竹島問題の歴史

14.4.11

2011 Apr. 14 - A Looter in the Sea of Japan (Korea plans ocean science research station on Takeshima/Dokdo)

While Japanese are still struggling with devastating aftermath of earthquake, Tsunami and nukes, Korea is planning to install building so-called research station, which is exactly the same action she did near Socotra Rock against China’s protest, on Takeshima.

Korea Plans Research Station on Dokdo (Choson Ilbo, Apr. 11, 2011)

Korea will set up an ocean science research station on Dokdo to observe waves, weather and pollution in the East Sea around the clock.

Grand National Party lawmakers on a National Assembly ad hoc committee on Dokdo and officials from the Ministry of Land, Transport and Maritime Affairs and the Ministry of Education, Science and Technology met on April 4 to discuss a response to new Japanese school textbooks that repeat Tokyo's claims to the islets and agreed to build the science station.

The station will be the country's third oceanic science base after Ieo Island and Gaeocho islet.

This kind of aggressive action against the country in the crisis is going to incure blame and be criticized by the international community. Even China, Hong Kong and Taiwan protesters stopped their plan to sending ships to Senkaku from this reason. Russian media wrote they should hand in Northern Territories to Japan.

This kind of aggression only provokes firm response by Japan.

Japan's Liberal Party Wants 'Dokdo Day' Enshrined in Law (Choson Ilbo, Apr. 13, 2011)

A committee in Japan's Liberal Democratic Party has asked the Japanese government to enshrine a "Takeshima Day," for the Japanese name of Korea's Dokdo, in law to assert the country's claim to the islets, the Sankei Shimbun reported Tuesday.

The call comes after Korea announced plans to set up an ocean science research station on Dokdo, which in turn was prompted by the Japanese government's approval of school textbooks that state Tokyo's claim.

It is even reported that “Korea may bolster its defense of the Dokdo islets by replacing police who now guard the territory with soldiers”. Are Korean finally ready to admit that Takeshima/Dokdo is a land in dispute? If so, this is exactly what Japan has longed for.

(Update)
Finally, Japanese government
lodged a official protest against the Korean aggression on 14th night.

Tokyo Protests Against Marine Research Station on Dokdo

Japanese Foreign Minister Takeaki Matsumoto told lawmakers on Friday that Tokyo "cannot accept" Korea's plans to build a research station on Dokdo. Matsumoto said the Japanese government lodged a protest with the Korean government after confirming that Hyundai Engineering and Construction had been chosen to build the research station.
And Seoul responded with considering deploying new frigates near Takeshima/Dokdo.

91 comments:

  1. 3/19(土)
    日韓外相会談の開催


    3/27(日)
    ヘリポート補修その他

    「政府の重要な消息筋は、・・・「独島領有権の記述を強行する場合、・・・独島ヘリポート補修工事が含まれる」と述べた。」「国務総理室傘下の「独島領土管理対策団」を中心に、外交通商部の「独島企画団」と東北アジア歴史財団の「独島研究所」などが参加したなかで、部処別の独島関連事業を緊密に調整して、断固たる対応措置を検討していくことにした」「教育科学技術部は、・・・市民団体の「右翼教科書不採択運動」を側面支援する予定だ。建設交通部は、今年中に海洋観測調査のための東海総合海洋科学基地の構造物製作工事に入り、・・・「独島防波堤」の基本設計に着手する・・・方針だ。文化財庁は、独島自生植物の増殖と復元事業、独島天然保護区域のモニタリング事業、独島の帰化植物、外来種の調査及び除去作業をする方針」(3/27聯合ニュース)

    3/29(火)
    独島住民宿泊所の拡張

    「日慶北鬱陵郡によれば、鬱陵邑独島里(西島)20-2 一帯、海抜18m に計30 億ウォン(国費21 億、地方費9 億ウォン)を投じて、建設中の独島住民宿泊所の拡張改装工事が6月頃に終わる。」「現在工程率は91%。・・・従来(2 階、面積118.92 ㎡)より3 倍大きい規模となる」(3/29ソウル新聞)

    3/30(水)
    中学校教科書検定結果の公表

    「中学の社会の教科書のうちすべての地理、公民の教科書で独島領有権を主張する内容を盛り込んでおり、波紋を広げそう」「独島は韓国が不法占拠しているという内容の教科書も1種から4種に増えた。」「検定を通過した教科書は18種(地理4、歴史7、公民7)」(3/30聯合ニュース)

    慶尚北道が全国市・道知事共同声明書を発表
    「慶尚北道が全国市・道知事共同声明書を発表するなど力強く糾弾」「現在国会で滞っている独島関連法律15 件(法案13、決議案1、請願1)に対しても、国会国土海洋委員会などに建議書を発送し、速やかな法案処理を促す方針」(3/30アジアニュース通信)

    3/31(木)
    ヘリポート補修工事の予定

    「事案の敏感性を考慮して、対外的に発表することはできないが、すでにヘリ場補修工事が着手され、静かに工事が進行されている状況」「着工した時点は、3月中旬と分かっており、来る5月には最終的に竣工する予定」(3/31聯合ニュース)

    4/ 1(金)
    韓国教育科学技術部長官が竹島訪問

    「長官が自ら独島を訪問し環境放射線の自動(無人)監視機を設置すると明らかにした」(4/1聯合ニュース日本語版)

    平成23年版外交青書を閣議決定
    「松本剛明外相は1日の閣議で、平成23年版外交青書を報告し、了承」「韓国が不法占拠している竹島(島根県隠岐の島町)については、「歴史的事実に照らしても国際法上も明らかに日本固有の領土である」と明記。」(4/1産経ニュース)

    韓駐日大使が日本外相に抗議
    「韓国の権哲賢駐日大使が1日、外務省に松本剛明外相を訪ね、竹島(島根県隠岐の島町)を日本固有の領土と明記した来春から使われる中学校教科書について抗議」「松本氏は日本の教科書検定のルールを説明。竹島は日本固有の領土との立場から、韓国側の主張について「受け入れられない」と反論」(4/1産経ニュース)「権哲賢駐日韓国大使は1日午前、松本外相を訪ね、「独島は大韓民国の領土」と述べ、日本の主張を直ちに撤回するよう抗議した。しかし、松本外相は「抗議は受け入れられない」と応じた。そして、「韓国政府の独島施設設置などが韓日関係を難しくしているのでは」と韓国政府の独島領有権強化措置に反発した。」(4/2朝鮮日報)

    韓国の李明博大統領記者会見
    「「政治家たちと同じように考えている日本国民は多くないだろう。」と語り、感情的な反日姿勢を持たないよう求めた。」「「天地がひっくり返ってもわれわれの領土だ。実効支配の強化を継続していく」との立場を強調」(4/1時事通信)

    4/ 3(日)
    韓国山林庁の取り組み

    「韓国山林庁は3日、・・・かつて樹木が茂っていた地域の緑を復元する作業を本格化させることを決めた」
    「2014年までに計10億ウォン(約7700万円)を投入する予定。・・・、4月中にも作業に着手」(4/3産経ニュース)

    4/ 4(月)
    ハンナラ党、独島党政緊急懇談会

    「独島水中庭園と展望台を早ければ来る2016 年までに造成する計画であることが4 日確認された。」「防波堤は・・・年内に基本設計を完了して、来年までに実施設計を終える予定」「防波堤には水中庭園と高さ55mの展望台が設置」「(総合海洋)科学基地の構造物について、来年12月まで組み立てを完了する方針」(4/ 4ソウル経済)

    国会独島領土守護対策特別委員会で決議
    「独島特委は同日「日本の独島歪曲中学校教科書検定承認取り消し要求決議案」を採択」「早いうちに独島を訪問し、特委会議を開催する一方、独島警備及び管理の現況を点検することにした」(4/4聯合ニュース)

    4/ 5(月)
    外務省に対して韓国政府に対し申し入れなどを行うよう緊急要請(島根県・隠岐期成同盟会)


    竹島領土権確立島根県議会議員連盟が「緊急声明」を表明

    4/ 7(木)
    韓国軍独島駐留の検討

    「独島への韓国軍駐留検討する価値ある、首相 」(4/7聯合ニュース日本語版)

    4/12(火)
    自民党領土に関する特命委員会

    「自民党は12日の政策会議で、韓国による竹島(韓国名・独島)のヘリポート改修工事や近海での海洋科学基地の建設計画などに抗議するため、韓国政府に即時中止を求める文書を決定」「日韓両国の閣僚級による正式な協議の場の設置要求も盛り込んだ」「近く在日韓国大使館に申し入れる方針」(4/13日経新聞)「韓国が・・・「総合海洋科学基地」などを建設する計画に対して強く抗議する決議を了承した。計画の即時中止や、日韓の閣僚級が竹島問題を協議する場の設置も提起。近く党として正式に決定し、駐日韓国大使館に申し入れる。日本政府には、国による「竹島の日」制定や、竹島問題を専門的に扱う政府機関の設置も求める。」「衆院島根1区選出の細田博之元官房長官は「何らかの対抗手段をとるべきではないか」と提案。具体策として東日本大震災に対する韓国からの支援の受け取り拒否や、権大使と日本政府要人との面会拒否を検討するよう求めた。」(4/12産経ニュース)

    韓国イ・ジェオ特任長官の竹島訪問
    「必要な時、政府は独島と関連して現在推進している28の事業を、年内に仕上げるように各部処に強力に要求する」「大統領に(独島へ)直接行かれることを建議する」(4/12韓国日報)「無礼な日本の教科書廃棄処分すべき」「必要ならば、独島と関連して現在推進する28の事業を今年中に仕上げるように各部処に強力に要求する」(4/12大邱日報韓国語版)
    鬱陵郡議会
    「鬱陵郡議会、独島侵奪野望糾弾決議文採択」(4/12大邱日報韓国語版)

    参議院の外交防衛委員会で、竹島問題の質疑(自民党の佐藤正久参議院議員)
    http://www.webtv.sangiin.go.jp/generator/meta_generator_wmv.php?ssp=4180&mode=LIBRARY&pars=0.5055917358626145

    4/13(水)
    竹島施設で入札公告

    「外務省は・・・自民党の「領土に関する特命委員会」で・・・韓国が・・・「総合海洋科学基地」の工事入札を公告したと説明」「外務省の北野審議官は「外務事務次官が適切に申し入れている」と述べるに留めた」(4/13山陰中央)

    衆議院外務委員会で、竹島問題の質疑(自民党の小野寺五典衆議院議員)

    超党派の領土議連が開催
    「超党派の「日本の領土を守るため行動する議員連盟」(会長・山谷えり子自民党参院議員)は13日、国会内で緊急総会を開き、韓国が竹島(島根県)近海の洋上に「海洋科学基地」などを建設する計画を進めていることに強く抗議する決議を了承した」(4/14産経)

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  2. 2011年(平成23年)
    4月5日 佐々江外務事務次官による権哲賢(クォン・チョルヒョン)駐日韓国大使への抗議
    http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/4/0405_01.htmlを付け加えておいてください。抗議しなければ黙認したものとみなされ、主権が移転してしまいかねないところでした。

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  3. Korea should not expend a useless budget for the construction of the station. When Korea return Takeshima to Japan in the future, she comes to have to bear the expense for removal of the station. It will be the waste of the budget really for Korea.

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  4. 「独島外交」李明博政府でうち捨てられた

    明日の新聞 2011-04-13
    http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/53464029.html

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  5. Makotoさん

    ご指摘ありがとうございます。
    土肥さんの件もありますが、海洋基地に関わる流れも投稿したいと思います。

    chaamieyさん

    記事のご紹介ありがとうございます。

    「日本にいつも後頭部を殴られ」とありますが、義損金を送ったから教科書の記述が無くなると勝手に期待しておきながら、勝手に裏切られたと憤慨して暴走されても、ね。それとも民主党の誰かに口約束でもしてもらっていたのでしょうか? 100年前の併合時もこうした「勘違いによる裏切られた感」があったので恨みもひとしおなのだろうかと思います。韓国の皆さんが見せて下さった善意の数々には心から感謝したいと思いますが、「恩を仇で返す」と言わんばかりの反応には、首をかしげざるを得ません。

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  7. Chaamiey <<-

    There won't be the removal of the station, nor the return of Dokdo.
    Return? You kidding?
    There won't be any returning since it's Korea's territory. When Japan gets Dokdo, that will be the day when Japan invades Korea. That won't happen though, unless WW3 occurs

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  8. Jay,

    It’s necessary as international justice to return the land which a country occupied illegally. Didn't you know it?

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  9. 保坂先生の新しいニュース記事を発見しました。気合の入った文章のようなので、私も気合をいれて検証してみます。

    文化日報コラム
    独島主権と 'ラスク書簡'の虚構
    http://www.munhwa.com/news/view.html?no=2011042101033137191004

    ヤフーウエブ翻訳
    http://honyaku.yahoo.co.jp/url/

    保坂先生の説によると、サンフランシスコ対日平和条約の条文の作成については極東委員会で検討されて合意が成り立てば内容が一つずつ確定されるという「下書き確定規則」があったそうです。
    しかしながら私はそのような規則はなかったと考えます。理由は二つ。

    一つ目、外務省の外交記録にある「極東委員会及連合国対日理事会付託条項」には、極東委員会の任務について「委員会ハ軍事行動ノ遂行ニ関シ又ハ領土ノ調整ニ関シテハ勧告ヲ為スコトナカルベシ」とある。
    http://gaikokiroku.mofa.go.jp/djvu/A0106/index.djvu?djvuopts&page=315

    「領土ノ調整ニ関シテハ勧告ヲ為」さない以上、竹島がどこの国の領土であるかを決定する権限はなかったはず。

    二つ目、原喜美恵氏の著書「サンフランシスコ平和条約の盲点」を読むと条約の草案は連合国の代表が集まった会議で議論されたのではなく、
    アメリカが自ら作成した草案を連合国を構成する国々に知らせて、その後個別の国ごとに意見を聞いて個別の国ごとに話し合う形式がとられていたと考えられる。

    “一連の対日講和に関する非公式二カ国協議は、主として一九五〇年秋の国連総会会期中にニューヨークで行われれたが、その際、米国国務省は極東委員会の構成諸国にこの七原則を手渡した。以後、
    ダレスの対日講和に関する国際交渉が本格化した。”「サンフランシスコ平和条約の盲点」p55「非公式二カ国協議」

    “「七原則」を基にした各国との対日講和に関する意見交換の中では、竹島に関するものとしては、以下のようなコメントがオーストラリア政府から寄せられている。
       西沙諸島、硫黄諸島、南鳥島、伊豆諸島等、旧日本領土の処理に関して一層精密な情報を求む。
    これに対し、次の回答を含む覚書が米国務省のフィアリーによって作成された。
       瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島列島、琉球諸島最北部及び伊豆諸島、はいずれも古くから日本のものと認められており、日本によって保持されることになるであろう。”p56

    “一九五〇年秋の他の連合諸国との意見交換に続き、トルーマン大統領は一九五一年一月十日ダレスを代表者とする対日講和使節団を組織した。(中略)使節団はまたフィリピン、オーストラリア、ニュージーランドを歴訪し、帰国後ワシントンでも何人かの連合国代表と協議している。”p56

    “三月一日の草案は、極東委員会構成諸国だけでなく、関心を表明した他の国々にも配布された。その間、英米間で折衝が持たれ、対日平和条約草案は英米草案として起草されていく。”p57、p58

    極東委員会による「下書き確定規則」なるものはラスク書簡の有効性を否定するために保坂先生がお考えになったものであって、実際には存在していなかったと私は考えます。
    保坂先生にはぜひとも、「下書き確定規則」の存在を証明する一次資料を提示していただきたいと思います。
    私はサンフランシスコ平和条約の下書き(草案)を最終的に採択されるべき条文として確定させたのは一九五一年9月4日から8日にかけて開催されたサンフランシスコ講和会議によるものであると考えます。

    保坂先生は米国側の秘密文書で'ラスク書簡は秘密裡に韓国政府にだけ送付されたし日本に送ったこともないし他の国にも公表されたところがない。極東委員会 11ヶ国会議で確定されたところないから無効である'と主張しています。
    該当の秘密文書と思われる1953年7月22日の文書にはラスク書簡の記述に続いて以下の文章があります。

    “この立場はこれまで一度も日本政府に伝えられたことはないが、この紛争が仲介、調停、仲裁裁判または司法的解決に付されたなら、明らかになるであろう。”
    http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima08/2007/record20100203.data/09.pdf  (15ページ中、9、10ページ目)

    また1954年のヴァン・フリート特命報告書にはこのようにあります。

    “日本との平和条約が起草された時、韓国は獨島の権利を主張したが、合衆国は日本の主権の下に残すことを決定し、平和条約の日本が所有権を放棄する島々には含めなかった。韓国は合衆国の獨島に関する意向を内々に知っていたが、合衆国はその意向を公表しなかった。”


    しかし「七原則」を基にした各国との対日講和に関する意見交換の中で、オーストラリア政府に対して、竹島が日本領であるという立場が伝えられたのは明らかであって、日本に対してはともかく他の連合国に対して意図的に隠していたとは言えません。

    保坂先生はどうもラスク書簡が「秘密裡に韓国政府にだけ送付された」のはこれが他国に知られると気まずいからであって、アメリカ政府は他国の意向を無視して、自国の利益のために勝手に竹島を日本領にしたと解釈しているようです。
    しかしながらすでに紹介したように各国との対日講和に関する意見交換の中では、アメリカ政府は意見を述べてきた国に対して自国政府の見解を伝えることによって対処していました。
    従ってアメリカ政府は韓国政府が竹島は日本領という意見を述べてきたので韓国政府にだけラスク書簡を送付して自国政府の見解を伝えただけにすぎず、他意はないと見るのが自然です。
    「アメリカ政府の陰謀論」を持ち出さなくとも事態を合理的に説明できる以上、「アメリカ政府の陰謀」云々を付け足す必要はありません。下衆の勘繰りのたぐいではないでしょうか。

    それに保坂先生その他の韓国側の学者は日本側学者がラスク書簡を高く評価している理由を勘違いしているのではないかと私は考えます。
    日本側学者がラスク書簡を評価しているのはこれが単に「アメリカ様が竹島が日本領であると考えていた」ことを証明するからではありません。決してアメリカ頼みで物事を解決しようとしているわけではありません。
    平和条約の条文には「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とあります。
    これについて韓国側は竹島は日本が保持する島であると明記されなかったから竹島は韓国領であるとか、竹島は鬱陵島の属島であるから鬱陵島が韓国領なら竹島も当然に韓国領であるとか主張しています。
    一方日本側は日本から放棄すべき島として竹島は明記されなかったから、竹島は日本領として認められたと解釈しています。
    日本側学者が評価しているのは、ラスク書簡の文章とそれを作成されるに至った過程の一連の出来事が、平和条約の条文の文章が竹島は日本領であると認識されたものであることの傍証になっているからだと思います。
    これは“条約法に関するウィーン条約第三十二条 解釈の補足的な手段 ”に基づいた考え方です。
    “ウィーン条約第三十二条
     前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため、解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。
    (a) 前条の規定による解釈によつては意味があいまい又は不明確である場合
    (b) 前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合 ”

    一連の出来事。
    アメリカ側が韓国政府に草案を送り意見を求める。草案条文に竹島の記述なし。
    韓国大使が「dokdo」を日本が放棄する領土と明記するように要求。
    アメリカ国務省のダレスが日本の併合以前に「dokdo」が朝鮮の領土であったのなら条文に書き加えてもよいと返事。、
    国務省が「dokdo」の正体について韓国政府に問い合わせたところそれが竹島のことであると判明し、以前朝鮮の領土であったとする根拠もないと判断。
    ラスク書簡で韓国政府に通知。 “この岩礁は、韓国の一部として扱われたことはなく、1905年頃からは、日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。この島について、韓国によりこれまで領土主張されたことがあるとは思われません。”
    最終条文に竹島の記述なし。
    ヴァン・フリート特命報告書 “合衆国は日本の主権の下に残すことを決定し、平和条約の日本が所有権を放棄する島々には含めなかった。” 

    この一連の出来事から判断すると、最終条文の記述は、竹島が日本に残存すべき領土であると条文の作成者によって解釈されていたことが明らかです。
    「アメリカが竹島が日本領であると考えていた」ことよりも「条文の作成者がこの条文の記述を竹島が日本領であると解釈すべきと考えていた」ことが重要だということです。

    ちなみに日本の併合以前に竹島が朝鮮の領土であったかどうかについては、私の動画を見れば一目瞭然です。
    竹島問題 ・于山島検証動画part2
    http://www.youtube.com/watch?v=FMRxs9O9FrU

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  10. 続き。

    保坂先生はアメリカは竹島は日本領土であるとずっと主張して来たウィリアム・シーボルトを日韓基本條約交渉過程に介入させることによって竹島を日本の領土で定めようとしていたと主張しています。
    しかしながら、1954年11月17日の秘密文書においては、日本側の島公使が日韓交渉を助けるアメリカ人の仲介者の指名を合衆国が検討するかどうか尋ねたところ、シーボルトは、

    “自分はむしろ両国政府が独力でもろもろの困難を取り除くほうがよいと思う、日本及び韓国が自ら交渉する用意のない中でアメリカの仲介者が成功することは疑わしいと述べた。”
    http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima08/2007/record20100203.data/09.pdf(15ページ中、14ページ目)

    と書かれています。これを見るとどうもシーボルトは日韓基本條約交渉過程に介入することには及び腰であったように思います。

    また”シーボルト氏は北東アジアの諸国間に相互依存意識が醸成されることに対する米国の利益を強調した。”とあるのを見れば、
    シーボルトは竹島を日本領にするよりも、日本と韓国が友好的関係になることのほうがアメリカの利益になると考えていたように思います。
    1954年のヴァン・フリート特命報告書に以下の文章があるのと合わせて考えれば、アメリカ政府もそのように考えていたようにも思えます。

    “合衆国は日本と韓国の親しい関係設立に極めて関心がある。アジアの大陸からの共産主義の脅威に対抗するその二つの国の安全保障は手がつけらないほど絡み合っており、和解を実現することができなかったことは共産主義者が探し続けている、そして探し続けるであろう悪用されうる安全保障の観点から見た哀慮すべき脆弱性である。こういった理由により、合衆国は実行可能なあらゆる方法を尽くして二国間関係改善と二国間に突出した主だった問題が相互に満足のいく解決法に努力しつづけなければならない。”

    “合衆国は獨島を日本の領土であると考えるが、紛争への介入は拒否した。紛争を国際司法裁判所に適切に付託すべきであるという我々の意向は非公式に韓国に伝えられた。”

    それにシーボルトが竹島が日本領であると主張した記録は私が知る限り1949年11月14日付電報と1949年11月19日付の正式な文書による意見書の二つしかありません。
    にもかかわらずなぜ保坂先生は「シーボルトが竹島は日本領土であるとずっと主張して来た」と解釈したのでしょうか。恐らくシンヨンハ先生のような韓国人学者が”日本政府がシーボルトを立てて、猛烈なロビー活動を行った。”と主張しているので、「ずっと主張して来た」と思い込んでしまったのだと私は考えます。


    保坂先生は韓国の李承晩大統領が海洋主権宣言に基づいて李承晩ラインを設定した時に、アメリカや連合国は反対しなかった、すなわち, 彼らは結局独島に対する韓国の領有権を 1952年 1月黙認を通じて認めた、などと主張しています。
    しかしながら1954年のヴァン・フリート特命報告書に、

    “合衆国政府は一貫して、海洋の主権に関する一方的な宣言が違法であり、日韓間の漁業に関する紛争が両国の権益を保護する漁業協定によって解決されるべきとの立場である。”

    とあるように李承晩ラインは違法行為であるから反対であるというのがアメリカの立場です。

    もしアメリカが竹島における韓国の領有権を 1952年 1月黙認を通じて認めたのであれば 、1952年 1月以後のアメリカの秘密文書には竹島は韓国領であるという認識が記述されていて、竹島は日本領であるという認識は記述されていないはずです。
    しかし実際には次のようにあります。

    “国務省は、この島が日本に属するという立場をとり、その旨をワシントンの韓国大使に伝えたようです。(中略)それゆえ日米合同委員会のこの島の日本政府の施設としての指定は正当化されます。”「1952年11月5日付け書簡」

    “伝達書を以って、我々が韓国外務部に今送った通牒の写しを送ります。最後の段落に、11 月27日付け. 国務省電報365号において示唆された、1951年8月10日付けディーン・ ラスクの梁大使あて通牒に言及する文言があります。”「1952年12月4日付け書簡」

    “合衆国の1952年12月4日付け通牒は、次のように述べた 「大使館は、外務部の通牒にある「独島(リアンクール岩)は・・・大韓民国の領土の一 部である」との言明に注目します。合衆国政府のこの島の地位に対する理解は、ワシントンの韓国大使にあてたディーン・ラスク国務次官補の1951年8月 10日付け通牒において述べられています。」 この通牒が出されたとき、以前表明された我々の見解のこの繰り返しにより、紛争からの我々の撤退と、大韓民国をして“すでに十分困難な日韓交渉に無用の問題を押し込む”のを思いとどまらせることが期待された。”「1953年7月22日覚書」

    “合衆国は獨島を日本の領土であると考えるが、紛争への介入は拒否した。紛争を国際司法裁判所に適切に付託すべきであるという我々の意向は非公式に韓国に伝えられた。”「1954年8月7日ヴァン・フリート特命報告書」

    これらの記述は1952年 1月以後もアメリカは竹島は日本領であると認識していたことを示しています。

    「1952年 1月黙認を通じて認めた」というのは保坂先生が勝手にそのように考えているに過ぎず、当時のアメリカ政府はそのように考えていなかったのは明らかです。
    第三者的立場の人間が保坂先生の説に同調してくれる可能性は果たしてどれだけあるのでしょうか。
    保坂先生が韓国のためによかれと思ってしたことが、かえって韓国の立場を悪くしてしまうとすれば、それはそれで痛ましいことです。

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  11. 保坂先生の別のニュース記事です。

    毎日新聞  
    "虎視消消と見下げても独島=韓国の地" ホサカ維持教授
    韓国に帰化した世宗大独島総合研究所長, "韓国, 静かできっぱりと対処すると"
    http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=19776&yy=2011

    植民地時代が終わってまた第2次世界大戦で敗亡した日本は独島に対する領有権を奪うために承前国であるアメリカを相手で巧みなロービジョンを広げ始めた.
    戦争が終わってすべての領土に対する線を引いてくれるサンフランシスコ講和條約で結局独島は韓国地も日本地でもない所になった.
    その理由はイギリスを含んだ連合国大部分は独島は韓国の地だと言ったからだ.
    唯一に公開された 7次秘密会議でアメリカは "とても細細しく少なければ, 日本の人々に圧迫になることができる"と言って, 独島領有権の韓国表記を明示しない発言をしたことが出る.
    ホサカ教授は "この言葉は '独島は明白な韓国の地'にも敗戦国日本のロビーに負けて慇懃こっそり移ろうと思ったこと"と解釈した.


