竹島問題の歴史

31.10.11

"Tokyo teachers union denies Japan's claim to Dokdo." Really?

According to an October 30 article in Korea's Dong-a Ilbo, a "Tokyo teachers union denies Japan's claim to Dokdo." Is the Korean headline true?

Here are what the newspaper says are quotes from the union.
The union said, "If schools teach the (Japanese) government`s unilateral opinion that Takeshima is Japanese territory illegally occupied by Korea, it could instill students with emotional nationalism."

"Dokdo is different from the Senkaku Islands (called the Diaoyu Islands in China), over which Japan has a terrestrial dispute, and the Northern Territory (Japanese name for the Kuril Islands), which is effectively governed by Russia."  
The union added, "The history and civil ethics textbooks published by Ikuhosha, a right-leaning publisher which carries ultra-rightist opinions without reservation over history and territorial issues, distort history and antagonize the Constitution," adding, "Measures must be beefed up to block them from reaching students."

A union source said Friday, "When we teach this part, we will objectively teach students that Korea and Japan have differing views over Takeshima," adding, "We hope to contribute to efforts to find a peaceful resolution."
Instead of "denying Japan's claim to Dokdo," the union seems to be saying that it wants to "objectively teach students that Korea and Japan have differing views over Takeshima."

That's fine, but will they just teach that "Korea and Japan have differing views" or will they also look at the evidence for the two claims? If they just teach that Korea and Japan have differing views on Takeshima, then they are not really teaching anything, are they?

If they were to look at the historical evidence, then they would find that Korea does not really have any to support her claims. Korea has no old maps showing Takeshima (Dokdo), by any name. Korea has no old documents showing that Koreans ever traveled to Takeshima before Japanese started taking them there on Japanese fishing boats in the early 1900s. And the only Korean references to Takeshima before the Japanese incorporated the rocky islets in 1905 are just vague references to a distance, unnamed island being visible from Ulleungdo. The Korean references suggest that Koreans could see the islets, but never traveled to them and even believed them to be Japanese.

Also, did the Tokyo teachers' union really refer to Takeshima as "Dokdo," as is quoted in the Dong-a Ilbo article?

I think Tokyo's teachers' union needs to start doing its job of teaching students the history of Takeshima instead of playing diplomat by ignoring the historical facts just to appease Korea.

94 comments:

  1. Mr.Bevers,

    Please translate the sentence below into Hangle.


     日本の報道によれば、東京都教職員組合が作成した資料には次のような記述があります。(翻訳を考慮して少しだけ表現を変えています。)

     「もし、この記述のようにタケシマは日本固有の領土』、『韓国が不法に占拠』という政府の一方的な見解を学校で教えれば、『感情的なナショナリズム』を子供たちに植えつけることにもなりかねない」

    「タケシマは、尖閣諸島や北方4島と異なり、日本固有の領土と言える歴史的な根拠は無い」

     すなわち、彼らの主張は日本政府の主張-タケシマは日本の固有領土である-を否定しています。

     なお、「独島」という表現は使われておらず「タケシマ」です。

     日本には、日本の利益よりも韓国、北朝鮮、中国の利益を重視する人々がある程度存在します。日本が韓国を併合したことと第二次世界大戦によって中国に被害を与えたことの罪の意識があるからと考えられます。

     彼らの考えは信念ですから、事実関係は重要視されないとしても不思議ではありません。

     ただ、このタケシマ問題に対しては、東京都教職員組合の主張は多数の国民の支持を受けることはないでしょう。

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  2. Thank you, Chaaimiey. It translated from Japanese to Korean quite well except for a few things, such as タケシマ (Takeshima) being translated as 독도 in Korean.

    At for the following statement, I am dumbfounded because it is totally false:

    「タケシマは、尖閣諸島や北方4島と異なり、日本固有の領土と言える歴史的な根拠は無い」

    ("다케시마는 센카쿠 열도와 북방 4 섬과 달리 일본 고유의 영토라고 말할 역사적인 근거는 없다")

    Why would the Tokyo teachers' union make such a ridiculous claim? No wonder Japanese are so confused about their history.

    This makes me angry, and I am not even Japanese.

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  3. It seems that "タケシマ" will be translated to "다케시마",but "タケシマ問題" will be translated to "독도 문제" in google.I would have to be carefull.



    > Why would the Tokyo teachers' union make such a ridiculous claim?


    Though I don't know the reason, I guess that they have a kind of political emotion which wants to stand on Korean side when an opposition has occurred between Japan and Korea.

    But I think their claim does not have large influence over students because they can not use their documents formally in classroom.

    In addition, Board of Education of Tokyo has given an instruction which requires the territory education should be carried out based on the course of study and an adopted textbook definitely.

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  4. 某巨大掲示板に2011/10/29(土) 21:13:40.47 に投稿された記事によりますと、都教組に電話でこの件に関して問い合わせたところ、電話に出て対応された、担当のカワハラさんという人が、「取材の段階で話がおかしくなってしまった」とかいう話をして、「竹島は日本固有の領土である、という前提は当然です」と回答していたと云うことです。

    真偽のほどは不明ですが、恐らく電話で質問してみれば、そういう回答になるのだろうと思います。

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  5. 独島問題が朝鮮科挙試験にも出題

    イ・トゥデー 2011/11/14
    http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?articleid=20111114144154951f7&linkid=4&newssetid=1352


     朝鮮肅宗の時に行われた科挙試験でも独島関連事項が過去試験既出問題か予想問題として扱われたことが確認された。

     14日、大邱地方弁護士会独島特別委員会によれば、慶北義城地域の人士だった申徳函(1656-1730)が残した文集にある「殿策」形式の文に鬱陵島と独島に係わる内容があることが確認された。殿策は王が問い(策問)、子大夫が答える(対策)する形式の科挙をいう。

     この殿策形式の文は、1693年に生じた鬱陵島争界(安龍福などが鬱陵島で漁撈をしていて日本に拉致された後に発生した朝鮮と日本の領土紛争)についての科挙受験者たちの意見を求めるもので、実際に殿試に出題されたとすれば1696年に行われた文科殿試である可能性があるものと推定される。

     この文件を分析した韓亜文化研究所のユ・ミリム博士は、「鬱陵島争界の関連記録が実録など四書に残っている。」とし、「科挙試験においても独島が取り上げられたことを見れば、当時は鬱陵島・独島問題が朝鮮-日本の関係に非常に重要な位置を占めたものと思われる。」と語った。

     この文集を残した申徳函は、独島問題の解決のためには「国内で対策担当者を適切に選定し、徳を通じて日本内で不当な領土野欲に反対する人々を増やそう」という「審勢得人」の方法を提示した。

    未来経済を先導する正しいニュ-ス イ・トゥデー | 幸せな富者、豊かな人生 Hello! money

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  6. 独島、大韓民国領土立証 民間史料また発見

    [ニューシース] 2011/11/14
    http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?articleid=2011111418381590680&linkid=4&newssetid=1352
    (漢文資料画像あり)

    【大邱=ニューシース】チェ・チャンヒョン記者=独島は大韓民国の領土という事実を立証する民間史料が発見されて注目を集めている。慶尚北道義城地域の士であった申徳函(1656-1730)の文集中にある「対策」がそれだ。大邱地方弁護士会(会長キム・チュンギ)は、独島に関連する朝鮮時代の史料として、肅宗年間の最大の外交懸案だった安龍福事件(「鬱陵島争界」の対策に関して出題された科挙試験問題とそれに対する答案紙)を発掘したと14日明らかにした。

     大邱弁護士会は、独島領有権に関する法律的、論理的根拠を調査・研究・審議する独島特別委員会(委員長チェ・ボンテ)を置いている。特別委員会副委員長であるパン・ムンイル弁護士は、最近、慶尚北道慶山市河陽邑社団法人国学研究所大邱・慶北支部(支部長ファン・ヨンレ)が所蔵している古文書の中から独島に係わる文件を発見し委員会に報告した。文件の作成者は朝鮮肅宗の時の義城地域の人士申徳函と分かり、特別委員会は独島の専門家である韓亜文化研究所のユ・ミリム博士に文件の翻訳と史料的意味の解釈を依頼した。

     ユ・ミリム博士によれば、この文件は1693年に起きた安龍福事件(鬱陵島争界-鬱陵島と独島に関する韓日間の境界紛争)に関連し、肅宗が科挙試験にこれに関する問題を出題、その対策を記述させることにした。ユ博士は、「これは肅宗年間の最大の外交懸案だった安龍福事件「鬱陵島争界」 問題を取り上げて出題された科挙試験問題とそれに対する答案紙」と明らかにした。

     彼(翻訳者注:彼と書いてある)は、「試験問題 1枚半分、答案紙 12枚半、全14枚(A4サイズ)になるこの史料は「鬱陵島争界」による対日対処方案を模索する朝廷の大臣たちの意見を提示し、これに対して受験者たちの意見を求める形式になっている。」と主張した。「典型的な策問と対策の形式になっていて、この史料が科挙試験に出題されたものであることを示している。」とユ博士は説明した。
     また、史料が持つ価値について、「鬱陵島争界の関連記録が朝鮮王朝実録などを含めた官撰四書に残っていて、今回、策問の存在が新たに明らかになり、当時の韓日間において独島の領有権が朝鮮にあったことを明確にしているし、この事件が国家的な一大事だったことを窺うことができる貴重な資料だ。」と語った。ユ・ミリム博士はこの文件に関する論文を独島研究所領土海洋研究ジャーナルに紹介する予定だ。

