it became Korea's crucial point of argument for offending Japan.

However, no matter how they criticize Ministry of Foreign Affairs of Japan, South Korea's illegal occupancy of Takeshima never be justified as long as Korea keeps failing to show the evidence for their sovereignty on Takeshima/Liancourt Rocks/Dokdo til today. They have no rights to criticize Japan since Meiji government simply incorporated the island, which had never been Korean territory, into Shimane. Moreover, when Japanese Meiji government named the uninhabited island as Takeshima, they noted that "there were no traces of occupation by any other countries" so they "examined the matter and found that there is a fact of occupation (by Japanese) under the international law". This is one of the reason Japan claim the island as "inherent territory of Japan". Nevertheless, Prof.Naito criticizes MOFA since he stands on the assumption that Takeshima was Korean and twists that Japan had " invaded" it only because the incorporation was done in the middle of Japan-Russo war. It is not a right attitude for a researcher as it is same as interpreting the document through the one-sided preoccupation of the history.

The logical base Prof. Naito and Mr. Park rely on was the Dajokan Order in 1877, which says that "Takeshima and the other island has nothing to do with Japan." They call the incorporation as invasion since they misinterpreted "the other island" as today's Takeshima, and considered thatDajokan, the highest governmental organ of Japan, instructed that today's Takeshima is nothing to do with Japan.

"Originally, according to the folklore of populace, it is known that there are both Matsu/Take islands on the sea to the east of Joseon. However, up to now, Ulleungdo, which woodcutters and pioneers(樵耕者) from our area come and go, had been commonly known as Takeshima, but in fact the island in question is apparently Matsushima according to sea chart. In that case, there is no island to be applicable to the name of Takeshima except for this new island. Therefore, I take it for granted that we should divert this name(Takeshima), which we had been wrongfully called hitherto, to the name of the new island. (元来朝鮮の東方海上に松竹両島の存在するは一般口碑の伝ふる所、而して従来当地方より樵耕者の往来する欝陵島を竹島と通称するも、其実は松島にして海図 によるも瞭然たる次第に有之候。左すれば此新島を措いて他に竹島に該当すべきもの無之。依て従来誤称したる名称を転用し、竹島の通称を新島に冠せしめ候方 可然と存候)"

The reason Higashi, who was the governor of the Oki island, mentioned " in fact the island in question is apparently Matsushima according to sea chart" was because on the sea charts etc. published around the year ofDajokan Order in 1877, Takeshima(Argonaut), which the existence was not clear, and Matsushima(Daglet ), which in fact was Ulleungdo, were depicted. This is caused by the western maps which wrongfully located and named Takeshima and Matsushima according to Siebold's "the Map of Japan"(1840). "the Map of Japan"(1840) by Phillipp Franz Siebold applied the names Takeshima (Ulleungdo) to the non existent Argonaut and Matsushima to Dagelet or the real Ulleungdo island. This mistake was passed to the Japanese cartographers and made them depict Ulleungdo as Matsushima on sea charts and maps circulating in Japan. In other word, Matsushima which was mentioned as "another island" inDajokan Order in 1877, indicated Ulleungdo(Daglet), not today's Takeshima/Liancourt Rocks.

On the other hand, Liancourt Rocks, which was named as Takeshima and incorporated into Shimane in 1905, was found by a French ship, Liancourt, in 1949. And the 1864 edition of Admiralty Chart of Royal Navy mapped Takeshima(Argonaut), Matsushima(Ulleungdo), plus Liancourt Rocks(today's Takeshima). Among three islands, Takeshima(Argonaut) of unconfirmed whereabouts disappeared from 1876 edition of Royal Navy's sea-chart when it comes to sea-charts, and since then, Matsushima(Ulleungdo) and Liancourt Rocks were depicted. Therefore, Takeshima of today is not drawn though Takeshima (Argonaut) and Matsushima (Dagelet) are drawn in the maps produced referring to the sea-charts before 1876 versions.

Japanese government finally realized this mistakes on the result of survey around Ulleungdo by the Warship Amagi in Sep. 1880. Kitazawa(北澤正誠), who was a non-regular employee of the Ministry of Foreign Affairs, adopted this results of Amagi's survey in his book "A Study of Historical Evidence of Takeshima(竹島考証)" and "A Study of Historical Evidence of Territorial Issue of Takeshima(竹島版図所属考)", and they concluded that Matsushima, which was referred as "the other island(外一島)" so far was certainly a Ulleungdo. And Ulleungdo was called as Matsushima thereafter. This fact indicates that "the other island" in Dajokan Order in 1877, which said that Takeshima and other island has nothing to do with Japan, was not Takeshima/Liancourt Rocks but Ulleungdo.

Prof. Naito disregarded this fact and takes no assumption "the other island" was Takeshima of today every-time he see the Dajokan Order in 1877 and fabricated the false history, saying Dajokan, the supreme policy making authority, ordered Takeshima has nothing to do with Japan. However, as we had already seen, Prof. Naito's interpretation of the document is baseless, since
Matsushima and Takeshima in 1877 Dajokan Order was identified as Ulleungdo and Jukdo(竹嶼, Korean name 竹島), which locates near Ulleungdo, respectively as a result of the survey done by warship Amagi in 1880.

This accurate/precise information and image of Ulleungdo was passed to Joseon, and in June,1882, Ulleungdo inspector Lee Gyu-on adopted this information and depicted Ulleungdo as Matsushima and Jukdo(Japanese call it as 竹嶼) as Takeshima(竹島) on his "Map of around Ulleungdo(欝陵島外図)". In next year, Nov. 1883, Higaki Naoe(檜垣直枝), a Junior secretary of the Ministry of Interior of Japan, submitted the report of his business trip to Ulleungdo, and Korean map of Ulleungdo was attached to it. This map reassured Matsushima in 1877 Dajokan Order, which said Matsushima as "Takeshima and other island", was Ulleungdo, not Takeshima of today. Meiji government based on "A Study of Historical Evidence of Territorial Issue of Takeshima" by Kitazawa at the time.

Consequently, according to the historical facts stated so far in this article, it is clear that Dajokan Order("Takeshima and another island has nothing to do with Japan") in 1877 doesn't include Takeshima of today. Therefore, there is no historical base for Prof.Naito's theory that Japanese government excluded Takeshima from its territory by Dajokan Order in 1877 and "invaded" the island in the middle of Japan-Russo war in 1905.

Additionally, Prof. Naito's criticism on "Theory of Inherent Part of the territory (of Japan)(固有の領土論)" is a totally groundless lie as well. The concept of "Inherent Part of territory(固有の領土)" indicates the territory which was yet to be occupied by other counties, just like northern territories of Japan (北方領土). What really happened was on January 28, 1905, Japanese government examined the matter and assured that " there were no traces of occupation by any other countries" and "there is a fact of occupation under the international law as it is clear from related documents" when they decide to incorporate Takeshima today into Shimane.

So far, Korean has been failing to prove Dokdo/Takeshima was their territory historically even after more than half century since they had invaded Takeshima. Under this cicumstance, it's absolutely meaningless for Prof. Naito to censure "Theory of Inherent Territory of Japan" by Japanese Ministry of Foreign Affairs.

Therefore, South Korea, who included Takeshima inside Lee line and keeps illegal occupation of Japanese Takeshima until now, definitely deserves to be dubbed "An Aggressor Nation", while it is absolutelyunpardonable for them, who distort the history in order to claim the sovereignty over Takeshima/Dokdo, to accuse Japan falsely for aggressor .

On the occasion of publishing the English version of "The Dokdo/Takeshima Controversy", Mr. 柳鍾珌. the head of the National Diet Library, commented that "The international society correctly recognizes a historical fact and information on Dokdo through this book". However, against his will, all this book does is to advertise the distorted history for concealing the fact of the illegal occupancy by South Korea. If there is any patriotic sentiment in Korean's mind, I would say that they should collect the book right away in order to not disgrace the honorable history of the Republic of Korea anymore.


“実事求是 〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜 第24回 墓穴を掘った韓国政府、『竹島=独島論争』の英語版刊行について” 下條正男


Courtesy of Web Takeshima Research Center.


The 24th column “South Korean Government dug their own grave by publishing the English version of "The Dokdo/Takeshima Controversy" by Prof. Emeritus Naito Seichu and Mr. Park Byeong-seop.”

The 23rd column " Refutation against the report of South Korean Yonhap News Agency which misread the Mori Kohan(森幸安)'s "The Map of Tsushima(對馬輿地図)"

The 22th column “ Refutation against "The Meiji Government's recognition of Takeshima=Dokdo" by Mr. Park Byeong-seop(朴炳渉)””, Part 1, Part 2, Part 3, Part 4
The 21st column " Refutation against "Analysis of Shimojo Masao's Editorials" by Mr. Park Byeong-seop(朴炳渉)”
The 20th column “Act of Folly by "Northeast Asian History Foundation"”

The 19th column “"Korea Maritime Institute(KMI : 韓国海洋水産開発院), who lacks ability to read their own historical documents, criticized on Shimane Prefecture. "”

The 18th column
Absurd and Peculiar Theory of Prof. Hosaka, plus the "Children and textbook nationwide net 21" and others' Getting "Out of Control.”

The 17th column “The Ordinance of Prime Minister and Cabinet Office, No.24 and the Ordinance of the Ministry of Finance, No.4 in 1951(昭和26年).
The 16th column ""Dokdo Month" without any historical grounds."