    保坂先生はイギリスを含んだ連合国大部分は独島は韓国の地だと言ったから、講和條約で結局独島は韓国地も日本地でもない所になった、と主張しています。
    これは日本からのロビー活動を受け入れたアメリカは竹島を日本にしたかったが、イギリスを含んだ連合国大部分が竹島は韓国領であると主張したために、講和條約では竹島の処遇については決められなかったという意味だと思います。
    保坂先生の主張はあきらかにシンヨンハ先生のこちらの主張の影響を受けています。

    愼鏞廈教授の独島百問百答(5)、戦後の動き
    Q93.(竹島=独島の最終決着)

    “他の連合国がアメリカの「修正案」に同調しなかったために、日本のロビー活動で「独島」を日本領に入れて表記しようとしたアメリカ(および日本)の企図は阻止された。
    連合国の「対日講和条約」はアメリカだけでなく、他の連合国も草案を作成することができるし、連合国48か国の同意署名を受けてこそ成立するのである。
    しかし、第8次草案(独島を日本領に「修正」表示)をみて、オーストラリアおよびイギリスがこれに対して質問すると、アメリカは「独島を日本領として解釈する」との答弁書を送ったが、両国はアメリカの「修正」に同意する文書を送ってこなかった。
    またニュージーランドとイギリスは独島を韓国領とみる見解を婉曲的に示し、日本周辺にあるいかなる島も主権紛争の余地を残してはならないと強調し、アメリカの「修正」提案と説明に同意しなかった。それのみならず、イギリスは独自の「対日講和条約」草案を何度も作成した。
    そうして結局、アメリカとイギリスの合同草案(1951年5月3日成案)にて独島を日本領の条項にも、また韓国領の条項にも入れず、「独島」という名を連合国「対日講和条約」すべてからことごとく削除した草案を作成し、合意署名したのである。
    この間、大韓民国外務部は関連情報を得られなかったためか「独島」領有権に対しては活動したことがなかった。
    しかし、SCAPIN第677号第5項にしたがい、「修正」は独島を日本領としないかぎり問題が発生する。「独島」の名を日本領に入れて明記できなければ、国際法上「独島」はSCAPIN第677号にしたがい、依然として韓国領と再確認できるのである。
    日本のロビー活動が失敗し、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドがアメリカの「修正案」に対する同意を保留したのは、大韓民国の独島領有に反射利益を与えたのであった。”
    http://www.han.org/a/half-moon/hm104.html#No.760


    シンヨンハ先生の御高説によると、アメリカが竹島を日本領と明記した「修正草案」に対し、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドが竹島が韓国領と主張したために、サンフランシスコ平和条約の条文に竹島が日本領であると明記されなかった、ということらしいです。
    (このあたりの事情について記された一次資料はウィキソースにあります。)
    U.S. Draft made on December 29, 1949
    U.S. Draft made on August 7, 1950
    Joint U.S.-U.K. Draft made on May 3, 1951
    http://en.wikisource.org/wiki/Draft_Treaty_of_Peace_With_Japan

    しかしながらシンヨンハ先生の御高説にはおかしな部分が数多くあります。まずオーストラリアの動向について論じてみます。

    1949年12月29日草案でアメリカは初めて竹島を日本領に明記した草案を作成しました。
    その後1950年8月7日の草案では条文自体が非常にシンプルなものとなり、日本が保持できる領土の記述も、日本が放棄すべき領土の記述も、なくなってしまいました。
    さらに1950年9月11日には新しい草案が作成されましたが、朝鮮に関する条項は前草案と同じでした。(原貴美恵、「サンフランシスコ平和条約の盲点」による)
    同時に草案の趣旨を要約した「七原則」なる覚書も作成され、1950年秋に開催された二カ国協議で極東委員会の構成諸国に手渡されました(「盲点」)
    この二カ国協議の際にオーストラリアはこのような質問を寄せています。
    “ 西沙諸島、硫黄諸島、南鳥島、伊豆諸島等、旧日本領土の処理に関して一層精密な情報を求む。”
    これに対し、次の回答を含む覚書が米国務省のフィアリーによって作成されました。
    “瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島列島、琉球諸島最北部及び伊豆諸島、はいずれも古くから日本のものと認められており、日本によって保持されることになるであろう。”(ここまで「盲点」)

    シンヨンハ説によると竹島を日本領に「修正」表示をした第8次草案をみて、オーストラリアがこれに対して質問したことになっています。
    しかしながらオーストラリアの質問は日本の範囲について明示しなかった1950年9月11日の要約である「七原則」について、日本の範囲について詳細に明らかにするように要求したものです。
    決して草案に竹島が日本領と書かれているのが不同意であるから質問したとは解釈できません。
    そもそも竹島が日本領と表示された草案に対する質問に対して「竹島を日本領として解釈する」との答弁書を送るのはおかしな話です。そんな事、草案を読めば分かるんじゃないでしょうか。
    シンヨンハ先生はオーストラリアが竹島を日本領に「修正」することに同意する文書を送ってこなかったことは、オーストラリアが竹島を韓国領と考えていたからであり、オーストラリアの不同意によって竹島を日本領とする記述は削除された、と主張しているようです。
    しかしながらオーストラリアがアメリカに質問を寄せる前に、すでに草案から竹島の記述は消えていたのであって、まるっきり見当違いです。
    それに米国務省の答弁書の内容にオーストラリアが同意したことを示す文書が存在しないからといって、オーストラリアが米国務省の答弁書の内容に反対したと解釈するのは無理があります。
    ましてや答弁書には”瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島列島、琉球諸島最北部及び伊豆諸島、”と数多くの地名が列挙されているのにもかかわらず、竹島を韓国領と考えたから反対したと解釈するのはもう無茶苦茶でんがな。。。

    ちなみに国際教養大学の副学長であるグレゴリー・クラーク先生のサイトにはこのような文章があります。

    “竹島をめぐる韓国と日本のややこしい紛争作りにも、キャンベラが手を貸したことが、最近の国境問題をめぐるソウル会議で明らかになったのを私は見た。日本の研究者原貴美恵の詳細な資料に基づく報告によると、サンフランシスコ平和条約の最初の草案段階では、同島は韓国のものとして約束されていた。だがその後、ワシントンで日本が必死にロビー活動をした結果、草案は変えられ、同島は日本のものとして残るべきだとなった。しかしそこでオーストラリアの介入があり、次の草案では同島は再び韓国帰属となった。だがその後さらに、“日本に過重な心理的プレッシャーを与えない方がよい”ということになったらしく おそらくクリール諸島をめぐりキャンベラから出されたと思われるが、この問題は言及しないことで最終的に落ち着き、ソウル・東京の関係を毒し続けるままに残された。
    http://www.gregoryclark.net/jt/page78/page78.html

    しかしながら原貴美恵先生の「サンフランシスコ平和条約の盲点」を読む限りでは、原先生が「オーストラリアの介入があり、次の草案では竹島は再び韓国帰属となった。」などと主張されているのか疑問です。
    恐らくグレゴリー・クラーク先生は韓国人学者の発言と勘違いしてしまわれたのではないでしょうか。あるいは原先生が最近になってシンヨンハ説を受け入れたのか。。。
    (続く)

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  12. 李承晩ラインを日米が黙認して竹島の領有が確定したというホサカ氏の主張は詭弁としか言いようがありません。

    日本は1952年1月28日付けの口上書で抗議しているし、米国は同年7月26日に署名・発効した「行政協定に基づく日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」によって竹島を爆撃演習地として利用することになっています。竹島を韓国領としていたのなら、このような協定は結ばないはずです。日本の領土と認識していたからこそ、日本国とアメリカ合衆国の間の安全保障条約第3条に基づく行政協定第2条第1項に基づき、日本国がアメリカ合衆国に提供する施設及び区域の一つとして竹島が提供されていたのであって、ホサカ氏の主張は根拠を失っています。

    2011.4.25

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  13. yabutarouさん、興味深い情報をいただきありがとうございました。

    極東委員会が講和条約の取りまとめに関与していたという話は聞いたことありません。極東委員会は占領政策を企画し管理するのが役割であって、講和条約の取りまとめなどという政治的な課題には関与していないはずです。これについては念のため調べてみます。

    仮に極東委員会が講和条約の取りまとめに関与していて、ホサカ氏のいう「下書き確定規則」があったとしても、「ラスク書簡は無効だ」とのホサカ氏の主張は意味をなしません。なぜならばラスク書簡は何ら法的強制力のないものだからです。効力のないものに無効だといって何の役に立つのでしょうか。(ただし、条約の条文解釈に当たり参照できる資料としては有効です。)

    サンフランシスコ講和条約(以下SF条約)第二条ですが、多くの講和条約がそうであるように敗戦国が放棄あるいは割譲する領域について記されていると解釈するのが一般的です。ところがここに名のない竹島の帰属をめぐって鬱陵島の属島だから竹島は韓国領になったのだとの主張が韓国側によってなされていました。その妥当性をめぐり争われてきたわけですが、ラスク書簡は韓国側の主張を明確に否定するものでした。第二条a項は「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」という文字通りの意味合いしかもたないことが確かめられたのです。そしてこの条文が調印され批准されているのです。単なる書簡やメモでなく、国家間の契約である条約として記されている意味を、ホサカ氏をはじめとする韓国側論者は知るべきです。(竹島の帰属先が日本であることはラスク書簡によるのでなく、SF条約によるのだということです。)

    不法占拠(韓国は「実効支配」と言っているようですが)をいくら重ねようが、条約によって竹島の帰属先は日本と確定しているのです。これに異議があるのなら国際司法裁判所に提訴すべきです。ところが韓国はそれをしないで国連憲章で否定されている武力行使に出たのです。力づくで法を変えようとしている韓国に同調する国があるとは思えません。事実、半世紀以上も不法占拠を続けているのに韓国の立場を支持する国は出てきていません。

    2011.4.25
    ※このコメントの方が17:32付けコメントよりも先に投稿されています。(また飛ばされたみたいです。)

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  14. 下條さんの『実事求是』の最新の論考がアップされていますね。題して「「大日本国全図」と自由先進党朴宣映議員の誤解」。韓国側の過ちに的を射た指摘がされています。英訳して広く流布させたい資料の一つですね。

    2011.4.25

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  16. 続いてイギリスの動向について論じてみます。
    シンヨンハ説によると”オーストラリアおよびイギリスがこれに対して質問すると、アメリカは「独島を日本領として解釈する」との答弁書を送ったが、両国はアメリカの「修正」に同意する文書を送ってこなかった。”ことになっていますが、これはオーストラリアのみがしたことてす。
    イギリスがこのようなことをしたことを示す資料の存在を私は寡聞にして知りません。

    原貴美恵氏の「サンフランシスコ平和条約の盲点」にはイギリスが独自に作成した草案についてこのように述べられています。

    “サンフランシスコ平和条約の共同起草国である英国は、英連邦諸国の意見を聞きながら、米国とは別に独自の平和条約案を用意していた。
    1947年以降、キャンベラ、コロンボ、ロンドンと場所を変え、英連邦諸国間の意見調整が試みられるが、中国承認、賠償、日本経済復興計画など、諸国間の立場の違いは大きく、統一見解を形成するには至らなかった。
    英外務省では、1951年2月末に作成された第一草案、三月の改正案を経て、対米交渉用に四月草案が作成を見ていた。
    四月七日、この草案はオリバー・フランクス大使によって米国政府に渡されたが、添付の注意書きには、「英連邦諸国の合意文書ではなく、連邦諸国政府の見解表現とみなされるものではない」旨が記されていた。”

    一方、イギリス草案について鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花女子大史学科教授のニュース記事にはこのように書かれています。

    “英政府はサンフランシスコ平和協定を控えてアメリカとは別に 3次にわたった独自の対日平和協議案を定めて 1951年 4月7日, 米政府に知らせた.
    英国側下書きは 1951年 2月 28日に第1次に確定されてから同じ年 3月に第2次下書きを経って 3次下書きに完成された.
    チョン教授は "第1次下書きには驚くべきことに独島はもちろん鬱陵島と済州島まで日本領で含まれていた"と "しかし下書きそのものに書かれているとおり 1次下書きは "非常に概略的な予備下書き(a very rough preliminary draft)だっただけだった"と言った.
    しかし以後下書きには鬱陵島と済州はもちろん独島まで韓国領土ですぐつかまった.
    チョン教授は "この地図は独島を日本領で排除することで韓国領なのを明確に見せてくれている"と "もっと重要なことはイギリスが独島を日本領だと言ってから最終案で韓国領なのを正確に認識してからはしゃんしゃんしていたという点にある"と言った. ”
    連合ニュース 2005-02-27 14:09
    独島韓国領土規定英政府地図発掘 (韓国語)
    http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=001&aid=0000924930

    原貴美恵氏の文章とチョン・ビョンジュン教授についての文章は同じ事案を記述したもののはずですが表現の全く異なっている部分があるのが分かります。

    原氏は四月に作成された3次草案について、対米交渉用に作られたものであり、“添付の注意書きには、「英連邦諸国の合意文書ではなく、連邦諸国政府の見解表現とみなされるものではない」旨が記されていた。”と述べていて、これがイギリス連邦諸国政府の公式見解ではないことに注意を喚起していることがわかります。
    一方チョン教授は3次草案について、完成されたものであり、“イギリスが独島を日本領だと言ってから”最終案で韓国領なのを正確に認識してからはしゃんしゃんしていた”と述べていて、イギリスはこの草案の内容に自信を持っていて竹島が韓国領であることを確信していたとしています。
    さらにチョン教授は竹島が日本領に含まれていた1次草案について、"非常に概略的な予備下書きだっただけだった"と述べていて、竹島が日本領という見解は不正確なものであることに注意を喚起していることがわかります。


    両氏の文章を読み比べると、どうもチョン教授は3次草案で竹島が韓国領になっていることの意義を強調し、領有権論争を韓国優位に持っていくために、3次草案を完成されたものであり、イギリスの公式見解であるかのごとく歪曲しているようにも思えます。
    ともあれ、このイギリス第3次草案の作成された経緯については、さらなる解明が必要であると私は思います。
    (また明日)

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  17. イギリス草案を渡されたアメリカとイギリスは双方の草案を折衷し共同草案を作成することになり、互いの意見をすり合わせる作業に入ります。

    共同草案を作成するにあたって、イギリスは最初日本の主権の及ぶ範囲を明示することを求めました。イギリス側の文書にはこのような見解が述べられています。

    ”ソ連や他の共産主義国家が利益を享受する形で、日本近辺の島々の主権が係争として残ることのないよう、この箇所の草稿を非常に慎重に作成することが不可欠である”
    ”(米国草案は)曖昧すぎて、上記の基準を満たしておらず、”
    ”英国草案第一条で用いられている(詳細な国境確定)方法が、日本の主権範囲の規定には最善であろう”(ここまで「盲点」p60)

    これに対してアメリカは、混乱回避に不可欠な領土や諸小島のみを日本の範囲から除外することを明記する形式を提案します。(「盲点」p60)
    協議の結果について、アメリカ側の文書にはこのようにあります。

    ”合衆国は連続した線で日本を柵の中に囲い込むように見える精神的不利益を指摘し、英国はこの提案を取り下げることに同意した。日本も、東京での折衝の際、この英案に反対していた。朝鮮の領土が済州島、巨文島及び鬱陵島を含む旨を、条約中に明細に述べることを合衆国が進んで受け入れたこともまた、英国を説得するのに役立った。”(ウィキソースに原文あり)

    一方イギリス側の文書にはこうあります。

    ”両代表団は日本が主権を放棄していた領域のみを指定することが好ましいことに同意した 。この点について 、米国の第3条は3つの島、済州島、巨文島及び鬱陵島の挿入を必要とする。”(ウィキソースに原文あり)

    1951年6月の米英共同草案はこのような文章になりました。

    「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対する全ての権利、権限及び利益を放棄する。」

    このように見ていくと、イギリス側が済州島、巨文島及び鬱陵島を朝鮮領土として明記することを条件に、日本の主権の及ぶ範囲を明示する方式を取り下げてもよいと提案し、アメリカ側がこれを受け入れたことによって、双方の合意が成立したことが分かります。
    注目すべきは、イギリスは済州島、巨文島及び鬱陵島を朝鮮領土として明記することを要求したけれども、竹島を朝鮮領土として明記することを要求しなかったということです。
    アメリカの意図が混乱回避に不可欠な領土や諸小島のみを日本の範囲から除外することにあることをイギリスは知っていました。
    そうであるならば、竹島を朝鮮領土として明記することを要求しなかったということは、合同草案を作成する過程で、イギリスは竹島を日本の領土と認めたと解釈するのが適切なように思います。

    シンヨンハ先生は、

    ”イギリスは独島を韓国領とみる見解を婉曲的に示し、日本周辺にあるいかなる島も主権紛争の余地を残してはならないと強調し、アメリカの「修正」提案と説明に同意しなかった。”
    ”アメリカとイギリスの合同草案(1951年5月3日成案)にて独島を日本領の条項にも、また韓国領の条項にも入れず、「独島」という名を連合国「対日講和条約」すべてからことごとく削除した草案を作成し、合意署名したのである。”
    ”SCAPIN第677号第5項にしたがい、「修正」は独島を日本領としないかぎり問題が発生する。「独島」の名を日本領に入れて明記できなければ、国際法上「独島」はSCAPIN第677号にしたがい、依然として韓国領と再確認できるのである。”

    と述べていますが、アメリカがイギリスに提示したのは、竹島を日本領に「修正」した草案ではなく、その後に作成された日本の範囲について明示されていない草案だったので、イギリスがアメリカの「修正」提案と説明に同意しなかったなどということはありえません。
    また、合同草案にて”「独島」という名を連合国「対日講和条約」すべてからことごとく削除した草案を作成し、合意署名した”からといって竹島=独島がイギリスの意向で日本領でなくなったとは解釈できません。
    なぜならアメリカとイギリスが合同草案を作成するために協議を開始する前から、竹島という名はすでにアメリカ草案から消えていたからです。
    むしろ竹島を朝鮮領土として明記することを要求しなかった以上、イギリスも竹島を日本領と認めたと解釈するのが妥当です。
    少なくともイギリスの主張に同調してアメリカも竹島を韓国領と認めたとなどということは絶対にありません。なぜならヴァン・フリート特命報告書にはこのようにあるからです。

    “日本との平和条約が起草された時、韓国は獨島の権利を主張したが、合衆国は日本の主権の下に残すことを決定し、平和条約の日本が所有権を放棄する島々には含めなかった。”

    「日本の主権の下に残すことに決定し」たから、「所有権を放棄する島々には含めなかった」とちゃんと書いてあります。

    (まだ続く)

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  18. 最後にニュージーランドの動向について論じます。シンヨンハ先生は、

    ”ニュージーランドとイギリスは独島を韓国領とみる見解を婉曲的に示し、日本周辺にあるいかなる島も主権紛争の余地を残してはならないと強調し、アメリカの「修正」提案と説明に同意しなかった。”
    ”ニュージーランドがアメリカの「修正案」に対する同意を保留したのは、大韓民国の独島領有に反射利益を与えたのであった。”

    と述べています。シンヨンハ先生はご高説の元になった一次資料は一つだけであると思われます。


    Commentary on Draft Treaty by the Department of State on June 1, 1951New Zealand
    "In view of the need to ensure that none of the islands near Japan is left in disputed sovereignty, the New Zealand Government favours the precise delimitation by latitude and longitude of the territory to be retained by Japan as suggested in Article 1 of the United Kingdom's draft.
    The adoption of this device could for example make it clear that the Habomai Islands and Shikotan at present under Russian occupation will remain with Japan."

    「日本の近くのどの島にも領有権論争が残されないことを確実とする必要とする観点から、ニュージーランド政府はイギリスの草案の第1条で提案されているように、日本によって保持されるべき領域を緯度と経度によって正確に境界を画定することを支持します。
    この方式を採用すれば、たとえば現在ソ連の占領下にある歯舞諸島及び色丹が日本に残ることを明らかにすることができるでしょう。」
    http://en.wikisource.org/wiki/Draft_Treaty_of_Peace_With_Japan

    この文章は「七原則」を手渡されたニュージーランドがアメリカに寄せてきた意見であると考えられます。

    恐らく、シンヨンハ先生はニュージーランドがイギリス草案の方式を支持していて、イギリス草案が竹島を韓国領にしていたので、ニュージーランドが「独島を韓国領とみる見解を婉曲的に示し」たと判断したものと思われます。
    しかしながら、ニュージーランドが支持したのはイギリス草案のうち「日本によって保持されるべき領域を緯度と経度によって正確に境界を画定する」方式についてであって、
    この方式によって境界を画定する際に竹島をどのように処遇すべきと考えていたかは明らかではありません。
    ニュージーランドが歯舞諸島及び色丹を日本に残すべきと考えていたことは記述されていますが、竹島についてはなにも書かれていません。
    にもかかわらずニュージーランドが竹島を韓国領と考えていたとは判断できません。
    アメリカがニュージーランドに提示したのは竹島を日本領に「修正」した草案ではなく、その後に作成された日本の範囲について明示されていない草案を短くまとめた「七原則」であると思われ、ニュージーランドがアメリカの「修正案」に対する同意を保留したなどとは解釈できません。

    このように考えると、シンヨンハ先生の「イギリス、オーストラリア、ニュージーランドがアメリカの「修正案」に対する同意を保留した」とする説とこれに影響されたと思われる保坂先生の「イギリスを含んだ連合国大部分は独島は韓国の地だと言った」とする説はともに根拠のない憶説であることがわかります。
    オリジナルのシンヨンハ説より後発の保坂説のほうが話が膨らんでいることにも注意が必要です。
    「三カ国が同意を保留した」のが、「連合国大部分は独島は韓国の地だと言った」に「進化」したことが分かります。
    伝言ゲームの過程で尾ひれ背ひれがつながっていく過程を読み取れます。生物学者ラマルクの用不用説を彷彿とさせます。
    (続く)

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  21. チョン・ビョンジュン先生に代表される(保坂先生は客寄せパンダに過ぎません)最近の竹島に関する戦後処理についての言説の神話構造を分析すると以下のようになります。

    神話その1
    SCAPIN 第677号や平和条約のアメリカ初期草案では竹島は「正当に」韓国領とされていた。(「正当に」がミソ)

    神話その2
    しかし日本は「不当な」ロビー活動を展開し、親日派のシーボルトの「不当な」介入によって、「不当にも」平和条約のアメリカ草案において竹島が日本領になってしまった。

    神話その3
    これに対しイギリスその他の連合国は、竹島は韓国領という「正当な」見解を表明した。

    神話その4
    にもかかわらずアメリカは「不当にも」ラスク書簡で竹島が日本領であるという見解を韓国に通知し、その後も竹島を「不当に」日本領とみなしていたことがアメリカの内部文書で明らかになっている。

    神話その結論
    韓国領土であることが「正当な」竹島が、日本と摩擦を引き起こすようになった原因を提供したのはアメリカである。

    私は、この神話全体が、ラスク書簡その他のアメリカ内部文書に竹島が日本領になっていることによる日本側の領有権論争における優位性を、減殺させるために作られたものであると考えます。
    私がこれまで検討を加えてきたしてきたシンヨンハ先生の御高説に該当する「神話その3」はアメリカが竹島を日本領としたことの不当性を強調するために作られた「小さな神話」であることがわかります。

    いずれは「神話その1」と「神話その2」の不当性についても論じていきたいと思いますが、待望のゴールデンウイークに突入するのでひとまず終了したいと思います。
    おヒマな方はぜひともお知恵を貸していただきたいと思います。

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  22. どうしても気になることがあったので付け加えます。それは「連合国の旧日本領土処理に関する合意書」についてです。