     大邱弁護士会の関係者は、「繰り返される日本の独島問題に対する妄言と挑発に対して過度な感情的対応を慎んで、もう少し学術的で論理的な対応が必要だ。」とし、「史料収集とともに研究を続けたい。」と述べた。

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  7. Chaamiey 様
    これは、また素晴らしい史料ですね。早く全文を読みたいものです。
    別ソースの写真では、勅命の下問からの部分が出ています。
    http://news.chosun.com/site/data/
    html_dir/2011/11/14/
    2011111401282.html?news_Head2
    http://image.chosun.com/sitedata/
    image/201111/14/2011111401081_0.jpg
    残念なことにピントが惚けた写真で、読めそうでいて判然としない字が多く
    隔靴掻痒の感がありますが、重要な点は、五行目ですね。

    王若曰欝陵島退在東海中輿地勝覧屬之江
    原道雖云我國地而水路険遠人●不通 祖宗
    朝別還退民遂處其地矣近来倭人貪 其條蕩
    鱵魚之利假名竹島指為厥土請禁我民越境
    漁撈屡遣近侍耽論 竹欝之處宲境界之有●
    而●無聴噛之意頗生梗之●予用楚慮廣
    詢朝議則或以為

    某掲示板にも投稿したのですが、これは鬱陵島を日本人は竹島と呼称するとした後で、竹欝の処が境界だと明白に述べているわけですから、現在の竹島については日本領土であると証明している史料になりますね。

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  8. 「独島=于山島説」が否定されているのに、それを前提とした論なのでしょうね。源資料を見ないと何とも言えませんが。

    そもそも鬱陵島争界が対馬藩の陰謀を前提としているため史実と乖離しているのですが、その点を無視したまま議論したところで意味ないと思いますけれどもね。竹島問題の解決は、竹島一件と鬱陵島争界との摺り合わせにより共通した歴史認識に立って検討していくことで糸口がつかめればと思っていたのですが、韓国側の姿勢がこれでは望み薄です。残念です。

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  9. Chaamiey様
    御貴殿が紹介された方の見開き2頁をテキスト化してみました。
    ただ、こちらもやはり解像度が悪くて識別不能の文字が多くあります。
    原文が公開されるまでの叩き台として、投稿しました。


    而只島退保之計則被必喜得所欲而益無所
    忌小則有恐喝徴索之弊大則有覬覴呑険之
    患驕敵而招畏人之議禾弱而失自旋之策矣
    誠用此計恐胎大朝之着実嗚呼邊事之難處
    如此而朝議之不一如此執端用中何策為得而
    臣愚一得有異於是宋臣蘇洵之言曰不審天
    下之勢而能成天下之務難矣先儒又曰天生一世
    之才足了一世之事是故勢有順逆而審其機
    而行之則無不順成事有難易而任其才而責之
    則不見其難臣未知 殿下能蓋二者之道以為

    安邊之本宇勢苟審矣人苟得矣今日之事
    必不至此臣於此有可言者矣嗚呼審勢之
    道其要有三地勢也時勢也兵勢也得人之
    道其大有三相臣也帥臣也使臣也臣請擧此
    六者之目以證今日之失臣謹按兵書曰不習
    地勢為賊所擒此言地勢不可不審也而廼者
    海島険遠舟輯路窮而處欲驅不習之人試
    不測之地是可謂審地勢于臣按孟子曰雖
    有鎡基不如待時此言時勢不可不審也而
    廼者飢饉相仍老弱填堅而将欲擧了遺之

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  11. Makotoさん、

     鬱島郡節目の件と同じで、「独島のことは書いてないけど独島の資料だ」というしろものです。


    小嶋日向守さん、

     テキスト化ごくろうさまでした。が、どうもこっちの朝鮮日報の写真のほうが本命みたいです。


    朝鮮科挙試験に鬱陵島・独島領土問題出題
    大邱弁護士協会、17世紀古文書から発見


    朝鮮日報 2011.11.14
    http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/11/14/2011111401282.html?news_Head2(漢文資料画像あり)


     朝鮮肅宗(1661~1720年在任)時代の科挙試験で鬱陵島・独島の領土問題に関連して日本に対処する方策を問う問題が出題されたことを示す古文書(写真)が初めて発見された。

     大邱地方弁護士会独島特別委員会は、14日、特別委副委員長のパン・ムンイル弁護士(48)が、最近、慶尚北道慶山市河陽邑の社団法人国韓(翻訳?)研究所大邱・慶北支部で独島関連古文書を発見し、分析を依頼された専門家がこのような意見を出したと明らかにした。

     大邱弁護士会によると、この古文書は、慶北義城地域の士であった申德函(1656-1730)が残した文集にある「殿策」形式の文だ。A4の用紙サイズのこの古文書は、王が問う策問が1枚半、答える対策が12枚半で、計14枚になっている。この文章は、粛宗が1693年に発生した鬱陵島争界について科挙の受験者に対策を尋ね、申德函が答えるという内容を含んでいる。

     鬱陵島争界は、安龍福が鬱陵島で漁撈をしていて日本に拉致された後に朝鮮と日本の間で発生した鬱陵島・独島の領土紛争を意味する。後に安龍福は日本へ行き、幕府から「鬱陵島と独島は朝鮮のもの」という内容の外交文書である書契を受け取った。

     独島専門家である韓亜文化研究所のユ・ミリム博士は、「文に記載された問題が具体的だという点を見ると、過去の試験で実際に出題されたと推定される。申德函が殿試を受験したときに出てきた問題か、他の受験者が話した問題を書き写したものと見られる。」とし、「いくつかの状況から、1696年に行われた文科殿試である可能性が高い。」と明らかにした。

    この文で王は、「鬱陵島は遠く東海にあって江原道に属している。水路が遠く険しくて、島民たちを連れ出したので今は空島になっている。最近、日本人が竹島と呼びながら国民たちの漁撈活動を禁止してくれと要請して来たが、我々の立場を説明しても日本は聞くつもりがない。」とし、「ある者は兵を送って占拠して守ろうと言い、ある者は混乱を起こさずに日本人の往来を認めようと言うが、国境を安全にして国を安定させる方法を講じて詳細に示せ。」としている。

     これに対して申德函は、「国内では対策担当者をよく選定し、徳を通じて日本国内で不当な領土野心に反対する人々を獲得していこう。」という方法を提示した。

     ユ博士は、「鬱陵島争界の関連記録は朝鮮王朝実録などの官撰史書に残っていて、科挙の試験にも関連問題が出てきた。当時、鬱陵島・独島問題が国家的な重大事であったことを知ることができる。」と語った。ユ博士は、この古文書に関連する論文を「独島研究所領土海洋研究」に発表する予定だ。

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  12. ↑ そのうちこの当たりにコメントが現れるかも知れませんが脈絡が合わないのはご容赦を。

     小嶋日向守さんが書き起こしをなさった朝鮮日報の画像が重要ですね。

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  13. 朝鮮日報の画像の後半部分です。判読出来ない文字は、仮の字を当てています。

          祖宗●土不可與人而一為彼
    有則東界無敵找風出沃情偽難側莫如揉送
    邊帥先日拡守或以為海外小島自是空地而
    百年隣好不可相失因此構寡非計之尚要
    如任其徃未修勅邊備而己推此二説何者為
    得而抑此外別有萬全之良策歟子大夫讀
    書談道餘必請安邊靖国之猷其各悉著
    于篇謄
    臣對臣聞保国之道在於審勢集本之株係於
    得人能審其勢則国無不保苟得其人則本而
    不集是以漢元之并株産近於愛土填威而中
    国得以無處者以其審勢而處之也齊威之用
    田財不過守邊一吏而趙人不敢東漁者以其得
    人而任之也此事非前事之朝験而汲王之可監

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  14. 唐突ですが、こんな示威行動はどうでしょう。
     隠岐から竹島の写真を撮りたいと思うのです。計算上は、スカイツリーほどの高さの塔を建てれば可能でしょう。しかし仮設の撮影用櫓を組むとしても、とても現実的ではありません。そこで私が考えているのは、無人の航空機を使用することです。どうせなら自立航行型の航空機で出来るだけ近くに行って撮影したいと思います。竹島の現況は勿論、出来れば周辺の海面温度などを調べたり、赤外線写真なども撮影できれば理想的です。
    実際に撮影に使う航空機として理想的なものは、福島第一原発事故の被害状況を撮影した、エア・フォート・サービス社(新潟県妙高市)の無人飛行機のようなものを考えています。
    http://www.yamazaki-k.co.jp/airphoto/
    同社の自動自立無人航空機(UAV)のスペックは、最高高度4,000m、最大航続距離500km、で飛行時間は、約4時間というものです。この性能ならば、隠岐から飛ばして竹島上空に達して航空写真を撮影することが可能です。同社のホームページには、「海上における、不審船等のパトロール」にも利用できると謳われているほどてす。
     もし韓国側に撃墜されても死者は出ませんし、仮に韓国側に攻撃されたとすれば、国際紛争地帯となり、世界中にニュース配信されると思います。皆さんのご意見をお聞かせ願います。