The 15th column " South Korea's Groundless Claim of "Inherent Part of (Korean) Territory"
The 14th column “A reckless Courage of the Professor Kimishima Kazuhiko(君島和彦) of Tokyo Gakugei University(東京学芸大学).
The 13th column “Sins of Asahi Shimbun and Mr. Wakamiya Yoshibumi(若宮啓文).
The 12th column “Northeast Asian History Foundation and Dokdo Research Center's Misunderstanding”
The 11th column “South Korea's Misunderstanding of 'A Map of Three Adjoining Countries (Sangoku Setsujozu 三国接壌図)' by Hayashi Shihei(林子平)”
The 10th column
" A Blunder of Sokdo(石島) = Dokto(独島) Theory
The 9th column "Criticism on Dokdo Research Center”

The 8th column “The Historical Facts"
The 6th column “Onshu-shicho-goki (隠州視聴合記)" and the "Nihon Yochi Totei Zenzu (日本輿地路程全図)" by Nagakubo Sekisui(長久保赤水)"
The 5th column “South Korea’s erroneous interpretation of the document 'Takeshima and Another Island are Unrelated to Japan"

The 4th column “Errors in Educational Video Produced by the Northeast Asian History Foundation (東北アジア歴史財団)."


Reference :

English version of book on Dokdo released (Korea Herald, 2009.11.05)

1817 Aaron Arrowsmith's map of Japan and Von Siebold
1877 - Argument about "another island": details of the compiled official documents (公文禄) of the Ministry of the Interior (太政官指令)

1877/78 - Watanabe Says Liancourt Rocks are Japanese (竹島考証 : 渡辺洪基 「松島之儀一」)

1880 - Japanese Warship "Amagi" (軍艦天城) Surveys Ulleungdo and finds "Takeshima" is Jukdo.

1881 - Kitazawa Masanari(北澤正誠), a official of MOFA concluded that "Takeshima" is Jukdo in "A Study of Takeshima (Takeshima Kosho 竹島考証) "

1881 - Oki & Matsushima Same Color on 1881 Japanese Map ( Geographic Bureau of the Ministry of Interior (内務省地理局) 大日本府県分轄図 大日本全国略図)

1881 - 「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考−明治十四年大屋兼助外一名の「松島開拓願」を中心に− (島根県令境二郎「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」,「内務権大書記官西村捨三の外務省書記官宛照会文書」)

1881年11月2日 - 「明治14年朝鮮蔚陵島へ入住の和我人民を撤諦せしめ爾後航行を禁する旨XX国政府へ照会す(「別冊竹島所属考に明瞭なるか如く我の所謂竹島一名松島なるもの」)

1882 April 7 - King Kojong says Usando Neighboring Island of Ulleungdo (高宗実録 19卷, 19年 4月 7日 壬戌)

1882 - "Takeshima in the Korean official map" by Funasugi Rikinobu (舩杉力修) - (4) 『鬱陵島外図』

1883 - Japanese Map of Ulleungdo (朝鮮国蔚陵島出張桧垣内務省書記官復命ノ件)

1883年09月 - 「蔚陵島ニ邦人渡航禁止審査決議ノ件並ニ決済」 (「北緯37度30分東経130度49分の洋中に位する一の島嶼即ち日本称竹島或は松島朝鮮称蔚陵島の儀は、・・・(中略・・・)別冊竹島版図所蔵考記載の通りなり」)

1900年06月12日 - 在釜山領事官補赤塚正輔 「鬱陵島調査状況 山林調査状況報告の件」 (「鬱陵島ハ韓國江原道ニ屬シタル島嶼ニシテ松島又ハ竹島ト稱シ(東經百三十度八分二厘北緯三十七度五分)」)
1905 - January 28th: the decision to incorporate Takeshima in to Shimane by a Cabinet meeting
公文類集第29編 竹島編入閣議決定)
1905 - Feb 24 - Takeshima Incorporated into Shimane Prefecture
(山陰新報 "隠岐の新島")

「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考−明治十四年大屋兼助外一名の「松島開拓願」を中心に−

Pamphlet "10 Issues of Takeshima" by Japanese Ministry of Foreign Affairs
English [PDF] / Japanese [PDF] / Korean [PDF] / Arabic [PDF] / Chinese [PDF] / French [PDF] / German [PDF] / Portuguese [PDF] / Russian [PDF] / Spanish [PDF]

6.1.10

羽陵城主, 遣子夫於仍多郞, 來獻土物. Translation?

The History of Goryeo mentions the following November 1032 event:

The head of U-leung Fort sent his son Bueoingdarang (夫於仍多郞), who came and gave local products.

羽陵城主遣子夫於仍多郞來獻土物.

I translated the above using the Korean translation, but the name of the son seems strange to me since it is too long. It seems like the translation could also be as follows:
The head of U-lleung Fort (羽陵城主) sent (遣) Ja Bu (子夫) to (於) Ingdarang (仍多郞). He came and gave local products.
Could the 子夫 have been a name? Other emissaries to Goryeo from Usan-guk had only 2-character names, for example, Baek Gil (白吉) and To Du (土豆). Does anyone know if there was a person or place named "Ingdarang" (仍多郞) during that time of Goryeo? There was a man named "Wuidarang" 意多郞 (의다랑) of Baeje (百濟) , who died in 511 A.D.

3.1.10

1953 - 昭和28年の竹島に関する国会審議

1953年2月28日、韓国のマスコミは、アメリカが韓国側の要請により竹島の空爆演習を中止したことを受けて、それを「アメリカ政府が竹島を韓国の領土として認定した」と報道します。

一時期、『獨島』の漁民を恐怖の中におとしいれていた『獨島』周辺攻撃演習は、韓国と国連軍当局との合意で、隣接する住民達の不安を一掃することになったという。昨二十七日、軍当局が発表したところによれば、去る九月十五日、国籍不明の飛行機の爆撃事件以来問題であった独島は、その間我が政府と国連軍当局間に完全合意を見て、アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米極東総司令官により保障されたとして、爆撃により大打撃を受けてきた漁民達も、今後は安心して漁労に従事できるようになったという。(翻訳はchaamiey氏とmatsu氏による)

それを受けて、国会でこの件が審議されます。以下は、その日とその後に行われた国会の審議記録です。現在活発な議論が行われている事柄に関することが多々含まれており、当時の日本政府の認識、竹島問題に対する姿勢が見られる内容となっています。議論の参考にと情報を頂きましたので、投稿します。
申奭鎬「独島所属について」『史海』創刊第一号(1948)での議論の続きはこちらでお願いしたいと思います。)

昭和28年02月28日 第015回国会 衆議院 外務委員会 第21号 

○中山(マ)委員 本日の発表によりますと、韓国の国防部が日本の沿岸から二百四十キロのところにございますところの竹島、これをアメリカ側がはつきりと朝鮮の領有に決定をしたということがいわれておりますが、この問題につきまして、外務省として、アメリカ側からこの問題に対する通告があつたかどうか、もしあつたといたしますならば、それに対して外務省としてはどういう態度をおとりになつたか、ここにおちつくまでの経緯を御説明願いたいと思います。

○岡崎国務大臣 そんな通告は全然ありませんし、従つてそこにおちつくとか、おちつかぬということも全然聞いておりません。

○中山(マ)委員 それでは、これは釜山からの通告のように出ておりますが、この新聞の記事は事実無根と考えてよろしゆうございますか。
○岡崎国務大臣 事実無根かどうか、つまり外務省なり日本政府なりは、全然承知しないことであります。

○中山(マ)委員 それではこういうことが、言われておるのでございますから、外務省といたしましては、韓国はこのごろは非常に行き過ぎのように私としては考えられますので、この行き過ぎを是正するという意味で、アメリカ側にこのことを申入れていただいて、そうしてぜひそういうことを一方的に発表してもらわないように、ひとつアメリカ側から御忠告を願うようにしていただけるかどうか。

○岡崎国務大臣 アメリカはイギリスとともに平和条約の提案者でありますから、アメリカにそういう話をするということもさしつかえないわけでありますけれども、平和条約ですでに日本の領土に関しては、きまつておりますから、どこの国が何を言おうとも別に意に介する必要はないのでありまして、われわれは特にアメリカに頼まなければならぬというほどの必要も認めておりません。

(注)
※中山(マ)委員:中山マサ衆議院議員(自由党1950)
※岡崎国務大臣:岡崎勝男外務大臣

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昭和28年03月05日 第015回国会 参議院 外務・法務委員会連合審査会 第1号  

○委員長(徳川頼貞君) 只今より連合委員会を開会いたします。
 
議題は竹島の領土権に関する件であります。竹島に関しましては平和条約により日本領土であることは明白であると考えられておりますが、去る二月二十八日の毎日新聞によりますと、韓国国防部の発表として、韓国が竹島の領有権を持つことを米国が認めたというのであります。かかる不当なる発表が大邦丸事件が起つたばかりのときに行われたことは甚だ遺憾の次第であります。それで特に法務委員会とも連合の上で、この問題について質疑をしたいという次第であります。御質疑のあるかたは順次に御発言を願います。

○伊達源一郎君 外務政務次官にお尋ねいたしますが、この竹島問題は平和会議のときに、もう日本の領土であるということの確実なことが決定しておるはずであります。私はその当時西村条約局長に尋ねたのですが、もうそれは確実にきまつておるから問題はないのだということでありましたが、先月の二十八日の新聞には、韓国側が韓国の領土であるということを声明し、米国がそれを承認しておるということでありますが、この真相と、この問題についての外務省の見解とを政務次官から御説明を願いたい。