    以前伝説の”toron.pepper”サイトにあった文章にはこのようにあります。

    ”11、連合国はサンフランシスコ対日平和条約に先立ち1950年に作成された「連合国の旧日本領土処理による合意書」で、独島を韓国領土として合意している。
    連合国は1950年に平和条約の事前準備として「連合国の旧日本領土処理に関する合意書」(Agreement Respecting the Disposition of Former Japanese Territories )を作成した。
    この合意書の第3項では、大韓民国に返還される領土として「連合国は大韓民国に(to the Republic of Korea)韓半島とその周辺にある韓国の島々に対する完全なる主権を委譲することで合意したが、その島には済州島、巨文島、鬱陵島、独島(Liancourt Rocks, Takeshima)を含む。(以下略)」と規定されている。
    即ちこの合意書には、韓国に返還される領土は韓半島とその周辺の全ての島(all offshore Korea islands)だが、代表的な例として挙げた済州島、巨文島、鬱陵島とともに「独島」を、韓国に委譲する韓国領土として処理することが、克明に記されている。
    また添付の地図でも独島を韓国領土の区画線に入れ、「独島」が韓国領土であることを明確に示している。
    この合意書は、連合国がサンフランシスコでの対日平和条約のために事前に準備したものだが、(1)アメリカ単独の案ではなく48の連合国及び関連国による合意文書であり、(2)サンフランシスコ平和条約で明文化されていない領土について解釈をするものになるという点で、きわめて重要である。
    サンフランシスコ平和条約では「独島」の帰属問題で明文化されていないため、この場合は「連合国の旧日本領土処理に関する合意書」が特に重要な合意文書となる。
    この文書で「独島」は、大韓民国にすべての主権が委譲される( that there shall be in full sovereignty to the Republic of Korea )領土として合意に至っているのである。”
    http://toden231.blog17.fc2.com/?mode=m&no=119

    この文章を読むと韓国の学者は1950年に48の連合国による会議が開催されていて、その時合意されたのが「連合国の旧日本領土処理による合意書」であって、連合国の「合意書」で竹島が韓国領と認められている以上、ラスク書簡になんと書かれていようが、平和条約で明文化されていない竹島は韓国領と解釈すべき、と考えているようです。
    保坂先生の主張する「下書き確定規則」も、この「合意書」を念頭において「作成」されたものであると推測できます。

    しかしながら私はこの「合意書」は複数の連合国による会議で実際に採択されたものではないと考えます。その理由を以下に論じます。

    この「合意書」については独島学会のこちらの文書で「合意書」の全文?が公開されています。

    제17장 聯合國의 對日本講和條約과 獨島領有權 韓國歸屬 부활

    http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:lVvs1Bw0SbMJ:plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/Books/chong7/17jang.hwp+The+Allied+and+Associated+Powers+undertake+to+support+and+appli+cation+of+the+United+States+for+the+placing+of+the+Ryukyu+Islands+south+of+29+%C2%B0N.latitude+under+trusteeship&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&source=www.google.co.jp

    いわゆる「cms」のサイトでは付属の地図が公開されています。

    http://blog.naver.com/cms1530/10003685053


    原貴美恵先生の「サンフランシスコ平和条約の盲点」p44・45にこのような文章があります。

    ”一九四七年七月、米国政府は極東委員会の十一ヵ国に対して、公式に対日講和予備会談の開催を提唱した。
    決議は多数決により三分の二以上で可決される事を条件とし、日程は暫定的に八月十九日に設定された。
    その間、修正草案が七月二四日に準備され、それに更に修正を加えた新しい草案が八月五日に完成した。
    (中略)ケナンは(中略)対日講和についての議論は延期、または極力避けるよう提案した。
    (中略)、一方、対日講和会議開催についての米国提案は極東委員会でソ連と中国の反対にあう。
    (中略)また、米国政府内でも早期講和の提唱は、(中略)国防総省によっても反対され、(後略)”

    対日講和予備会談の提唱は「ソ連と中国の反対にあ」い、米国政府内でも「反対され」た、とあるわけですから、結局1952年の講和会議までのあいだに連合国による講和予備会談は開かれなかったと解釈するのが正しいように思います。
    「ソ連と中国の反対にあ」い、講和予備会談が開催できなかったために、対日講和に関する議論を非公式二カ国協議で行う方式に切り替えたと考えればつじつまがあいます。

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  23. それではいったいなぜ「連合国の合意書」なるものが存在するのでしょうか。この問題を解く鍵は「合意書」に書かれた年代にあると私は推理します。
    「合意書」にはこうあります。

    ”The Allied and Associated Powers party to the treaty of peace concluded with Japan on, 1950,”
    ”Done at the city of _____________ in the English language, this ____ day of _________, 1950.”

    会議によって合意に達したのが1950年であると明記されています。しかしながらこれが1950年に開催された会議で合意されたものであるとするとかなりの矛盾を生じます。以下に箇条書きで説明します。


    ・アメリカは第6次草案(1949. 12. 29)で竹島を韓国領から日本領に明記した草案を作成した。にもかかわらず翌年の1950年に竹島を韓国領に明記した「合意書」に合意するはずがない。

    ・独島学会の文書にある「合意書」に書かれた日本の範囲についての記述は、アメリカが作成した第2次 草案(1947. 8. 5)から第5次 草案(1949. 11. 2)までの記述に酷似している。
    したがって、この「合意書」は第2次 草案が完成してから第6次草案が完成する1949年12月までに作成されたと考えるべきで、この文書の存在のみで1950年に開催された会議で実際に合意されたものであるとは判断できない。

    ・”Done at the city of _____________ in the English language, this ____ day of _________, 1950.”とあって開催された都市と月日が記入されていない。
    実際に開催されて合意されたものであるならば、開催された都市と月日が記入されているはずである。

    ・また実際に開催されて合意されたものであるならば、アメリカ政府の代表の署名が記されているはずであるが、「合意書」の画像が一部しか公開されておらず、署名が確認できないのはいかにも不自然である。

    ・イギリスは1951年に独自の草案を作成したが、この「合意書」の表現が反映されていない。
    イギリスがこの会議に参加して「合意書」に署名したのであれば、同じような方式で日本の範囲を草案に示すのにわざわざ「合意書」と異なる表現を用いるのは不自然である。
    したがって、イギリスは草案を作成時にこの「合意書」を入手していたわけでなく、「合意書」で合意した会議に参加していなかった可能性が高い。

    ・ニュージーランドはアメリカに対して、「イギリスの草案の第1条で提案されているように、日本によって保持されるべき領域を緯度と経度によって正確に境界を画定すること」を提案している。
    連合国のうちの一国が任意に作成した草案よりも多くの連合国構成国によって実際に合意された「合意書」のほうがはるかに重要性が高いことはいうまでもない。
    もしニュージーランドがこの会議に参加して「合意書」に署名したのであれば、「イギリスの草案の第1条で提案されているように、」の部分は「連合国の合意書に提案されているように、」となっていないと不自然である。

    ・1950年とはっきり書いてあるにもかかわらず、独島学会の文書では1947年に、cmsのサイトでは1949年になっている。
    韓国側も1950年に合意されたと解釈すると不都合があると認識していると考えられる。
    (数年前までは、韓国のニュース記事やネット上の文章では1947年または1949年に合意されたと書かれているのが、大多数でしたが、最近は1950年に合意されたと書かれたものが増えてきました。
    これは、ネット言説においては韓国にとって都合のよい表現のほうが好まれるためであると考えられます。
    1950年だとアメリカが竹島を日本領にした草案を作成した後に、連合国の間で竹島が韓国領であると認定されたことになります。アメリカの極悪さが引き立ちます。)

    ・チョン・ビョンジュン教授のニュース記事にこうある、

    ”この地図と共に送付された「対日講和条約草案」の領土条項6条では、「日本は、韓国本土および近海のすべての島に対する権利・権限を放棄し、これには済州島・巨文島・鬱陵島・リアンクール岩(独島)および東経124度15分より東、北緯33度より北…を含む」とされ、独島が韓国領に属すると明白に記している。
    また鄭教授は、このほかにも独島を韓国領と表示した米国政府の地図があり、その地図は敗戦国日本の領土を確定するため1947年10月14日に国務省の政策企画団が作成した、という事実を明らかにした。この地図は、これまで1949年から1950年ごろに作られたと推定されていた。

    【朝鮮日報】独島:「韓国領」明示1949年の米国の地図を発見 [10/8/13]
    http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/f5430e3423c83827bfe5cc1668b1f99d?fm=rss

    チョン・ビョンジュン氏によると、記事に画像のある地図の他に米国政府の地図があり、1947年10月14日に国務省の政策企画団が作成したもので、これまで1949年から1950年ごろに作られたと推定されていたとのことであるが、私が調べた限りでは該当する地図は「合意書」に付属した地図以外にない。
    そうであるならば、「合意書」は1947年10月14日に国務省の政策企画団が作成したものである可能性が高い。
    さらに、「合意書」に付属した地図と「思われる」地図について、チョン氏は「米国政府の地図」と述べるのみで連合国で合意した地図とは述べていない。
    断言はできないが、これはチョン氏が「合意書」は実際には「48の連合国及び関連国による合意文書」として採択されたものではないことを認識している可能性を示唆しているようにも思える。


    このように考えていくと、この「合意書」なるものは、実際には「48の連合国及び関連国による合意文書」として採択されたものではなく、アメリカ政府が対日講和予備会談の開催を前提にして、会談において議論され、採択されること念頭において作成された草案(いわゆるたたき台)であって、実際には予備会談は開かれずにお蔵入りになってしまったものであると私は考えます。

    ただし、断定するにはこの「合意書」が保管されていた際に前後にどのような資料があったかを確認する必要があります。
    それにこの「合意書」を1947年10月14日に作成されたと考えると矛盾が生じます。なぜなら、「合意書」には「the Republic of Korea 」という文言があるからです。
    「the Republic of Korea(大韓民国) 」が成立したのは1948年8月13日なのでこれ以降に作成されたと考えるのが自然です。
    ここをどのように処理するかは今後の課題であると考えます。

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  24. 対日講和予備会談が開かれたかどうかについて新しい情報を発見しました。


    1)対日講和をめぐる米国内部の対立とJ.F.ダレスによる調整
    1948-10-7付NSC13/2文書によって公示された米国の対日占領政策の転換は、対日講和については次のような方針を提示していた。(1)非早期講和(2)講和予備会議は開かず、外交ルートによる折衝を通して事前に当事国間の合意を形成する。

    世田谷市民大学 政治ゼミ
    戦後日本の政治-その枠組の変遷 第8回 レジュメ  三谷太一郎先生
     Ⅱ 冷戦下の政治 ③ 対日講和条約
    http://setagayashimindai.seesaa.net/article/19275424.html

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  25. 「講和予備会議は開かず、外交ルートによる折衝を通して事前に当事国間の合意を形成する。 」とは、事前に複数の連合国で話し合うことによって合意を形成してから講和会議を開くのではなく、非公式の二カ国協議によってあらじめ条約原案(最終草案)に基づく採択に対する合意を取り付けておいてから(いわゆる根回し)、(ぶっつけ本番で)講和会議を開催することによって、講和会議における円滑な合意の形成を図る、という意味だと考えられます。
    アメリカが、1948年に「講和予備会議は開か」ない方針に転換した以上、1950年に48の連合国及び関連国による会議が開催された事実があるはずもなく、「連合国の旧日本領土処理に関する合意書」が48の連合国で採択されたはずがありません。

    講和予備会議は開かれなかったが48の連合国による合意の事実はある、という解釈も一見できそうにも思いますが、原貴美恵先生の文章には、

    “一連の対日講和に関する非公式二カ国協議は、主として一九五〇年秋の国連総会会期中にニューヨークで行われれたが、その際、米国国務省は極東委員会の構成諸国にこの七原則を手渡した。以後、ダレスの対日講和に関する国際交渉が本格化した。”「サンフランシスコ平和条約の盲点」p55

    とあり、三谷太一郎先生のレジュメには、

    “1950-9-14米大統領、対日講和予備交渉開始の方針を内外に明らかにする。”

    とあるのを見れば、アメリカが他の連合国と交渉を開始した際に使用されたのは第8次草案(1950. 9. 11.)の要約である「七原則」のはずです。
    にもかかわらず竹島を日本領とした第6次草案(1949. 12. 29)よりも前のアメリカ草案に基づいて作成されたとみられる「合意書」に48の連合国が合意したと解釈するのは無理がありすぎます。

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  26. 「連合国の旧日本領土処理による合意書」ってどこにあったのでしょうね。yabutarouさんが示された獨島学会のサイトを見てみましたけど、出所が書かれていないようです。米国政府の公文書館なのかな? であるならば、ファイルナンバーが記されているはずなのですが、それもないようです。

    yabutarouさんも指摘されているように署名がないのも気になりますね。署名がないのなら、たたき台として書かれたもので、ただの紙切れです。また、掲出されているのは文書の画像ではないです。ソース見てもらえばわかりますが、打ち直して掲出されています。これも胡散くさいですね。

    2011.4.30

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  27. yabutarouさん

    「連合国の旧日本領土処理による合意書」の存在についてとその作成年、また「講和予備会議」が開催されたのか、等面白い視点ですね。

    ところで、平和条約の草案の呼称ですが、第○次草案という言い方は、便利ですが、塚本氏の論文中で振られた番号から独り歩きして呼ばれるようになったようで、適当でないようです。「1949年12月 29日草案」のように表記するのがよいようです。

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  28. Makoto さん

    cmsのサイトには一枚だけ画像が公開されています。ファイルナンバーも上のほうに書かれています。

    http://blog.naver.com/cms1530/10003685053

    「合意書」が合意されたものでないことは、OPPさんがすでに2006年に指摘しています。

    ”oppekepe7 05-29 01:02
    連合国の九日本領土処理に関する合意書> それ、どの国も調印・批准してない。恐らくアメリカ以外は文書の存在さえ知らなかったでしょう。アメリカが「合意書」を起草したが、お蔵入りになった文書です。”
    世界に広がれ韓流の輪
    韓国大使へのラスク書簡~ enjoy Korea まとめ~(後ろのほう)
    http://bigkorea.seesaa.net/article/18849426.html

    また「対日本強化条約の 1947年 1次草案から 1949年 5次草案の書類綴に皆コピーされて綴じられていた」ともあります。

    Kaneganese さん

    ああ、そうなんですか。。第○次草案という言い方は、独島学会の文書で使われていて、便利だったので私も使ってみましたが今後はやめにします。

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  29. 「連合国の旧日本領土処理による合意書」は2003年くらいにシン・ヨンハが見つけたもの。NARAではなかったような気がする。当時の新聞記事には例によって縮小されて文字が読めないが一応文書の写真が掲載されていた。yahooのトピで話題となったので、今は手元にないがログを探してみる。
    yabutaro氏の投稿について気がついた点
    ・シンヨンハ等は沈黙(不作為)を同意しなかった根拠にしているが、国際法上、不作為は基本的に黙認とみなされる。
    ブラウンリー
    「黙認は、承認と同様の効果を有するが、合理的にみて異議申し立てが予期されうるときにそれが行われないといった行為によって生じる」
    留保する場合には作為(通知)義務がある。ウィーン条約法条約23条。
    ・韓国学者がラスク書簡の存在を前提とした言説を行うようになったのは日本外務省が10のポイントをサイトで公表した後。シンヨンハはラスク書簡を紹介した塚本氏の論文を参照にしている形跡を見せているのにラスク書簡には決して触れなかった。その100問100答も韓国側の修正要求さえなかったことにされている。チョン・ビョンジュン教授も恐らく同じ前提で書いたものと思われる。
    ・予備会議との整合には拘らないほうがいいと思える。この合意書自体が予備会議断念後に作成されたものである可能性が高いのでは。この合意書は、内容的にはSF条約での領土放棄と重複しており、ポツダム宣言の「我々の決定」の履行を明示させることを目的としたものと考えられる。極論すればサンフランシスコ講和会議の場で合意してもよかったはず。

    なお、現在戦後の竹島の経緯(韓国の嘘と捏造)に関する動画をハングル・英語をメインとして作成しようと考えています。本サイトの皆様の知見も活用させて頂ければと考えていますのでご了承願います。

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  30. oppさん


    >>韓国学者がラスク書簡の存在を前提とした言説を行うようになったのは日本外務省が10のポイントをサイトで公表した後。


    私が知るかぎり、最初にラスク書簡がネット上でニュース記事になったのは2005年のこちらの記事です。

    (韓国語)
    連合ニュース世界 2005.03.16 (数) 午前 11:51
    http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=001&aid=0000943135

    ラスク書簡が記事になったのは2005年に4回、2006年に0回、2007年に0回、2008年に10回、2009年に0回、2010年に18回、2011年今日まで11回、不自然に偏っています。


    >>シンヨンハはラスク書簡を紹介した塚本氏の論文を参照にしている形跡を見せているのにラスク書簡には決して触れなかった。その100問100答も韓国側の修正要求さえなかったことにされている。チョン・ビョンジュン教授も恐らく同じ前提で書いたものと思われる。

    チョン・ビョンジュン先生はシンヨンハ先生のケンチャナヨな部分を正して、より説得力のある神話を構築しようとしているのだと思います。
    しかしながら時系列はそれなりに正しくなっても、歴史に向き合う姿勢は両先生とも全く違いがないように思います。

    チョン先生の最新著作である「独島1947」には一次資料がたくさん載っているそうですから、一次資料そのものを詳細に分析することによって得ることのできる「情報」と、チョン先生の一次資料に基づく「解釈」との差異を抜き出して、チョン先生の「解釈」の問題点と、チョン先生が「解釈」に用いたイデオロギーとを明らかにする作業がまずは必要であると考えます。


    >>予備会議との整合には拘らないほうがいいと思える。この合意書自体が予備会議断念後に作成されたものである可能性が高いのでは。

    「the Republic of Korea(大韓民国) 」が成立したのは1948年8月13日で、予備会議断念がその後の1948年10月7日なので時系列的には必ずしも矛盾しません。
    予備会議断念後に事情が変わってやっぱり開かれた可能性も皆無ではないので、このようなアプローチでは現状説得力が弱くなってしまっているのは事実です。
    しかしながら実際に予備会議が開かれたかどうかを、これから先明らかにしていこうといくことは、意義のあることであると考えます。
    あるいは予備会議断念後に、1950年に最終的な講和会議を開いて、その場で合意されることを念頭に作成されたものであるかもしれません。
    予備会議が全く開かれていないことが明らかになれば、合意書が予備会議断念後に作成されたものであったとしても、全く問題はなくなります。

    それに歴史の事実を明らかにするためには、単独の論拠に頼るよりは、複数の異なるアプローチによって同じ結論に至ることのほうがより説得力をもちます。
    この文章を読んでいる人は、必ずしも読む前から私の意見に同調したいと考えている人ばかりではありません。
    そういう人を納得させるには、たとえ一の矢を外しても、立て続けに二の矢、三の矢、四の矢と打ち込んでいけば、納得させる可能性は高まります。
    たとえ一の矢をかわせても、かわした反動で行動が制約してしまっているはずで、精度の劣る二の矢でも当てることはできると考えます。

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  31. cmsの画像みました。肝心要の署名が見えませんね。合意の証拠として提示するなら、それを強調するはずなのですが……。やっぱり怪しい。ますます怪しい。法的な効力を生じることのなかった文書の可能性大です。

    仮に「連合国の旧日本領土処理による合意書」なる文書が存在するとしたら、講和条約を取りまとめる際のガイドラインの一つとなるはずですから、この合意書に触れた文書が多数あるはずです。しかしながら、そのような文書はありませんね。このことも「連合国の旧日本領土処理による合意書」なる文書がメモレベルでお蔵入りしたものと考える傍証になると思います。

    韓国側は「連合国の旧日本領土処理による合意書」を連合国最高司令官総司令部訓令(SCAPIN677)に代わる国際法上の根拠とするつもりのように見えます。予備知識のない人が真に受けてしまわないよう、これが法的な効力を生じないものであることを広く流布させる必要があると思います。(特に英語での広報を急ぐべきです。)

    ところで、この合意書があったとしても当時すでに「領土の割譲・放棄は権原を持つ国の処分権行使により行われ、それはいかなる勢力からの強制も受けない」との国際慣習があったはずで、日本が拒否すればこの合意書は意味をなさなかったのではないでしょうか。また後法は前法を破る原則によれば、サンフランシスコ講和条約が批准されたことで「連合国の旧日本領土処理による合意書」は無効となっているのではないでしょうか。

    2011.5.2

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  32. ついに決定的な文書を発見しました。北東アジア歴史財団が発行した「東北亜歴史学叢 22号 2008.12」です。
    該当の文章をocrソフトでテキスト変換するとこのようになりました。

    ”한편 이석우(2003)의 연쿠에 따르면 미국은 '1949년 12월 19일자, 이전 일본 영토의 처분에 관한 협정(Agreement Respecting the Disposition of Former Japanese Territories on December 19, 1949)ㆍ의 형식으로 된 문견에서 독도의 한국 영유를 인정하는 내용이 삽입되여 있다고 하는데 이는 시볼 ' 의견서 이후의 일이며, 한국의 독도 영유권이 다시 인정된 것으로 주목된다. 이석우(2003)는 이조안이분안의 작성 방식이나큐정된 내용으로보아 전체적인 샌프란시스코 평화조약의 조약子정 방식과 상당한 차이가 있음을 압시하고 있다고 평가하고 있는데, 미국이 대임강화조약과 별토로 영토에 관한 험 정을 고려하고 있였는지 여부에 대한 연쿠가 필요한 부분이다. ”

    「東北亜歴史学叢 22号 2008.12」44ページ 5・56mb
    http://search.historyfoundation.or.kr/DATA/BBS1/%EB%85%BC%EC%B4%9D22%ED%98%B8(0).pdf

    機械翻訳、

    ”一方次席優(2003)のヨンクによればアメリカは '1949年 12月 19日付け, 以前日本領土の処分に関する協定(Agreement Respecting the Disposition of Former Japanese Territories on December 19, 1949)・の形式になったムンギョンで独島の韓国領有を認める内容が挿入されるよあると言うのにこれは時報を ' 意見書以後の仕事であり, 韓国の独島領有権がまた認められたことに注目される. 次席優(2003)は朝鮮王朝安易分内の作成バングシックイナキュゾングドエンネヨングウロボア全体的なサンフランシスコ平和条約の条約子本当に方式と相当な差があることをアブシしていると評価しているのに, アメリカが代任強化条約とビョルトで領土に関するハム情を考慮していたのか可否に対するヨンクが必要な部分だ.”

    「アメリカは・・・挿入されるよある」と言うのみで、連合国構成国の間で合意されたとは述べていないことが重要です。
    これが48の連合国によって合意されたものであることが確認されているならば、合意された事実と、合意された日付けに言及するはずで、文書を作成した日付けしか言及されていないのは不自然すぎます。
    なぜなら連合国構成国の間で合意されたことを強調することは、北東アジア歴史財団の意図に沿うものであって、自ら書いた論文中で謙遜すべき理由は全くないからです。
    これで「合意書」なるものは、1949年12月19日付けで作成されたアメリカの内部文書にすぎず、1950年に48の連合国が合意した事実が存在すると考える根拠がないことがはっきりしました。
    どうやら韓国の学者の間では最初からガセネタであることはわかっていたようです。

    ReplyDelete
  33. yahooトピのログより。2001年には発表されていたようです。

    〉英国三島嶼 直線基線説
    投稿者:nochonggakk 2003/ 6/ 4 9:19 メッセージ: 1982
    これは henchin_pokoider01 さんの 1980 に対する返信です 
    慎鏞廈『独島領有権に対する日本主張批判』(ソウル大学校出版部、2001)の161頁と162頁に「1949-1950年連合国側がサンフランシスコ講 和条約準備時に作成した『連合国の旧日本領土処理に関する合意書』付属地図」というのが掲載されており、竹島が日本領土から「朱線引きで」除外されている 様子が分かります。
     朱線自体は日本列島をぐるりと取り巻いているので、いちいち指示するのは煩雑ですが、今関連する部分の朱線についてのみ経緯 度を書くと「127°E, 29°N」と「132°40′E, 37°30′N」とを結んでいます。巨済島が引っかかるかどうかが掲載の地図では確認できないのですが、いちど当該海域の地図を入手されて、線引きされて は如何でしょう?