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  15. 小嶋日向守さんの判読をもとに、私の意見を付け加えます。「 」の部分です。



    王若曰欝陵島「邉」在東海中輿地勝覧屬之江

    原道雖云我國地而水路険遠人「艘」不通 祖宗

    朝「刷」還「遁」民遂「虚」其地矣近来倭人貪 其條蕩

    「鰒」魚之利假名竹島指為厥土請禁我民越境

    漁「採」屡遣近侍耽論 竹欝之處宲境界之有●

    而●無聴噛之意頗「有」生梗之●予用「是」慮廣

    詢朝議則或以為 祖宗●土不可與人而一為彼

    有則東界無敵找風出沃情偽難側莫如揉送

    邊帥先「自」「據」守或以為海外小島自是空地而

    百年隣好不可相失因此構寡非計之尚要

    如任其徃未修勅邊備而己推此二説何者為

    得而抑此外別有萬全之良策歟子大夫讀

    書談道「之」餘必請安邊靖国之猷其各悉著

    于篇謄

    臣對臣聞保国之道在於審勢集本之株係於

    得人能審其勢則国無不保苟得其人則本而

    不集是以漢元之并株産近於愛土填威而中

    国得以無處者以其審勢而處之也齊威之用

    田財不過守邊一吏而趙人不敢東漁者以其得

    人而任之也此事非前事之朝験而汲王之可監

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  16. 意味も考えずにテキトーな文字を当ててしまい、お恥ずかしい限りです。早速、納得の判読を幾つもお示し頂き有り難うございます。

    あと一文字、判読できました。
    宋の李綱が、欽宗に奏上した言葉に、「祖宗疆土、当以死守、不可以尺寸與人」というのがありました。この句の引用と思われますので、祖宗の次の文字は、「疆」ですね。

    ところで、この「或以為 祖宗疆土不可與人而」の部分が、反対側の見開き左側の頁の四行目中程の空白部分に、反転した文字でうっすらと見えます。最初はてっきり、この紙の裏の頁の文字が透けて見えるのかと思いましたが、画像処理をして反転しましたら、この文字列でした。つまりこの掠れた文字の行は、前の頁の墨が滲みたもので、裏側の頁が透けて見えているのではないことがわかりました。

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  17. これまで判読できただけでもここに「于山島」など全く出てこないことは分かりますから、これは鬱陵島・独島問題の資料だなどと言う研究者は自国民を欺いていることになりますね。

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  18. この史料が竹島(韓国称:独島)の帰属先を韓国にかえるものと読む人は「鬱陵島」とあると自動的に「鬱陵島と独島」と読み替えてしまう人たちを別としたらいないでしょうね。

    韓国側は古い史料に「于山島(Usando)」とあるのを「独島(Dokdo)」に置き換えています。常識的に見てこれは改竄でしょう。于山島=独島は立証されていないのですから。

    ところで、「竹欝之處宲境界之有●」の不明箇所ですが、「明」のようにも見えるのですが、どんなもんでしょ?

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  19. もう一文字判明しました。
    鰒魚が鮑(アワビの意)ですので、その前は、篠蕩(小竹と大竹の意)でした。

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  20. matsuです。
    お久しぶりです。
    アカウントを取り直して再出発です。

    大邱地方弁護士会のホームページにテキストの映像がありました。
    http://www.daegubar.or.kr/index.php?status=menu5&code=01&no=420

    全部ではないようですし、順番も違うみたいですが。
    「試験問題 1枚半分、答案紙 12枚半、全14枚(A4サイズ)」とあり、
    この「枚」は「ページ」の意味と思われますが、14ページぶんはありません。

    テレビニュースの映像で見ると薄い本のようです。

    http://news.kbs.co.kr/society/2011/11/15/2388613.html

    http://imnews.imbc.com/replay/nwtoday/article/2963820_5782.html

    http://www.ytn.co.kr/_ln/0115_201111141705314931

    KBSニュースは、次のようにコメントしており、この資料に「独島についての直接的言及はない」のは、明白のようです。

    「朝鮮粛宗時代と推定されるこの問題に、独島についての直接的言及はないものの、独島を含んだ鬱陵島防衛問題が関心事だったことを示しています。」

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  21. この新発見史料が「独島問題」にとって意味があるかないかは、まさに「独島についての直接的言及」があるかどうか、にかかっているのであって、「直接的言及」がなければ、ただの「鬱陵島争界」についての史料にすぎません。

    MBCニュースの
    「独島はウリタン(韓国の領土)」ということを確認させる朝鮮時代の文献が、また公開されました。
    というのは、まったく「嘘」のコメントです。

    マスコミじゅうが、みな、このトーンで書いていますが、

    KBSの
    「朝鮮王が科挙の受験者に日本の鬱陵島侵奪対策を尋ねたと推定される古文書が初めて発見されました。」

    というコメントが正しいと思います。

    しかし、そのKBSニュースでも、柳美林(韓亜文化研究所長)が
    「粛宗が、すでにその当時、鬱陵島・独島についての安龍福事件をすべて把握していたので、これを科挙の試験にも出すことができたのではないか...」
    と言っていますが、これもおかしなコメントです。

    肅宗が、日本との「鬱陵島争界」について「すべて把握していた」のは当然でしょう。当時の最高権力者だったのですから。
    しかし、それを「安龍福事件」としては認識していなかったはずです。
    安龍福の日本への「呈訴」も含めて、当時の朝廷(朝鮮王朝)は関わりを否定しました。安龍福はただの罪人だったのです

    柳美林がずるいのは、あくまで「鬱陵島争界」であったものを「安龍福事件」という用語にすりかえていることです。

    安龍福がからむからこそ、「子山島」や于山島が問題になるのであって、この事件に安龍福の関わりが意識されだすのは、李瀷以降、すなわち英祖代以降だと思います。

    当時はまだ、独島は、張漢相によって、はるか東南に見える島、として初めて「発見」されたばかりであって、まだ名前もありませんでした。

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  22. 待望の鮮明画像紹介に感謝致します。
    (篠や竹が穫れるというのは現在の竹島ではないことの証です)

    最初の頁は、以下の様に判読し直しました。

    王若曰欝陵島退在東海中輿地勝覧屬之江
    原道雖云我國地而水路険遠人烟不通 祖宗
    朝刷還逃民遂虚其地矣近来倭人貪其篠蕩
    鰒魚之利假名竹島指為厥土請禁我民越境
    漁採屡遣近侍暁諭 竹欝之虚宲境界之有別
    而終無聴順之意頗有生梗之端予用是慮廣
    詢朝議則或以為 祖宗疆土不可與人而一為彼
    有則東界無蔽候風出没情偽難測莫如擇送
    邊帥先自據守或以為海外小島自是空地而
    百年隣好不可相失因此構寡非計之得莫
            (與+寡)

    但し、肝心なところが、
    「竹欝之虚実境界之有」の意になってしまいました。

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  23. matsu さん、ありがとうございます。
    「明」でなくて「別」でしたね。
    「竹欝之虚宲境界之有別」

    それにしても「于山島」とあると「独島」と自動変換し、「鬱陵島」とあると「鬱陵島と独島」と勝手に読み替えてしまう彼らの悪癖はなんとかならないものでしょうか?

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  24. MBCニュース
    http://imnews.imbc.com/replay/nwtoday/article/2963820_5782.html
    朝鮮時代「独島はウリタン(韓国領土)」科挙試験文書発見
    (アンカー)
    「独島はウリタン(韓国の領土)」ということを確認させる朝鮮時代の文献がまた公開されました。 イ・サンウォン記者です。
    (VCR)
    朝鮮粛宗の時、義城に住んだ儒者、申徳函の個人文集に収録された文です。
    「王様は『竹鬱の虚実』について、こう言います。」
    「鬱」は鬱陵島を、「竹」は日本が鬱陵島を称する表現である「竹島」すなわちタケシマを意味し、領土紛争の問題点を言及しています。
    辺境に軍隊を送って守らせよ。日本の鬱陵島往来を許した上で辺境の防備を確実にせよ。という朝廷の二つの異なる意見に言及し、儒生たちの方策を尋ねています。
    粛宗時に発生した韓日間の鬱陵島領土紛争、いわゆる「安龍福事件」の3年後に行われた科挙の試験の文科殿試の問題であると推定されます。
    (インタビュー)柳美林所長/韓亜文化研究所
    「安龍福事件に関連した官編、官撰史にはこれまでたくさんあったが、個人の文集で科挙の試験の記録をこのように記録しておいた文書としては、これが初めて発見されたという意味で意味があります。」
    大邱地方弁護士会傘下の独島特別委員会が発見したこの文書は、独島問題についての重要な資料として活用されると見られます。
    (インタビュー)キム・ジュンギ会長/大邱地方弁護士会
    「過度に感情的な対応を自制し、より学術的で論理的な対応が必要だと判断され、このために大邱地方弁護士会は、継続的な史料の収集と研究を継続していきます。」
    今回発見された文献に関する論文は、来月「独島研究所 領土と海洋」というジャーナルに紹介される予定です。 MBCニュース イ・サンウォンでした。
    イ・サンウォン記者20111115