○政府委員(中村幸八君) 二月二十七日におきまして、韓国政府の国防部が竹島の韓国領有につきまして米国の確認を得た旨の声明を発表したとの報道が伝えられておるのであります。併し外務省といたしましては、この問題につきましては何ら正式にいずれの方面からも通知も通告も受けておりません。お話のように、竹島につきましては古くから日本の領有であるということにつきましては何人も疑いなかつたところであります。今日といえども、日本の領有であるという確信を持つておるのであります。それにつきまして韓国政府の声明なるものが発表されましたにつきまして、一応外務省としての見解、又従来韓国政府と日本国政府との間にいろいろこの竹島の帰属の問題につきまして交渉せられた面もありまするので、それらの経緯につきまして御説明申上げたいと存じます。

 竹島の概況、或いは日本領有の経緯と経営の大要につきましては、只今お配りいたしました「日本海の竹島について」というパンフレツトによりまして御覧を頂きたいと思うのでありまするが、確かに日本の領土であるということについては、何ら疑いを容れる余地がないのであります。竹島の帰属が問題になりましたのは、昨年の一月十八日に、李承晩大統領が海洋主権の宣言を行なつて以来のことであります。この李承晩大統領の宣言は、韓国の魚族保護の水域を確定するに当りまして、竹島をもその範囲にした、即ちいわゆる李承晩ラインの中に一方的に取込んでしまつたのであります。そこで我がほうといたしましては、この李承晩大統領の海洋主権宣言に対しまして、一月の二十八日付を以ちまして韓国代表部宛に口上書を以て抗議をしたのでありまするが、その際同時に竹島の問題につきましても、この宣言において、韓国は竹島として知られている、或いは又リアンクール・ロツクスとして知られておるところの日本海の小島に領土権を主張しておるように見えるが、日本国政府は当然日本の領域である竹島に関する韓国のかような僣称又は要求を絶対に認めるものではない、こういうことを特に主張しておいたのであります。ところが韓国側はこの李承晩ラインに関する我がほうの抗議に対しまして、二月十二日付口上書を以て反駁して参つたのでありまして、その際同時に竹島についてもその懸隔を深くいたしております。それによりますと、韓国政府は数世紀の間朝鮮で独島として知られているリアンクール・ロツクスの領有に関し、ここで仔細に亘つて議論を行おうとは思わないが、一九四六年一月二十九日付のスキヤツピン第六百七十七号によりまして、スキヤツプが同島を日本の領有から明白に排除したこと、それから更に同島はマツカーサー・ラインの韓国寄りに置かれておること、即ちこれらの二つの事実は同島に対する韓国の要求に同意し、これを確認するものであつて、何ら議論の余地のないものであることを日本政府に想起せしめたい、こう言つておるのであります。我がほうといたしましては、当然これに対し直ちに反駁することができ、又その必要があつたのでありまするが、あたかも日韓会談の進行中であつたので、それがための適当な時期を待つことといたしておつたのであります。然るに四月末に至りまして日韓会談は停頓となり、一方講和条約の発効も間近に迫りましたので、それ以前に本件に関する我がほうの主張を韓国側に表明して置くほうが適当と認められましたので、四月の二十五日付韓国代表部宛に口上書を以ておおむね次の通りのことを申送つたのであります。
 即ち竹島は従来より日本領であつて、韓国側の主張は次に述べる理由によつてこの事実に何らの変更を加えるものでない。
 第一に竹島は現に島根県穏地郡五箇村の一部である。 
第二にスキヤツピン第六百七十七号は日本政府が竹島に対して政治上、行政上の権限の行使又は行使を企図することの停止を命じたにとどまつておりまして、竹島を日本政府の領域から排除したものではない。現にその覚書自体におきましても、この覚書による日本の定義が、ポツダム宣言の第八項に述べられておる諸小島の最終的決定に関する連合国の政策と解してはならない旨を断つておるのであります。
 第三にマツカーサー・ラインを規定した覚書自体においても、マツカーサー・ラインは国家統治権、国際的境界、又は漁業権の最終的決定に関する連合国の政策を表明するものではない旨が断られておるから、竹島がマツカーサー・ラインの韓国寄りに置かれておることを論拠とする韓国側の主張は根拠とならない。且つ又マツカーサー・ラインはすでに撤廃せられておるので、この種の論議は全く必要がない。
 第四に日本国政府の調査によれば、竹島が数世紀の間独島として韓国の領有にあつたという事実はない。
 
こういうことを主張いたしたのであります。この我がほうの主張に対しまして韓国側は、その後何ら正式の意思表示をして参つておらないのでありまして、爾来今日に至つた次第であります。然るに本年二月二十七日韓国政府国防部が竹島の韓国領有につきまして、米国の確認を得た旨の声明を発表したとの報道が伝えられたのであります。伝えられるところによりますると、右国防部の発表は、独島の帰属について、韓国政府と国連軍司令官との意見が韓国領土の一部であるということの点について一致を見、ウエンライト米極東空軍司令官から、この旨正式通知が届けられ、同時に米空軍による爆撃演習が中断せられた、こういうような趣旨のものであつたようであります。
 果して米国側がさようなことを韓国政府に通知を行なつたものかどうかということは明らかでありませんが、察するに何らかの方法によりまして、米軍の爆撃演習中止の措置を知つた韓国側が、一方的にそれを歪曲して自己に有利な宣伝材料として使用したものではないかと考えられるのであります。この竹島は、日米行政協定に基いて合同委員会の議を経まして、海上演習場として昨年の七月二十六日の施設区域協定のリストに掲げられたものでありまして、米軍においてこれを演習場のリストから削除するということになれば、当然合同委員会の議を経なければならん性質のものであります。我がほうにおきまして爆撃演習が中止されておるということは、これは承知いたしておりまするが、演習場のリストから削除するということは、未だ合同委員会には上つておらないのであります。そこでこの際はつきりさしておかなければならない点は、竹島は本来日本の領有に属するものであるからこそ、日米合同委員会の議を経て、初めて米軍の使用する海軍演習場のリストに入れられたということであります。従つて韓国側の言うがごとく、韓国政府が米極東軍により何らかの通知を得たのが仮に事実であつたといたしましても、それた爆撃演習の中止に関するものであつて、竹島の帰属とは何らの関係がないものであると考えます。
 以上一応本件に関する従来の沿革又交渉の経過、最近における新聞の声明の内容、更にこれに対する我がほうの見解につきまして御説明申上げた次第であります。

○委員長(徳川頼貞君) 外務大臣が只今見えられました。外務大臣はほどなく又予算のほうから請求がございまして、予算委員会のほうへ出席されるはずでありまするから、その間において外務大臣に御質疑のある方はどうかお願いいたします。

○伊達源一郎君 只今の経緯は、これは外務次官から詳しく承わつたのでありますが、外務大臣が見えましたから、外務大臣に質問をいたしたいと思います。この竹島問題で、韓国がああいう勝手な声明をしたのに対して、外務省はどういう措置をとつておられるか、外務大臣に伺いたいと思います。

○国務大臣(岡崎勝男君) 今政務次官から御説明のように、竹島の帰属というものは、我々は明白なことであつて、疑いを挾む余地は殆んどないと思つております。従つていろいろ声明をしても、これは結局雲散霧消するものであろうと思いますので、徒らに言葉尻を掴えて議論をすることは、半分ぐらい向うに権利があるような印象を与えても却つていかんとも思うので、何もする必要はないという考えでおります。

○伊達源一郎君 一方がそういう声明を出しておるのに、何もせずに放つておいて、その声明が有効になるような心配はないのですか。

○国務大臣(岡崎勝男君) 何もしないのなら別でありますが、今までに公文書その他で日本の態度を明らかにしておるのであります。これ以上明らかにする方法はないのであります。従つて例えば正式に向うから申出て来るというような場合には、これは当然やらなければならんのでありますが、それでないいろいろのアドヴアルン的な声明に対して一々取合つていることは、却つておかしいのじやないかと今のところは思つておりますが、これが又何か烈しくなればやらなければならんでありましよう。今のところはその必要はないと考えております。

○伊達源一郎君 平和条約締結のときに西村条約局長から、竹島問題は、はつきり日本の領土ということにきまつておるから心配はないのだと言われた。その根拠は今政務次官の説明せられたような程度ですか、法律的に、条約的にはつきりしたことがあるのかどうか伺いたい。

○国務大臣(岡崎勝男君) 平和条約は、日本が権利権限その他を放棄すべき地域は定められております。それ以外の旧日本領土は、当然日本に帰属すべきものである。一々列挙はいたしておりませんけれども、これが当然の解釈だと思います。

○團伊能君 李承晩ラインは、韓国側の一方的な宣言でございまして、日本といたしては、これを認めていない状態はよく我々共承知いたしておりますけれども、李承晩ラインの中側における漁業は、これに制限を加え、旦つ日本の漁船がここに入ることを許さないということを声明いたしておりますし、現に拿捕せられました日本の漁船について、韓国側の言い分といたしては、李承晩ラインの中に侵入したことによつて拿捕したというようなことを声明しておりまして、李承晩ラインというものは一方的宣言でございますが、そのうちにおきまして、韓国はすでに一つの行動を実施しておるのであります。そういたしまして、この島根県に属しておりました古い名で言うリアンクール・ロツクス、竹島が日本の領有であり、これが李承晩ラインの中にあり、而も日本の漁船の自由なる航行をも妨害するという行為が現実にありまするときは、これは日本の主権のある領土に対して一つの制約を加えて来るのでありまして、日本の領土権或いは主権の侵害であるということを考えられます。その点で只今外務大臣はただ一つの声明であるから、こういう場当り的の声明であるから、これをとり上げないと言われましたが、それも一理ありますけれども、この日本の領土の主権を制約するというような韓国政府の行為となりますと、これは日本国といたして放置できない重大な問題ではないかと考えますが、その点におきまして外務大臣のお考えをもう一度承わりたいと思います。

