この本に欝陵島と同じ箇所にLiancourt rocksのことが書いてあることから、「日本が韓国の領土と認めた証拠」とする主張がありますが、この本が領土を描いたものでなく朝鮮近海の漁業のガイドとして書かれたものであることを考慮すると、そのような主張は的外れだと言わざるを得ません。
現に、欝陵島の位置を示す北緯130°45分~53分50秒、東経37°34分40秒~31分50秒の範囲にはLiancourt rocks(東経131度52分、北緯37°14分30秒)は入りません。
また、この本の最初の部分に「韓海沿岸略図」という朝鮮近海の地図がついていますが、これにも欝陵島は描かれていますが、Liancourt rocksは含まれていません。
地図を含むこの書籍の全文は以下の国立国会図書館のウェブサイトから見ることが出来ます。(「本文を見る」という赤いボタンをクリックしてください)
http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php?tpl_wid=WBPL110&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_bef_keyword=&tpl_action=&tpl_search_kind=1&tpl_keyword=&tpl_s_title=&tpl_s_title_mode=BI&tpl_s_title_oper=AND&tpl_s_author=&tpl_s_author_mode=BI&t
以下に原文を掲載します。(一部読めない部分は●で示しました。)
1903年 韓海通漁指針
欝陵島(ウーリャントー)
● (草かんむりの「奮」に似た字)と春川府直轄なりし処、34年8月以来新たに郡守を遣はして之れに●(草かんむりに「投」)治せしむ
北緯130度45分乃至53分50秒、東経37度34分40秒乃至31分50秒の間に位置し、平海郡越松浦の南40余里の海中に在る孤島にして、韓人は別名之を武陵又は羽陵とも書す、乃ち古の于山國にして、支那人之を松島と呼ぶ
因に記す、世人或いは本島を以て、大小6箇の島嶼集合せりものなりとし、若くは竹嶋、松嶋の2島の総称なりとし、甚だしきは往々地図中にも之を並記しあるを見る、此の如きは実に誤謬の大なるものとす
本嶋は、素と金剛山脈の一派走って東海に入り、更に峙立して其頭を顕はしたるものにして面積約5里四方許、中央に一山聳起し、其高さ凡そ4千尺、巉巌之れを擁して、遠く望めば青螺の浮出したるに髣髴たり、嶋中船舶を碇繋する港湾に乏しく、商船漁舟の碇泊に困難を成じ、風濤少しく荒るる時は毎に船を海岸の平地に曳き揚ぐと云ふ
全嶋平地に乏しと雖、其地質は古来落葉枯草の堆積腐化したるものより成れる、所謂黒土の一種にして、土地膏瞍農事上殆んど肥料を要せず、只稀れに●(火に儘の右側の字)灰等を以て耕覆することあるのみ、農産の主なるものは大豆、大麦、小麦等にして、殊に大豆は粒大に質宜しく、直接に本邦に輸出せられ、産額年々四五百石に及ぶと云ふ、林産には、欅、桐、松、白檀等あり、就中欅は径6尺位に至れる大材を産し、桐は本邦にて松嶋桐と称して唐木細工中の珍とする所、白檀は香料として貴重せらる、往時は此種の樹木全嶋に繁茂して殆んど無畫の観ありしも、近歳に至りて本邦人の盛んに輸出せる為め、濫伐の結果、漸く減少を来したり、此他山葡萄の類亦た少なからず、海産は、魚類及び鮑、海鼠の類に乏しからざれども、海深何れも百尋乃至百五六十尋に及ぶが故に、本邦鱶網船の春季往来するものあるの外、漁採未だ盛んならず、唯、沿岸の浅處に於て採取する石花菜は種類良好其産出殊に大なり、又た秋季山鷸の類非常に多く、嶋民は之れを撲殺し、肉は乾燥貯蔵して年中の副食物となし、脂肪は溶解して燈油に供すと云ふ、察するに世人の称して、信天翁の棲息多しと為すは此鳥の訛伝ならん、天産の豊饒なること蓋し韓国中他に比類なしと云ふべし
(訳者注:海鼠=ナマコ、鱶=フカ、石花菜=テングサ、山鷸=ヤマシギ、信天翁=アホウドリ)
島中一泉あり、清水多量に湧出す、聞く此水は少しく酸味を帯び、島民之れを薬泉と称し、疾病の際服用して薬餌に代ゆ、而して其効験見るべきものありと、或は是れ本邦に産する平野水、金山水等と同種なる炭酸泉にあらざるなきか
本島は、往古新羅の我朝と交通したる時代に、隠岐島と共に航海の寄港地となしたる所にして、中古倭寇の旺盛を極めたりし際一時據て以て根據となしたることあり、其他我邦とは歴史上殊に密接の関係あるを以て、貝原益軒の如きは断じて之れを我邦の属島なりと論じたることありたれ共、久しく其●(米へんに莫)稜の裏に経過したりしが、明治十五六年の頃、本邦人某工人を泒して伐木に従事したるに、韓廷抗議する所あり、我邦之れに譲りて其所属始めて一定するに至れり、尋いで明治16年に至り、韓廷金玉均を以て東南諸島開拓使兼捕鯨使に任じ、白春培を以て従事官となし、該島の開拓事務を辯理せしめたりしが、翌年京城の變ありて果さず、其後島民徐敬秀を以て越松萬戸に差定し、住民の繁殖を計り、外国人の樹木伐採を防禁せしめたりしも、本邦人は依然として前状を維持し、唯貨物売却の時、口銭百分の二を官に納れ、材木には船一隻に100両(我二〇圓)を納れ以て公然の密貿易を為せり、次て明治31年の頃、該島の伐木植林の権利一度露人の掌裡に落つるや、露人は直ちに韓廷に照會して外国人(即ち日本人)の本島の木材を盗伐し、及び島内に居住するを禁ぜんことを迫り、外部は更に之れを我が公使に照會し、我公使は一時本島に在りたる本邦人に退去を命ずることとなりたりしも、其後邦人をして急に同島を撤退せしむるは事情の能はざるものあるに依り、其事由を韓廷に復牒したりと云ふ