    投稿者:hangetsujoh 2003/ 6/ 7 22:35 メッセージ: 2013
    これは nochonggakk さんの 2005 に対する返信です  半月城です。
      nochonggakkさんはご存知かもしれませんが、連合国の「旧日本領土処理に関する合議書」関連の報道が下記「世界日報」のサイトにあります。
     <連合国領土合意書、独島を韓国領として処理>(韓国語)
    http://search.sgt.co.kr/fbin/result.fcgi?search=??&dataid=200109192107000543
     拙訳<アメリカ公文書館資料>
    http://www.han.org/a/half-moon/hm088.html#No.620
      上の記事では合議書の作成年を1947年としています。これは、合議書がアメリカの第1次草案(1947)から第5次草案(1949)の書類綴りにすべて複写されてつづられているので、合議書の作成開始年として 1947年は妥当かもしれません。
      一方、合議書の文中に 1950年の字句がありますが、これは竹島=独島を日本領としたアメリカの第6次草案(1949)と明らかに相容れません。合議書にはこう記されました。
           --------------------
    秘密
       旧日本領土の処理に関する合意
     連合国および関係国の平和条約会議は、日本に関して、1950年、同条約において日本により放棄される領土を下記のように処分することで結論に達した。
    第1条 ・・・台湾・・・
    第2条 ・・・サハリン・・・
    第3条 連合国および関係国は朝鮮本土や済州島、巨文島、鬱陵島、リアンクール(タケシマ)、・・・を含むすべての朝鮮沿岸の諸島にたいするすべての権利、権原を韓国の完全な統治に移すことに合意する。
     (線引きの)ラインは、この合意書付属の地図に示される。
    第4条 ・・・小笠原群島・・・
    第5条 ・・・琉球・・・
     1950年( )月( )日、英語で( )市にて。
    --------------------
     どうも、合議書は 1950年に最終合意書として残される予定だったようです。それがどうやらアメリカの方針変更か、そのままになってしまったようです。
     竹島=独島を日本領から除いたこの合議書が、アメリカのみならずイギリスやニュージーランド、オーストラリアなど同盟国の日本領認識に重要な役割をはたしたことはいうまでもありません。その後、対日講和条約の時点にいたり、アメリカ以外の同盟国が竹島=独島の領有をどのように考えていたのか、それは私も 不明であると考えています。
     ニュージーランドの意見書がハボマイ・シコタンにはふれても竹島=独島にはふれていないところをみると、連合国は竹島=独島にはあまり関心をもっていなかったようです。こうした姿勢は、その後の国際関係に反映しているようです。その推移をみることにします。

    MAKOTOさんへ
    領土の割譲・放棄は権原を持つ国の処分権行使により行われ、それはいかなる勢力からの強制も受けない
    拒否することは可能ではありますが、占領解放は無期限延期になったと思います。連合国は占領解放をエサに領土放棄を迫ります。所謂、保証占領です。

    ReplyDelete
  34. chaamieyさん

    翻訳、ありがとうございました。この著者は(日本側のロビー活動の結果だとミスリーディングしながらも)、平和条約の作成過程を検討すれば、竹島が日本領とされたのは理解できているようです。

    「シーボルドの論拠は「歴史的正当性」が中心であったのであり、「冷戦的状況」は米本国を説得するために副次的に使われたものであった。そして、そのような意見書の背景には、領土問題についての日本の緻密な事前準備と資料作成、そして連合国の主要人士に対する説得作業があった。結局、独島領有権問題に関しては、冷戦の存在は副次的要因であり、日本の外交的作業がより決定的要因であったと言える。」

    結果的に、アメリカは竹島の歴史的権限を資料をもとに提示した日本にその領有権があると判断したのであって、島の位置さえ不明確で、しかも領有の根拠を主にSCAPINに置き、歴史的根拠があるというばかりで資料をもとに提示することができなかった(存在しないので当たり前ですが、)韓国の訴えを退けた、と言うことです。

    先ほどmatsuさんからも情報を頂いたので、一部重なりますが、そのままコピペします。

    --------------------------------
    Yabutarouさんが引用している文献

    変換でバグってしまっている文字があるので、原文のPDFによって直しました。(修正を赤字にしましたが、コメント欄では反映されないですよね。)
    また、翻訳もしておきます。

    ナム・キジョン남기정(国民大学校 国際学部副教授)という人が書いた
    「サンフランシスコ平和条約と韓日関係」~「寛大な平和」と冷戦の相関性~
    という論文の中の一節です

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    http://search.historyfoundation.or.kr/DATA/BBS1/%EB%85%BC%EC%B4%9D22%ED%98%B8(0).pdf
    『東北亜歴史論叢』 22号 2008.12

    p37~71
    ナム・キジョン남기정 国民大学校 国際学部副教授
    「サンフランシスコ平和条約と韓日関係」~「寛大な平和」と冷戦の相関性~

    44ページ
    ”한편 이석우(2003)의 연구에 따르면 미국은 '1949년 12월 19일자, 이전 일본 영토의 처분에 관한 협정(Agreement respecting the Disposition of Former Japanese Territories on December 19, 1949)의 형식으로 된 문건에서 독도의 한국 영유를 인정하는 내용이 삽입되어 있다고 하는데 이는 시볼드 의견서 이후의 일이며, 한국의 독도 영유권이 다시 인정된 것으로 주목된다. 이석우(2003)는 이 초안이 분안의 작성 방식이나 규정된 내용으로 보아 전체적인 샌프란시스코 평화조약의 조약규정 방식과 상당한 차이가 있음을 암시하고 있다고 평가하고 있는데, 미국이 대일강화조약과 별도로 영토에 관한 협정을 고려하고 있었는지 여부에 대한 연구가 필요한 부분이다. ”

    “一方、イ・ソクウ(2003)の研究によれば、米国は、'1949年12月19日付、旧日本領土の処分に関する協定(Agreement respecting the Disposition of Former Japanese Territories on December19,1949)という形式の文書において、独島の韓国領有を認める内容が挿入されているとしているが、これはシーボルドの意見書以後のものであり、韓国の独島領有権が再び認められたものとして注目される。イ・ソクウ(2003)は、この草案が、文案の作成方式や規定された内容から見て、全体的なサンフランシスコ平和条約の条約規定方式とは相当な差異があることを暗示していると評価しているが、米国が対日講和条約とは別に、領土に関する協定を考慮していた可能性についての研究が必要な部分である。”

    イ・ソクウ(2003)は、38pの註に以下の文献があります。
    イ・ソクウ(2003)『日本の領土紛争とサンフランシスコ平和条約』(仁荷大学出版部)

    この「イ・ソクウ」이석우 という学者について検索すると、
    (李碩祐)のようです。(読み方は、「イ・ソグ」とすべきかもしれません)

    http://ils.inha.ac.kr/member/member_detail.aspx?EncryptedID=T0%2FrOrlADMUCEFvgNxVnVQ%3D%3D

    DOKDO: The San Francisco Peace Treaty, International Law on Territorial Disputes, and Historical Criticism, ASIAN PERSPECTIVE, 35巻 3号, , 2011.
    という論文があるようです。


    また、
    http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/04/1934-jan-30-maeil-sinbo-article-on.html
    5/5/09 09:32
    私のコメントに引用されている記事に
    仁荷大の国際海洋法センター(センター長 イ・ソクウ教授)
    とあり、

    また、
    http://www.salrim.net/bbs/skin/salrimcolumn/print.php?id=salrimcolumn&no=286
    イ・ソクウ「サンフランシスコ講和条約と戦後の東北アジア国際秩序の再編」チョ・アン、ソン・スンチョル編『韓日歴史の争点2010 一つの歴史、二つの考え2』景仁文化社2010所収

    という論文もあって、この時代を研究している研究者のようです。
    ----------------------------------

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  35. Agreement Respecting The Disposition of Former Japanese Territories
    The Allied and Associated Powers party to the treaty of peace concluded with
    Japan on,1950,dispose of the territories renounced by Japan in that Treaty in the
    following manner


    Former Japanese Territories, Renounced, concludedだからSF条約後の合意を想定した文書では。この合意の目的はSF条約で行き先が宙ぶらりんになった領土(日本が放棄しただけで割譲先は決定してない)の帰属先の決定だと思われる。平和条約草案にさえ一度も書かれたことはなかったソ連や韓国(ROK)なんて具体な国名も書かれている。ただ、ROKなんて書いている時点でソ連の拒否は明らかだが。

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  36. 皆さん色々ありがとうございます。
    『東北亜歴史論叢』の文章のうち私は「シーボルドの意見書以後のものであり」の部分と「米国が対日講和条約とは別に、領土に関する協定を考慮していた可能性についての研究が必要な部分である」の二箇所に注目します。
    これにoppさんの「この合意の目的はSF条約で行き先が宙ぶらりんになった領土の帰属先の決定だと思われる。」という指摘とを合わせて考えれば一つの仮説が成り立ちます。

    「シーボルドの意見書」では竹島関連で二つの提案をしています。一つは竹島を日本領にすることであり、もう一つは領土の記述形式の変更です。

    ”この条項が、日本が放棄及び保持する領土を記述する、実用的かつ便利な方法であることは認める。しかしながら、この条項で用いられた線引きによる方法は、深刻な精神的不利益を有すると思われる。可能であれば、付録中で多くの領域を列挙することが必要でも、日本を線で取り囲むのを回避する別の表現方法を用いるよう勧告する。”

    注目すべきは「付録中で多くの領域を列挙することが必要でも、」の部分です。
    私は当時アメリカ当局はシーボルドの提案をふまえて、講和条約の条文では日本の保持する範囲については明記せずに、「付録中で多くの領域を列挙すること」を検討していたのではないかと考えます。
    そして「多くの領域が列挙された付録」の原案として作成されたのが、まさにこの「連合国の旧日本領土処理に関する合意書」ではないか、ということです。
    『東北亜歴史論叢』に「米国が対日講和条約とは別に、領土に関する協定を考慮していた可能性」とあるのもこれを想定しているように思います。

    1949年11月19日付の意見書でシーボルドは二つの提案をしました。
    この1949年12月19日付の「合意書」の見解は「シーボルドの意見書」の二つの提案のうち「竹島を日本領にすること」については採用されず、「領土の記述形式の変更」については採用されたものであるといえます。
    しかし1949年12月29日付の草案では竹島を日本領として記述しています。
    この草案についてRobert A. Feareyはこのように解説しています。

    ”Drafts embodying Sebold's proposal for a very brief territorial chapter in which Japan would simply renounce all rights and titles to areas which Japan would simply renounce all rights and titles to areas which it is not to keep and the Allied and Associated Powers would dipose of those areas in a separate agreement, were prepared and considered, but it was decided after talking with Mr. Fisher that this arrangement would weaken our hold on Fomasa, Sahalien, and the Kuriles if the Chinese and Soviets did not participate, and the idea was accordingly dropped.)

    Memorandum by Mr. Robert A. Fearey of the Office of Northeast Asian Affairs on December 29, 1949
    http://en.wikisource.org/wiki/Draft_Treaty_of_Peace_With_Japan#The_Acting_Political_AdIviser_in_Japan_.28Sebald.29_to_the_Secretaiy_of_State_on_November_14.2C_1949

    要するにこの1949年12月29日付の草案では「シーボルドの意見書」の二つの提案のうち「竹島を日本領にすること」については採用されたが、「領土の記述形式の変更」については採用されないことになったということです。

    さらに次の1950年8月7日付の草案では竹島が日本領であるか韓国領であるかについては明記さませんでしたが、その後オーストラリアの問い合わせにFeareyは「竹島は日本領」と答えています。
    このことから考えて、1950年8月7日付の草案では「シーボルドの意見書」の二つの提案、「竹島を日本領にすること」と「領土の記述形式の変更」の両方が採用されたと解釈できます。
    さらにその後の米英合同草案では、「混乱回避に不可欠なものに限り、領土や諸小島の名前を挙げて日本の主権から除外(「盲点」p60)」する形式が採用されたということです。

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  37.  1905年の明治政府は先見の明があったわけですね。
     シーボルドが日本政府の説明を理解し、アメリカがシーボルドの意見を採用し、連合諸国がアメリカの判断に同意した一連の動きの中で最も説得力のあった資料とは、1905年の閣議決定と島根県告示、その後に続くアシカ漁許認可などの実効支配を示す具体的資料であったものと思われます。
     西欧列強から文句を言われないようにするため、近代国際法の理論を学習して実行した明治政府の判断が、敗戦後の領土処理のあわやという時に竹島を救いました。

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  38. 残された課題である地図の年代について説明します。
    ・チョン・ビョンジュン教授のニュース記事にこうある、

    ”この地図と共に送付された「対日講和条約草案」の領土条項6条では、「日本は、韓国本土および近海のすべての島に対する権利・権限を放棄し、これには済州島・巨文島・鬱陵島・リアンクール岩(独島)および東経124度15分より東、北緯33度より北…を含む」とされ、独島が韓国領に属すると明白に記している。
    また鄭教授は、このほかにも独島を韓国領と表示した米国政府の地図があり、その地図は敗戦国日本の領土を確定するため1947年10月14日に国務省の政策企画団が作成した、という事実を明らかにした。この地図は、これまで1949年から1950年ごろに作られたと推定されていた。

    【朝鮮日報】独島:「韓国領」明示1949年の米国の地図を発見 [10/8/13]
    http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/f5430e3423c83827bfe5cc1668b1f99d?fm=rss

    私は「このほかにも独島を韓国領と表示した米国政府の地図があり、」とある地図をシンヨンハ先生の主張する「合意書」の付属地図であると考え、「合意書」の成立を1947年10月14日と推定しました。
    しかしながら「合意書」は1949年12月19日付であることが判明しました。どうにも矛盾があるようです。
    私は「合意書」の付属地図と称するものはもともと「合意書」とは全く無関係の地図であって、シンヨンハ先生が自説をアピールために付属地図であるかのごとくでっちあげたのではないか、と考えます。
    そうであれば成立年代の齟齬を矛盾なく説明できます。
    チョン先生の記事に、「この地図は、これまで1949年から1950年ごろに作られたと推定されていた。」とあるのもそういうことを指摘しているように思えます。

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  39. 連休が終わったので、上のほうで触れておいたチョン・ビョンジュン先生の神話について残りの部分を論じます。

    神話その1
    SCAPIN 第677号や平和条約のアメリカ初期草案では竹島は「正当に」韓国領とされていた。(「正当に」がミソ)

    神話その2
    しかし日本は「不当な」ロビー活動を展開し、親日派のシーボルトの「不当な」介入によって、「不当にも」平和条約のアメリカ草案において竹島が日本領になってしまった。

    神話その3
    これに対しイギリスその他の連合国は、竹島は韓国領という「正当な」見解を表明した。

    神話その4
    にもかかわらずアメリカは「不当にも」ラスク書簡で竹島が日本領であるという見解を韓国に通知し、その後も竹島を「不当に」日本領とみなしていたことがアメリカの内部文書で明らかになっている。

    神話その結論
    韓国領土であることが「正当な」竹島が、日本と摩擦を引き起こすようになった原因を提供したのはアメリカである。


    神話その3はすでに論じたので次に神話その4について論じます。
    ラスク書簡で竹島が日本領であると通知したことが「不当」であるかどうかを判断する基準は二つあるといえます。
    一つ目は歴史上、国際法上事実として竹島が日本領であるかどうか、という基準です。日本領であると通知したことは、事実として竹島が日本領ならば「正当」であり、事実として竹島が韓国領ならば「不当」になります。
    二つ目は当時のアメリカ国務省が事実として竹島が日本領であると認識していたかどうかという基準です。日本領であると通知したことは、当時国務省が竹島が日本領であると認識した上で行った行為なら「正当」であり、国務省が実際は竹島が韓国領と考えていたならば「不当」になります。
    二つの基準の違いは、歴史上、国際法上事実として竹島が韓国領であるにもかかわらず、アメリカ国務省が竹島が日本領であると認識していた可能性がありうるし、その逆もありうる、ということにあります。
    チョン先生は竹島問題はアメリカに責任があると主張していますが、アメリカに責任があるかどうかを判断するためには、二つ目の基準によって判断すべきです。
    なぜなら事実として竹島が韓国領であるにもかかわらず、竹島が日本領であると認識して、韓国に竹島が日本領であると通知したとしても、当時のアメリカが竹島は韓国領であることを知ることのできる状況ではなかったのならば、アメリカに責任があるとはいえないからです。
    これを踏まえて、ロブモ氏のサイトのこの文章を読んでみましょう。

    ”10/3/51: The U.S. Embassy in Korea cables a copy of a letter to the State Department from ROK Foreign Minister, Pyun Yung -tai, concerning the Korean claim to Dokdo. In the letter, Pyun based Korea´s claim largely on the basis of SCAPIN #677 of January 29, 1946. He also stated that Korea has "substantial documented evidence" of its claim. In the memo that accompanied Pyun´s letter, the Embassy told the Department that they believed that the Koreans "did not possess a compilation of such ´evidence´ at this time" and that "it appears doubtful that such information will be forthcoming".”

    ”10/3/51: 韓国の米国大使館は、独島に対する韓国の要求に関する韓国外務相(Pyun Yung-tai)から国務省への手紙のコピーを電信で送ります。 この手紙において、Pyun氏は韓国側の主張の多くを1946年1月29日のSCAPIN #677に基づくものとしていました。彼はまた韓国にはこの主張に関しての「相当な文書化された証拠」を持つと述べました。 Pyun氏の手紙に付随したメモにおいて、(駐韓米国)大使が国務省に言うには、韓国人たちは「この時にそのような証拠を編集したものをもっていなかった」、そして「そのような情報が将来出て来るとは疑わしく思える」ということであった。
    http://www.oocities.org/mlovmo/page9.html

    この時の事情について半月城大先生はこのように述べています。

    ”これに対する韓国の反論は2か月近く経過した10月3日になって、やっと韓国の卞栄泰外務部長官からなされました。卞長官は、竹島=独島は島根県の管轄下にあるのでなく、SCAPIN 677号で日本の管轄から切り離され、韓国が統治している現状などを訴えました。しかし、時すでに遅く、講和条約が 9月8日に調印された後であり、後の祭りでした。”
    http://www.han.org/a/half-moon/hm134.html#No.971

    半月城大先生の説明文からはすっかり抜け落ちていますが、ラスク書簡を通知した二ヶ月後のアメリカ側の認識は「韓国側には証拠がなく将来出てくるとは疑わしい」というものでした。
    となるとラスク書簡を通知した当時のアメリカ国務省が竹島を韓国であると判断するに足る情報を入手していたはずはありません。
    そもそも当時のアメリカ国務省は、ラスク書簡を通知する直前までdokdoが竹島やLiancourt Rocksの別名であることを知りませんでした。
    ましてや『世宗実録』地理志の于山島や勅令41号の石島が竹島であるとアメリカ国務省が考えていたはずがありません。
    なぜなら1951年には韓国人ですら誰一人としてそんなことは考えていなかったからです。
    『世宗実録』地理志や古地図の于山島が竹島であると韓国政府が最初に表明したのは1953年であり、勅令41号の石島が竹島であると韓国の学者が主張し始めたのは1960年代後半と見られています。
    この当時韓国側が竹島領有の根拠としてアメリカ側に提示可能であった情報は、1947年に行われた「鬱陵島学術調査隊」による独島(竹島)調査の結果をまとめた申奭鎬の「独島所属について」『史海』創刊第一号と同程度の内容であったと推測できます。
    「独島所属について」を読んでみても、この内容でアメリカ側が竹島が韓国領であると納得するとはとても思えません。
    申奭鎬 「独島所属について」『史海』創刊第一号 1948 - 12月12日
    http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/12/blog-post.html


    ラスク書簡を通知した当時のアメリカ国務省は竹島が韓国領である理由を知らず(もちろんそんなものは今でもないわけですが)、1905年に日本が竹島を韓国の抗議なしに編入したことは知っていたわけですから、竹島を日本領と考えるのは当然のことです。
    、アメリカが自国の利益のために、本来は韓国領にすべき竹島を不当に日本領にしたなどという解釈は成り立ちません。なぜなら当時アメリカは竹島が韓国領であるべき根拠を知らなかったのですから。
    アメリカが竹島を日本領としたのが「不当」であるという主張は、竹島が韓国領とすることが「正当」であることが大前提であるはずです。
    しかしながらチョン先生はこれが「正当」である理由を全く示さずに、「正当」であることを前提にして歴史を解釈しようとしていることが分かります。
    これが神話その4、

    ”アメリカは「不当にも」ラスク書簡で竹島が日本領であるという見解を韓国に通知し、その後も竹島を「不当に」日本領とみなしていた”

    が神話である理由であると私は考えます。

    なおラスク書簡が作成される過程で、アメリカ国務省が韓国側の主張をどのように考えていたかを記述した内部文書があるかどうかを確認す必要があると思います。

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  40. ついでながら半月城大先生は1952年10月3日付で駐日アメリカ大使館がアメリカ国務省に送った"Koreans on Liancourt Rocks" と題された書簡に

    ”The rocks, which are fertile seal breeding grounds, were at one time part of the Kingdom of Korea.”

    ”その岩(竹島)はアザラシの繁殖地であり、ある時期、朝鮮王朝の一部であった。”
    http://www.oocities.org/mlovmo/temp8.html

    とあるのを根拠にして、

    「連合軍は竹島がかつて朝鮮王朝の一部であった事を知っていたので、最終的に講和条約に竹島=独島は明記されなかった。”と主張しています。
    http://www.han.org/a/half-moon/hm134.html#No.971

    しかしながらこのような主張は適切ではありません。なぜなら駐日アメリカ大使館の書簡を受け取ったアメリカ国務省がこの認識が誤りであることを指摘する書簡を送っているからです。


    米国務省極東局北東アジア課長ケネス・T・ヤング発駐韓米国大使館臨時代理大使E・アラン・ライトナー)あて1952年11月5日付け書簡。駐日米大使館へ同報

    ”東京の「リアンクール岩に韓国人」と題する1952年10月3日付け伝達書659号及びマーフィー(Murphy)大使あて1952年10月16日付け貴簡に添付された釜山の「領有権が争われている領土(独島)の実射訓練場としての使用」と題する1952年10月15日付け覚書を読みました。国務省は、この島が日本に属するとの立場をとり、その旨をワシントンの韓国大使に伝えたようです。
    日本平和条約の起草過程において大韓民国の見解が求められ、その結果、韓国大使は、1951年7月19日付け書簡を以って国務長官に、条約草案第2条a項を修正して日本が朝鮮の独立の承認に伴い権利権原請求権を放棄すべき島に済州島、巨文島、鬱陵島と並んで独島(リアンクール岩)と波浪島を含めるよう要請しました。
    韓国大使に対する返答として国務長官は、1951年8月10日付け書簡で、彼の情報によればリアンクール岩は朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあり、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思えないので、提案に係るリアンクール岩に関する修正に同意できないと述べました。その結果、平和条約第2条a項には、次のとおり、リアンクール岩が言及されないことになりました。”

    Confidential Security Information about Liancourt Rocks
    http://en.wikisource.org/wiki/Confidential_Security_Information_about_Liancourt_Rocks

    アメリカ国務省は駐日米国大使館の上位機関ですから、大使館の認識は国務省によって訂正されたと解釈すべきです。
    (続く)

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  41. 次に神話その2、

    ”しかし日本は「不当な」ロビー活動を展開し、親日派のシーボルトの「不当な」介入によって、「不当にも」平和条約のアメリカ草案において竹島が日本領になってしまった。”

    について論じます。「神話その2」の存在は、チョン先生についての記事のこのような記述を読めばわかります。

    ”問題の核心は独島に対する領有権を日本が持っていたり先に先行獲得したという主張ではなく, サンフランシスコ会談過程でアメリカや連合国を相手で独島が日本の領土だと限りないロビーをしてそれが通用したというのです.”
    http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=100&oid=034&aid=0000176484

    ”またこのようなアメリカの政策的立場は 1949年 11月時シーボルドが日本の虚偽情報に基礎して独島が日本領という出たらめな主張をするまで維持された.”
    http://www.munhwa.com/news/view.html?no=2010081301032530074002


    アメリカの講和条約草案において竹島の所属が韓国領から日本領に変化したのは、1949年11月19日付のシーボルドの意見書がきっかけです。意見書の中でシーボルドはこのように提案しています。


    ”朝鮮方面で日本がかつて領有していた諸島の処分に関し、我々の提案した第三条の中で、竹島は日本に属する旨、明記することを提案する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、朝鮮沖合の島とみなすのは困難である。また、合衆国の利害に関係のある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象及びレーダー局を設置することも考えられよう。”(「盲点」p49)

    シーボルドが竹島が日本領であるべきと考えた理由は三つあるようにも思います。個別に論じていきます。

    理由その1は「竹島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ」るからです。これは歴史的、国際法的アプローチであるといえます。
    アメリカが最初に作成した講和条約草案である1947年3月草案にはこのような文言があります。

    ”第1条 日本の領土的範囲は、1894年1月1日現在のそれとする。(中略)
    第4条 日本はこれによって、朝鮮及び済州島、巨文島、ダジュレー島(鬱陵島)及びリアンクール岩(竹島)を含むすべての沖合小島嶼に対するすべての権利及び権原を放棄する。”

    これを読むと、最初の草案で 日本の領土的範囲は、1894年1月1日現在のそれとされたため、1905年に日本に編入された竹島が日本の領土的範囲からはずされ反射的に朝鮮領とされたことがわかります。
    1894年は日清戦争の始まった年であり、アメリカはこれ以降に日本が獲得した領土は侵略によって奪ったものであるから放棄すべき、と考えていたようです。
    竹島が韓国領から日本領に変わった1949年12月草案の解説書にはこのようにあります、

    ”The Islands of the Inland Sea, Oki Retto, Sado, Okujiri, Rebun and Rishiri – These islands and lesser islands in the Japan Sea east of Tsushima, Takeshima and Rebun are almost exclusively populated by Japanese, have long been recognized as Japanese, were not “ taken by violence and greed”, and are closer to Japan than to any other nation.
    None has been claimed by another power and Japan’s right to retain them is not likely to be questioned in the treaty negotiation. ”
    Commentary on Draft Treaty by the Department of State on July, 1950
    http://en.wikisource.org/wiki/Draft_Treaty_of_Peace_With_Japan

    「have long been recognized as Japanese, were not “ taken by violence and greed”, 」の部分がラスク書簡の「 never treated as part of Korea and, since about 1905, has been under the jurisdiction of the Oki Islands Branch Office of Shimane Prefecture of Japan.」に、」
    「None has been claimed by another power」の部分が ラスク書簡の「The island does not appear ever before to have been claimed by Korea」にそれぞれ対応していることがわかります。