○国務大臣(岡崎勝男君) 竹島に行く船が妨害されたということは聞いておりませんが、そういうことがあれば勿論それに対する措置をいたします。

○團伊能君 なお、一つこういう事件が起りますと、我が国の周囲を取巻いておる島嶼の帰属につきまして、外務大臣が言われるように、日本の領土から離れたところの領土の区域は、明らかに残るところは日本の領土として認められたわけでありますけれども、更に正確な日本の領土の範囲を国際的にレジスターするというようなことは、従来国際慣行としてありますかどうか、お伺いいたしたいと思います。

○国務大臣(岡崎勝男君) 私の知る限りではそういうことはないと思いますが、ただつまり何と申しますか、畳で言えば、真中のほうは問題なくて、縁のほうになると問題が仮にあるといたします。そういう場合には、例えばフランスと日本との間に西沙島の領有というような議論もあります。どつちの領有であるか、或いは南極についてどつちの領有であるか、それは非常に端のほうであつて、そういう場合もありますが、一般に日本の領土はこれこれであるということでレジスターするということはないと思います。又実際上はそこに行政権が及んでいるわけでありますから、問題はないわけであります。

○團伊能君 然らばこの島の領有に関して国際的に最後的な判定をする場合に、いろいろな曲折がございましようか、若しもこれがどこかに提訴いたしまして明瞭に島の帰属を決定するというような何か方法がありますか。

○国務大臣(岡崎勝男君) これは平和条約の解釈という問題になれば、条約の規定によつて或いは国際司法裁判所というようなことが考えられますが、これについては解釈ということではないと思います。もうそれにも当らない問題だと考えます。

○團伊能君 然らば、若しも韓国政府が実力的にこの島に行く漁夫に対して危害を加えたり、その島の領有を実力的に主張するとか、或いはこの島を領有し、これを守つて日本人に行かしめないというような事実が起つたといたしましたときには、どういう解決をいたしますか。

○国務大臣(岡崎勝男君) これは実際上の問題でありますから、能う限りの善処をいたすようにいたしたいと思います。例えば歯舞、色丹も、日本は領土だと主張しておりますが、今これに武力を用いるとか、その他の力を用いるというところまでは考えておりませんが、これとそれとはまるで性質が違いますけれども、場合によつては、問題を平和的に解決するためには多少の時日を要することはあると思います。いきなり戦力武力で以て喧嘩をするというようなことにはすぐは行かないだろうと思いますが、方法いろいろあるだろうと思います。

<略>

○曾祢益君 私遅れて来て、外務次官の御説明をずつと聞いて、なかつたので、或いはとんちんかんなことを伺うかも知れませんが、今の伊達委員、或いは團委員と外務大臣の質疑応答を伺つておりますると、政府のほうでは、平和条約によつて日本が主権を放棄した地域というのは、これはきまつておる。そこには入つていないから、従つて竹島は日本の主権であると、そればかりではないでしよう。勿論その前にも日本が領有した事実があるということを言つておられますが、最近の日本の領土の変更に関する一番大きな国際条約は、言うまでもなく平和条約です。この平和条約には、日本から主権を放棄する地域には入つておらない、だから日本の領土だという主張が一つある。いま一つは、行政協定です。これに関連する合同委員会の作りましたアメリカ軍の演習区域の中に入つておる。従つて、これ又積極的に日本の領土であることが証明される。この二点が積極的な法律的な論拠になつておるのではないかと思うのでありますが、この点については、これはあらかじめお断りしておくべきことだと思うけれども、この島が日本の主権の下にあることについては一点の疑いも持つていないのですが、ただ、今の説明ぶりでいいのかどうかという法律論があるのじやないかと思う。殊に第二に挙げられたいわゆるアメリカの演習地として使用されておる、こういうような理由を挙げることは却つて論拠を弱めるのじやないか。例えば何らかの都合で演習地から落してしまうと、逆に韓国側の主張に応援するような論拠をこちらから与えたことになる危険がある。そういう論拠をお使いになることは不適当ではないか、これが第一点として伺いたい点です。
 
第二点としては平和条約の解釈として成るほど竹島については、日本の主権から離れる地域、或いは沖縄、小笠原等の特殊な主権、眠つている主権があると言われておる地域とは別でありましようが、併し一方から見るならば、独立する朝鮮という版図にこれが必らず入つていないということが今挙げられた論拠からは積極的な証明はない。それから第二には日本と韓国との間の条約ができない間は、平和条約の条項が少くとも韓国側を積極的に拘束するという理由は、韓国側はそういうものを認めないという主張は一応言えるかも知れない。そうなつて来ると、今までの御説明、それだけだつたと仮定するならば、それだけでは足りない。もつといわゆる独立する朝鮮側にないのだということと、日本の平和条約から見て日本の領土主権を放棄して、いない、この両方から証明して行くほうが更に論拠は強いのではないか、かように考えるのですが、根本はもともとこれは日韓の条約ができておらないことから起つていることなんですが、その速かなる日韓条約の締結に対して政府の施策が今まで遅れておる。いろいろな関係があるにしても、そこが結局根本的な欠陥だと思います。まあその政治論は別としても、今の平和条約の解釈、朝鮮独立問題との関連において、政府のもう少しはつきりした見解をお聞きしたい。

○政府委員(下田武三君) お答えいたします。先ほど外務大臣も言われましたが、平和条約との関係をもう少しはつきり申上げたいと思いますが、平和条約の第二条は朝鮮に関する領土を規定しておりまするが、これがほかの条項ですと、澎湖諸島、千島列島、新南群島、西沙群島、あいまいな言葉を使つておりますが、朝鮮に関しては何が朝鮮かということをはつきり書いております。「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対する……。」ですから朝鮮プロパーとその三つの島を限定的に挙げております点は、ますますこれは日本の論拠を強める規定の仕方ではないかと思います。
 
もう一つ行政協定の点について御意見御尤もでありますが、行政協定の第二条に施設及び区域の使用を許す規定がございますが、この竹島を演習場に指定いたしましたのは、この二条の区域に該当するわけでありますが、ここで日本国の施設とか日本国の区域とは書いてございませんが、日米間の条約で区域をとり上げるなら、これは日本の区域外にあり得ないわけでございますので、行政協定の第二条に基きまして合同委員会を通じて貸した区域ということは、これはもう明かに日本の土地である、領土であることを示す有力な法律的な根拠になると思います。それからなお向うの都合で区域から解除するということもある得るかも知れませんが、正式には再び若し削除するならば合同委員会にアメリカ側から持出しまして、あの竹島は演習場として使用する必要がなくなつたからということで、日米合同委員会に提起しまして、日米合意の上で施設のリストから削除する、そういう措置をとることになると思います。そういう措置をとるということ、これは又竹島が日本に領有する島であるということを明確に法律的に根拠ずけることになると思います。御指摘の二点につきまして我がほうの立場は法律的には極めて明確であると存じます。

○曾祢益君 どうも行政協定の施設に関する御説明は、私は必ずしも非常に強い論拠でなくて、却つて運用される危険を依然として感じるのですが、平和条約の点は確かに一つの論拠だと思いますが、済州島とか、鬱陵島とか、巨文島、これを含むという規定の仕方だけでは、余り明確じやないように思うのですが、その点は大丈夫なのですか。つまりほかにもいろいろな小島があると思うのですね、実際問題として。これを地図か何かではつきり海域の地図でも作つて緯度や経度から計つて、島の帰属をきめるような取扱をしていない場合には、例示的な「島を含む」ということについては……、私は重ねて申上げますが、竹島の領有に関する何らの疑を持つているわけじやない。だが法律的な説明ぶりがそれで完備しているのかどうか。この問題について伺つているわけなんです。今の程度だけでは必らずしも論議の余地のないほど明確だというふうには、この平和条約に論拠を置いた議論だけでは、私はいけないのではないかという危惧の念を持つたから重ねて伺つているわけなんです。殊に、再びあの行政協定のほうに関連しますが、これは何ら韓国に対する主張すべき積極的な根拠になりません、これは……。その点を伺つている。

○政府委員(下田武三君) 平和条約の第二条の「含む」というところでありますが、これはそう言いませんと、朝鮮プロパーだけになるといけませんから、それで朝鮮プロパーだけではないのだと言つて、念のためにこの三つの、念のためと申しますか、はつきりこの三つの島をこれは公海の真中に点在しておる島でございますから、諸島とか群島とかいう概念にも含まれないぽつんとある島を三つ拾つて、そうして朝鮮に含めた、そういうように解釈されるのであります。併しおおせのように幾多の条約の先例のように条約の附則に地図を付けてちやんと明確にするというやり方は、確に最も明確な規定の仕方だと思います。けれども、これは将来韓国との間に基本条約でもできましたときに、一つの非常に有効な方法だろうと存じます。併しながら平和条約では、ほかの領域の規定の仕方と不均衡に韓国の関係だけを詳細に規定する或いは地図を付けるというわけにはいかないので、全体との調和の見地から簡単ではございますが、私どもの見解によりますと、極めて明確な規定の仕方、韓国との領土の関係についていたしておるように存じます。行政協定との関係につきましては、曾祢さんは、それは根拠に援用し得ないとおつしやるのでございますが、アメリカが若し竹島を韓国領土だと見れば、韓国との間の取きめによつて、韓国政府の同意を得て、施設を使用さしてもらうという立場をとるのでありますが、それをしないで日米行政協定の規定に従つて日米合同委員会にかけて貸してもらうという措置をとつたことは、日米間の問題ではありまするが、これ又極めて明白な事実だろうと思います。