本島は、往時は住民極めて稀少なりしも、近世に至りて商売及び農夫漁夫の●(至に秦)り聚る者相踵ぎ、本邦人亦た此間に雑居し、韓人の戸数約四五百に達し、本邦人は両三年以前は其数殆んど三百に達したりしが、一時本邦政府より退去の命令ありてより減少して本年春には百四五十人の居住に過ぎざりしと云ふ、是れ等の本邦人は概ね鳥取県下より直接渡航したるものにして、材木及び大豆、石花菜の輸出を以て営業とし、純然たる日本村を形成して、中には酒、煙草、紙、油其他日用の雑貨店あり、或は二三の料理店を開き酌婦の来り往するもの亦た此れありと云ふ
△ ヤンコ島
欝陵島より東南の方約三十里、我が隠岐国を西北に距ること殆んど同里数の海中に於て、無人の一島あり、晴天の際欝陵島山峯の高所より之れを望むを得べし、韓人及び本邦漁人は之れをヤンコと呼び、長さ殆んど十餘町、沿岸の屈曲極めて多く、漁船を泊し風浪を避くるに宜し、然れども薪材及び飲料水を得るは頗る困難にして、地上数尺の間は之れを穿てども容易に水を得ずと云ふ、此島には海馬非常に棲息し、近海には鮑、海鼠、石花菜等に富み、数年以前山口県潜水器船の望を●して出漁したるものありしが、潜水の際、無数の海馬群に妨げられたると、飲料水缺乏との為めに、満足に営業すること能はずして還りたりと、察するに當時の季節は恰も五六月にして、海馬の産期に當たりしが故に、特に其妨害を受けたるものならんか、又た附近に鱶漁の好網代あり、数年以来五六月の候に至れば大分県鱶縄船の引継き之れに出漁するものあり、昨年春季同處より帰航したる漁夫に就て之れ聞くに、出漁未た二三回に過ぎさるが故に、未だ充分の好果を得たりと云ふべからざれ共、毎季相応の漁獲あり、従来の経験上、其網代の状態、及び鱶類棲息の模様等より観察するに、将来頗る有望の漁場たるを疑はずと、同島は蓋し當業者の為めには尚ほ充分探検の価値あるべし
Hi, pacifist.
ReplyDeleteYou wrote the URL like this:
http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php?tpl_wid=WBPL110&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=1&tpl_hit_num=1&tpl_bef_keyword=&tpl_action=&tpl_search_kind=1&tpl_keyword=&tpl_s_title=&tpl_s_title_mode=BI&tpl_s_title_oper=AND&tpl_s_author=&tpl_s_author_mode=BI&t
But, I've found that the URL you wrote gives us an error message. So, I will give another URL:
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40034152&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
Is that what you meant?
And the important site will be from here :
ReplyDeletehttp://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40034152&VOL_NUM=00000&KOMA=78&ITYPE=0
Thank you mc.
ReplyDeleteYes, it's the one I wanted to paste (the National Diet Librarry).
過去にこのブログにどんな記事があるのか順次探索しておりますが、その途中で、表現されていない漢字を見つけたので書いておきます。
ReplyDelete(草かんむりの「奮」に似た字)→「舊」(きゅう、ふる・い、もと)。「旧」の旧字体ですね。
「舊と」とありますから多分「もと」と読むのでしょう。現代語でいうなら「古くは」と言う意味になります。
(草かんむりに「投」)→「藩」(はん、まも・る)(写真の見た目では必ずしも「藩」には見えないのですが、意味からすれば多分これです。)
(火に儘の右側の字)→「燼」(じん)
(米へんに莫)→ 「糢」
(至に秦)→ 「臻」(しん、いた・る)
望を●して → 「屬」(しょく、ぞく。「属」の旧字体)
chaamiey さん
ReplyDelete有難うございます。pacifistさんの投稿なので、私が修正できないのですが、帰国され次第お願いしたいと思います。