    すなわち、竹島は1894年より後に日本に編入されたものであるが、暴力や強欲によって略取されたものではない( were not “taken by violence and greed”)と判断されたために、日本領と認められたことがわかります。
    暴力や強欲によって略取されたものではないと判断するには、日本の竹島編入以前に竹島が韓国領であったとはいえないことが絶対条件です。
    はたしてこのような判断は正当なものであったのでしょうか。私は正当であると考えますが、チョン先生は不当であると考えているようです。
    ここで問題とすべきはラスク書簡が出された当時アメリカに竹島が韓国領である根拠についての情報がなかった以上、それより前のシーボルド意見書の時代にそんなものがあったはずがない、ということです。
    根拠を知らない以上、シーボルドや彼の意見書を受け取ったアメリカ国務省が竹島を韓国領と考えるはずもなく、日本領である根拠を知っていた以上、竹島を日本領と考えるのは理の当然です。

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  42. シーボルドが竹島が日本領であるべきと考えた理由その2は「朝鮮沖合の島とみなすのは困難である。」からです。これは地理的アプローチです。いわゆる「近接性」についてです。
    アメリカの1949年11月2日付け草案にはこうあります。

    ”1. Japan hereby renounces in favor of Korea all rights and titles to the Korean mainland territory and all offshore Korean islands, including Quelpart (Saishu To), the Man How group (San to, or Komun Do) which forms Port Hamilton (Tomaikai), Dagelet Island (Utsuryo To, of Matsu Shima), Liancourt Rocks (Takeshima), and all other islands and islets (以下略)”
    ”日本国は、ここに、朝鮮のために朝鮮本土及びに済州島、巨文島、鬱陵島、リアンクール岩(竹島)、その他のすべての島嶼を含む、沖合いの島嶼に対する全ての権利及び権原を放棄する。”

    朝鮮に属している沖合いの島嶼の一つとして竹島が挙げられているのがわかります。これはアメリカ初期草案においては竹島が朝鮮沖合の島とみなされたために朝鮮領とされたことを示唆しています。
    本来は国際法上の領有の根拠になれるはずのない地理的要因で竹島が韓国領とみなされたことは、初期草案における竹島の認識がかならずしも根拠のあるものではないことを意味しています。
    これに対してシーボルドは竹島は朝鮮沖合の島とみなすのは困難であるから日本領に残すべきと主張し、1949年12月草案では日本領に変更されました。
    これは1949年12月草案の解説書の”(Takeshima)are closer to Japan than to any other nation”の部分とも対応しています。

    はたしてこの主張は正当なものでしょうか。
    ”the Korean mainlandに対する”offshore Korean islands”ですから、朝鮮半島から竹島までの距離を問題にしているのであって、鬱陵島から竹島までの距離を問題にしているわけではないことには注意が必要です。
    となるとこれに対応するべきは隠岐の島から竹島までの距離ではなく、日本の本州から竹島までの距離ということになります。
    朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近いのはあきらかな事実です。
    したがって竹島は朝鮮沖合の島とみなすよりも日本沖合の島とみなすのがむしろ自然であり、シーボルドの主張は全くもって正しいといえます。


    ちなみに島根県のWeb竹島問題研究所のトップページの地図では蔚珍・竹島間が215キロ、松江・竹島間が220キロとなっていて朝鮮半島から竹島までの距離のほうが近いように見えますが、実は蔚珍・竹島間の最短距離よりも出雲市・竹島間の最短距離のほうが近いのであって、なぜこのような紛らわしいことになっているのか理解に苦しみます。
    また英語のWikipediaの”Liancourt Rocks”の項目では5年前からずっと韓国・竹島間が217キロで日本・竹島間が250キロとなっていましたが、今年の4月になってようやく訂正されました。
    滑稽なことに嶺南大学校独島研究所は去年、Wikipediaの情報を根拠にして本州・竹島間よりも朝鮮半島・竹島間のほうが近いので、国際慣習法上竹島は韓国領であると主張する論文を発表し、本にまとめて出版してしまいました。

    嶺南大独島研究所, 独島研究叢書 4集発刊
    慣習法次元で最初接近 "両国の間距離計算する慣習存在して"
    http://www.dailian.co.kr/news/news_view.htm?id=218158&sc=naver&kind=menu_code&keys=25

    日韓どちらが近いかについては、googlemap のマイマップ機能を活用すると確認できます。

    http://maps.google.com/maps/ms?ie=UTF&msa=0&msid=215906369199675885431.00048fc5f4cfcd6073825

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  43. yabutarouさん

    距離の件は、大変重要ですね。私も以前Google Mapで測ったところ、日本の本土の方が朝鮮半島より竹島に近かった結果が出ました。肝付兼行が中井養三郎に言ったとおりであると思います。

    ところで、上で紹介して下さった論文をmatsuさんが翻訳して下さったので、皆さんにお送りしました。

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  44. yabutarou様・Kaneganese様

    ご活躍の程ご同慶の至りに存じます。

    さて、「朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近いのはあきらかな事実です。したがって竹島は朝鮮沖合の島とみなすよりも日本沖合の島とみなすのがむしろ自然であり、シーボルドの主張は全くもって正しいといえます。」は、日本にとっては諸刃の剣となり得ます。

    尖閣列島は、九州(琉球は薩摩の植民地)沖合の島とみなすよりも中国沖合の島とみなすのがむしろ自然です。

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  45. まあ、

    「この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、朝鮮沖合の島とみなすのは困難である。」という文章から見れば、

    シーボルドの意見の趣旨は、

    「朝鮮沖合の島ならば朝鮮に帰属するべきだが、竹島に対する日本の主張は正当であるから、竹島を朝鮮沖合いの島として扱うことは適当ではない。」

    ということだったんでしょう。

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  46. どうやら消えてしまったコメントは復活しないようなので再投稿して続けます。すでにタイミングをはずされてしまった感がありますが。。。


    最近Web竹島問題研究所 のサイトで藤井賢二先生の文章が公開されました。その中で、10/3/51の文書の日本語訳が異なっていることに気がつきました。

    ”10/3/51: The U.S. Embassy in Korea cables a copy of a letter to the State Department from ROK Foreign Minister, Pyun Yung -tai, concerning the Korean claim to Dokdo. In the letter, Pyun based Korea´s claim largely on the basis of SCAPIN #677 of January 29, 1946. He also stated that Korea has "substantial documented evidence" of its claim. In the memo that accompanied Pyun´s letter, the Embassy told the Department that they believed that the Koreans "did not possess a compilation of such ´evidence´ at this time" and that "it appears doubtful that such information will be forthcoming".”
    http://www.oocities.org/mlovmo/page9.html

    私の日本語訳、

    ” 韓国の米国大使館は、独島に対する韓国の要求に関する韓国外務相(Pyun Yung-tai)から国務省への手紙のコピーを電信で送ります。 この手紙において、Pyun氏は韓国側の主張の多くを1946年1月29日のSCAPIN #677に基づくものとしていました。彼はまた韓国にはこの主張に関しての「相当な文書化された証拠」を持つと述べました。 Pyun氏の手紙に付随したメモにおいて、(駐韓米国)大使が国務省に言うには、韓国人たちは「この時にそのような証拠を編集したものをもっていなかった」、そして「そのような情報が将来出て来るとは疑わしく思える」ということであった。

    藤井先生の日本語訳、

    ”紹介した9月21日付卞栄泰外務部長官の駐韓米国大使宛書簡には、「韓国がかの島(竹島のことです。)を数百年にわたって領有してきたことを証明する確実な証拠記録がある」とあるが、「韓国外務部は口頭説明で、韓国は現時点ではそのような証拠をまとめたものを持っていないと暗に認めた。韓国の証拠提出が行われることは疑わしい」というのです。”
    「日韓会談と竹島問題」
    http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/H21manabukai.html

    このうち、”the Embassy told the Department that they believed that the Koreans "did not possess a compilation of such ´evidence´ at this time" の部分について、

    私の日本語訳、

    (駐韓米国)大使が国務省に言うには、韓国人たちは「この時にそのような証拠を編集したものをもっていなかった」

    藤井先生の日本語訳、

    「韓国外務部は口頭説明で、韓国は現時点ではそのような証拠をまとめたものを持っていないと暗に認めた。

    私は「the Embassy」と「they」を駐韓米国大使と解釈しましたが、藤井先生は「they」を韓国外務部であると解釈したものであるようにも思えますが、実際のところどっちが正しいのでしょうか。よくわかりません。

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  47. 次に神話その2、

    ”しかし日本は「不当な」ロビー活動を展開し、親日派のシーボルトの「不当な」介入によって、「不当にも」平和条約のアメリカ草案において竹島が日本領になってしまった。”

    について論じます。「神話その2」の存在は、チョン先生についての記事のこのような記述を読めばわかります。

    ”問題の核心は独島に対する領有権を日本が持っていたり先に先行獲得したという主張ではなく, サンフランシスコ会談過程でアメリカや連合国を相手で独島が日本の領土だと限りないロビーをしてそれが通用したというのです.”
    http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=100&oid=034&aid=0000176484

    ”またこのようなアメリカの政策的立場は 1949年 11月時シーボルドが日本の虚偽情報に基礎して独島が日本領という出たらめな主張をするまで維持された.”
    http://www.munhwa.com/news/view.html?no=2010081301032530074002


    アメリカの講和条約草案において竹島の所属が韓国領から日本領に変化したのは、1949年11月19日付のシーボルトの意見書がきっかけです。意見書の中でシーボルトはこのように提案しています。


    ”朝鮮方面で日本がかつて領有していた諸島の処分に関し、我々の提案した第三条の中で、竹島は日本に属する旨、明記することを提案する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ、朝鮮沖合の島とみなすのは困難である。また、合衆国の利害に関係のある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象及びレーダー局を設置することも考えられよう。”(「盲点」p49)

    シーボルトが竹島が日本領であるべきと考えた理由は三つあるようにも思います。個別に論じていきます。

    理由その1は「竹島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われ」るからです。これは歴史的、国際法的アプローチであるといえます。
    アメリカが最初に作成した講和条約草案である1947年3月草案にはこのような文言があります。

    ”第1条 日本の領土的範囲は、1894年1月1日現在のそれとする。(中略)
    第4条 日本はこれによって、朝鮮及び済州島、巨文島、ダジュレー島(鬱陵島)及びリアンクール岩(竹島)を含むすべての沖合小島嶼に対するすべての権利及び権原を放棄する。”

    これを読むと、最初の草案で 日本の領土的範囲は、1894年1月1日現在のそれとされたため、1905年に日本に編入された竹島が日本の領土的範囲からはずされ反射的に朝鮮領とされたことがわかります。
    1894年は日清戦争の始まった年であり、アメリカはこれ以降に日本が獲得した領土は侵略によって奪ったものであるから放棄すべき、と考えていたようです。
    竹島が韓国領から日本領に変わった1949年12月草案の解説書にはこのようにあります、

    ”The Islands of the Inland Sea, Oki Retto, Sado, Okujiri, Rebun and Rishiri – These islands and lesser islands in the Japan Sea east of Tsushima, Takeshima and Rebun are almost exclusively populated by Japanese, have long been recognized as Japanese, were not “ taken by violence and greed”, and are closer to Japan than to any other nation.
    None has been claimed by another power and Japan’s right to retain them is not likely to be questioned in the treaty negotiation. ”
    Commentary on Draft Treaty by the Department of State on July, 1950
    http://en.wikisource.org/wiki/Draft_Treaty_of_Peace_With_Japan

    「have long been recognized as Japanese, were not “ taken by violence and greed”, 」の部分がラスク書簡の「 never treated as part of Korea and, since about 1905, has been under the jurisdiction of the Oki Islands Branch Office of Shimane Prefecture of Japan.」に、」
    「None has been claimed by another power」の部分が ラスク書簡の「The island does not appear ever before to have been claimed by Korea」にそれぞれ対応していることがわかります。

    すなわち、竹島は1894年より後に日本に編入されたものであるが、暴力や強欲によって略取されたものではない( were not “taken by violence and greed”)と判断されたために、日本領と認められたことがわかります。
    暴力や強欲によって略取されたものではないと判断するには、日本の竹島編入以前に竹島が韓国領であったとはいえないことが絶対条件です。
    はたしてこのような判断は正当なものであったのでしょうか。私は正当であると考えますが、チョン先生は不当であると考えているようです。
    ここで問題とすべきはラスク書簡が出された当時アメリカに竹島が韓国領である根拠についての情報がなかった以上、それより前のシーボルト意見書の時代にそんなものがあったはずがない、ということです。
    根拠を知らない以上、シーボルトや彼の意見書を受け取ったアメリカ国務省が竹島を韓国領と考えるはずもなく、日本領である根拠を知っていた以上、竹島を日本領と考えるのは理の当然です。

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  48. コメント戻っていますね。

    yabutarouさん

    文法的にはtheyは"the Embassy"ですね。"He also stated that Korea has "substantial documented evidence" of its claim."と直前にあるので、確かだと思います。ただ、その文献的証拠を説明に向かった外務部職員が米国大使館担当者に提出できなかったことで、韓国外務部は"暗に"認めた、と藤井先生は書かれたのだと思われます。

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  49. 上記の10/3/51の原文、もしご覧になりたい方がいらっしゃったら、メールを下さい。

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  50. 今初めてこういう資料を見た初心者の意見ですので、見当違いならば一笑に付してください。

    藤井先生は上の英文を翻訳してそこにある文章を書かれたのでしょうか? 上の英文は原文書の一部を引用しながらロブモ氏が書いた文章のように思えるのですが。

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  51. chaamieyさん

    ご指摘ありがとうございます。私も勘違いしていました。先ほど原文を探して読んでいましたら、気が付きました。

    yabutarouさん

    資料をお送りしますので、ご覧下さい。

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  52. メール拝見しました。なるほど、どうもロブモ氏の引用の仕方がまずかったようですね。原文はこうです。


    With regard to the " substantial documented evidence" referred to in the last paragraph of the letter, an officer of the Embassy was orally informed by the Minister of Foreign Affairs that such evidence appears throughout Korean and Japanese archives. The implication was that the Ministry of Foreign Affairs did not possess a compilation of such "evidence" at this time. Although it was pointed out to the Minister that the Embassy would welcome the submission of such "evidence" for transmittal to the Department, it appears doubutful that such information will be forthcoming.


    要するに韓国外務部は口頭で、「韓国が竹島を領有してきたことは韓国と日本の証拠記録からみて明らかである」と語ったにもかかわらず、肝心の証拠を提示しなかったので、駐韓米国大使は「韓国は現時点ではそのような証拠をまとめたものを持っていないと暗に認めた」と解釈したようです。
    ”The implication was that”とか”would welcome ”・ ”such "evidence"”・”it appears doubutful”・”such information will be forthcoming.”といった表現は、アングロサクソンのエスタブリッシュメント(支配階層)が皮肉をこめて人を嘲笑するときに使う表現のように思われます。
    意訳すると大体こんな感じではないでしょうか。

    「証拠記録があるって書簡には書いてあるけどよー、外務部の連中は証拠記録があるって口で言うだけで肝心の証拠記録は送ってこないんだぜ。それは結局、証拠記録はないってことだろ。一応連中にはそのような証拠記録があるのなら送ってきていただければ私たちは歓迎いたします、とは言っといたけどよー、そんなの送ってくるわけねーよ。あるわけないじゃん。」

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  53. arareさん、ご健勝のご様子なによりです。お待たせいたしました、お答えいたしましょう。

    arareさんは「日本にとっては諸刃の剣となり得ます。」とお書きになりました。
    これは日本側(あるいは私)が「朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近いこと」を竹島が日本の領土であることの根拠に利用すると諸刃の剣になるのでまずいというご指摘ではないかと推察いたします。
    しかしながらこれはまるっきり誤解であるといわざるを得ません。
    私は距離が近いことを領有根拠にしようという意図は全くありません。私の書いた文章をよく読んでください。

    「本来は国際法上の領有の根拠になれるはずのない地理的要因で竹島が韓国領とみなされたことは、初期草案における竹島の認識がかならずしも根拠のあるものではないことを意味しています。」

    「地理的要因」は「本来は国際法上の領有の根拠になれるはずのない」とはっきり書いているわけですから、この文章の書き手、すなわち私が、距離が近いことを領有根拠にしようという意図がないのは明らかではないでしょうか。

    地理的近接性を領有判断の根拠にしたのは私ではなく、シーボルトですらなく、アメリカ国務省の担当者であることに留意してください。
    アメリカ国務省の担当者が採用した地理的近接性の基準にのっとってシーボルトが竹島を日本領にするように勧告したのは「全くもって正しい」と私は評価しました。
    なぜなら「朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近い」からです。
    もし実際には「朝鮮半島から竹島までの距離よりのほうが本州から竹島までの距離よりも近い」にもかかわらず、シーボルトが地理的近接性を理由にして竹島は日本領であると勧告したならば私は「全くもって正しくない」と判断することでしょう。
    わかっていただけましたでしょうか。

    なお、嶺南大独島研究所が「両国の間距離計算する慣習存在して」いると主張していることについてですが、確かにそのような慣習が存在していたのは事実です。
    安龍福は朝鮮から鬱陵島までの所要日数が日本から鬱陵島のそれよりも少ないことを鬱陵島が朝鮮領である理由としていたし、竹島一件の最終局面で幕府の意を受けた対馬藩の役人が朝鮮の役人に対して、鬱陵島は日本よりも朝鮮半島のほうが近いので朝鮮領土と認める、と通告しています。
    また明治初期に武藤平学は松島は朝鮮よりも日本のほうが近いので日本領である、もし朝鮮が文句を言ってきたならば朝鮮よりも日本のほうが近いことを指摘すればよいと主張しました。
    さらに1900年ごろには鬱陵島は本来日本領であると主張した親日派の新聞に対抗する形で、韓国の皇城新聞が鬱陵島は日本よりも朝鮮半島のほうが近いので韓国領であると主張しました。
    1905年に日本が竹島を編入する過程において、海軍水路部の肝付兼行水路部長が「リヤンコ島の所属については確乎とした証拠がないという。リヤンコ島の位置は隠岐より八五浬、鬱陵島よりは五五浬であるが、出雲国多古鼻からは一〇八浬、、朝鮮ルツドネル岬からは一一八浬である。だから日本の方が一〇浬も近く、しかも日本人が同島で漁労をしている以上は、日本領土に編入するのがよろしいと」述べたのもよく知られている事実です。
    しかしながらたとえそのような慣習が存在していたにしても、それが国際法上有効な慣習法として確立していたと解釈できるのかどうかについては、私は国際法の専門知識を持ち合わせていないので現状では判断することができません。
    私が嶺南大独島研究所の見解を持ち出したのは、韓国側の研究がいかに杜撰なものであるかをアピールするためであって、決して私が今すぐこれを奇貨として日本領である根拠として活用しようと考えているわけではないのでご安心ください。

    ちなみに日本と中国との国境について地理的近接性を考慮するような慣習は存在していません。
    沖縄はもともと日本とは別個の国家であったものが明治政府によって「不当に」日本に編入されたものです。
    その後サンフランシスコ平和条約によって一旦日本の領土から切り離されましたが、日本政府によるアメリカに対する沖縄返還交渉の進展と全く別個に引き起こされた、沖縄人民による自主的な祖国復帰運動の結果、日本への復帰が認められたものです。
    従って、民族自決の原則を最大限に尊重するのであれば、地理的近接性や大国の思惑によって沖縄県民の意思を無視して沖縄を分断しようとすることはあってはならないと私は考えます。

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  55. arareさんの指摘に返事を書いて二回も投稿したのに、コメントが反映されていません。どねーなっちょるんか。。わやじゃ。。。

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  56. 三度目の正直。。
    arareさん、ご健勝のご様子なによりです。お待たせいたしました、お答えいたしましょう。

    arareさんは「日本にとっては諸刃の剣となり得ます。」とお書きになりました。
    これは日本側(あるいは私)が「朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近いこと」を竹島が日本の領土であることの根拠に利用すると諸刃の剣になるのでまずいというご指摘ではないかと推察いたします。
    しかしながらこれはまるっきり誤解であるといわざるを得ません。
    私は距離が近いことを領有根拠にしようという意図は全くありません。私の書いた文章をよく読んでください。

    「本来は国際法上の領有の根拠になれるはずのない地理的要因で竹島が韓国領とみなされたことは、初期草案における竹島の認識がかならずしも根拠のあるものではないことを意味しています。」

    「地理的要因」は「本来は国際法上の領有の根拠になれるはずのない」とはっきり書いているわけですから、この文章の書き手、すなわち私が、距離が近いことを領有根拠にしようという意図がないのは明らかではないでしょうか。

    地理的近接性を領有判断の根拠にしたのは私ではなく、シーボルトですらなく、アメリカ国務省の担当者であることに留意してください。
    アメリカ国務省の担当者が採用した地理的近接性の基準にのっとってシーボルトが竹島を日本領にするように勧告したのは「全くもって正しい」と私は評価しました。
    なぜなら「朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近い」からです。
    もし実際には「朝鮮半島から竹島までの距離よりのほうが本州から竹島までの距離よりも近い」にもかかわらず、シーボルトが地理的近接性を理由にして竹島は日本領であると勧告したならば私は「全くもって正しくない」と判断することでしょう。
    わかっていただけましたでしょうか。

    なお、嶺南大独島研究所が「両国の間距離計算する慣習存在して」いると主張していることについてですが、確かにそのような慣習が存在していたのは事実です。
    安龍福は朝鮮から鬱陵島までの所要日数が日本から鬱陵島のそれよりも少ないことを鬱陵島が朝鮮領である理由としていたし、竹島一件の最終局面で幕府の意を受けた対馬藩の役人が朝鮮の役人に対して、鬱陵島は日本よりも朝鮮半島のほうが近いので朝鮮領土と認める、と通告しています。
    また明治初期に武藤平学は松島は朝鮮よりも日本のほうが近いので日本領である、もし朝鮮が文句を言ってきたならば朝鮮よりも日本のほうが近いことを指摘すればよいと主張しました。
    さらに1900年ごろには鬱陵島は本来日本領であると主張した親日派の新聞に対抗する形で、韓国の皇城新聞が鬱陵島は日本よりも朝鮮半島のほうが近いので韓国領であると主張しました。
    1905年に日本が竹島を編入する過程において、海軍水路部の肝付兼行水路部長が「リヤンコ島の所属については確乎とした証拠がないという。リヤンコ島の位置は隠岐より八五浬、鬱陵島よりは五五浬であるが、出雲国多古鼻からは一〇八浬、朝鮮ルツドネル岬からは一一八浬である。だから日本の方が一〇浬も近く、しかも日本人が同島で漁労をしている以上は、日本領土に編入するのがよろしいと」述べたのもよく知られている事実です。
    しかしながらたとえそのような慣習が存在していたにしても、それが国際法上有効な慣習法として確立していたと解釈できるのかどうかについては、私は国際法の専門知識を持ち合わせていないので現状では判断することができません。
    私が嶺南大独島研究所の見解を持ち出したのは、韓国側の研究がいかに杜撰なものであるかをアピールするためであって、決して私が今すぐこれを奇貨として日本領である根拠として活用しようと考えているわけではないのでご安心ください。

    ちなみに日本と中国との国境について地理的近接性を考慮するような慣習は存在していません。
    沖縄はもともと日本とは別個の国家であったものが明治政府によって「不当に」日本に編入されたものです。
    その後サンフランシスコ平和条約によって一旦日本の領土から切り離されましたが、日本政府によるアメリカに対する沖縄返還交渉の進展と全く別個に引き起こされた、沖縄人民による自主的な祖国復帰運動の結果、日本への復帰が認められたものです。
    従って、民族自決の原則を最大限に尊重するのであれば、地理的近接性や大国の思惑によって沖縄県民の意思を無視して沖縄を分断しようとすることはあってはならないと私は考えます。


    Attention
    この文章はすでに投稿したコメントが表示されなかったので再投稿したものです。結果として二三重投稿になってしまったら削除します。

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  57. 四回目の投稿

    arareさん、ご健勝のご様子なによりです。お待たせいたしました、お答えいたしましょう。

    arareさんは「日本にとっては諸刃の剣となり得ます。」とお書きになりました。
    これは日本側(あるいは私)が「朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近いこと」を竹島が日本の領土であることの根拠に利用すると諸刃の剣になるのでまずいというご指摘ではないかと推察いたします。
    しかしながらこれはまるっきり誤解であるといわざるを得ません。
    私は距離が近いことを領有根拠にしようという意図は全くありません。私の書いた文章をよく読んでください。

    「本来は国際法上の領有の根拠になれるはずのない地理的要因で竹島が韓国領とみなされたことは、初期草案における竹島の認識がかならずしも根拠のあるものではないことを意味しています。」

    「地理的要因」は「本来は国際法上の領有の根拠になれるはずのない」とはっきり書いているわけですから、この文章の書き手、すなわち私が、距離が近いことを領有根拠にしようという意図がないのは明らかではないでしょうか。

    地理的近接性を領有判断の根拠にしたのは私ではなく、シーボルトですらなく、アメリカ国務省の担当者であることに留意してください。
    アメリカ国務省の担当者が採用した地理的近接性の基準にのっとってシーボルトが竹島を日本領にするように勧告したのは「全くもって正しい」と私は評価しました。
    なぜなら「朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近い」からです。
    もし実際には「朝鮮半島から竹島までの距離よりのほうが本州から竹島までの距離よりも近い」にもかかわらず、シーボルトが地理的近接性を理由にして竹島は日本領であると勧告したならば私は「全くもって正しくない」と判断することでしょう。
    わかっていただけましたでしょうか。

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  58. なお、嶺南大独島研究所が「両国の間距離計算する慣習存在して」いると主張していることについてですが、確かにそのような慣習が存在していたのは事実です。
    安龍福は朝鮮から鬱陵島までの所要日数が日本から鬱陵島のそれよりも少ないことを鬱陵島が朝鮮領である理由としていたし、竹島一件の最終局面で幕府の意を受けた対馬藩の役人が朝鮮の役人に対して、鬱陵島は日本よりも朝鮮半島のほうが近いので朝鮮領土と認める、と通告しています。
    また明治初期に武藤平学は松島は朝鮮よりも日本のほうが近いので日本領である、もし朝鮮が文句を言ってきたならば朝鮮よりも日本のほうが近いことを指摘すればよいと主張しました。
    さらに1900年ごろには鬱陵島は本来日本領であると主張した親日派の新聞に対抗する形で、韓国の皇城新聞が鬱陵島は日本よりも朝鮮半島のほうが近いので韓国領であると主張しました。
    1905年に日本が竹島を編入する過程において、海軍水路部の肝付兼行水路部長が「リヤンコ島の所属については確乎とした証拠がないという。リヤンコ島の位置は隠岐より八五浬、鬱陵島よりは五五浬であるが、出雲国多古鼻からは一〇八浬、朝鮮ルツドネル岬からは一一八浬である。だから日本の方が一〇浬も近く、しかも日本人が同島で漁労をしている以上は、日本領土に編入するのがよろしいと」述べたのもよく知られている事実です。
    しかしながらたとえそのような慣習が存在していたにしても、それが国際法上有効な慣習法として確立していたと解釈できるのかどうかについては、私は国際法の専門知識を持ち合わせていないので現状では判断することができません。
    私が嶺南大独島研究所の見解を持ち出したのは、韓国側の研究がいかに杜撰なものであるかをアピールするためであって、決して私が今すぐこれを奇貨として日本領である根拠として活用しようと考えているわけではないのでご安心ください。

    ちなみに日本と中国との国境について地理的近接性を考慮するような慣習は存在していません。
    沖縄はもともと日本とは別個の国家であったものが明治政府によって「不当に」日本に編入されたものです。
    その後サンフランシスコ平和条約によって一旦日本の領土から切り離されましたが、日本政府によるアメリカに対する沖縄返還交渉の進展と全く別個に引き起こされた、沖縄人民による自主的な祖国復帰運動の結果、日本への復帰が認められたものです。
    従って、民族自決の原則を最大限に尊重するのであれば、地理的近接性や大国の思惑によって沖縄県民の意思を無視して沖縄を分断しようとすることはあってはならないと私は考えます。


    Attention
    この文章はすでに投稿したコメントが表示されなかったので再投稿したものです。結果として二重投稿になってしまったら削除します。

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  59. yabutarou様

    お答えに感謝します。しかし、どうもよく理解できません。

    yabutarou様は、“距離が近いことを領有根拠にしようという意図は全くありません。”と書かれた一方では、“朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近い”から、“シーボルトが竹島を日本領にするように勧告したのは「全くもって正しい」”と評価されました。

    これは、「距離が近いことを領有根拠」にしたのではないですか?