○團伊能君 曾祢君の御質問に関連してちよつと伺いたいと思います。私は曾祢君の行政協定関係の論拠は、却つてこの領有に関する問題を侵すような形で弱くなると言われる御思想は全く意見一致いたしますので、若しもそういたしますと、先ほど韓国の発表にありました、真偽は知りませんが、ウエンライトその他の通告というものも同じような価値を持つて来るような形になりはしないかと思います。それでもともと行政協定或いはこの今の軍司令官の発表は、領土その他の問題を解決すべき正確な基礎を作るものではなく、作戦上その他の便宜上から出ておる問題でございまして、これらの米国軍なるものが領土その他、外交的な適格性を必ずしも認めての上に、且つ専門的な知識の上に立つておるものではないと思いますので、これは私も曾祢君と同様に余り論拠にならないと思いますが、ここに一つ伺いたいことは、韓国が従来これは韓国の領土でありと主張していたといたしますと、この講和条約で日本の施政権が届かなくなる、切り離されて行く土地というものが、日本の国土を規定するということについてどういう関係になりますか。御承知の通りこれは日本の施政権の中にありましたのは無人の島嶼でございまして、考え方によつては拡張すればここに人は住んでおりませんのでそういう主張も一応成立つのじやないかと思いますが、そういう場合、もともと日本の領土でないから日本の領土から離れるという規定の中にないという主張をされた場合に、非常に問題が不明確になつて来るんじやないかと思います。その点を一つ伺いたいと思います。

○政府委員(中村幸八君) 先ほど御説明申上げましたように、竹島は島根県の穏地郡五箇村の一部でありまして、これは古くから日本の領土であるということははつきりとしております。朝鮮総督府の管理区域にあつたわけではないのでありまして、島根県の穏地郡の五箇村の一部であつたわけであります。その点は至極明瞭じやないかと思います。

○團伊能君 なお念のために伺いますが、朝鮮の領土に巨文島、済州島、鬱陵島を規定しておると言われますが、この竹島は鬱陵島の南にある島嶼でございまして、これはこの済州島やほかの二つの島の規定は勿論、周辺の岩礁その他を含んでおるものだと思いますので、この竹島を鬱陵島の附属の岩礁というような工合に解釈される虞れはありませんでしようかどうか。

○政府委員(中村幸八君) 鬱陵島とこの竹島とは余りに距離が隔つておりますので、その附属の島という考え方は常識からいつても容認できない問題だと考えます。

<略>

○平林太一君 今の問題ですが、韓国側領有だと称しておるものを強調し、裏付けているものに現在ウエンライト司令官があるが、いずれにしても米国政府と考えてよろしいか。それからこういう了承を得たというのですが、先刻外務大臣の説明、又今政府からのこれに対する答弁を伺つておる中にも。それならばやはりこの当然の措置として外務省は米国政府に対して先ずその真偽を確かめるということを当然なさなくちやならない、その真偽を確かめて事実だということであれば、私はどういう根拠で以てそういう我が方の今まで外務省説明の通り極めて明白な我が領土をそのようなことをするか。まさにこれはいわゆる盗取である、領土をかすめ取る、或いは横奪するということにこれは相成るわけであるが、その経過はどういうふうになつておるか、お答えを願いたい。

○政府委員(中村幸八君) 韓国国防部の発表によりますと、只今のお話のようにウエンライト司令官からこの旨の正式の通知があつたということを、こういうことを伝えておりますので、我が方といたしましては、非公式ではありましたが、昨日早速アメリカ大使館に参りまして、事実や否や、真偽を確かめたのであります。アメリカ大使館におきましても只今のところそういうことは承知しておらない、但し爆撃の演習を中止しているということは事実である。こういうような話がありました。更に一層事実を確かめるように依頼いたしているのであります。その調査の報告を待ちまして更にとるべき手段があればとろうと考えております。

○平林太一君 只今外務次官から昨日そういうことを米大使館に交渉いたしたいということでありますが、甚だ行動が怠慢であるということをこの際強く述べたいと思います。すでに昨日大使館に行かれて交渉したというようなことは、我が方に対して何か弱味があり、或いは何かそういう韓国側の強い態度に対しまして非常に退嬰的であるということが、こういう問題は更に更に問題を複雑化するということになるのでありまして、今後これは過ぎたことはいたしかたがないのでありますが、外交の機微というものは間髪を入れずして処理しなければ、非常な迷惑をこうむり主客顛倒することが考えられるのでありますから、この点十分今後の問題に対して厳重に外務省に対しまして私はこの際戒告をいたしておきたいと思います。非常にこれは怠慢であり失態であるということを申述べたいと思います。それに対しまして何か御答弁ありますか。

○政府委員(中村幸八君) 私昨日大使館に参つたということを先ほど申しましたが、これは事実が多少違つておりまして、ずつと以前に照会をいたしたのでありまするが、昨日大使館に参りましてそういう返事をもらつたわけであります。なお只今のお話の外交は間髪を入れず機敏に折衝すべきであるということは至極御尤もなお説でありまして、そういう方針で我々はやつておりまするが、ただこの問題につきましては、先ほど大臣が申されましたごとく、余りに明瞭過ぎる問題であつてこれを格別に取立てて論議するということは却つてこちらに弱味があるのじやないかというようにもとられる虞れがありましたので、わざと今日まで黙認し知らん顔をしておつたようなわけでありまして、決して怠慢でもなく、我々は考えるところがあつて別段抗議もせず声明もせず今日に至つたような次第でございます。

○平林太一君 昨日でなくて遡つて遥かな時代にそういうことをいたしたということでありますから、私から申上げたことはそれで肯かれることでありましようが、十分申上げておきます。それでこの問題は何か外務大臣がことさらそういうことをいたすことは、当然のことであるので、却つて反抗がましくなるのだということでありますが、これは四囲の情勢で韓国側に対してはあるのです。併し米国側に対してはそういうことであつてはならない。韓国に対して事態がそういう極めて明瞭なことであるから戦争中なのでやつたのであるということでありますからいいのでありますが、併し米国に対しましては、米国自体が我が領土に対して韓国政府とそういうようなことをいたしたことは、ウエンライト司令官がそういう発表をいたしてあるのであるから、これは事実としてよろしいのでありますので、当然の処置を米国に対して厳重にこの際することは極めて必要だと思います。現に李承晩ラインに対しましても更にそういうことでなかつたということを、我々は米国の日本に対する信というものを深く信じてさようなことがないと、こう善意に解釈いたしていたのでありますが、併し今回の問題のようなことが発生してみますと、やはり李承晩ラインの裏面に米国が何か暗中摸索しているのだということを事実の上にこれは立証するものであります。そうでありますから、今外務次官の言われる見解と私は違います。米国に対しましては今御言明になつたような態度でなくてこの際厳重な交渉をして、そうして若しそういうことをするならば事前に我が方に対しては外務省に対しましてそれぞれの処置なり手続なり折衝をして、どうしても軍事上必要であつて困るというならば、話はそのときは別であります。さようなことを必要であるというために、全然我が方に何らの話もなく、いわゆる朝鮮との間に世俗で申せば闇取引である、闇取引と申しましても自己のものではない、よそのものを闇取引するというので、甚だ許すべからざることであると思います。こういうことに対して私は非常な強硬な態度を以て米国政府に向つて外務省は臨むべきところの態度をこの際表明せられることは極めて大切だと思いますが、どういうふうにお考えになりますか。

○政府委員(中村幸八君) 御意見御尤もと存じます。でありまするのでアメリカ大使館側に事実の調査を依願いたしておりまして、その調査の結果によつてウエンライト司令官が実際にそういう正式通知を韓国政府になすといたしますれば、我が方といたしましては厳重なる抗議をいたす考えであります。

○平林太一君 大体そこで外務次官の御答弁で私も了承をいたしましたが、この際附帯して申上げておきたいことは、李承晩ラインに対しまする今あのような竹島という問題が出て来たのでありますが、これは重大である。要するにこういう問題も李承晩ラインというものが一応先方の優越感といいますか、そういうようなものがこのようなことを声明せしめるのでありますが、それですから李承晩ラインに対する米国と韓国との関係に対する信義の確立というものは、この際極めてこれはあいまいになつております。それですべての問題は、米国と日本の問題は米国と、日韓間の条約に対することは日韓の条約でやる、かような問題につきましていわゆるこれはあいまいもこにいたしまして、そうして何か日韓条約のために大事なことだということは、決して私は日韓条約の相互の友好提携の上に、条約締結のいわゆる軌道に乗るべきものではないと思います。でありますから、この点一応申上げておきたいのでありますが、これは李承晩ラインに対します私の只今申上げましたことに対しまして、次官はどのような御見解を持つておられますか、これは私は非常に弱腰では困ると思うのでありますから、一応承りたいと思います。

○政府委員(中村幸八君) 李承晩ラインに対しましては、外務省といたしましては絶対に容認ができんということは、再々申述べているところでありまして、又アメリカ側といたしましても、国連側といたしましても、李承晩ラインというものとクラーク・ラインというものは全然関係がないということをはつきり申しております。ただ韓国側では国防水域と李承晩ラインとを結び付けて、そうして韓国側に有利に事を導こうというような意図があるやに推察されまするが、国連軍として或いはアメリカとしてはさような考えは全然ないように承つております。