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  25. YTNニュース

    http://www.ytn.co.kr/_ln/0115_201111141705314931

    2011-11-14 17:05
    「鬱陵島紛争、科挙試験に出題」史料発見

    [アンカーコメント]
    日本との鬱陵島境界紛争に関する朝鮮時代過去試験問題と推定される飼料が発見されました。
    当時にも日本との領土問題が重要な外交懸案であったことが推察できます。
    パク・キヒョン記者が報道します。

    [リポート]
    朝鮮粛宗の時、慶北義城地域の儒者、申徳函が書いた文集です。

    「日本人たちが竹と魚を得るために鬱陵島に頻繁に訪れて来ており、人を送って私たちの土地ということを知らせたが、日本側が聞かないでいる」と記されています。

    それと共に「これに対して辺境を平安にして国を安定させる対策を詳しく書け」と記録されています。

    専門家たちは、この文が鬱陵島紛争に関する「安龍福事件」が1693年に起きた点と、王が直接出題に参加した点等から見て、1696年に行われた科挙の試験問題と推定しています。
    鬱陵島紛争に関する科挙の試験が史料で発見されたのは、今回が初めてです。

    [インタビュー:柳美林、韓亜文化研究所]
    「1695年10月から粛宗の関心事、朝廷の論議が安龍福事件に注がれているので、それを科挙の試験に出したということは、それだけ国家的重大事だったということを自ら見せているものだと考えます。」

    この文集は、試験問題が1枚半分、問題に対する申徳函の対処方案が12枚半、記述されています。

    大邱地方弁護士会傘下の独島特別委員会は、国学研究所が所蔵している古文書でこの文集を発見しました。

    [インタビュー:キム・ジュンギ、大邱地方弁護士会長]
    「(独島問題に対して)過度に感情的な対応を自制して、より学術的で論理的な対応が必要だと判断され、継続的な史料収集と共に研究を継続していきたいと思います。」

    この史料についての論文は、「独島研究所領土海洋研究」というジャーナルに紹介される予定です。YTN、パク・キヒョンでした。

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  26. 『東亜日報』
    http://news.donga.com/Society/New/3/03/20111114/41879241/1

    朝鮮の科挙の試験にも「独島」出題…
    “朕は日本との領土紛争をどうすれば良いのか?”

    朝鮮時代の科挙の試験に鬱陵島と独島をめぐる日本との領土紛争についての問題が出題されたことが確認された。

    大邱弁護士会独島特別委員会は、14日、朝鮮の粛宗が1693年に発生した欝陵島争界(安龍福などが鬱陵島で漁労作業をして日本に拉致された後に発生した朝鮮と日本の領土紛争)の対策を尋ねる問題が科挙の試験に出てきたことを確認する文書を公開した。

    この文書は、慶北義城地域の儒者であった申徳函(シン・ドクハム 1656~1730)の文集に載っていたもので、A4用紙の大きさの試験問題が1枚半、答案用紙が12枚半、全部で14枚だ。

    大邱弁護士会は、この文書を韓亜文化研究所に依頼し、朝鮮の粛宗の時の1696年に行われた文科殿試に出てきた可能性が高いという答を得た。

    文書には「王がこのようにおっしゃった(王若曰)」で始まり、「臣は答えます(臣対)」で締めくくる内容があることが根拠だ。

    また「欝陵島争界」の処理方案を模索するために、王が政治に対する計策を尋ねて答えるよう策問した後、科挙受験者の対策を尋ねる形式は、典型的な科挙の試験問題であると研究所側は述べた。

    韓亜文化研究所の柳美林所長は、「独島という言葉は文書には登場しないが、鬱陵島という言葉に含まれていると見なければならない」として「『欝陵島争界』関連の記録が朝鮮王朝実録などいろいろな史書に残っている状態であり、科挙の試験にまで独島問題が登場したのは、当時も鬱陵島と独島が韓日関係にあって相当に重要な外交懸案であったと斟酌することができる」と説明した。

    また、彼女は「発見された王の策問の後に、「書き写す『謄』」の字が記されているが、本人が問題を書き写してきた可能性が大きいだけに、実際に科挙の試験に出題されたものと判断できる。」と付け加えた。
    ノ・インホ記者inho@donga.com

    (写真)
    朝鮮時代の科挙の試験で、日本の鬱陵島と独島侵奪に積極的に対応するために、王が直接問題を出したという内容が記されている慶北義城地域の儒者申徳函の文集。大邱市弁護士会提供。

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  27. 『韓国日報』

    http://news.hankooki.com/lpage/society/201111/h2011111416293321950.htm

    独島領有権紛争 朝鮮時代の科挙に
    大邱地方弁護士会 独島特別委 儒者・申徳函の文集通じて確認

    鬱陵島(独島)領有権紛争が朝鮮粛宗の時科挙試験にも出てきたという主張が提起された。
    大邱地方弁護士会独島特別委員会は、慶北義城地域の儒者であった申徳函(1656-1730)が残した文集にある「殿策」形式の文に、鬱陵島領有権紛争の関連内容を確認したと14日明らかにした。殿策は、朝鮮時代の科挙試験の最終段階の殿試で、王が問い(策問)、子大夫(士大夫)が答える(対策)、という形式の科挙をいう。

    この文は、1693年に発生した欝陵島争界(安龍福などが鬱陵島で漁労作業をしていて日本に拉致された後発生した朝鮮と日本の領土紛争)に対する科挙受験者の意見を求めるもので、実際に殿試に出題されたとすれば、1696年に行われた文科殿試であると推定された。

    この文書は、大邱弁護士協会独島特別委員会のパン・ムンイル弁護士が発見、韓亜文化研究所の柳美林博士に分析を依頼したものだ。
    柳博士は、「欝陵島争界の関連記録は実録などの史書に残っており、科挙の試験にも鬱陵島領有権紛争が議論されたことを見れば、当時この紛争が朝鮮-日本関係にかなり重大な位置を占めたものとみられる」として、この文を文集の著者が、直接大科を受験して作成した答案用紙や、他の儒者の答案用紙を移して載せたと推定した。

    パン弁護士は、「文集に出てきた科挙試験は、王が直接主宰する大科と見え、「独島」という単語はないが、鬱陵島は当然附属島嶼まで含む概念だ」とした上で、「今回の史料と関連した関連史料を発掘、分析して、日本の独島侵奪の野心を封じ込める契機になるのを期待する」と話した。

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  28. テレビニュースのコメントを翻訳しておきます。文字の解読の手がかりになると思います。
    韓国のテレビニュースは、コメントも文字化されてネットにのっていて、とても便利です。

    KBSニュース
    http://news.kbs.co.kr/society/2011/11/15/2388613.html

    科挙の試験に「鬱陵島領有権」出題

    朝鮮王が科挙の受験者に日本の鬱陵島侵奪対策を尋ねたと推定される古文書が初めて発見されました。
    日本との鬱陵島領土紛争以後に問題が出題されたと推定されます。
    報道はキム・ミナ記者です。

    朝鮮時代、科挙試験の大科に出題されたと推定される問題と答案が記された古文書。
    個人が20余年間所蔵してきたもので、最近、大邱弁護士協会独島特別委員会に解釈を依頼して、公開されました。
    「王様が言うには」と始まる文章は、「日本人が近ごろ各種の利益を貪り、鬱陵島を竹島と称して我が民の漁労を禁じた」とし、「竹島ではなく鬱陵島であることを知らせたが、日本は聞くつもりがなく、不和になったので、「辺境を平安にし、国を安定させる対策を述べよ」と書かれています。
    受験生が書いた方案には、鬱陵島をよく知る適任者を求め、外敵を防御しなければならない、と書かれています。

    チェ・ポンテ(大邱弁護士協会 独島特別委員会長):
    「今後、こうした資料が多く発掘されて、日本でもこういうものがたくさん報道されれば...」
    朝鮮粛宗時代と推定されるこの問題に、独島についての直接的言及はないものの、独島を含んだ鬱陵島防衛問題が関心事だったことを示しています。

    柳美林(韓亜文化研究所長):
    「粛宗が、すでにその当時、鬱陵島・独島についての安龍福事件をすべて把握していたので、これを科挙の試験にも出すことができたのではないか...」
    原本は、国学研究所に保管され、解釈を入れた内容は、来月、独島研究所 領土海洋研究集に紹介される予定です。
    KBS ニュース キム・ミナでした。
    入力時間2011.11.15 (13:02)キム・ミナ記者

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  29. 祝!matsuさん復活(^o^)/

    早速の追跡調査、ありがとうございます。鮮明な画像が見れました。



     ところで、皆さん、私は「宲」の字が良く分からないのですが、「竹欝之虚宲境界之有別」が小嶋日向守さんがおっしゃるように「竹欝之虚実境界之有別」という意味であるとすれば、それは「竹島(鬱陵島)に人が住んでいるか否かが日本と朝鮮の境界を分けることになる」というような意味なんでしょうかねえ。良く分からんですが。

