竹島問題の歴史

3.6.07

1876年島根県の報告「(竹島の)由来の概略」

以下の文は、明治政府が竹島(欝陵島)と他一島についての情報を必要とした1876年に、島根県に依頼して報告させた竹島の由来を伝える文書です。 文中に最初に竹島に達したのが永禄年間(1558-1569)とありますが、大谷甚吉が嵐により漂流してたどり着いたのは元和3年(1617年)とされているはずなので、他の情報との混同があるようです。また、松島の記述は唐突で、その後の文章が大谷甚吉が漂着したのが松島と読める点にも矛盾があり、この当時島根県でも竹島と松島の情報に混乱を来たしていたことを思わせる文章です。

 磯竹島 一ニ竹島ト稱ス 隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ 周回凡十里許 山峻険ニシテ平地少シ 川三條在リ 又瀑布アリ然レドモ深谷幽邃樹竹稠密 其源ヲ知ル能ハス

唯眼ニ觸レ其多キ者 植物ニハ五〓(りょう)松紫栴檀 黄蘗 椿 樫 桐 雁皮 栂 竹 マノ竹 胡蘿蔔 蒜 款冬 〓(みょう)荷 独活 百合 午房 茱萸 覆盆子 虎杖 アヲキパ 動物ニハ 海鹿 〓(ねこ) 鼠 山雀 鳩 鴨 鶸 鳧 鵜 燕 鷲 鵰 鷹 ナヂコアナ鳥 四十雀ノ類

其他 辰砂 岩緑青アルヲ見ル 魚貝ハ枚挙ニ暇アラス 就中 海鹿 鮑ヲ物産ノ最トス鮑ヲ獲ルニ夕ニ竹ヲ海ニ投シ朝ニコレヲ上レハ鮑 枝葉ニ着クモノ夥シ 其味絶倫ナリト 又海鹿一頭能ク數斗ノ油ヲ得ヘシ

 次ニ一島アリ 松島ト呼フ 周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ 隠岐ヲ距ル八拾里許 樹竹稀ナリ 亦魚獣ヲ産ス

永禄中 伯耆國 會見郡 米子町商 大屋 [後 大谷ト改ム] 甚吉 航シテ越後ヨリ歸リ颶風ヲ遇フテ此地ニ漂流ス 遂ニ全島ヲ巡視シ頗ル魚貝ニ富ルヲ識リ歸國ノ日 検使 安倍四郎五郎 [時ニ幕名ニ因リ米子城ニ居ル] ニ彼趣ヲ申出シ以後渡海セント請フ 安倍氏 江戸ニ紹介シテ許可ノ書ヲ得タリ

實ニ元和四年五月十六日ナリ


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