○杉原荒太君 さつきから政務次官の言われることを聞いておりますと、竹島が日本の領有だということ、それについては私も疑問を持たないけれども、それを主張して行く立論の仕方が非常に薄弱ですよ。もう少しよく研究されないというと、これは今まで日本のどこそこの領域にあつたということなどじやなく、もつと本当に国際的に主張し得るような立論の仕方をもう少し研究されたほうがいいと思います。条約局長その辺のところまだもう少し私は精密に研究される必要があると思います。
 それから念のために一つ聞いておきたいと思うのですが、日本側でも韓国の領有たることを争わない、まあ認めている島で、そうして而も韓国の領海外にある島がどれくらいあるか。全然存在していないのか、存在しているのか。その辺のところを調べておられるのか。

○政府委員(下田武三君) 私の主管する条約局では調査はやつてありませんが。

○杉原荒太君 それを調べておかんと、あなたがさつき言われたこれこれの島を含むという条項を援用しても論拠薄弱になつてくる。

○政府委員(下田武三君) 併し韓国の極く近いところの岩礁とか何とか……

○杉原荒太君 それだから私が言つているのは領海外で……

○政府委員(下田武三君) そういうものは地図を一見したところはございません。更に綿密に海洋調査式のことをやれば……

○杉原荒太君 それは竹島以外には別にないのですか。

○政府委員(下田武三君) 現在までの調査はないと承知しております。我々は曾つて疑いを持つたことがない……

○杉原荒太君 私の言うのはですよ。つまり領海外の島で、そして而も今韓国の領土と認められている島が、さつき挙げられた平和条約に列挙してある島以外にもあるかないかということ。

○政府委員(下田武三君) 条約に取立てて書くような島はございません。それから竹島はここに書いてあります鬱陵島よりも更に日本に近い所にあるのでございますから、若し韓国寄りにあるとか、或いは鬱陵島と韓国と等距離ぐらいにあるのでしたら疑いはございますけれども、沖ノ島と鬱陵島との中間にあるわけでございますから。

○杉原荒太君 私は今議論を聞いているのじやなくて、そういう事実があるかどうかということを聞いている。それがあなたがたが論拠を立論するからには大事なんです。僕はあなたがたが立論をもつと正確にする必要があると思うから聞いているのです。

○政府委員(中村幸八君) お説の点は十分調査いたしたいと思います。

<略>

○中山福藏君 この際政府に確かめておきたいことがあるのですが、それは日米合同委員会の爆撃演習地として一応竹島が入つておつたのを、この頃抜かれておるというのはどういうわけですか。向うが勝手に抜いたというわけですか、そこを一つ。

○政府委員(中村幸八君) 日米合同委員会によつて選定いたしました施設地域協定の中から除かれてほおりません。ただ実際爆撃演習場として使用しなくなつたということだけだろうと思います。

○中山福藏君 それはウエンライト米空軍司令官の日本領でないということを認識してそういう挙に出でたのではないかという疑いが一応持たれるのですが、それはどうですか。

○政府委員(中村幸八君) 我方はそういうふうには考えておりません。

○中山福藏君 そこで一つお伺いしておきたいと思うのですが、これは韓国側の言うことも日本側の言うことも一通り筋を立てて手がけて来ておるものと思う。私どもは日本人として日本の領有であるということを固く信じておるのですが、併し結局両方から水をかけ合つておるというのが実情であります。然らばこの水をかけ合つておることを一つの解決するという姿に持つて行くにはどういう手段方法を講ぜられるつもりか、それを一つ承わりたい。

○政府委員(中村幸八君) その点は先ほども外務大臣が申されましたごとく、別段今ここに取立ててこの問題を協議すべき性質のものではない、明々白々、我が日本の領土である、こういう観点に立つておるのでございます。今後なおこの問題が一層紛糾するような虞れがありますれば、何らか適当の方法によりましてはつきりと我が方の主張を声明するなり、或いはアメリカ大使館を通じて、或いは又直接に韓国政府に対して抗議を申込み、適宜そのときに応じた方法をとりたいと思います。

○中山福藏君 これ以上紛糾して来れば適当な処置をとるとおつしやるのですが、大邦丸事件以来一をとつて二をとるというような金内務長官とか或いは李承晩声明というものは相当日本というものを蔑視してかかつておると私どもは考えておる。これはいわゆる蔑視ということはすでに日本何するものぞという態度を示しておる、これはやはり外交的の一つの紛糾です。適当な処置をとるということは現在とらなければならん、それでこれ以上紛糾したら適当な処置をとるということは、これは私は当局としてはそういう何と申しますか、先ほどの平林氏の言葉を借りて言えば、一種の怠慢的な私は態度だと思う。それよりも現に私どもこれを紛糾と見ておるのですが、それを解決する手段、方法、計画というものは外務省にはないのですか、それを一つ。

○政府委員(中村幸八君) まだ韓国政府の声明なるものが発表されただけでありまして、その内容の真偽のほども明瞭でありませんし、目下事実を調査いたしております。その程度ではまだ紛糾とは言えないのではないかと考えております。この上更に話がもつれて来るような場合におきましては必ず何らかの強硬な方法をとるというように進みたいと考えております。

○中山福藏君 それも大邦丸事件といい、或いは今度の竹島問題といい、これを共に日韓会談のときに持込まれるつもりでありますか、或いは日韓会談と別個にこれを処理するという意向があるのですか。向うのほうからいろいろなことを言つて来なければこれに対応する手を打たんというようにも聞こえるのですが、その点はどうでしようか。

○政府委員(中村幸八君) 大邦丸事件につきましても日韓会談とは切り離して別個にこれはこれとして解決する、こういう方針で進んでおります。この点につきましては韓国との間のもつれが生じたそもそもが目撃談そのものではないのでありまして、李承晩ラインの一方的海洋主権宣言についての我が方の抗議から始まつた問題であります。従つてこの問題は日韓会談とは別個に取扱いたいと考えております。

○中山福藏君 その別個の方法と、並びにその着手せられる時期はいつ頃ですか。

○政府委員(中村幸八君) アメリカ大使館に事実の調査を依頼いたしております。これを督促いたしまして、その結果が明瞭になりました上でとくと考えたいと思います。

○中山福藏君 最後に一つお伺いしておきますが、先月の二十八日の午後一時半に伊関国際協力局長が大阪に来られて大阪クラブで講演をしておられるのですね。いわゆるアメリカの軍需品発註に関する註文というものが相当増大するだろうという前置きをして約二時間半に互つて演説された。そのうち地域防衛協定というもの或いは日米防衛協定というものをする時期が来るといつた、両当局者の間にこれが進行中であるという演説をされた。三、四日前ですね。そこでその地域防衛協定というようなことが、これは日米合同委員会の理事ですか、委員ですかしておられる伊関さんの言葉でありますから、私はこれはまあうそだとは思いませんが、そういうときにこの地域防衛協定というのは竹島なんか入ることになつておるのですかどうですか。これは外務省として大阪に派遣された伊関さんの言葉ですから、一応一つ念を押しておきます。

○政府委員(中村幸八君) 伊関局長が大阪でどういうことを言われたか存じませんが、恐らくそれは誤伝ではないかと考えております。なお地域防衛協定なるものは総理或いは大臣からも再々申上げておりまするごとく、今日日本は軍備を持つておらない、従つて地域防衛協定というようなことは考えておらない、こういうことを述べております。又なおこの竹島問題が地域防衛協定にどういう関係があるかということは、これはまあ地域防衛協定を考えておらないという点からいたしましてお答えすべき筋でないと思います。なおこれは日本の領土であるという点から言えば、仮に若しそういうような協定を結ぶとすれば、日本の領土の一部として防衛の対象にはなると思います。

○中山福藏君 それは誤伝であるとか何とか絶対に私はあなたから言われたくない、これはもう事実です。厳然たる事実です。伊関局長はこう言つたのですよ。今アメリカから軍備のために要求されておる兵数は三十二万五千人だ、併し本年度は四万しか増員ができない、こう言うのです。ですから誤伝とか何とか言うには伊関さんが大阪で言われたということをお調べになれば誤伝か真伝かよくわかるのです。ですから私は念を押しておくのです。だから、そういう次第でございますから、私はこの地域防衛協定なんかというようなものができれば或いは我々の心配しておることも解消されるか知りませんが、それができるまで待つておることはできんというような立場から早急にこれは解決すべき問題である。この竹島問題は解決すべき問題であると思つておるから私はこう言うのですが、紛糾した場合に適当な措置をとるなどということは、これは私どもはあなたがいつおやりになるか知りませんが、百年河清を待つような政府の答弁を頂きたくない。だからこれは特に私は念を押して政府の覚悟を促さなければならんと思うのです。今まで日本の外務省というものはいつもこの手で国民をだまして来た。私どもはもうだまされたくない。だからできるだけ速かに私は何らかの措置を講ぜられんことを切にお願いして私の質問を終つておきます。

○伊達源一郎君 ちよつとお尋ねしますが、竹島は李承晩ラインからどのくらい朝鮮から言うと内側にあるのですか。

○政府委員(中村幸八君) 李承晩ラインの殆んど線すれすれのところにございます。正確にまあ距離を申述べることはできませんが、これもなお調査いたしまして御報告いたします。

○伊達源一郎君 李承晩ラインを日本の領土である竹島すれすれに引いたとすると、そこには非常に大きな問題がなければならん。李承晩ラインの声明に反対の申入れをしたときにこの竹島のことについて言及されておるかどうか。

○政府委員(中村幸八君) 李承晩ラインの宣言に対する我が方の抗議の際に、最後に付け加えまして竹島が李承晩ラインの中にあるが、これは我が方としては絶対に容認できないということをはつきりそのとき伝えてあるのであります。

○伊達源一郎君 この李承晩ラインをそのときに韓国の方ではこれを韓国の領土として入れようとするインテンシヨンがあつたのじやないかと思いますが、外務省はどういうふうに解釈されますか。