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  30. この見慣れない、宲(じつ)と言う字は、元は、二つの意味があり、實(実)と寶(宝)の古い文字だそうです。私の解釈では、この文章の場合、実の反対語の虚と合わせて、「虚宲」と二文字の熟語として使われていますので、意味は、「虚実」と解釈せざるを得ません。文全体の意味としては、「竹欝」という熟語を作って、それが「虚実」あるいは「幻と宝」だと並べているわけです。要は、その前の文で、竹島という名前が、仮の名前であるという主張を受けてのものです。つまり、朝鮮の立場から見て、「竹島」という日本人が仮に付けた虚である竹と、「欝島」という実際の名前を引き合いにして、「竹欝すなわち虚と実の、境界がこれに有る。」と言う意味ですから、この鬱陵島が朝鮮側の最果ての国境地帯であると書かれていると解釈できます。従って、文字が不鮮明であったために、「鬱陵島のところに国境がある」とした私の最初の解釈は、「鬱陵島が正しい国境のところである」という感じになるのだと思います。
     ですから、この虚実には、人が住んでいるか居ないかは関係がないと思います。実際に鬱陵島には当時人が住んでいないわけですから、むしろ、人が住んでいなくとも、この鬱陵島の地は、朝鮮のものだよという主張でしょう。

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  31. 二頁目の判読直しです。まだ誤読があると思います。

    如任其徃来修勅邊備而己推此二説何者為
    得而抑此外別有萬全之良策歟子大夫讀
    書談道餘必講安邊靖国之猷其各悉著
    于篇謄
    臣對臣聞保国之道在於審勢集事之機係於
    得人能審其勢則国無不保苟得其人則本而
    不集是以漢元之弁珠厓近於蹙土損威而中
    国得以無虞者以其審勢而處之也齊威之用
    田盼不過守邊一吏而趙人不敢東漁者以其得
    人而任之也此豈非前事之明験而後王之可監

    メモ 齊威王、珠厓郡、田盼(人名)
    なお、朝鮮日報の画像は見開き頁の様に見えましたが、合成写真であり、反転文字は、にじみではなく、最初の頁が透けて見えていたものでした。

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  32. みなさんの解読にのっとりつつ、点を打って、解釈してみます。良く分からない字もあり、そのへんの訳は適当にごまかしています。ご意見を下さい。一部の字は私なりに読んだものもあります。はじめの王の出題の部分です。

    申徳函(1656~1730)文書 解釈

    王若曰。
    欝陵島、遥在東海中。輿地勝覧、屬之江原道。
    雖云我國地、而水路険遠、人烟不通。
    祖宗朝、刷還逃民、遂虚其地矣。

    近来、倭人貪其篠蕩・鰒魚之利。假名竹島、指為厥土。請禁我民、越境漁採。屡遣近侍、暁諭「竹欝之虚実」、境界之有別。而終無聴順之意、頗有生梗之端。

    予用是慮、廣詢朝議。
    則或以為、祖宗疆土、不可與人。而一為、彼有則東界、無蔽候風出没、情偽難測。莫如擇送邊帥、先自據守。

    或以為、海外小島、自是空地。而百年隣好、不可相失。
    因此、構釁非計之、尚要如任其往来、修勑邊備而己。

    推此二説、何者為得。而抑此外、別有萬全之良策歟。

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  33. (解釈)
    王は、次のように言われた。
    欝陵島は、遥か東海中に在り、『輿地勝覧』は、これを江原道に屬せしめている。我国の地とは言えども、水路は険遠で、人烟は不通である。祖宗朝に、逃民を刷還し、遂に其の地を虚しくした(無人とした)。

    近来、倭人は、その篠蕩・鰒魚の利を貪り、竹島と假名して自分の領土だと言い、我が民が越境して漁採するのを禁じるように請うてきた。しばしば近侍を遣し、「竹欝の虚実」、境界の有別を暁諭し、そして終に聴順の意が無く、頗る生梗の端がある。(朝鮮側の主張を聞こうともせず、自説をかたくなに主張している。)

    予は是について憂慮し、広く朝議に詢(はか)った。
    すると、或る者は言った。(=第一の意見)
    祖宗の疆土は、人に與えてはならない。
    (次の部分、不明。日本側が、風にのって、いつやって来るかわからず???)邊帥(国境を守る指揮官)を擇(えら)んで送り、まず自ら據守するのが良い。
    (=軍事力を派遣して死守することを主張)

    また、或る者は言った。(=第二の意見)
    海外の小島であり、自ら無人の地である。而して日本との百年の隣好は、失ってはならない。だから、争いを起こしてはならず、日本側の往来を許し、辺境の守りをしっかりとすればよい。
    (=融和策。日本側の鬱陵島への往来を許すところがポイント)

    この二説のうち、どちらをとるべきか。また、そもそも、この外に、別の「万全の良策」はあるか。
    (ここまでが、王の出した問題。=科挙の出題)


    この出題自体により、「鬱陵島争界」(=竹島一件)がまだ「解決以前」の段階で、その解決策が問われていることがわかります。

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  34. 小嶋日向守さんの解釈が当たっていそうですね。

    なお、コメントの上の方に朝鮮日報の記事の翻訳が現れました。御参考まで。

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  35. 一頁目  因此構釁非計之得
    釁(血塗る) 搆釁・構釁で熟語に訂正します。
    写真の頁の順番がバラバラでしたが、内容的に以下の判読分までは、順番が揃いました。

    三頁目
    者乎今我 主上殿下念軫東郡憂深中朝謀
    諸聖心者熟矣詢于拂士者廣矣而尚慮夫
    ●有遺策事或失宜親臨隣大●策我多士●
    此両端之問欲聞萬全之策臣承合主臣伏而思
    之是謀非臣所能及也雖然五餌懐敵莫試賈
    誼之術長纓係虜徒切終軍之願而今幸至前
    使有所道丹裏所激白面何嫌請以審勢得人
    之説終始申告焉
    臣●讀聖策口欝陵島止虚其地矣臣圭復再
    三隕越于下臣窃伏推環海立国畫野分界而

    四頁目
    退彼欝島亦載版籍地属関東路通日本漲海
    連天人烟不接則粤自祖宗視同異域移其民
    於邦内置此地於度外者豈非勢有所不能
    也雖然或取或舎時有前後之不同一得一失要
    在處置之如何苟能審勢而處之得人而任之
    軽重利害自主其權鎮服控制各得其宜則
    終無僨事之患而能盡保国之道矣伏願 殿
    下留心焉
    臣伏讀聖策曰近来倭人止萬全之良策歟臣
    圭復再三隕越于下島在絶海物自今古草

    五頁目
    木長焉魚龞養焉厥木巨竹其魚大鰒惟彼倭人
    惟利是貪垂●我物産生心我土地假彼竹島之名
    眩我欝陵之宲隂逞甞試之計請禁採之民其
    心巧矣其言肆矣而以 殿下緩遠之徳行先王待●
    之道不較曲直明示暁諭近侍御合冠蓋織路而
    卞其虚宲不啻日中之難決定我境界未免海
    外之無憑魷心不悛終聴●之意壑慾無厭
    惟肆貪得之心頗有不遜之状而亦多生梗之端
    以至邊鄙繹験人心危惧肆我 殿下隠憂於中
    歴問于朝而周謀孔多漢著争借朝之王朴之

    六頁目
    奇策人無如晦之善断宜殿下莫適所彼●●
    問於臣等也如臣膚淺素昧鞱畧乃敢●口妄
    論便否則不亦着當世之士宁然而揣摩時事
    所憂則有之請就聖問熟數之於前其曰 祖
    宗疆土不可與人擇送邊帥●●據守者可●
    謂守經持正之論而臣知●●●●以言之●
    王者以土地為寶者以其有●●●●國所●
    需也今欝島則不然虚無人畜●●勅種此正
    古人所謂此如石田無所用之豈可等此於有用
    之内地而捉事於外夷也今若入送邊帥以為

    七頁目
    據守之地則我軍不習操舟未踏譜水路行有之
    疫疾飄沒之憂守有浮寄孤懸之患敵来而
    可援之勢事急而無可歸之路矣誠用此●
    必敗 殿下之事矣其曰百年隣好不可相
    任其往来修勅邊備者可謂審勢槎權宜●
    論而臣知其未盡善也何以言之王者以和●
    為事者以其各守境界而無相侵奪也●●
    倭人則不然不念成約無故索地此古人●
    謂地有盡而秦之求無己者也豈慮其●
    好之有失而坐受其浸侮也今若任其往

    八頁目
    而只為退保之計則彼必喜得所欲而益無所
    忌小則有恐喝徴索之弊大則有覬覦呑険之
    患驕敵而招畏人之譏示弱而失自強之策矣
    誠用此計恐貽大朝之着矣嗚呼邊事之難處
    如此而朝議之不一如此執端用中何策為得而
    臣愚一得有異於是宋臣蘇洵之言曰不審天
    下之勢而能成天下之務難矣先儒又曰天生一世
    之才足了一世之事是故勢有順逆而審其機
    而行之則無不順成事有難易而任其才而責之
    則不見其難臣未知 殿下能盡二者之道以為