    誤解ならばお許し下さい。

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  60. >>これは、「距離が近いことを領有根拠」にしたのではないですか?

    ええ。ですから「距離が近いことを領有根拠」にしたのはアメリカ国務省の担当者であって、私ではないということです。
    私は「当時」アメリカが「距離が近いことを領有根拠」していた以上、その基準に則ってシーボルトが「朝鮮沖合の島とみなすのは困難である。」と主張したのは、「正当」であり、不当・いんちき・ごりおしではないと判断しました。それは実際に「距離が近いことを根拠」にしたものです。
    私は「当時」アメリカが「距離が近いことを領有根拠」としていたことの当不当を論じているのではなく、「距離が近いことを領有根拠」にすることの当不当を論じているわけでもなく、シーボルトの意見書の当不当を論じているにすぎません。私は、シーボルトの勧告は「全くもって正しい」と評価しました。
    私は「当時」アメリカが「距離が近いことを領有根拠」としていたこと指摘したのであって、「現在」私が「距離が近いことを領有根拠」に竹島が日本領であると主張しようとしているわけではありません。
    私は「当時」アメリカが「距離が近いことを領有根拠」したからといって、現在の国際法においてはそれが有効なものであるとは考えてはいません。

    ちなみに当時のアメリカ国務省の担当者は尖閣列島は沖縄に付随するものと考えていました。
    沖縄はもともと日本とは別個の国家であったものが明治政府によって「不当に」日本に編入されたものです。
    その後サンフランシスコ平和条約によって一旦日本の領土から切り離されましたが、日本政府によるアメリカに対する沖縄返還交渉の進展と全く別個に引き起こされた、沖縄人民による自主的かつ熱烈な祖国復帰運動の結果、日本への帰属が認められたものです。
    従って、民族自決の原則を最大限に尊重するのであれば、地理的近接性や特定の国の思惑によって沖縄県民の意思を無視して沖縄を分断しようとすることはあってはならないと私は考えます。

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  63. PALMASの判例でも指摘されてるが国際法で近接性が根拠になることはある。「属島が主島と運命を共にした」というケースが該当。
    ハワイ大のバン・ダイクは近接性について以下のように書いている。
    http://www.dokdo-takeshima.com/wordpress/wp-content/images/jonvandyke-doc.pdf
    The Mohabbakahs and the Haycock Islands were thus awarded to Eritrea because they were mostly within 12 nautical miles of the Eritrean coast. The close physical and historical link between Ullungdo and Dokdo therefore, must, be viewed as a factor that supports Korea’s claim to sovereignty over the islets.

    領海(12海里)を基準とした判例を竹島に強引に適用しており、バン・ダイクのこの問題に対するスタンスがよくわかる。論文全体が本当に酷い出来。ちなみに、シパダンの判例では「40マイルも離れた島は属島ではない」とされている。

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  64. yabutarou様

    お答え有難うございます。

    「アメリカ国務省の担当者が採用した地理的近接性の基準」即ち「朝鮮半島から竹島までの距離よりも本州から竹島までの距離のほうが近い」に則り、シーボルトが竹島を日本領にするように勧告した部分は、「全くもって正しくない」と現在、yabutarou様は評価されているとして、了解いたしました。有難うございました。

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  65. 塚本氏のリファレンス518「平和条約と竹島(再論)」p42に、1949年11月19日付けシーボルドから国務長官宛て書簡について「シーボルド駐日政治顧問は、続いて領土条項全般(放棄だけを規定して、帰属先は日本以外の締結国間で定める等)・・・・について提言した後」と書いている。括弧内の記述は「連合国の旧日本領土処理に関する合意書」の主旨と一致し、合意書はこのシーボルドの勧告を受けて作成された可能性がある。ただ、初期の草案にも綴じ込まれていたという話とは矛盾するが。このシーボルドの書簡は国会図書館のマイクロにもなく原文は公開されてないと思われる(独島学会のHPがリタイプしたものを公開していたような気もする)。
    私はシーボルドの言う沖合は、日本と朝鮮どちらに近いかという意味ではなく、「朝鮮半島や鬱稜島の属島といえるか」という意味に捉えている。
    なお、竹島の日本の完全主権を回復したサンフランシスコ条約に至る起草者の根拠が「近接性」でも国際法での齟齬は発生しないし、尖閣との二重基準ということにもならない。極論すれば、条約起草者がアミダくじで決定したとしても問題ない。なぜなら、日本領維持の法的根拠は「サンフランシスコ条約」という条約法であり、近接性という一般法ではないからである。特別法は一般法に優先する。フランスがクリッパートン島を「メキシコに近いからやっぱり、メキシコに割譲します」と割譲条約を締結したとしても、割譲に合意したという事実が優先され近接性という一般法は無効要因にはならない。

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  66. oppさん

    国際法で近接性が島嶼の領有根拠になるのは領海(12海里)の範囲内に過ぎないと私は理解しています。


    塚本先生の「領土条項全般(放棄だけを規定して、帰属先は日本以外の締結国間で定める等)・・・・について提言した」という文章は1949年11月19日付の意見書の日本語訳であるこちらの文章の要約であると考えられます。

    ”この条項が、日本が放棄及び保持する領土を記述する、実用的かつ便利な方法であることは認める。しかしながら、この条項で用いられた線引きによる方法は、深刻な精神的不利益を有すると思われる。可能であれば、付録中で多くの領域を列挙することが必要でも、日本を線で取り囲むのを回避する別の表現方法を用いるよう勧告する。”
    「サンフランシスコ平和条約の」盲点P49
    米国立公文書館蔵 RG59,Decimal File 1945-49,Box 3515,740.0011 PW(PEACE)/11-1149.


    >>私はシーボルドの言う沖合は、日本と朝鮮どちらに近いかという意味ではなく、「朝鮮半島や鬱稜島の属島といえるか」という意味に捉えている。


    1949年12月草案の解説書に”(Takeshima) were not “ taken by violence and greed”、and are closer to Japan than to any other nation.”と書かれています。
    http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/08/1950-july-commentary-on-draft-treaty-by.html

    私は「were not “ taken by violence and greed”」の部分は歴史的国際法的正当性が考慮されたものであり、「are closer to Japan than to any other nation.」とある部分が近接性が考慮されたものであると解釈しました。
    近接性が考慮されてないならば「closer to Japan than to any other nation」という表現は使われないであろうと考えます。

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  67. arare さん

    論争というものは相手に敗北を認めさせるために行うものではなくて、むしろ論争を傍観しているギャラリーの皆さんに自分の意見が正しいことをアピールするために行われるものであることをご理解ください。
    自分の掲げた看板に自分で泥を塗ってはいけません。竹島問題はあなたのパソコンの中だけで起きている出来事ではありませんよ。
    あなたの振る舞いはギャラリーの皆さんのうち、竹島を韓国領にしたいと願っている人たちをがっかりさせてしまったと思います。
    自分の掲げた看板を大切にしようという配慮のできない人間が、他人の掲げた看板を大切にしようと配慮してくれるであろうという期待を、私は持つことができません。
    もっと名誉ある撤退の仕方があったのではありませんか?

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  68. >国際法で近接性が島嶼の領有根拠になるのは領海(12海里)の範囲内に過ぎないと私は理解しています。
    それでよろしいかと。ペドラ・ブランカの判例では数マイルしか離れていない岩に「近接性は適用されない」とされましたから、一層制限的であります。

    >1949年11月19日付の意見書の日本語訳であるこちらの文章の要約であると考えられます。
    http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/Books/chong7/17jang.hwp
    pdfへの変換はこちらで。
    http://member.thinkfree.com/member/goLandingPage.action

    Articles 4 through 12, We suggest that in the treaty Articles 4 through 12 of the November 2 draft be omitted, and that in a document subsidiary to the treaty among the signatories other than Japan the disposition of territories formerly under Japanese jurisdiction be agreed upon. The necessity of direct cession would thereby be removed from the treaty proper and Japan would not rest under the necessity of being a party to it.

    > 1949年12月草案の解説書に”(Takeshima) were not “ taken by violence and greed”、and are closer to Japan than to any other nation.”と書かれています。

    米国務省とシーボルドがこの見解を共有していたか否かについて、私は否だと考えています。 といのも、シーボルドは「off the coasts」と「all other islands nearer there from to the home islands of Japan」を異なる意味で使いわけており、「日本本土に近い沿岸の島々」とはしていないからです。
    retain the first six lines of the draft of paragraph 1 ; name further islands as necessary off the coasts of Japan ; continue with the words "and all other islands nearer there from to the home islands of Japan" ; and conclude Article 3 with the statement that "all islands within the area described, with a three-mile belt of territorial waters, shall belong to Japan." In any event, the omission of paragraph 2 and of the map is recommended.

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  69. > 1949年12月草案の解説書に”(Takeshima) were not “ taken by violence and greed”、and are closer to Japan than to any other nation.”と書かれています。

    >>米国務省とシーボルドがこの見解を共有していたか否かについて、私は否だと考えています。 といのも、シーボルドは「off the coasts」と「all other islands nearer there from to the home islands of Japan」を異なる意味で使いわけており、「日本本土に近い沿岸の島々」とはしていないからです。

    私は「異なる意味で使いわけて」いないと解釈します。
    シーボルドが「off the coasts of Japan 」について述べた文章はこちらです。

    "name further islands as necessary off the coasts of Japan ; continue with the words "and all other islands nearer there from to the home islands of Japan"

    「日本本土に近い沿岸の島々」という言葉に続けて必要に応じて更なる日本の海岸沖の島の名前を挙げてください
    「further」とは「更なる、もっと程度の進んだ; そのうえの,それ以上の」という意味です。
    何に対して「further」なのかというとシーボルドが意見を提案しようとしている1949年11月草案に記述されている「日本本土に近い沿岸の島々」に対してであると考えられます。

    私はシーボルドは1949年11月草案に記述された「日本本土に近い沿岸の島々」に更なる「日本本土に近い沿岸の島々」の名前を挙げることを提案したと解釈します。
    OPPさんはシーボルドは「日本本土に近い沿岸の島々」にさらに、「日本本土に近い沿岸の島々」とはいえないが「off the coasts of Japan 」ではある竹島を明記することを提案したと解釈されたのでしょうか。
    「off the coasts of Japan 」は「nearer there from to the home islands of Japan」を短く言い換えただけで同じ意味であると私は考えます。


    「日本本土に近い沿岸の島々」という言葉に続けて必要に応じて更なる日本の海岸沖の島の名前を挙げてください
    「日本本土に近い沿岸の島々」という言葉に続けて必要に応じて更なる日本本土に近い沿岸の島の名前を挙げてください

    二つの文章の意味に違いはないと私は考えます。

    またシーボルド意見書の、「it is difficult to regard them(=竹島)as islands off the shore of Korea.」という文章中にある「off the shore of Korea」が、「off the coasts of Japan 」と対応した表現であるのは言うまでもありません。

    シーボルド意見書で日本所属の島として新たに書き加えることを提案した島は竹島しかありません。となると、
    “「日本本土に近い沿岸の島々」という言葉に続けて必要に応じて更なる日本の海岸沖の島の名前を挙げてください”
    という文章は結局のところ、「日本所属の島として竹島の名前を挙げるのが必要だから応じてください。」と提案しているのと同じであると私は考えます。


    まあともかく日本本土と朝鮮半島とのほぼ中間ちょっとだけ日本寄りの島を「islands off the shore of Korea」と見なすのが「difficult」であることに違いはありません。
    おそらくアメリカ1949年11月草案で竹島が朝鮮沖合の島とされていることを知った日本の外務省の担当者が、「竹島は朝鮮沖合の島とはいえません。むしろ日本の方が近いのですよ」とか言ってシーボルドに対して猛烈にアピール(ロビー活動ではない)したのではないかと私は推測します。
    実際に日本の方が近い以上、日本の外務省の担当者がこのようなことをしたとしても不当ではないと私は考えます。
    繰り返しますが、アメリカ初期草案で竹島が朝鮮沖合の島と表現されていたことが、鬱陵島からの距離や鬱陵島との属島関係が考慮されたからと判断するのは困難です。
    「竹島」と対比された対象は「朝鮮」であって「鬱陵島」ではありません。

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  70. yabutaroさん

    >OPPさんはシーボルドは「日本本土に近い沿岸の島々」にさらに、
    >「日本本土に近い沿岸の島々」とはいえないが「off the coasts of Japan 」
    >ではある竹島を明記することを提案したと解釈されたのでしょうか。

    retain the first six lines of the draft of paragraph 1 ; name further islands as necessary off the coasts of Japanですのでfurtherは11月草案1条の最初の6行で提示された島々にかかります。『(11月草案の1条の最初の6行の島々に対して)必要に応じて沖合の島々の名前を更に明記し、次のように続ける「それらよりも日本本土に近い全ての他の島々」』ではないでしょうか。日本の領土の外縁部を構成する沖合の島々の提示が先にあり、この外縁部の島々と日本本土との間にある島を「(沖合の島々よりも)日本本土に近い島々」と表現していることになります。日本本土に近い島の対象はall other islandsですので、先に提示された外縁部の沖合の島は含まれないことになります。
    11月草案で明記されている島は「本州、四国、九州、北海道、佐渡、隠岐列島、対馬、五島列島、琉球諸島、伊豆諸島」ですから、シーボルドのイメージする条文は以下のような感じでしょうか。

    『日本領土的範囲は本州、四国、九州、北海道、佐渡、隠岐列島、対馬、五島列島、琉球諸島、伊豆諸島、「竹島、利尻、礼文、色丹? Etc.」(←沖合の島々として更に追加された島)及びこれらの島々よりも日本本土に近い島々からなる。これら区域内の全ての島は、三海里の領海とともに日本に属する。』

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  71. OPPさん

    シーボルドのイメージする条文は以下のような感じでしょうか。

    『日本領土的範囲は本州、四国、九州、北海道、佐渡、隠岐列島、対馬、五島列島、琉球諸島、伊豆諸島、「竹島、利尻、礼文、色丹? Etc.」(←沖合の島々として更に追加された島)及びこれらの島々よりも日本本土に近い島々からなる。これら区域内の全ての島は、三海里の領海とともに日本に属する。』

    なるほど。私の英語の読み方に混乱があったようです。すいません、私は英語は苦手なものでたまにやらかしてしまうことがあります。
    シーボルド勧告の前の1949年11月草案の該当部分はこうです。

    The Territorial of Japan shall comprise the four principal Japanese islands of Honshu, Kyushu, Shikoku and Hokkaido and all adjacent minor islands, including the islands of the Inland sea(Seto Naikai), Sado, Oki retto, Tsushima, the Goto Archipelago, the Ryukyu Islands north of 29°N. Latitude, and the Izu Islands southward to and including Sofu Gan (lot's Wife), and all other islands within a line

    「隣接する全ての小島」として列挙されているのは内海(瀬戸内海)の島、佐渡、隠岐列島、対馬、五島列島、側にある日本海の他の全ての島、五島列島、北緯29度以北の琉球諸島その他となっています。

    シーボルド勧告の後の1949年12月草案の該当部分はこうです。

    1.The Territory of Japan shall comprise the four principal Japanese islands of Honshu, Kyushu, Shikoku and Hokkaido and all adjacent minor islands, including the islands of the Inland sea(seto Naikai); Tsushima,Takeshima (Liancourt Rocks), Oki retto, Sado, Okujiri, Rebun, Riishiri and all other islands in the Japan Sea (Nippon Kai) within a line connecting the farther shores of Tsushima, Takeshima and Rebun; the Goto archipelago, the Ryukyu Islands (以下略)

    「隣接する全ての小島」として列挙されているのは内海(瀬戸内海)の島、対馬、竹島、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、及び対馬、竹島、礼文の遠方の岸を結ぶ線の内側にある日本海の他の全ての島、五島列島、北緯29度以北の琉球諸島その他です。
    新たに書き加えられた島は竹島、奥尻、礼文、利尻です。
    これらの島はシーボルドの意見書に云う「further islands as necessary off the coasts of Japan 」に該当する島であると草案起草担当者が判断した島であると考えられます。

    シーボルドの意見書に云う「nearer there from to the home islands of Japan(及びこれらの島々よりも日本本土に近い島々からなる。)」に該当する部分は「及び対馬、竹島、礼文の遠方の岸を結ぶ線の内側にある日本海の他の全ての島」であるようです。この部分を私は誤解していたようです。

    しかしこのように解釈してもシーボルドが佐渡、奥尻、礼文、利尻と同様の「off the coasts of Japan」と認識していたことにかわりはありません。
    1949年12月草案の解説書に”(Takeshima) were not “ taken by violence and greed”、and are closer to Japan than to any other nation.”とあるのは竹島を含めた「off the coasts of Japan」に該当する島について述べた部分であって、「nearer there from to the home islands of Japan」について述べた部分にあるわけではありません。
    したがって米国務省とシーボルドが異なる見解を持っていたとは私は思いません。

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  72. 本題に戻ります。

    シーボルトが竹島が日本領であるべきと考えた理由その3は「合衆国の利害に関係のある問題として、安全保障の考慮からこの島に気象及びレーダー局を設置することも考えられ」ことです。
    これは原先生の言葉を借りるならば「戦略的考察(盲点p49)」であり、「東北亜歴史論叢 22号」のナム・キジョン先生の言葉では「冷戦的状況」となります。
    これについてシンヨンハ先生はこのように説明しています。

    ”このシーボルトの意見書で注目されるのは、独島を連合国の「対日講和条約」第3条にて日本領に属すると明記することを強力に要請しただけでなく、これを貫徹するために狡猾にも独島を日本領に編入すれば、この島に米軍の気象およびレーダー基地を設置するのがアメリカの国家利益にマッチすると強調し、アメリカの政治家たちが重視する国家利益に訴えた事実である。
    これはもちろん独島を日本領に編入しようとする日本人ロビーストたちが背後で教唆した狡猾性とみることができる。”

    愼鏞廈教授の独島百問百答(5) Q92.(シーボルトのロビー活動)
    http://www.han.org/a/half-moon/hm104.html

    シンヨンハ先生は日本政府がアメリカに対して竹島を日本領にするならば利益供与をすると提案したと主張しています。

    しかしながら冷静に考えてみるとこれを日本領であるべきと考えた理由に加えるには問題点があります。
    なぜならアメリカが竹島に気象及びレーダー局を設置することは竹島が日本領ではなく韓国領であっても可能なはずで、日本領であるべき理由にはなりえないからです。
    この点について、原貴美恵先生はこのように説明しています。

    ”北朝鮮の共産主義政権が半島全体を支配する可能性も否定できなかった当時、日本海上にある竹島は、朝鮮の領土でない方が米国にとって好都合と考えられたのであろう。(盲点p50)”

    言い換えると、竹島を韓国領にすると韓国が北朝鮮に征服されると竹島も北朝鮮領になってしまって都合が悪いので、共産主義の拡大を封じ込めるためにアメリカは「戦略的」は戦略的立場から竹島を日本領にした、ということです。
    果たしてこのような推測は適切であるといえるのでしょうか。
    原先生の「サンフランシスコ平和条約の盲点」を読んで私が感じたことは、原先生はサンフランシスコ平和条約が結ばれる過程においてアメリカが自国の権益のために都合のよいような条文を作製したと考え、それを資料によって論証しようとしているように思います。
    以下の文章を読んでも、そのことが推測できます。「指摘にもかかわらず」の部分が重要です。これは私の云う所の神話その3と同じであり、「にもかかわらず」というネガティブな表現がアメリカの行為に対するネガティブな印象をこの文章の読み手に与えます。
    「戦略的」理由で歪曲されたことをアピールした文章であるようです。

    ”前述のように、国務省の検討では一九四九年十一月草案まで竹島は朝鮮の領土になるとされていた。「我々の得た情報によれば」竹島は朝鮮の領土ではない、という米国の見解は、シーボルド意見書の後に出てきたものである。
    結局、国務省や関係各国からの指摘にもかかわらず、「竹島」の文字は調印された平和条約には盛り込まれなかった。”(盲点p64)


    また「李ライン」発表の理由と背景を述べた「盲点」p67にはこのようにあります。

    ”第一の歴史的正当性については、日米がなんと言おうと、韓国は自国の歴史的正当性を確信していた為と考えられる。
    ここでは詳述しないが、これは現在でも韓国が、太古からの歴史的な主張やマッカーサー・ラインに論拠を置いていることから推測できる。
    平和条約が発効された時点でマッカーサー・ラインは廃止されたので、このラインに論拠を置くのは矛盾しているようにも思われるが、それまでのラインの存在は、アジアで冷戦が激化する前の戦後初期までは、米国も竹島の朝鮮帰属を考えていたことを示唆するものである。
    前述の通り、竹島は一九四九年十一月の平和条約草案まで朝鮮の領土とされていた。”


    ここまで私の文章を読んできた人なら分かると思いますが、原先生は平和条約初期草案で竹島が朝鮮領になっていることがはたして正当なものであったかどうかについて全く注意をはらっていません。
    さらに問題なのは韓国が自国の歴史的正当性を確信していたからといって、事実として韓国による竹島領有に歴史的正当性があるとは必ずしもいえないということです。
    一般論として考えて、正当性がないことしようとしている人が、正当性がないことをごまかすために、必要以上に過剰に正当性があるかのごとく振舞うのはよくあることです。
    1952年から数年にわたって繰り広げられた日韓両政府の口上書のやり取りの中で、韓国政府はすでにラスク書簡を受け取ってアメリカが竹島を日本領であると考えていたことを知っていたにもかかわらず、アメリカは竹島は韓国領と認めていると主張し、アメリカは竹島を日本領と認めているとする日本側の主張は自分勝手なインチキ解釈だと強弁した事実を原先生はご存じないようです。
    現在韓国で語られているような「太古からの歴史的な主張」なるものも、「李ライン」発表の当時はまだちょこっとしか見つかっていなかったことも無視しています。

    ただしよく読んでみると、これらはあくまで「李ライン」発表の理由と背景について述べたものにすぎず、原先生は歴史的上国際法上竹島は日韓どちらの領土であるかについて直接言及した箇所は「盲点」にはないようです。
    どうも原先生の「盲点」はあくまでもアメリカの行為の不当性を明らかにするために書かれたものであり、日本と韓国の行為の当不当には大して関心が払われていないように思います。
    「良心的知識人」としておなじみの浅井基文先生の「盲点」評に「(アメリカの判断に)日本の主張・立場が考慮された形跡はない」とといった表現が多くあることからも推測できます。

    浅井基文「日本の領土問題の歴史的・法的起源」
    http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2011/373.html

    なおチョン・ビョンジュン先生のこの問題に対するアプローチは、原先生のアメリカの行為の不当性を明らかにするという態度を受け継いだ上で、韓国の行為は正当で、日本の行為は不当であるという歴史認識と組み合わせたものであると私は推察します。