○政府委員(中村幸八君) その点は韓国側の意図ははつきりいたしませんが、李承晩ラインは魚族保護という見地からこのラインを引いておるのでありまして、直接領土というものとは関係ないのじやないかというようにもとれますが、御説のような考え方も想像できるわけであります。いずれにありやはつきりいたしません。

○團伊能君 竹島問題は一種の岩礁の人のいない島の問題でございますけれども、こういうことが起つて来ると仮定いたしますと、日本国民がその領土として住んでおるところの地域に対して国民といたしまして、一種の大きな不安を抱かせられる問題だと思います。事竹島のみならず、日本は御承知のごとく周辺海をめぐらしておりまして、数多の島がございます。ポツダム宣言その他で書いてある極みて大ざつぱな四大島及びそれに附属する島嶋というようような観念で日本の領土を考えることができない。もつと非常に正確な微細に亘る地域の決定を何らかの方法においてして頂かなければこれは我々として安心できないような印象を持ちます。殊に歯舞群島のごときがこれが果していわゆる条約にございますキユーリル・アイランドであるかどうか、即ち千島であるかどうか。若しも千島でない、北海道附属島嶋であるといたしましたとき、それは国籍は日本にあつて只今ソ連軍の占領下にあるという状態になりますが、ほかのいろいろそういう島嶋もございますが、併し先ずこれに連関して歯舞群島のステータスはどうか。キユーリル・アイランドと申されますのは日本の領土であるかないか、その地域は。日本の現状の姿を簡単に、できたら併せて御説明を伺つておきたいと思います。

○政府委員(下田武三君) 平和条約の規定によりましてそういう不明確な問題は発生しないわけなんでありますけれども、誠に根拠のない韓国のような横紙破りを主張するから問題が起るのであります。現在のところ只今御指摘の歯舞、色丹両島とこの竹島以外に何ら紛争の発生が現実にございませんし、又ありそうな島もないわけでございまするから、その点は御懸念が不要ではないかと存じます。なお先ほどの政務次官の御説明を補足さして頂きますと、この間の国防部の発表のありました直後に私アメリカ大使館員と会いましたのですが、念のため聞きますと、米大使館は一笑に付しておりました。これは余りにも明白な問題であつて取るに足らんという態度であつたのであります。それで米軍の関係者と伝えられておりますのも軍の人間でありますし、韓国の国防部の発表でありまして、両政府の立場を代表する立場にある者が言つたことではないのでございまして、アメリカ自体が一笑に付しているような問題を日本が余りに大きく取上げて行くということは均衝を失しているのではないか。そういう考慮もありまして単に調査を求めて、そうしてその回答を待つておりましたが昨日回答がございました。内容はこれはただ軍で爆撃の演習を停止したというだけの事実の回答でありますので、迫つて米国政府の見解はアメリカ大使館から正式にあることと存じます。

(注)
※伊達源一郎:参議院議員(無所属)
※中村幸八政府委員:外務政務次官
※岡崎勝男国務大臣:外務大臣
※團伊能:参議院議員(自由党1950)
※曾祢益:参議院議員(日本社会党)
※下田武三政府委員:外務省条約局長
※平林太一:参議院議員(無所属 )
※杉原荒太:参議院議員(自由党1950)
※中山福藏:参議院議員(緑風会)

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昭和28年09月17日 第016回国会 衆議院 外務委員会 第30号 

○ 田中(稔)委員 外務省の方にお尋ねいたします。竹島の問題につきましては、これが日本の領土であるという主張は、日本側の主張として私ども聞いている、われわれもそうだと思つているのでありますが、一方韓国側は、韓国の領土であると主張しているわけです。その主張が理不尽なものであろうと思いますが、やはり韓国側の主張は一応主張として私ども参考には聞いておきたいと思います。外務省の方ではよくわかつておると思いますから、その点につきまして私どもに御説明を願いたい。なおこの竹島問題は非常に大きな問題として国民の眼に映じておりますが、政府としてはこういう問題が起つたのをむしろ得たりかしこしとして、だから再軍備をしなければなら、ぬ。だから保安隊を増強しなければならぬというような、何か宣伝の具に使われるという底意があるのではないか、新聞あたりも非常に大きくこれを取上げておりますが、私ども社会党左派としてはそういう心配をしておるのであります。私どもは、そういう問題の解決は実力によつて対抗するというより、やはりこれは国際的に公正にして合理的な解決を見るのでなければならぬ、従つてわれわれとしては国連に提訴するとか、国際裁判所に提訴するというようなことで、問題を解決しなければならぬと思います。そういう考えも持つておりますので、やはり日本側の主張はもちろん主張として、また向う側の主張はたといそれが理不尽なものでありましても、一応その説明を聞くということが必要だと思うのであります。条約局長でもけつこうですけれどもできるだけ詳細に御説明を願いたい。

○下田説明員 この前の委員会でも申し上げましたが、実は竹島を韓国の領有なりと主張する根拠は、ちつともわからなかつたのであります。何度も抗議、逆抗議の文書の往復をしておりましたが、わが方は詳細なる歴史的、民族的いろいろな根拠をあげて、日本領である理由を申しておるのに対し、先方はそれを反駁する何らの裏づけがなかつたのであります。そこで先般の委員会でも、たとい竹島の問題が国際法廷に持ち上つても、完全に勝つ自信があるというようなことを申したのでありますが、その後最近になりまして、初めて韓国が竹島――韓国では独島といつておりますが、独島は韓国領なりと信ずるゆえんのものを非常に詳細に申して参りました。しかしこれは外国の文書でありますから、かつてに日本側で発表することは差控えたいと思いますが、ポイントだけ申しますと、日本側が歴史的、民族的にあそこは日本領だというのと同じように韓国も、あそこは韓国領であるという文献等をあげております。その文献の中には日本の文献も入つております。そこで長い歴史の上には鬱陵島に住む韓国人が、漁業等のためにあそこへ行つたということは、あたかも日本国民があそこに行つたことがあるように、その点は事実かもしれません。しかしそれは必ずしもあそこか韓国領であるという根拠にはならないのではないかと思います。もう一つのポイントは、平和条約で何にも言つてないということは、あれが日本領になつたことではない、日本側は、鬱陵島その他の島は韓国に行くことを平和条約で明記されておるからそうなるのであつて、平和条約に明記されてないものは当然日本側にそのまま残るのだという主張であるが、そんなことはない、平和条約に明記をされておるのは、韓国に属する無数の島のうちのごく一部分であるというようなことを言つております。しかしながら日本側といたしましては、ポツダム宣言を受諾いたしましたときに、ポツダム宣言に引用してありますカイロ宣言を受諾いたしたことになるわけであります。つまり日本近辺の諸小島の帰属は連合国側がきめるぞというような連合国側の主張を、日本側は降伏によつてのんだわけであります。そこで帰属の問題については、平和条約によつて明らかになつたわけであります。平和条約の第二章というのはまさに領域の帰属をさしたものでありまして、これはそういう領域条項の当然の解釈といたしまして、領域条項に掲げられた島、つまり特に敗戦国側から剥奪する領域だけを書くのが当然でありまして、日本側といたしましては、平和条約の領域条項に特に書き出さたれ領域以外は、当然日本に残ると心得てしかるべきである、また連合国側の解釈もそうであろうと思います。なるほど韓国の近い所にはたくさんの島がありまして、それは一々平和条約では申さないでありましよう。しかし平和条約に記載されておる鬱陵島よりももつと日本に近い島を韓国のために取上げるなら、まさに連合国はそれを特記したはずであります。日本側に近い島を特記しなかつたゆえんのものは、連合国側の意思は当然日本に残す意思であると解すのが当然であろうと思います。また韓国側のもう一つのポイントは、米軍は竹島に対する射撃を中止する際に、韓国の国防部に通告して来たということを言つております。これも日本が申しておりますように、あれは日本領であるからこそ合同委員会におきましてわざわざ日本側から地域として提供してもらう措置を米軍がとつて、それで演習地として使用した。やめるときに再び合同委員会にかけまして、そうして日本側に、あれはもう区域として必要なくなつたということを申して来ておるわけであります。ただ昔から韓国人も漁業であの近辺に行つたという事実がありますから、念のために利害関係者として韓国にそういういうことを通和することもあつたでありましようが、それは便宜の問題でありまして、領土権が韓国側にあるからという理由で、米軍が韓国側にも通報したと解釈するのは誤りではないかと思います。このように韓国側があげております根拠は、私どもの目から見ますと、これはどうも、成り立ち得ないのではないかと思います。韓国側はあるいは向うの理由を詳細に将来発表するような機会かあるかもしれませんが、日本側からその全貌を発表することは差控えたいと思います。しかし大体おもなるポイントはただいま申し上げたような点でございます。

(注)
※田中(稔)委員:田中稔男衆議院議員(日本社会党(左派))
※下田説明員:下田武三(条約局長)

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昭和28年11月04日 第017回国会 衆議院 外務委員会 第5号 

○川上委員 質問の打合せで二十分ということになつておりますので、私はこの打合せその他はかたく守りたいと思いますが、政府の方でもできるだけ簡単にお答えを願いたい。そうしませんと時間が延びます。
 第一番の問題は竹島の問題でありますが、この竹島が今日本にとつて重大な問題になつておる。この竹島は占領中の日本の行政区域になつておらなかつたという事実、これはどういうわけで占領中日本の行政区域になつておらなかつたかということを聞かしてもらいたいのです。

○ 下田政府委員 御承知のように占領開始直後でございましたが、日本国政府の行政権の及ぶ範囲を限定いたしまして、その際に大部分の離れた島々に対しては、日本政府の行政権が及ばないことにいたす旨の指令が出ました。但しその指令に明らかに断つておるのでありますが、これは講和の際に日本国の領土として何が残るかということとは、全然関係のないことであるという断りがついた指令が出た次第であります。