    九頁目
    安邊之本宁勢苟審矣人苟得矣今日之事
    必不至此臣於此有可言者矣嗚呼審勢之
    道其要有三地勢也時勢也兵勢也得人之
    道其大有三相臣也帥臣也使臣也臣請擧此
    六者之目以證今日之失臣謹按兵書曰不習
    地勢為賊所擒此言地勢不可不審也而廼者
    海島険遠舟輯路窮而遽欲驅不習之人試
    不測之地是可謂審地勢宁臣又按孟子曰雖
    有鎡基不如待時此言時勢不可不審也而
    廼者飢饉相仍老弱填堅而将欲擧了遺之

    十頁目
    呡拓無用之地是可謂審時勢宁臣又●●●
    知彼知巳百戦不殆此言兵勢不可不審也而
    者兵力箪弱恬憘日久而直欲用不教之●●
    韮茹之虜是可謂審兵勢宁此臣所謂●●●
    之道在於審勢而勢之不●●●何以保●●
    ●也臣聞司馬作宰相而●●●●生事●●
    戒則相臣不可不得也而廼●●●宜夷●●
    虜●朝則其可謂得相臣宁●●●淹為●●
    邊帥而西賊有驚破膽之謡則帥臣不可不●
    得也而廼者恥甚蹙傹而武之威敵則其可●

    十一頁目
    謂得帥臣宁臣聞富弼使契丹而能以大義拒●
    地之請則使臣不可不得也廼者我使相望而●
    求無己則其可謂得使臣宁此臣所謂集事之
    係於得人而人之不得也如此何以集其事也鳴呼
    其人而徒欲拓 祖宗不拓之地制 祖宗未制
    敵以若所為求若所欲非徒無益後必有●●
    與其區々於入海據島曷若先審其勢也●●●
    其屑々於勅邊修備曷若先得其人也然則●●
    日安邊之策莫急於審勢得人伏願 殿●●

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  36. 多忙につき議論についていけませんが、matsuさんが再び投稿できないということで代理でコメントします。

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    みなさんの解読にのっとりつつ、点を打って、解釈してみます。良く分からない字もあり、そのへんの訳は適当にごまかしています。ご意見を下さい。一部の字は私なりに読んだものもあります。はじめの王の出題の部分です。

    申徳函(1656~1730)文書 解釈

    王若曰。
    欝陵島、遥在東海中。輿地勝覧、屬之江原道。
    雖云我國地、而水路険遠、人烟不通。
    祖宗朝、刷還逃民、遂虚其地矣。

    近来、倭人貪其篠蕩・鰒魚之利。假名竹島、指為厥土。請禁我民、越境漁採。屡遣近侍、暁諭「竹欝之虚実」、境界之有別。而終無聴順之意、頗有生梗之端。

    予用是慮、廣詢朝議。
    則或以為、祖宗疆土、不可與人。而一為、彼有則東界、無蔽候風出没、情偽難測。莫如擇送邊帥、先自據守。

    或以為、海外小島、自是空地。而百年隣好、不可相失。
    因此、構釁非計之、尚要如任其往来、修勑邊備而己。

    推此二説、何者為得。而抑此外、別有萬全之良策歟。

    (解釈)
    王は、次のように言われた。
    欝陵島は、遥か東海中に在り、『輿地勝覧』は、これを江原道に屬せしめている。我国の地とは言えども、水路は険遠で、人烟は不通である。祖宗朝に、逃民を刷還し、遂に其の地を虚しくした(無人とした)。

    近来、倭人は、その篠蕩・鰒魚の利を貪り、竹島と假名して自分の領土だと言い、我が民が越境して漁採するのを禁じるように請うてきた。しばしば近侍を遣し、「竹欝の虚実」、境界の有別を暁諭し、そして終に聴順の意が無く、頗る生梗の端がある。(朝鮮側の主張を聞こうともせず、自説をかたくなに主張している。)

    予は是について憂慮し、広く朝議に詢(はか)った。
    すると、或る者は言った。(=第一の意見)
    祖宗の疆土は、人に與えてはならない。
    (次の部分、不明。日本側が、風にのって、いつやって来るかわからず???)邊帥(国境を守る指揮官)を擇(えら)んで送り、まず自ら據守するのが良い。
    (=軍事力を派遣して死守することを主張)

    また、或る者は言った。(=第二の意見)
    海外の小島であり、自ら無人の地である。而して日本との百年の隣好は、失ってはならない。だから、争いを起こしてはならず、日本側の往来を許し、辺境の守りをしっかりとすればよい。
    (=融和策。日本側の鬱陵島への往来を許すところがポイント)

    この二説のうち、どちらをとるべきか。また、そもそも、この外に、別の「万全の良策」はあるか。
    (ここまでが、王の出した問題。=科挙の出題)


    この出題自体により、「鬱陵島争界」(=竹島一件)がまだ「解決以前」の段階で、その解決策が問われていることがわかります。

    「1696年に行われた文科殿試」と推定されていますが、はたして何月に行われたのか。

    この年、1696年1月には、江戸幕府は鳥取藩に鬱陵島渡海禁止令を出しています。
    安龍福が2回目に日本に来たのが、同じ1696年の5月。伯耆州=鳥取藩に出した「呈文」は、日本側にとりあげられないまま、8月に日本を追放になり、朝鮮に戻って襄陽でつかまり、9月に備辺司に送られています。

    このときに、備辺司で、例の「松島は子山島で朝鮮の島だ!」と言ったと証言していると『粛宗実録』は書いているのですが、
    「安龍福の証言」は、この科挙の試験に反映されえたのか?

    なお、張漢相が鬱陵島に行ったのは、2年前の1694年の9月~10月ですから、鬱陵島についての張漢相の報告は、朝鮮の朝廷では皆読んでいたでしょう。

    http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/05/1693-1703.html

    1696年には、この文の著者の申徳函(1656~1730)は、40歳です。この時、彼も試験を受けたんでしょうか。

    --------------------------------

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  37. やはり日本語の長文はスパム扱いされるんですね。



    matsuさんの解釈でいいと思います。

    「彼有則東界、無蔽候風出没、情偽難測」もmatsuさんの推測のように、「日本人は遠い東にいて、動きを抑える者もいないので天候・風向きによっていつ現れるのか予測し難い」というところかなあと思います。

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  38. 昨晩の私の投稿も長文の所為でしたので、分割して再投稿します。画像の順番がバラバラでしたが、以下の判読分までは、順番が揃いました。

    一頁目  因此構釁非計之得 釁(血塗る) 搆釁・構釁で熟語
    に訂正します。

    三頁目
    者乎今我 主上殿下念軫東郡憂深中朝謀
    諸聖心者熟矣詢于拂士者廣矣而尚慮夫
    ●有遺策事或失宜親臨隣大●策我多士●
    此両端之問欲聞萬全之策臣承合主臣伏而思
    之是謀非臣所能及也雖然五餌懐敵莫試賈
    誼之術長纓係虜徒切終軍之願而今幸至前
    使有所道丹裏所激白面何嫌請以審勢得人
    之説終始申告焉
    臣●讀聖策口欝陵島止虚其地矣臣圭復再
    三隕越于下臣窃伏推環海立国畫野分界而

    四頁目
    退彼欝島亦載版籍地属関東路通日本漲海
    連天人烟不接則粤自祖宗視同異域移其民
    於邦内置此地於度外者豈非勢有所不能
    也雖然或取或舎時有前後之不同一得一失要
    在處置之如何苟能審勢而處之得人而任之
    軽重利害自主其權鎮服控制各得其宜則
    終無僨事之患而能盡保国之道矣伏願 殿
    下留心焉
    臣伏讀聖策曰近来倭人止萬全之良策歟臣
    圭復再三隕越于下島在絶海物自今古草

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  39. 五頁目
    木長焉魚龞養焉厥木巨竹其魚大鰒惟彼倭人
    惟利是貪垂●我物産生心我土地假彼竹島之名
    眩我欝陵之宲隂逞甞試之計請禁採之民其
    心巧矣其言肆矣而以 殿下緩遠之徳行先王待●
    之道不較曲直明示暁諭近侍御合冠蓋織路而
    卞其虚宲不啻日中之難決定我境界未免海
    外之無憑魷心不悛終聴●之意壑慾無厭
    惟肆貪得之心頗有不遜之状而亦多生梗之端
    以至邊鄙繹験人心危惧肆我 殿下隠憂於中
    歴問于朝而周謀孔多漢著争借朝之王朴之

    六頁目
    奇策人無如晦之善断宜殿下莫適所彼●●
    問於臣等也如臣膚淺素昧鞱畧乃敢●口妄
    論便否則不亦着當世之士宁然而揣摩時事
    所憂則有之請就聖問熟數之於前其曰 祖
    宗疆土不可與人擇送邊帥●●據守者可●
    謂守經持正之論而臣知●●●●以言之●
    王者以土地為寶者以其有●●●●國所●
    需也今欝島則不然虚無人畜●●勅種此正
    古人所謂此如石田無所用之豈可等此於有用
    之内地而捉事於外夷也今若入送邊帥以為