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  73. 話をシンヨンハ先生に戻します。

    ”これはもちろん独島を日本領に編入しようとする日本人ロビーストたちが背後で教唆した狡猾性とみることができる。”

    興味深いことに、韓国人であるシンヨンハ先生は利益誘導をしようとする日本の狡猾さを強調するのみで、アメリカが実際に利益誘導に乗せられて竹島を韓国領から日本領に変更したとは明言しておらず、同じく韓国人のナム・キジョン先生に至っては、

    ”シーボルドの論拠は「歴史的正当性」が中心であったのであり、「冷戦的状況」は米本国を説得するために副次的に使われたものであった。そして、そのような意見書の背景には、領土問題についての日本の緻密な事前準備と資料作成、そして連合国の主要人士に対する説得作業があった。結局、独島領有権問題に関しては、冷戦の存在は副次的要因であり、日本の外交的作業がより決定的要因であったと言える。”
    「東北亜歴史論叢 22号」(日本語訳)
    http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/53540246.html

    となっていて、竹島が韓国領から日本領に変更になったのは「冷戦的状況」(理由その3=利益誘導)よりはむしろ「歴史的正当性」(理由その1)によるものであると明言しています。
    これは日本人である原先生の見解とは対照的です。

    日本政府の担当者が、「日本領に編入してくれるのであれば、竹島に米軍の気象およびレーダー基地を設置することを認めます。それはアメリカの国家利益にマッチすることです」などと言って、利益誘導によって竹島を日本領にしようとアメリカに働きかけた事実があるかどうかについては、これを直接証明する史料がないのでなんともいえません。
    しかしながらたとえそのような事実があったとしても、歴史的、国際法的にみて竹島が日本領といえるのであれば、特段不当であると判断するべき理由はありません。


    このように考えていくとWEB竹島研究所にあるこちらの文章は全く妥当なものであると分かります。

    「日本がロビー活動をした云々の議論は、(上記の各種資料では事実の証明がなされていませんが仮にそのような事実があったとしても、)平和条約で竹島の日本保持が確定したという法的な結論にはなんら影響を与えるものではありません。一般的に重要な外交案件に関し各国が自己の利益の確保に努めることは当然でしょうし、竹島の日本保持が確定したことは(外交努力の結果であってもなくても)正しいことです。」

    2008年8月のご意見
    http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima08/2007/record200808.html

    竹島を日本領にしようとしたシーボルトの勧告が不当なものであったかどうかについては、シーボルトが竹島は歴史的国際法的にみて本来は韓国領であるべきと認識していたかどうかによって判断すべきと私は考えます。
    結局のところ認識していたとは言えないわけで、日本側の働きかけによって日本領である根拠を知っていた以上、竹島を日本領と考えるのは理の当然です。
    日本政府によるシーボルトその他のアメリカ政府関係者に対する働きかけはそれが歴史的国際法的にみて正当である限り、何の不当性もありません。

    これが私の云うところの神話その2、

    ”しかし日本は「不当な」ロビー活動を展開し、親日派のシーボルトの「不当な」介入によって、「不当にも」平和条約のアメリカ草案において竹島が日本領になってしまった。”

    が神話である理由であると私は考えます。


    なお、ロビー活動とは、Wikipediaには「ある特定の主張を有する個人または団体が、政府の政策に影響を及ぼすことを目的として行う私的な政治活動」のこととあって、公的立場の日本政府が公的立場の対日占領軍総司令部政治顧問であるシーボルトに働きかけることや、公的立場のシーボルトがアメリカ政府の上層部に働きかけることは該当しません。

    (続く)

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  74. 最後に神話その1、

    SCAPIN 第677号や平和条約のアメリカ初期草案では竹島は「正当に」韓国領とされていた。

    について。

    チョン先生がSCAPIN677について論じた文章はあまりないようですが、よい機会なので回り道にはなりますが韓国側のSCAPIN677に関する主張全般について私なりにまとめて論じてみます。



    SCAPIN 第677号(SCAPIN677)にはこのように書かれています。


    連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号
    1946年1月29日

    AG 091 (29 Jan. 46)GS
    (SCAPIN - 677)
    MEMORANDUM FOR: IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT.
    THROUGH : Central Liaison office, Tokyo.
    SUBJECT : 一定の遠隔領域の日本からの政治的・行政的分離

    1 日本国外の総ての地域に対し、又その地域にある政府役人、雇傭員その他総ての者に対して、政治上又は行政上の権力を行使すること、及、行使しようと企てることは総て停止するよう日本帝国政府に指令する。

    2 日本帝国政府は、巳に認可されている船舶の運航、通信、気象関係の常軌の作業を除き、当司令部から認可のない限り、日本帝国外の政府の役人、雇傭人其の他総ての者との間に目的の如何を問わず、通信を行うことは出来ない。

    3 この指令の目的から日本と言ふ場合は次の定義による。

    日本の範囲に含まれる地域として
    日本の四主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)と、対馬諸島、北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)を含む約1千の隣接小島嶼
    日本の範囲から除かれる地域として
    (a)欝陵島、竹島、済州島。(b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆、南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島。(c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島。
    (中略)
    6 この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。
    (以下略)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/SCAPIN

    韓国政府の日本語公式サイトにはSCAPIN677に関してこのように主張されています。


    「連合軍最高司令部は日本占領期間中、終始他の特定の命令を下さずに連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号を適用し、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)締結直後、日本政府も当時独島が日本の管轄区域から除外された事実を確認した。SCAPIN第677号は独島を鬱陵島と共に日本の統治対象から除外される地域として規定した。」
    「連合軍が第2次世界大戦後、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されるまで独島を日本から分離、取り扱ったことはカイロ宣言(1943年)及びポツダム宣言(1945年)などにより確立された連合軍の戦後の処理政策を実現したものである。
    http://japanese.korea.net/detail.do?guid=29457

    「1951年9月、第2次世界大戦の敗戦国の問題を処理するためのサンフランシスコ条約が締結された。同条約の 2項は日本が韓国の独立を認めることと韓国領である済州島、巨文島、鬱陵島に関するすべての権利を返還することを要求したが、これから独島は除外された。これを持って日本は当時連合軍が独島を日本の領土として認めたのであると主張している。すでに独島が韓国の領土として命名されているにもかかわらず、日本は懐柔作業を続けて、独島はサンフランシスコ条約 2項から除外された。しかしサンフランシスコ条約が締結される前に発表された連合軍のSCAPIN 677号は第2次世界大戦後、済州島・鬱陵島・独島を含む韓国の領土を明確に日本領土から除いている。これは日本が武力で奪った全ての領土を返還することを指示したカイロ条約など一連の原則を再確認したのものである。」
    http://japanese.korea.net/detail.do?guid=29458


    韓国政府の公式サイトの文章には、SCAPIN677は「カイロ宣言及びポツダム宣言などにより確立された連合軍の戦後の処理政策を実現したもの」であるとあります。
    「連合軍の戦後の処理政策を実現したもの」とは日本の領土の範囲を確定したという意味であり、要するに677号で竹島は日本領でなくなって韓国領(朝鮮に属するべき領土)と認められたという主張です。

    しかしながらSCAPIN677で連合軍が日本の領土の範囲を確定し、竹島が韓国領になったと解釈するのはかなり無理があります。その理由を以下に列挙します。

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  75. 理由その1
    SCAPIN677の第6項には「この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」とある。
    「ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」と明記されている以上、SCAPIN677が連合国側の竹島の領有権についての最終的決定であるはずがない。
    したがってSCAPIN677で連合国(連合軍)が竹島は韓国領と認めたとはいえない。


    理由その2
    そもそもSCAPIN677は日本の行政権を一部地域において停止する訓令であり、日本の領土を画定するものではなかった。
    これはSCAPIN677のタイトル(SUBJECT )が 「一定の遠隔領域の日本からの政治的・行政的分離」であり政治的・行政的分離にすぎないことに注意が必要である。
    また1952年11月14日に米国務省が駐韓米国大使に宛てた書簡の文章にも「永続的な主権の行使から排除したものではない」とあり、これが領土に関する決定でないことが明らかである。

    「The Korean claim, based on SCAPIN 677 of January 29, 1946, which suspended Japanese administration of various island areas, including Takeshima (Liancourt Rocks), did not preclude Japan from exercising sovereignty over this area permanently.

    「韓国は、竹島(リアンクール岩)を含む様々な島嶼地域に対する日本の施政を停止した1946年1月29日のSCAPIN677に基づいた権利の主張をしていますが、日本をこの地域における永続的な主権の行使から排除したものではありません。」

    1952年11月14日 Confidential Security Information
    http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/08/1946-scapin-677-history-of-sf-peace.html

    SCAPIN677は領土に関する決定ではない以上、これによって竹島が韓国領土になったと解釈できるはずはない。


    理由その3
    SCAPIN677を発令したGHQ(連合軍最高司令部)は、連合国11カ国代表で構成される極東委員会の下部機関であるが、極東委員会には領土を調整する権限が与えられていなかった。
    外務省の外交記録にある「極東委員会及連合国対日理事会付託条項」には、極東委員会の任務について「委員会ハ軍事行動ノ遂行ニ関シ又ハ領土ノ調整ニ関シテハ勧告ヲ為スコトナカルベシ」とある。
    「外交記録」315p
    http://gaikokiroku.mofa.go.jp/djvu/A0106/index.djvu?djvuopts&page=315

    日本占領政策の最高意思決定機関である極東委員会に領土を調整する権限がない以上、下部機関の最高司令部にもあるはずもない。
    領土を調整する権限がないGHQが発令したSCAPIN第677号によって竹島が韓国領土に決定されるはずはない。



    理由その4
    1947年6月19日に極東委員会において決定された「降伏後の対日基本政策」には以下のような記述がある。

    「日本国の主権は、本州、北海道、九州、四国の諸島及び今後決定されることのある周辺の諸小島に限定される。」
    321p
    http://gaikokiroku.mofa.go.jp/djvu/A0106/index.djvu?djvuopts&page=321

    SCAPIN677が発令された一年半後に定められた「降伏後の対日基本政策」において、日本国の主権の範囲内の周辺の諸小島は「今後決定される」とある以上、SCAPIN677発令によって竹島が韓国領土に決定されたはずはない。


    理由その5
    SCAPIN677が発令された半月後の1946年2月13日に行われた日本との会談において、GHQはSCAPIN677が領土に関する決定ではないこと及び領土の決定は講和会議にてなされると回答している。

    行政の分離に関する第一回会談録(終戦第一部第一課)
    (昭和二十一年)二月十三日黄田連絡官GS「ロッヂ」大尉及び「プール」中尉と標記の件に関し第一回会談を行ひたり要旨左の如し
    黄「本日は領土の歸屬問題乃至は本指令の妥当性等に付いては触れさることとし単に疑義に付質問を為さんか為参上せり」
    米「本指令は単なる連合国側の行政的便宜より出てたるに過きす従来行はれ来りたることを本指令に依り確認せるものなり即ち其の他はSCAPの所管するところにあらす例えは大島はCINPACの所管。鬱陵島は第二十四軍団の指揮下に在り従って本指令に依る日本の範囲の決定は何等領土問題とは関連を有せす之は他日講和会議にて決定さるへき問題なり」
    84p
    http://gaikokiroku.mofa.go.jp/djvu/A0121/index.djvu?djvuopts&page=84

    「行政的便宜より出てたるに過きす」・「大島はCINPACの所管。鬱陵島は第二十四軍団の指揮下に在り」とある以上、たとえ竹島が朝鮮半島の軍政を担当した第二十四軍団の指揮下に在ったとしても、それは行政的便宜による措置に過ぎず領土問題とは無関係と解釈すべきである。
    SCAPIN677を発令したGHQ自身が「本指令に依る日本の範囲の決定は何等領土問題とは関連を有せす」と回答している以上、SCAPIN677が竹島が韓国領土になったと解釈できるはずはない。


    理由その6
    在韓米軍政庁の文書に以下のような記述がある。

    「Formerly belonging to Japan, a recent occupation directive which drew an arbitrary line demarcating Japanese and Korean fishing waters placed Tok-to within the Korean zone. Final disposition of the islands' jurisdiction awaits the peace treaty.」
    「(竹島は)従前日本に属していたが、日本と朝鮮の漁業水域を画する恣意的な線を引いた最近の占領指令はトクトを朝鮮ゾーン内に置いた。この島の管轄権の終局的処分は平和条約を待つ。」
    U.S. Army Military Government - South Korea: Interim Government Activities, No.1, August 1947
    2009年12月、2010年1月のご意見【質問4】
    http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima08/2007/record200912.html

    SCAPIN677が発令された約一年半後に当時竹島を管理していたとみられるの在韓米軍政庁の文書に竹島の「管轄権の終局的処分は平和条約を待つ」とある。
    したがって在韓米軍政庁もSCAPIN677によって竹島が朝鮮に属するべき領土に決定されたと考えてはいなかった。

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  76. 理由その4について補足します。

    1959年1月7日付の韓国政府の日本政府に対する口上書にはこのように書かれています。

    “更に独島は「SCAPIN」第677号に依って非隣接島嶼として隣接諸小島とは明白に区別され、1947年6月19日付の降伏後の基本政策により、日本の領土は隣接島嶼にだけ局限されたもので(あり)、日本からの独島の分離はこれをもつて確定された。”

    韓国側はSCAPIN677の条文にある「隣接小島嶼」と「降伏後の基本政策」の「今後決定されることのある周辺の諸小島」とが同じ意味と解釈し、「非隣接小島嶼」である竹島は「周辺の諸小島」にはなれないから韓国領と確定されたと主張しているようです。

    これに対して1962年7月13日付の日本政府の韓国政府に対する口上書においてはこのように反論されています。

    “韓国政府はSCAPIN677号及び1947年6月19日付の「日本に対する降伏後の基本政策に基づいて竹島の日本からの分離が確定したと主張しているが、日本政府がすでに指摘したとおり、SCAPIN677号はポツダム宣言第8条を特に引用して、同指令が連合国による日本の諸小島の最終的決定ではないことを明らかにしており、1947年の対日基本政策は「降伏後の日本国に関する一般的声明」であつて、いずれも竹島の帰属を具体的に確定したものではない。”

    韓国の外務省が1955年に編纂した『独島問題概論』の34ページには、1947年7月11日発表の「降伏後の対日基本政策」が新聞紙上の報道されたことによって、独島に対する所属問題が世人の注目するところとなって1947年8月の最初の独島調査団を派遣するきっかけになったと記されています。
    一方、チョン・ビョンジュン先生の「解放後韓国の独島に対する認識と政策」の6ページに1947年7月23日の出来事としてこのような文章があります。

    “国史館館長であった申奭鎬(シン・ソクホ)は独島が地理的・歴史的に韓国の版図に帰属するべきであり、独立後軍事上・経済上重大な地点となるために「マッカーサー司令部で我が国の領土に確定してもらわねばならない」と述べた。”
    http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima01/kenkyukaijoukyou.data/3-12.pdf

    「降伏後の対日基本政策」発表以降に申奭鎬は「マッカーサー司令部で我が国の領土に確定してもらわねばならない」と述べたわけですから、SCAPIN677によっても「降伏後の対日基本政策」によっても竹島は韓国領とは確定されていない、と当時申奭鎬は認識していたことは明らかです。


    なお、理由その4に「今後決定される」とあり、理由その5に「講和会議にて決定さるへき」・理由その6に「終局的処分は平和条約を待つ」とあるのは、米トルーマン大統領が1945年9月6日に承認したものとされている「降伏後ニ於ケル米国ノ初期対日方針」をふまえてのものであると考えられます。

    “日本国ノ主権ハ本州,北海道,九州,四国竝ニ「カイロ」宣言及米国ガ既ニ参加シ又ハ将来参加スルコトアルベキ他ノ協定ニ依リ決定セラルベキ周辺ノ諸小島ニ限ラルベシ ”
    「降伏後ニ於ケル米国ノ初期対日方針」
    http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19450906.O2J.html



    SCAPIN677が日本の領土の範囲を確定したものであり、これにより竹島が韓国領として認められたのかどうかという問いにたいする回答としては、以下の文章が適当であると私は考えます。


    “連合国最高司令官に与えられた機能は、占領管理の目的を達成するためにする行動の範囲に制約され、且つその期間も、占領管理期間中に限定されるものであるから、占領目的達成のために被占領国の領土権の行使になんらかの制限を加える旨の指令を発することがあつても、それは日本の占領管理が行われた期間だけのことであつて覚書第6項にあるとおり、日本領土の最終的決定とはなんらの関係もない。右覚書(=SCAPIN677)によつて竹島が日本の領有から排除されたとしている韓国側の見解は、明らかに誤りである。”
    1956年9月20日付「日本政府(第3回)1954年9月25日付韓国政府の見解に対する日本政府の見解」

    (続く)

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  77. 1953年7月13日付けの日本政府の韓国政府に対する口上書「竹島に関する日本政府の見解」において、日本政府は韓国側のSCAPIN677に基づく竹島領有主張について私の云うところの理由その1、第6項に「小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」とあることを根拠にして批判を加えました。
    これに対して韓国政府は、1953年9月9日「1953年7月13日付けの日本政府の見解に対する韓国政府の見解」において次のように反論しました。

     “この覚書の意味に関する日本の論議に関連して、韓国政府は、日本が旧敵国の領土の戦後処理に関する連合国の基本政策につき極めて皮相な見解をもつていると主張せざるを得ない。
     韓国政府は再び、右SCAPIN第677号が同小島嶼を日本の領有から判然と排除したこと、また、日本国との平和条約が日本領土の問題に関する限りこのSCAPINの条項と矛盾するいかなる条項も規定していないことを日本政府に想起させたい。他方、平和条約は、この問題に関する連合国最高司令官の処理を全く何らの実質的変化を加えることなしに確認したものと諒解することができる。”

    韓国政府は日本側の第6項に基づいた批判について「皮相な見解」と断じながらも正面から反論しようとはせず、平和条約の日本領土の問題に関する条項がSCAPIN677の条項と矛盾していないことを根拠に、平和条約とSCAPIN677で規定された日本領土の範囲は同じであって竹島は韓国領に決定されたと主張しています。
    この韓国政府の見解に検討を加える上で最も注意を喚起すべき点は、韓国政府は1951年の時点でアメリカ国務省から「ラスク書簡」を送られていたという点です。

    “草案第2条(a)を、日本は「韓国、並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島及びパラン島など日本による韓国併合以前に韓国の一部であった諸島に対する全ての権利、権原及び請求権を、1945年8月9日に放棄したことを確認する」と規定するものに修正すべきという韓国政府の要求について、合衆国政府はその提案に同意する事が出来ないことを遺憾に思います。(中略)独島、もしくは竹島、リアンクール岩として知られている島については、我々の情報によれば、日常的には人の居住しないこの岩礁は、韓国の一部として扱われたことはなく、1905年頃からは、日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。この島について、韓国によりこれまで領土主張されたことがあるとは思われません。”

    「ラスク書簡」には竹島を韓国領と明記すことを拒否する記述があり、その後ろに拒否する理由として、竹島の日本領有が妥当であることを述べた部分(「1905年頃からは、日本の島根県隠岐島庁の管轄下にありました。」)、そして竹島の韓国領有が妥当ではないことを述べた部分(「韓国の一部として扱われたことはなく、」・「韓国によりこれまで領土主張されたことがあるとは思われません。」)があります。
    この「ラスク書簡」を読めば、条約の起草者であるアメリカが、平和条約によって竹島が日本領と決定されると解釈していることを理解できないはずはありません。
    なお現在韓国の学者はアメリカ以外のイギリスその他の連合国が竹島を韓国領を認識していたと主張していますが、彼らの主張の根拠となる文書がアメリカの情報公開制度によって公開されたのは1953年よりもずっと後であって、
    1953年当時の韓国政府が、アメリカ以外のイギリスその他の連合国が平和条約によって竹島は韓国領になったと認識していたのでSCAPIN677の条項と矛盾しない、などと考えていたはずはありません。
    となると、1953年当時の韓国政府は、平和条約によって竹島が日本領と決定されたことを知っていながら、SCAPIN677で竹島が韓国領に決定されたことに平和条約では何の変更も加えられていないと嘘をついていたことが明らかです。

    言うまでもなくアメリカは韓国政府の主張がいんちきであることを知っていました。
    これは1952年11月14日に米国務省が駐韓米国大使に宛てた書簡を読めば明らかです。
    この書簡はまずアメリカが竹島を日本領という立場をとっていることを述べています。

    “It appears that the Department has taken the position that these rocks belong to Japan and has so informed the Korean Ambassador in Washington. ”

    次に竹島が日本領である結果として平和条約には竹島についての言及がなされなかったことを述べています。これは言及がないことがSCAPIN677同様日本領土から竹島を除外したことを意味するという韓国政府の見解を否定するものです。

    “ As a result Article2 (a) of the Treaty of Peace with Japan makes no mention of the Liancourt Rocks; ”

    これは言及がないことがSCAPIN677同様日本領土から竹島を除外したことを意味するという韓国政府の見解を否定するものです。
    さらに駄目押しで、韓国政府のSCAPIN677に基づいた主張そのものを否定しています。

    “The Korean claim, based on SCAPIN 677 of January 29, 1946, which suspended Japanese administration of various island areas, including Takeshima (Liancourt Rocks), did not preclude Japan from exercising sovereignty over this area permanently.

    「韓国は、竹島(リアンクール岩)を含む様々な島嶼地域に対する日本の施政を停止した1946年1月29日のSCAPIN677に基づいた権利の主張をしていますが、日本をこの地域における永続的な主権の行使から排除したものではありません。」
    1952年11月14日 Confidential Security Information
    http://sites.google.com/site/takeshimaliancourt/Home/reconfirm_takeshima_japan_territory


    ここで注目すべきは日本政府には「ラスク書簡」は伝えられず、アメリカが平和条約によって竹島が日本領になると決定したことを公式的には日本政府は知らされていなかったという点です。
    もしこれを知っていたならば日本政府はもっと有効な対策を打てたと考えられますが、そうではなかったために韓国政府のSCAPIN677に基づいた主張は結果的にそれなりの説得力を獲得してしまいました。
    それにもしアメリカがいんちきであることを暴露してしまえば韓国政府のSCAPIN677に基づいた主張はその論拠を失い、韓国政府は赤っ恥をかかされてしまったことでしょう。
    しかしアメリカはそのようなことをしませんでした。
    すなわち韓国政府のSCAPIN677に基づいた主張は、それがいんちきであることを知っていたアメリカが、いんちきを暴露しない状況下でのみ有効な「言説戦略」であったといえます。

    なぜアメリカは日本に知らせなかったか、なぜいんちきを暴露しなかったのかというのが今回長々とここに私が書いている文章の最後のまとめの部分になります。後で論じます。

    (続く)


    全く余談ですが、私はかれこれ20年位前に橋爪大三郎先生の『仏教の言説戦略』という本を読んで深い感銘を受け、大きく影響されてしまいました。
    私の5年前から始まった竹島問題研究も、韓国側の領有主張の言説戦略を明らかにするという姿勢で一貫しています。興味のある方は読んでみるとよいでしょう。
    『仏教の言説戦略』
    http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%8F%E6%95%99%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%AA%AC%E6%88%A6%E7%95%A5-%E6%A9%8B%E7%88%AA-%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4326151846

    http://www007.upp.so-net.ne.jp/inuhashi/rede041.htm

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  78. それなりの説得力を獲得してしまったSCAPIN677に基づいた主張はその後半世紀以上の長きにわたって、韓国側の竹島領有根拠の根幹部分として君臨し続けます。
    李漢基氏の『韓国の領土』(1969年)には日本側の第6項に基づいた批判に対してこのように述べています。

    「しかし上記のSCAPIN 第677号第6項は、連合国が日本の領土の処理に関して、決して何も決めなかったということではない。ただ最終的決定ではないということだけである。実質的に独島を含んだ諸小島の帰属を明確にしながらも、ただその後の連合国がこのような決定を修正することができる可能性を留保したに過ぎない。それゆえ若干の諸小島が日本に返還され、若干の島嶼に関する残主権も認められたのである。
     しかし一応分離が確定された独島に対しては、その後如何なる措置も取られたことはない。日本領に帰属させるという積極的決定もなく、また独島に対する日本の残存主権を認めるという宣言もなかった。
     したがって独島はSCAPIN 第677号によって日本領から分離したそのままの状態で、対日平和条約の締結を迎えたのである。このように見る時、対日平和条約が独島を日本領域に含めるという積極的規定を置かない限り、やはり独島は対日平和条約でも日本領からの分離が確定しているものと考えなければならない。」

    李漢基氏によると、SCAPIN677発令の後で竹島の地位の変更がなされなかったので、第6項に基づく批判は意味がないとしています。
    しかしながら、これは韓国政府は平和条約で竹島が日本領になったことを「ラスク書簡」によって知らされていたことと矛盾します。
    李漢基氏は「ラスク書簡」を知らされていなかったか、知っていて知らん振りをしていたものと考えられます。
    ひょっとすると「ラスク書簡」を知っていた韓国政府関係者は皆、秘密を自分の棺桶の中に封印しようとしていたのかもしれません。

    しかしながら1978年にアメリカの情報公開制度によって「ラスク書簡」が公開され、(今私は年代を特定はできませんが)1949年12月草案以降平和条約草案において竹島が日本領とみなされていたことも明らかにされてしまいました。
    その後もアメリカが竹島を日本領と考えていたことを記したアメリカの内部文書が続々と公開されていきました。
    これによって従来の韓国のSCAPIN677に基づいた竹島領有主張は徐々にその論拠を失い、危機的状況に陥っていったのではないかと私は推測します。