○川上委員 それはよくわかつておるのでありますが、竹島のような島、これは昔から日本の領土であつたと主張しておるのですが、これが特に除かれておつた、つまりこれが領土を最終的に決定するのでないとかあるとかいう問題ではないのです。なぜこれが除かれておつたのかということを聞いておるのです。

○下田政府委員 これは連合軍司令部がどういう意図で除きましたか説明はございませんでしたが、大体竹島と同じくらい距離の離れておるところは、そこに日本政府あるいは日本国民が行くことを許すことは占領政策上おもしろくないという見地から、あのくらい距離の離れた島は、竹島に限らず除いた、そういうように考えるのでございます。

○川上委員 そんなことはありません。ほかのところで除かれておるのはことごとく何らかの理由があるのです。これはわれわれが了承してよいかどうかは別としまして、理由はちやんとある。しかし竹島はどういう理由なのですか。あそこのところにわざわざマッカーサー・ラインがあの上を通つておるにもかかわらず、竹島だけはわざわざ除いてある。そうすれ政府はなぜこれはのけておりますかということを聞いたことがありますか、ありませんか。

○下田政府委員 私どもは聞いてことがあるかどうかという点をつまびらかにいたしておりませんので、当時の記録を調べましてから御返答申し上げたいと思います。

○ 川上委員 条約局長が知らぬというのは聞いたことがない証拠なのです。それほど詳しく知つておる人が知らぬから調べてみるなどと言うのはちよつといけないです。これは何も言つておらぬのです。私は問題の出発点はここにあると思う。なぜこんなことが起るか。しかも平和条約を批准するとき国会に出ておる付属地図というものがある。あの付属地団を見ましても竹島はちやんと除外されてある。別のラインが引いてある。マッカーサー・ラインではありません。別の線がちやんとついておるのです。これはほかのところの行政区域をわけた線と同じ線がついておる。この問題について政府は知らぬ顔をしておつた、こういうことが今明らかになつたと思います。ところが去年の七月二十六日にこの竹島は米軍の演習地として日本が提供する区域に一ぺん加わつたことがあると思うのですが、御記憶があるかどうか、ところがこれに対して韓国から抗議が来ているはずなのだ、というのは韓国の人間が死んだとかいうのですが、韓国はあの島へ上つておつたのですから死ぬのはあたりまえです。そこで抗議が来たところがさつそくこれがリストから除かれて、しかもこの除かれたということをアメリカ当局は韓国へ通告しておる。日本の政府はアメリカ当局に聞いてみたら、韓国に通告したのだという返事が来ておる、こういう答弁を政府はしておる。これは何で韓国へ先に通告しなければならないか、また何でリストからのけたのであるか、私たちがこういうことを聞くわけは、アメリカはこの竹島がどつちのものかということがはつきりしておらぬのじやないか、はつきりした文書か何かあるのか、こういう国際紛争の種を残しておいて、やれ実力を使いそうだとか、断固としてやるとかいうことを言うておる。私はこれはややこしい。この点明らかにしたいために私は質問しておる。どういうぐあいでありましようか。

○小瀧政府委員 竹島がどうして除外されたかということは向う側のことでありますからわかりません。しかし演習地に使つておつたことは事実であつて、そうした軍事的の意味から竹島が除かれたかとも思うのでありますが、しかし昨年の七月の二十六日にわが方に対して施設区域に指定方を申し出たということは、明らに日本の領土であるということを認識しておるからの行為であつたと考えてよろしかろうと存じます。また韓国側へ通知したということについて、議会でそういうことを政府委員が言つたように川上委員はおつしやいますけれども、そうでなくして、そういうことを韓国側が申して参りましたから、これはおかしいというので米軍の司令部へ問い合せましたら、そういうことをしたことはないというので、日本側に対してこれはもう使用しないということをその後申して来ておるわけでありまして、その点に川上委員は誤解があるのではないかというようにそんたくいたします。

○川上委員 竹島を演習区域から除いたということを、アメリカの空軍司令官が通告したことは絶対ありません。

○小瀧政府委員 そういうことは日本側にないということを今言つておりますし、日本側へ現にこれを除くということを通達しておるわけでありますから、双方へそういう通達を出そうはずはないのであります。

○川上委員 朝鮮に通告したということを聞いて、日本が聞き合せて、そうして日本側に通告を受けておるのではないですか。向うから来ている回答はそういう回答と違うのじやないですか。

○ 小瀧政府委員 それは韓国側が日本に対する申出に対して、それも一つの理由だというようなことを言うので、調べたのであります。ところがそういう事実がなかつた。しかもそのあと日本に対してこの施設、区域から除外するということを言つて来た。それは明らかに米国側は日本の領土権を認めたからこそ、この協定にいうところの施設、区域から除くということを言つて来たわけであります。

○川上委員 外務当局は日本の領土だから除くと言つているのですが、韓国から抗議があつたから除いておるのです。韓国から抗議があつたことはわかり切つたことなんです。韓国から抗議があつた、そうしたらそれを除いた、こういうことになつておる。だからあなたの言うのはさかさであつて、アメリカは韓国側だと思つておるから除いた、こういう解釈が成り立つわけです。

○小瀧政府委員 それは違うのでありまして、向うは海軍の演習をもうあそこでやらないから、それじや施設、区域から除こうということを言つて来たのであります。

○ 川上委員 私はこういう問題を言い抜けであいまいにしておいてはいかぬと思う。これは私の言つた通りに韓国から抗議があつて、その時分には韓国の漁民が爆撃のために死んで、そこで韓国がアメリカ当局にこれを申し出て、アメリカ空軍司令官は韓国の抗議によつて日本のリストに入つておつたものをのけて、これを韓国に通告しておるのです。こういう点をやはり明らかにしてやらなければいけない。こうして見るというとこれはさつぱりあいまいである。一体アメリカはこれをどう思うておるのか。ここに李承晩はとりついておるのである。これはわが方の領土であることをアメリカ側は認めておるのだということを主張しておるのである。日本は占領区域から除かれていた時分にも、何一つこのことを交渉していない。また韓国から爆撃の抗議があつたから除いたというが、日本の領土なら日本の領土へ韓国がかつてに入つて来て爆撃の被害を受けたところで、これはしかたがない話だ。日本の領土であるのなら、そこで魚をとつておつて演習のために死んだ、これは向うさんがかつてに死んだのであつて、このために抗議なんか成立するはずはない。ところがその抗議によつてこの竹島をリストから除いたということは、アメリカが向うのものだと思つたから除いた、こういう解釈が成り立つわけです。こういう非常に疑問のあるところを残しておいて、そうして断固たる処置をとるか、あるいは場合によつては、武力も使いかねぬような口実を言つておるが、こういうことを言つておると時間がないから私はたくさん論議はしないが、これはまつたくアメリカの、アジア人とアジア人を戦わせるというからくりにすつかりひつかかつておる。同時に日本の中ではこういうことを利用して、再軍備、軍国主義復活熱をあおり立てる材料にしておる。初めからこれはあいまいな形で残つておる。こういう形の平和条約を批准してある。第一にこの平和条約の批准の時分に出したあの地図、あとで政府は急いで取消しておりますけれども、あの地図には、日本領域参考図と書いてある。領域と書いてある。この地図の中にはちやんと竹島はのけてある。ところがこれは参議院の委員会には出ておらぬ。衆議院には出ておるのです。半分しか出てない。それなら何であの日本領域参考図というものを出したり引込めたりしたんです。これは明らかにはつきりしていない。私は、政府はアメリカがはつきりしておらぬぞということを言つた方がほんとうだと思う。だから緒方副総理は労農党の質問に対して、平和条約によつて竹島はわが領土でありますと答えていない。国際法によつてわが領土でありますと答えた。何でこんなことを言う。平和条約でちやんときまつたのなら、そう答えたつていいじやないか。私はこれ以上議論しませんが、この問題は簡単な問題じやない。こういうことをしておいたのは政府の責任じやないか。重大な手落ちなんじやないか。こういう種をまいているじやないか。こうしておいて李承晩に物を与え、そしてアメリカさんはこれを利用して、アジア人とアジア人とを食い合せることをちやんとやつてござる。吉田政府はこれを活用して再軍備の熱をあおり立てておる、こう言われてもしかたのない根をちやんと残しておるじやないか、私はこう思うのです。しかしこれはこれ以上問題にしましても、おそらくここで議論を闘わせるだけになるだろうから、この点を明らかにしなさらなければ、アメリカははつきりしたことを一ぺんも言つたことはありませんよということを一つ言つておきたい。また日本の政府は、平和条約の上でこれは日本の頗土でありますということを、はつきり証明する材料を出さなければいけないのに、今まで出しておりません。このことを私はここにはつきり警告しておきたいと思う。もしもこの委員会を今後、明日あるいは明後日開かれれば、この問題についてはさらに私は材料をもつて政府の考え方を聞きたい。きようは何しろ時間が制限されていて、この約束を守りたいから私はこの問題はこらだけで打切つておきます。

(注)
※川上貫一:衆議院議員(日本共産党)
※小瀧政府委員:小滝彬(外務政務次官)

1.1.10

2010 - Jan. 1 - Happy New Year !!

This is the third New Year's Day we have celebrated since this blog was started in 2007. Since then we have discussed lots of maps and documents, not only Korean and Japanese, but also those of other countries. This year I hope more people gather here to have reasonable discussion and debate based on facts presented on this blog and others. Anyway, happy new year, everyone !!

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