    七頁目
    據守之地則我軍不習操舟未踏譜水路行有之
    疫疾飄沒之憂守有浮寄孤懸之患敵来而
    可援之勢事急而無可歸之路矣誠用此●
    必敗 殿下之事矣其曰百年隣好不可相
    任其往来修勅邊備者可謂審勢槎權宜●
    論而臣知其未盡善也何以言之王者以和●
    為事者以其各守境界而無相侵奪也●●
    倭人則不然不念成約無故索地此古人●
    謂地有盡而秦之求無己者也豈慮其●
    好之有失而坐受其浸侮也今若任其往

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  40. 八頁目
    而只為退保之計則彼必喜得所欲而益無所
    忌小則有恐喝徴索之弊大則有覬覦呑険之
    患驕敵而招畏人之譏示弱而失自強之策矣
    誠用此計恐貽大朝之着矣嗚呼邊事之難處
    如此而朝議之不一如此執端用中何策為得而
    臣愚一得有異於是宋臣蘇洵之言曰不審天
    下之勢而能成天下之務難矣先儒又曰天生一世
    之才足了一世之事是故勢有順逆而審其機
    而行之則無不順成事有難易而任其才而責之
    則不見其難臣未知 殿下能盡二者之道以為

    九頁目
    安邊之本宁勢苟審矣人苟得矣今日之事
    必不至此臣於此有可言者矣嗚呼審勢之
    道其要有三地勢也時勢也兵勢也得人之
    道其大有三相臣也帥臣也使臣也臣請擧此
    六者之目以證今日之失臣謹按兵書曰不習
    地勢為賊所擒此言地勢不可不審也而廼者
    海島険遠舟輯路窮而遽欲驅不習之人試
    不測之地是可謂審地勢宁臣又按孟子曰雖
    有鎡基不如待時此言時勢不可不審也而
    廼者飢饉相仍老弱填堅而将欲擧了遺之

    十頁目
    呡拓無用之地是可謂審時勢宁臣又●●●
    知彼知巳百戦不殆此言兵勢不可不審也而
    者兵力箪弱恬憘日久而直欲用不教之●●
    韮茹之虜是可謂審兵勢宁此臣所謂●●●
    之道在於審勢而勢之不●●●何以保●●
    ●也臣聞司馬作宰相而●●●●生事●●
    戒則相臣不可不得也而廼●●●宜夷●●
    虜●朝則其可謂得相臣宁●●●淹為●●
    邊帥而西賊有驚破膽之謡則帥臣不可不●
    得也而廼者恥甚蹙傹而武之威敵則其可●

    十一頁目
    謂得帥臣宁臣聞富弼使契丹而能以大義拒●
    地之請則使臣不可不得也廼者我使相望而●
    求無己則其可謂得使臣宁此臣所謂集事之
    係於得人而人之不得也如此何以集其事也鳴呼
    其人而徒欲拓 祖宗不拓之地制 祖宗未制
    敵以若所為求若所欲非徒無益後必有●●
    與其區々於入海據島曷若先審其勢也●●●
    其屑々於勅邊修備曷若先得其人也然則●●
    日安邊之策莫急於審勢得人伏願 殿●●

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  41. matsuさん御教示の画像から判読した最後の部分を投稿します。しかし、内容的にはほとんど関係がないようです。
    ニュース映像での頁の開き方も、頁を飛ばしていたり、手話通訳者で肝心の文字遮ったり、毎度の事ながら韓国の人たちはどうしてこうも、全てのことに無頓着なのか、驚き呆れてしまいます。

    十二頁目


    ●●下懋●●

    十三頁目
       ●●寅侯大夫人壽宴詩序 謄
      ●●公奉板與守茲土之明年政通人和一同
       ●愈康宕丁無恙 我侯於是樂民之●
     ●以慶之遂邀隣邑諸宰設大酌以壽●
     ●民之有老父母者躋公堂而親酳之●
    ●其和同其慶而成其樂者也噫悦親●
    ●可以為悦不得不可以為悦得之為有財
    ●悦彼預宴諸宰五馬専城非不榮矣
    ●卛多親不逮之歎則其視我侯悦親●
    ●●●父母者孰無悦親之心而

    十四頁目?
    角戦々式如畫屏呤瓏式如雲烟飛動而菊母
    楓交暎而藻繪之悦若萬王承中繍幕高張千態
    禹状眩雍心目終不淂●蓋許多景象輸之於胞
    中方寸之地信乎造化之切無窮矣西従峻岅而下行二里
    許回到大典寺少憩門楼喫宁飯乗夕環衙盖此山自
    太白馳驟而来作鎮府東向南舟皿據中者為汲水鶴
    巣彌勒諸峰又出左右翼環抱之左翼自東而
    南青蓮奄居其脊右翼自北而西旗巌立其端
    大典寺在兩翼環抱之外又生兩翼環作外洞若
    論其形勝景致則局勢雖狭巌石最竒壮箇々
    有情境々不凡足以驚俗眼而快塵慮所聞詘於
    所見矣所謂周王東史不少概見年代国都皆不可

    十五頁目??
    攷而山城周遭猶在王窟汲水峰旗巌尚今流
    傳在人耳目則不可謂全然無稽矣余撫覧遺
    蹟柅椀而歎曰為人辟者内●其徳外禦其侮用矣
    無敵衆心成城則邊無●斗之警国有泰山之安
    高拱乎穆清之上夫誰曰不可而周王則不然軽
    棄社稷竄身巌谷苟迎朝夕之命甘住窟中之
    窮●可景裏之甚而至今山僧遊客徒知其守険
    之可誇不知其失道之可烕称●之不已余故於遊
    山之録略杼感旧懐以寓後王之鍳烕焉
    歳丁丑杪秋上浣記

    メモ 丁丑は、康熙36年・元禄10年。
    杪秋上浣は、陰暦九月上旬。
    グレゴリオ暦では1697年10月15日から10月24日に当たる。

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  42. 7ページには、仮に将兵を送って守るとしても我が軍は船に慣れていないし航路も良く分からないので嵐に遭って沈没する危険性があるし、いざというときに援軍を送るのも難しいから結局負けてしまう・・・・・・というようなことが書いてあるみたいですね。こんな状態でさらに90km先の竹島まで管理していたなんて、どっから来る発想でしょうか。

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  43. matsuさんが再びログインできないとのことで、代理で投稿します。

    二つあります

    ①----------------------------------
    小嶋日向守さま

    歳丁丑杪秋上浣記
    メモ 丁丑は、康熙36年・元禄10年。
    杪秋上浣は、陰暦九月上旬。
    グレゴリオ暦では1697年10月15日から10月24日に当たる。

    は、すごい情報ですね。この文書の年代が確定します。1697年は
    1696文科殿試の翌年、申徳函(1656~1730)は41歳、ということになります。
    前年、40歳の時に受けた試験の自分の答案を、全部写して持ち帰っていた、ということになるのでしょうか?

    この最後の年紀のあるページは、他と墨の色が違いますね。
    十三頁目に「●●寅侯大夫人壽宴詩序 謄」とあり、これ以下の部分は「大典寺」などの地名もあって、鬱陵島についての科挙の試験の答案とは別物のようです。
    試験問題1枚半分、答案12枚半分、全14枚。とありますが、この部分は「答案」ではないのではないでしょうか。

    十一頁目の終わりに「審勢得人」という、この答案のテーマになっている言葉があり、ここまでは答案だと思います。十二頁目まで続くのでしょうか。


    -----------------------------------

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  44. ②----------------------------------
    大邱地方弁護士会ホームページ(翻訳)
    http://www.daegubar.or.kr/index.php?status=menu5&code=01&no=420

    大邱地方弁護士会(会長キム・ジュンギ)は、独島と関連した朝鮮時代の史料で粛宗年間最大の外交懸案だった安龍福事件、すなわち「鬱陵島争界」の対策に関して出題された科挙の試験問題とそれに対する答案紙を発掘したと発表した。

    発掘経緯
    大邱地方弁護士会は、独島領有権に関する法律的、論理的根拠を調査・研究・審議する独島特別委員会(委員長チェ・ポンテ)を置いている。この特別委副委員長パン・ムンイル弁護士は、最近、慶山市河陽邑にある社団法人国学研究所大邱・慶北支部(支部長ファン・ヨンレ)が所蔵している古文書中に独島と関連した文書を発見し、委員会に報告した。所蔵者は、上の文献の作成者が朝鮮粛宗時の義城地域の儒者の申徳函だと明らかにした。独島特別委員会は、独島専門家の韓亜文化研究所・柳美林博士にこの文書の翻訳と史料的意味の解釈を依頼した。

    所蔵者
    所蔵者である社団法人国学研究所大邱・慶北支部は、2007年、嶺南地域の烈士らの一生を再照明して民族の主体性確立と国学研究の発展を期すために設立された団体として、現在の国内唯一の原形そのままの喪輿と喪輿チプを保存しており、約2万点余りの古文書を保管している。