    このような状況下で颯爽と登場し、危機を救った(?)のがシンヨンハ先生です。
    彼は従来の韓国側の平和条約とSCAPIN677の解釈を一部改め、より信憑性のある(?)ものに作り変えました。
    シンヨンハ先生のこの時代の出来事についての解釈は先生の『独島問題百問百答』(2000年)に詳しく述べられています。
    長すぎるので全文は引用せずに、日本語訳のリンクを紹介します。

    半月城通信
    愼鏞廈教授の独島百問百答(5)、戦後の動き 
    http://www.han.org/a/half-moon/hm104.html


    シンヨンハ先生の『独島問題百問百答』、さらにその改訂版である『独島問題111問111答』を読むとシンヨンハ先生が公開されたアメリカの内部文書をよく研究し、韓国側の領有主張強化を図っていったことがよく分かります。
    独島学会 獨島問題 111問 111答(韓国語)
    http://plaza.snu.ac.kr/~bigbear1/q111.htm

    シンヨンハ先生は1949年12月草案で竹島が日本領に変更されたことについては、日本政府の狡猾なロビー活動のせいであると解釈してその不当性を強調し、竹島は韓国領であると考えていたイギリスその他の連合国の非難をあびて、竹島を日本領とする記述は削除され、結局は撤回されたと解釈しました。
    さらに韓国政府がアメリカ国務省に平和条約に竹島を韓国領と明記するように要求し「ラスク書簡」によって拒否された一連の出来事に関連してこのように述べています。

    “この間、大韓民国外務部は関連情報を得られなかったためか「独島」領有権に対しては活動したことがなかった。”

    「ラスク書簡」のみならず、現在我々がインターネット上で入手可能な当時アメリカが竹島を日本領と認識していたことを示す内部文書(5点以上はある)は全く無視されてしまいました。

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  79. 「SCAPIN677発令の後で竹島の地位の変更がなされなかった」との李漢基の論は、占領軍の発した命令等は特段の取り決めがない限り講和条約の発効とともに失効するとの慣習法の存在を無視した強弁です。

    サンフランシスコ講和条約第十一条は「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」と規定しています。この条項は講和条約が発効すると極東国際軍事裁判所や他の連合国戦争犯罪法廷の判決を失効させ、日本政府が刑の執行を停止できることからそれらが失効しないよう特に約すために規定されたものです。このような条項が設定されていたことは、当時、占領軍の発した命令等は特段の取り決めがない限り講和条約の発効とともに失効するとの慣習法が存在した例証と言えるでしょう。

    SCAPIN677に関して講和条約発効後も効力を有するとする特段の取り決めはありません。したがって講和条約の発効に伴って失効したと解するのが妥当です。ということは、SCAPIN677に依拠した領有主張をしている韓国は国際法上の根拠を失うわけです。つまり「竹島を実効支配している」などというのは大嘘でありまして、日本領土を不法占拠しているに過ぎないのです。

    2011.6.8

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  80. 誰だか忘れましたが、韓国側の主張の中で(上で中略されてしまいましたが)、第五項を論点に挙げていますね。

    5 この指令にある日本の定義は、特に指定する場合以外、今後当司令部から発せられるすべての指令、覚書又は命令に適用せられる。

    つまり、「今後当司令部から発せられる…」の部分で、SCAPIN-677を解除する指令が発せられることは無かったので、今でも有効、みたいな話でした。

    ただ、これも指令を発するべき主体の司令部が日本の独立とともになくなっているので、この解釈も成り立たないと言えるでしょう。

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  81. 「SCAPIN-677を解除する指令が発せられることは無かった」というのが事実に反するのですね。前述の通り特段の取り決めがなされていない限り、占領軍の発した命令等は講和条約の発効に伴い失効する慣習法があるのですから。
    こう言うと韓国人のなかには「自分たちはサンフランシスコ条約の締約国でないから関係ない。」などと言い出す人もいます。しかしながらサンフランシスコ条約の締約国であろうが無かろうが慣習法には拘束されますので、占領軍の発した命令等は講和条約の発効に伴い効力を失うんですね。

    占領軍の発した命令等は講和条約の発効に伴い失効することは、韓国側も承知していたはずです。承知していたからこそ、連合国最高司令官総司令部訓令第1033号(SCAPIN 1033/いわゆるマッカーサー・ライン)の継続を講和条約に明記させようとしたわけでしょ。

    2011.6.8

    ReplyDelete
  82. SCAPIN677の解釈についても変化が見られました。シン先生は日本側のSCAPIN677第6項に基づいた批判に対し、SCAPIN677第5項を持ち出して反論します。

    SCAPIN677第5項
    “この指令にある日本の定義は、特に指定する場合以外、今後当指令部から発せられるすべての指令、覚書又は命令に適用せられる。”

    シン先生は第5項の条文を「SCAPIN 第677号の日本領土定義に修正を加える時には連合国最高司令部がかならず特定の別番号のSCAPINを発する」と解釈しました。
    そして第6項は第5条の前提下で連合国政策の「最終的決定」ではないと規定されたものであり、実際には竹島を日本に編入する旨の別のSCAPINは発令されなかったので、竹島は韓国領と規定されたSCAPIN677は今もなお有効であると主張しています。
    しかしながら私が見る限りSCAPIN677第5項の文章は、連合国最高指令部(GHQ)から発せられる指令、覚書又は命令において、SCAPIN 第677号で規定された日本領土定義以外の日本領土定義を用いるときは、特別に指定してその旨を明記した指令、覚書又は命令を出すことが必要であることを述べているに過ぎません。
    決して連合国最高指令部の権限の及ばない事柄に影響を与えるものではありません。

    SCAPIN677は占領政策を円滑に遂行するために日本の行政権を一部地域において停止する訓令であり、日本の領土を画定したものではありません。
    領土を画定したものでないSCAPIN677によって、平和条約の領土条項を補完することはできません。
    日本の領土を画定していない訓令を画定したとみなすには権限のある何者かによる何らかの措置が必要であると考えられますが、そのような措置はとられていません。
    SCAPIN(連合国最高指令部訓令)は占領政策を遂行するためになされるものであり、その有効期間は占領管理期間中に限定されるものです。
    サンフランシスコ講和条約(平和条約)は日本を占領した連合国諸国と被占領国である日本政府とが占領状態を解除する条件について合意した条約であって、これによって占領行政は終了し、占領行政を支えたSCAPINも無効になったと解釈すべきです。
    占領状態が終了してもなおSCAPINを有効な状態に保つには権限のある何者かによる何らかの措置が必要であると考えられますが、そのような措置はとられていません。
    サンフランシスコ講和会議の場でそのようなことが決定された記録はありません。
    したがって平和条約が発効した時点でSCAPIN677は無効になっているはずで、平和条約の決定をSCAPIN677で補完することなどできるはずありません。
    すでに見てきたとおり、連合国最高指令部の権限は占領管理の目的を達成するためにする行動の範囲に制約され、且つその期間も、占領管理期間中に限定されるものであり、日本領土の定義の「最終的決定」を行う権限は与えられていませんでした。

    シン先生は平和条約に竹島を日本領土に含めるという明文規定がない以上、SCAPIN677の竹島に関する規定は未来にも適用されると主張しています。
    しかしながら明文規定がないことは竹島が日本領土ではないことを意味すると解釈するのは無理があります。そもそも平和条約には日本領土に含めるべき地域についての明文規定が全くありません。
    平和条約の締結された最終条文が作成された過程を検討すると、条文作成者が竹島を日本領とする意図でこの条文を作成していたことが分かります。

    アメリカは平和条約調印直前に、平和条約において日本の領土に歯舞・色丹島を含ませるという立場を明らかにしていました。イギリスとニュージーランドも草案作成過程で同じ認識を示しています。
    しかし平和条約には歯舞・色丹島を日本領土に含めるという明文規定がありません。一方SCAPIN677では歯舞・色丹島を日本の行政権の及ぶ範囲から明らかに除外しています。
    シン先生の解釈に従えば、平和条約に明文規定がない以上、SCAPIN677の規定によって歯舞・色丹島は日本から除外されることになります。
    しかしながらこれは平和条約作成者であるアメリカの意図とは全く矛盾してしまいます。言うまでもなく、竹島にも同じことが当てはまります。
    いったいなぜこんなことになってしまったのでしょうか?それはシンヨンハ先生の解釈が平和条約作成者の解釈と異なっているからにほかなりません。
    いったいなぜ我々日本人が平和条約作成者でも平和条約調印者でもないシンヨンハ先生の解釈に従わなければならないのでしょうか。
    (続く)

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  83. SCAPIN677第6項は、領土処分は講和条約によるとの慣習法を改めて確認するための記述です。第6項を否定するなら領土処分は講和条約によるとの慣習法が成り立っていないことを証明する以外にないのではないでしょうか。しかしそれはなされていません。

    第5項を持ち出してきてあれこれ言っているのは「議論のための議論をしている」としか言いようがないですね。

    ついでですが、もうひとつ指摘しておくと、愼鏞廈など韓国側の論客は領域主権(領土権)を統治権(支配権)のみで理解しているように思われます。実際には処分権もあるわけで、処分権を持っている国がそれを行使して放棄するなり割譲に同意するなりしなければ領土の処分は行われません。これがために戦勝国による一方的な領土処分はできないのです。

    するとこんな疑問が出てくると思います。1948年8月15日に大韓民国が、同年9月9日に朝鮮民主主義人民共和国が成立しているのはなぜか。日本の主権を侵害したことにならないのかと。厳密にいえば日本領土の戦勝国による一方的な処分であり、国際法に反します。しかしながら、1910年の韓国併合によって日本領となった領域は放棄されるものとポツダム宣言を受諾した日本は考えていたので問題にならなかったのです。そしてサンフランシスコ講和条約第二条a項で独立を追認し「済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」ことで法的問題を整理清算したわけです。つまりサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日は朝鮮が完全な領土を獲得した日でもあるのです。

    2011.6.10

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  84. このように考えると韓国によるSCAPIN677に基づく領有主張は論理的に考えてもちぐはくで、国際法に照らしてみても有効なものではなく、SCAPINと平和条約の作成者の意図とはまったくかけ離れているものであることがわかります。


    また韓国によるSCAPIN677に基づく領有主張はラスク書簡を通知されたわずか一ヵ月後に始まったことにも留意すべきです。
    実は私はこの論考で、SCAPIN677はラスク書簡を無効化させるためのフェイク(偽物)主張であったことを指摘したかったのですがお気づきでしょうか。
    SCAPIN677においては竹島は韓国領と解釈できないこともありませんが、その後に通知されたラスク書簡では竹島は日本領になっています。
    SCAPIN677とラスク書簡の両方の存在を知っている人はほとんどが竹島は日本領であると考えることでしょう。
    なぜならSCAPIN677の認識はラスク書簡の認識に変更されたと解釈できるからです。
    それではSCAPIN677の存在は知っているがラスク書簡は知らない人ならどうでしょうか。たいていは竹島は韓国領と考えるであろうと思われます。
    なぜならSCAPIN677の認識はその後も変更されなかったと解釈できるからです。
    したがって韓国政府の立場になって考えれば、いまだラスク書簡が知られていない状況下では、これをひたすら隠蔽してSCAPIN677を持ち出さないのが最適な戦術であったことがわかります。
    しかし1978年になってアメリカの情報公開制度によってラスク書簡が公開されてしまいました。
    これによってSCAPIN677に基づく領有主張は信憑性を失ってしまう可能性が出てきました。
    シンヨンハ先生の新しいSCAPIN677解釈はラスク書簡の存在を隠蔽してその効力を出来るだけ押さえ込もうという悪あがきであったと私は考えます。
    シン先生の解説にはラスク書簡は出てきません。しかもSCAPIN677の認識を変更できるのは別の新たなSCAPINであることが強調されています。
    言うまでもなく客観的歴史的事実としてそのような新たなSCAPINは存在していません。
    これは「新たなSCAPIN」を強調することで、新たなSCAPINではないラスク書簡がSCAPIN677を変更させる可能性をこの文章の読み手に気付かせないようにするための「トリック」ではないのかと私は推察します。
    韓国政府の日本語公式サイトに「連合軍最高司令部は日本占領期間中、終始他の特定の命令を下さずに連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号を適用し、」とあるのも同じ「トリック」です。
    また、シン先生の百問百答Q90.(対日講和条約)には、「SCAPIN677を変更するには明文規定が必要である」といった主張があり、さらに「明文規定」という言葉が短い文章の間に4回も使われています。
    これは明文規定ではないラスク書簡がSCAPIN677の認識を覆す可能性を隠蔽するためのトリックではないかと私は推察します。
    心理学の用語に「刷り込み (imprinting)」というのがあります。これは「初めて見たものを正しいと思い込む」心理傾向のことです。
    今から6年前に私が最初に半月城大先生のサイトでシンヨンハ先生のSCAPIN677解釈を目の当たりにした時の状況を思い出してみると、韓国人だけでなく竹島を日本領と考える日本人でさえも、シン先生の作った「思考の枠組み」に沿って考えるように魔法をかけられてしまったのではないでしょうか。

    しかしながらラスク書簡で竹島は日本領と認められたことは今ではすっかり周知されてしまい、多くの韓国人学者もこれを認めざるをえなくなってしまいました。
    ラスク書簡の認知度の高まりに比例して、韓国側はSCAPIN677を持ち出す頻度を少しずつ減らしてきています。恐らくこのまま尻すぼみになって廃れてしまうものと予想されます。

    また周知された理由はただ単に情報伝達手段が発達したからだけではなく、日本人による周知しようという積極的な努力の成果であることは特筆に価します。ここに竹島問題を解決するためのヒントがあります。

    現在においては韓国人学者もラスク書簡で竹島は日本領と認められたことを認めた上で、これが不当であるとか(=チョン・ビョンジュン)不法であるとか(=保坂祐二)主張して、ラスク書簡の認識に従って竹島問題が解決されることに抵抗する戦略に変化しています。
    しかしここではっきりさせておかなければならないことがあります。それはラスク書簡を潔く認めたチョン先生や保坂先生が高潔な正直者であって、ラスク書簡を隠蔽した50年代の韓国政府関係者やシンヨンハ先生が卑劣な不正直者であったとは決していえないということです。
    ラスク書簡が世間的に知られていない状況下では、ラスク書簡を隠蔽しておくことが韓国の利益になる選択でした。
    言い換えれば隠蔽することが自分の掲げる看板に泥を塗らない行為であったわけです。
    しかしラスク書簡が世間的に周知されている状況下ではラスク書簡を認めることのほうが韓国の利益になる選択であるといえます。
    なぜなら誰がどう見てもあるものをないと言い張ると世間的な信用を失ってしまうからです。
    そうであるならばラスク書簡を認めたうえでその効力を否定しようと努めることが韓国にとって最適な戦術であるように思います。
    言い換えれば、認めないと自分の掲げる看板に自分で泥を塗ることになってしまい、認めることこそが自分の掲げる看板に泥を塗らない行為になるという状況に変化するということです。

    このように考えると、情報が隠蔽されているか世間的に周知されているかによって、韓国にとっての最適な戦術が変化することがわかります。
    隠蔽されていればそのまま隠し通すことが、周知されていれば潔く認めることが、韓国にとっての最適な戦術であるといえます。
    そうであるならば、日本にとって最適な戦術とは、韓国が隠蔽しようとしていることを世間的に周知させることによって、認めなければ自分の掲げる看板に自分で泥を塗ってしまう状態にして、韓国人が自分自身の選択で過ちを正すことを支援することであると私は考えます。
    「七縱七禽」の姿勢でこれを繰り返していけば、出口が見えないかのように思える竹島問題にも、解決の糸口が開かれるものと私は信じます。
    (続く)

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  85. "SCAPIN677の存在は知っているがラスク書簡は知らない人ならどうでしょうか。たいていは竹島は韓国領と考えるであろうと思われます。"

    1) SCAPINが領土処分の権限を持たない占領軍の命令等にあたるものであることを知っている人なら「ラスク書簡」を知らなくても、SCAPIN-677に基づいた韓国の領有主張など受け付けないでしょう。

    2) 領土処分は講和条約によるとの慣習法が存在することを知っている人もSCAPIN-677に基づいた韓国の領有主張など受け付けないでしょう。

    ということで、国際慣習法の存在を承知しているならば、SCAPIN-677を根拠とした竹島領有主張の嘘に気がつくでしょう。SCAPIN-677の第6項「この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。」は、前述の慣習法を踏まえて記されているのであり、それ以上でもそれ以下でもありません。


    愼鏞廈はSCAPIN-677を失効させるSCAPINが出されていないことを以て未だSCAPIN-677は有効だとの論を立てました。しかしながら、占領軍の発した命令等は講和条約の発効により失効するとの慣習法が存在します。それを知っている人々は愼鏞廈の言が妄言に過ぎないことにすぐ気付くはずです。

    SCAPIN-677に基づいた韓国の領有主張は破綻しています。慣習法によってSCAPIN-677が領有主張の根拠足りえないことはとても重要です。韓国が認めようが認めまいが慣習法はすべての国を拘束するからです。韓国も拘束されるのです。もはやSCAPIN-677に基づいた韓国の領有主張は成り立ちません。すなわち韓国は国際法上の領有根拠を失っているのです。

    韓国は居座りを正当化しようとしています。先の韓国議員の北方領土訪問もその一環だと思います。盛んに「実効支配」と言い出しているのも居座り正当化の動きでしょう。既成事実を積み重ねて韓国による支配を諸外国に認めさせることで権原を生み出そうというのではないでしょうか。ついでに日本が諦めて領有主張を引っ込めてくれたらめっけものとでも思っているのでしょう。サンフランシスコ講和条約があるからと言って日本は油断してはなりません。日本政府が急いでやるべきは韓国が「実効支配」だとしている行為が実効支配とは言えないことを指摘するとともに、それを広く広めることです。


    2011.6.17

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  86. Makotoさん、


    1) SCAPINが領土処分の権限を持たない占領軍の命令等にあたるものであることを知っている人なら
    2) 領土処分は講和条約によるとの慣習法が存在することを知っている人も

    いやあ、そんなことを知っている人はほとんどいないんじゃないでしょうか。。。私は竹島問題について詳しく調べる前はそのようなことは知りませんでした。Makotoさんだってそうなのではありませんか。
    日本側の人間が韓国側のSCAPIN解釈をそのような理由で批判していることを知らない状況で、そのような知識を根拠に韓国の領有主張を否定するのは、リンゴが木から落ちるのを見て、重力の存在を発見するよりも難しいと思われます。
    なぜならリンゴが木から落ちることは誰だって知っているからです。
    日本政府の誇る国際法のプロだからこそ、そのような批判が可能だったわけで、私のような一般ピープルにはとっても無理な話です。
    誰かから知らされるとあっけなく理解できることでも、知らされない状況下で独自に的確に判断するのは至難の業です。
    だからこそ私は知らせることの大切さを説いているわけです。
    古地図の于山島には竹嶼そっくりのものがあることは今では竹島問題に詳しい日本人の間では常識になっていますが、ほんの数年前に私が自分のサイトでこれを発表する前は私以外の日本人は誰もこれを知りませんでした。
    私は一般人の一般的な傾向について論じただけに過ぎません。

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  87. 原貴美恵先生は「サンフランシスコ平和条約の盲点」(p42)において、SCAPIN677が発令された当時米国政府は朝鮮に帰属させる方向で竹島処理を進めていたと推測し、このように述べています。

    “(SCAPIN677と)同時期にSWNCCで検討された文書に、一九四六年六月二十四日付の「旧日本支配下の委任統治領及び諸離小島の信託統治及び他の処理方法に関する方針」と題されたSWNCC五九・一がある。この中の信託統治対象外地域の項目では、竹島が済州島、巨文島、鬱陵島と共に朝鮮の領土として明記され、同文書の巻末(付録)には、次のように記載されている。

        朝鮮諸島-カイロ宣言は、朝鮮の自由と独立を要求している。済州島、巨文島、鬱陵島、竹島及び朝鮮の全ての沖合小島は、歴史上且つ行政上朝鮮の一部で、主に朝鮮人が居住しており、朝鮮の一部として考慮されるべきである。”



    SCAPIN677と同時期のSWNCC五九・一においては、竹島が歴史上且つ行政上朝鮮の一部で、主に朝鮮人が居住しているとされています。
    これを見れば、確かに決定事項ではないにしろ「当時米国政府は朝鮮に帰属させる方向で竹島処理を進めていた」ことは間違いなさそうです。
    この方針がアメリカの初期草案に引き継がれたのは容易に推測できます。
    しかしながら問題とすべきは、果たして一九四六年当時アメリカは何を根拠に竹島を朝鮮に帰属させるべきと判断したのか、判断の根拠は正当なものであったのかということです。

    ラスク書簡の説明の箇所ですでに明らかにしていますがもう一度繰り返します。
    アメリカ国務省が竹島の韓国名がdokdoであることを知ったのは韓国にラスク書簡を通知するほんの数日前であり、それより前に日本編入以前に竹島が大韓帝国の時代にdokdoという名前で呼ばれる韓国領土であったことを知っていたはずはありません。
    『世宗実録』地理志や古地図の于山島が竹島であると韓国政府が最初に表明したのは1953年であり、勅令41号の石島が竹島であると韓国の学者が主張し始めたのは1960年代後半と見られています。
    にもかかわらず一九四六年当時アメリカが独自に朝鮮半島の文献資料を調査して、文献中の于山島や石島が竹島を指していると解釈し、これを朝鮮に帰属させるべきと判断したとは見なし難いといわざるを得ません。
    ラスク書簡を通知するほんの数日前まで、国務省の地理専門家であるボグスが、韓国においてdokdoと呼ばれている島がどこにあるのかを指し示している資料を知らなかったという事実と合わせて考えるとなおさらです。
    またボグスは1951年7月13日に平和条約において竹島を朝鮮に帰属させることを明記することを勧告しましたが、その理由はもっぱら初期草案で竹島が朝鮮領になっているからであり、竹島が歴史上または行政上朝鮮の一部である理由は全く述べていません。
    しかもわずか3日後の16日には竹島が歴史上且つ行政上日本の一部である理由を述べた上で、三日前の勧告を事実上撤回しています。
    これは当時ボグスは竹島が歴史上且つ行政上朝鮮の一部である理由を知らなかったことを示唆しているといえます。

    1951年7月13日の文書
    Memorandam by Mr. Boggs on July 13, 1951
    http://en.wikisource.org/wiki/Draft_Treaty_of_Peace_With_Japan

    SWNCC五九・一においては竹島は「歴史上且つ行政上朝鮮の一部で、主に朝鮮人が居住して」いるとされていますが、実際には竹島に「朝鮮人が居住して」はいないことにも留意すべきです。
    これは前段にある、竹島は「歴史上且つ行政上朝鮮の一部で」あるという記述に必ずしも根拠のない可能性を示唆しています。
    (続く)

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  88. >古地図の于山島には竹嶼そっくりのものがあることは今では竹島問題に詳しい日本人の間では常識になっていますが、ほんの数年前に私が自分のサイトでこれを発表する前は私以外の日本人は誰もこれを知りませんでした。

    私が朝鮮の地図の于山島が竹嶼であると確信したのは、「竹島」でググってKunitaka氏のサイトを見た時でした。2003年くらいだったと思います。Kunitaka氏のサイトには大韓全図と現代の鬱稜島の地図を掲載しており、于山が竹嶼であると主張していました。また、私も日韓翻訳掲示板に複数の古地図を使って于山島が竹嶼との投稿をしており、toronさんが自分のサイトで引用されていました。2005年くらいには、googleで検索するとtoronさん、kunitakaさんのサイトが上位に来ましたので、それを閲覧する程度の日本人であれば朝鮮の地図の于山島が竹嶼であることは知っていたと思います。私がyabutaroさんを最初に見かけたのは2006年6月のyahooのトピですが、その時には島根県の研究会の舩杉力修先生の報告もアップされ、ゲリー氏のサイトも2CH等で話題になっていたと思います。
    インターネットで「朝鮮の地図の于山=竹嶼」との主張を行った先駆者は、やはりkunitakaさんでしょう。紙面を含めれば、1980年の「レファレンス:竹島関係旧鳥取藩文書および絵図」の塚本氏だと思います。

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  89. oppさんの文章は私よりも前にインターネットで「朝鮮の地図の于山=竹嶼」との主張を行った人物が存在していることを指摘するもののようです。

    しかしながらこれが私の書いた文章と関連があるとは思いません。私の文章はこのようなものです。

    >古地図の于山島には竹嶼そっくりのものがあることは今では竹島問題に詳しい日本人の間では常識になっていますが、ほんの数年前に私が自分のサイトでこれを発表する前は私以外の日本人は誰もこれを知りませんでした。


    素直に読めば「誰もこれを知りませんでした。」の「これ」は前段にある「古地図の于山島には竹嶼そっくりのものがあること」であることがわかるはずです。
    ひょっとしてoppさんは「これ」を「于山島が竹嶼であること」であると勘違いされてしまわれたのではないでしょうか。
    文脈を読めば分かると思いますが、私の文章は自分が于山島が竹嶼であることを最初に発見したことを自慢するために書かれたものではありません。
    百歩譲ってもしそうであるならば、私は「竹嶼そっくりの于山島」でなくそれより前の「yabutaroさんを最初に見かけた」「2006年6月のyahooのトピ」を持ち出すはずです。理由は分かりますよね。
    私の文章は今はよく知られていることでも昔は全く知られていなかったということがあることの例として竹嶼そっくりの古地図の于山島を持ち出したにすぎません。

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