    柳美林博士の意見
    1693年に起きたいわゆる「安龍福事件(鬱陵島争界=鬱陵島と独島に関する韓日間の境界紛争)」により、粛宗が科挙試験にこれに関する問題を出題し、その対策を記述するようにしたことを明らかにする文書が初めて発見された。慶尚北道義城地域の儒者であった申徳函(1656-1730)の文集中に載っている対策がそれだ。これは粛宗年間最大の外交懸案だった安龍福事件、すなわち「鬱陵島争界」問題について出題された科挙の試験問題とそれに対する答案だ。試験問題1枚半分、答案12枚半分、全14枚(A4サイズ)からなるこの史料は、「鬱陵島争界」の対日対処方案を模索しようとする朝廷の大臣の意見を提示し、これに対して受験者の意見を求める形式になっている。すなわち典型的な「策問」と「対策」形式になっており、この史料が科挙の試験に出題されたことを表わしている。この史料が持つ価値は、「鬱陵島争界」の関連記録が朝鮮王朝実録などをはじめ官撰史書に残っている中で、この策問の存在が新しく世の中に知られることにより、当時の韓日間の独島の領有権が朝鮮にあったことを明確にしており、この事件が国家的な重大事だったことをうかがわせている点だ。柳美林博士は、この文書と関連した論文を『独島研究所領土海洋研究』というジャーナルに紹介する予定だ。

    大邱地方弁護士会の意見
    独島特別委員会は、現在の独島問題は、領土ナショナリズムでは絶対解決することができず、むしろ申徳函の対策、すなわち「審勢得人」の解決策が、私たち国民が実践可能で現実的だと見ている。申徳函は答案で「辺帥を送り占拠して守ろう」という方法と、「彼らの往来を許容し、私たちが辺境防備を適切にしよう」という「審勢権宜」の方法が既に示されていたが、二つとも根本的な対策にはならないと主張して、「審勢得人」の方法を使おうと提言した。この「審勢得人」の方法は、国内の対策担当者をよく選定し、さらに、徳を通して、日本において、不当な領土野心に反対する良心的な人々を得ていく(得人)という方法が一番だ、ということと解釈される。これは、最近、東京教職員労組および北海道教祖が「独島は日本領土だという根拠がない」という主張をしており、このような人々を持続的に得ていくことが最も良い方策であると示唆する点が多い。継続的に反復される日本の独島問題についての妄言と挑発に対し、過度に感情的な対応を自制し、より学術的で論理的な対応が必要だと判断され、このために大邱地方弁護士会は、継続的な史料収集と共に研究を継続していく。また、この史料の発掘を契機に、現在も、個人または団体で個別的に所蔵していると推定される多くの発表されていない独島関連文書が発掘され、体系的に管理されることを希望する。
    ----------------------------------

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  45. matsu様、翻訳ありがとうございます。
     推察するに、あと約3頁分の画像情報が欠落していて、それは、おそらく十一頁の後に続き、さらに、それが、「●●下懋●●」に続くのでしょう。同じ頁の写真を何枚も貼るより、全頁の写真を早く公開して欲しいものです。
     また、苟(いやしく)も、法律の専門家である、大邱地方弁護士会のホームページに、意見を述べるなら、「審勢得人」しか解決策が考えられなかった三百年前と違って、現在は国際司法裁判所という解決策があることに考えが及ばないのは破廉恥の一語に尽きます。

    Chaamiey様、同感です。
     一頁目で、鬱陵島のことを、「人烟不通」と形容していましたが、四頁目にも、「人烟不接」としています。
     三頁目の最後の文で、「臣●讀」の●の字は点がありませんが、「臣伏讀」でした。この文でも鬱陵島を国境と考えていることが読み取れます。なお、この文にある、隕越という熟語は、(深く願うあまり、常識を失う)の意味で、現代に通じる韓国人らしさが出ていて苦笑してしまいます。
     五頁目にも、鬱陵島を「我境界」としたい意思が読み取れます。七頁でも、彼らが守りたい「境界」が、鬱陵島であることが読み取れます。
    十、十一頁目には、鬱陵島ですら、「拓無用之地」「不拓之地」という表現がありますので、現在の竹島まで李朝が実効支配していた史料だと、これをこじつけるのは無理があり過ぎます。

    メモ 
    賈誼 (紀元前200年-紀元前168年)前漢の政治思想家
    王朴(生年不詳-959年)後周の宰相
    蘇洵(1009年-1066年)北宋の文人、蘇軾の父

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  46. 六頁目の訂正です。手話通訳者で隠れていた部分が判明しました。

    奇策人無如晦之善断宜殿下莫適所彼●●
    問於臣等也如臣膚淺素昧鞱畧乃敢●口妄
    論便否則不亦着當世之士乎然而揣摩時事
    所憂則有之請就聖問熟數之於前其曰 祖
    宗疆土不可與人擇送邊帥先自據守者可
    謂守經持正之論而臣知是不可用也何以言之
    王者以土地為寶者以其有人畜財穀而為國所
    需也今欝島則不然虚無人畜麻不耕種此正
    古人所謂此如石田無所用之豈可等此於有用
    之内地而捉事於外夷也今若入送邊帥以為

    據守之地則我軍不習操舟未諳水路行有之

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  47. matsuさんの代理投稿です

    ①--------------------------------------
    申徳函文書解読

    王の出題に対する答案の部分です。
    わからない字だらけで、頼みは「対句」と、「矣」や「也」などの字です。

    子大夫、讀書談道。餘必講「安邊・靖国之献」、其各悉著于篇。謄。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    臣對。
    臣聞、保国之道、在於審勢。集事之機、係於得人。
    能審其勢、則国無不保。苟得其人、則本而不集。

    是以、
    漢元之弁珠厓、近於蹙土損威。而中国得以無虞者、以其審勢、而處之也。
    齊威之用田盼、不過守邊一吏。而趙人不敢東漁者、以其得人、而任之也。
    此豈非前事之明験、而後王之可監者乎。

    今我主上殿下、念軫東郡、憂深中朝。謀諸聖心者熟矣。詢于拂士者廣矣。
    而尚慮夫●有遺策事、或失宜親臨、隣大●策我多士●此両端之問、欲聞「萬全之策」。

    臣承合主、臣伏而思之、是謀非臣所能及也。
    雖然五餌懐敵、莫試賈誼之術、長纓係虜徒、切終軍之願、
    而今幸至、前使有所道。丹裏所激白面、何嫌請以「審勢・得人之説」。終始申告焉。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・
    臣伏讀聖策曰、
    欝陵島止虚其地矣。
    臣圭復、再三隕越于下臣、窃伏推環海、立国畫野分界。
    而退彼欝島、亦載版籍地、属関東路。通日本漲海、連天人烟不接。

    則粤自祖宗視同異域、移其民、於邦内置此地。於度外者、豈非勢有所不能也。
    雖然或取或舎、時有前後之不同。一得一失、要在處置之如何。

    苟能審勢、而處之得人、而任之軽重、利害自主、其權鎮服、控制各得。
    其宜、則終無僨事之患。而能盡保国之道矣。伏願 殿下留心焉。
    ・・・・・・・・・・・・・
    臣伏讀聖策曰、
    近来倭人止、萬全之良策歟。
    臣圭復、再三隕越于下島、在絶海物、自今古草木長焉、魚龞養焉、厥木巨竹、其魚大鰒。惟彼倭人、惟利是貪。垂●我物産、生心我土地、假彼竹島之名。
    眩我欝陵之宲、隂逞甞試之計。請禁採之民、其心巧矣。其言肆矣。

    而以殿下、緩遠之徳行、先王待●之道、
    不較曲直明、示暁諭近侍、御合冠蓋織路、
    而卞其虚宲、不啻日中之難。決定我境界、未免海外之無。
    憑魷心不悛終聴●之意。壑慾無厭、惟肆貪得之心。
    頗有不遜之状、而亦多生梗之端。

    以至邊鄙繹験、人心危惧、肆我殿下隠憂、於中歴問于朝。
    而周謀孔多、漢著争借、朝之王朴之奇策、人無如晦之善。
    断宜殿下、莫適所彼●●、問於臣等也。
    如臣膚淺、素昧鞱畧、乃敢●口、妄論便否、則不亦着、當世之士。
    宁然而揣摩時事、所憂則有之請。就聖問、熟數之。

    ------------------------------------------

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  48. ②--------------------------------------
    (第一の説への反論)
    於前其曰『祖宗疆土、不可與人、擇送邊帥、●●據守』者、可●謂「守經・持正之論。」
    而臣知、●●●●以言之●。

    王者以土地為寶者。以其有●●●●國所●需也。
    今欝島、則不然虚無、人畜●●、勅種此正。古人所謂、此如石田、無所用之、豈可等此、於有用之内地、而捉事於外夷也。

    今若入送邊帥、以為據守之地。
    則、我軍不習、操舟未踏、譜水路行、有之疫疾・飄沒之憂。
    守有浮寄、孤懸之患。敵来而可援之勢、事急而無可歸之路矣。
    誠用此●、必敗殿下之事矣。

    (第二の説への反論)
    其曰、『百年隣好、不可相、任其往来、修勅邊備』者、可謂「審勢・槎權宜●論」。
    而臣知、其未盡善也。

    何以言之、王者以和●為事者、以其各守境界、而無相侵奪也。
    ●●倭人則不然、不念成約、無故索地。此古人●謂地有盡、而秦之求無己者也。
    豈慮其●好之有失。而坐受其浸侮也。

    今若任其往、而只為退保之計。則彼、必喜得所欲、而益無所忌。
    小則有、恐喝・徴索之弊。大則有、覬覦・呑険之患。
    驕敵而招畏人之譏示弱、而失自強之策矣。
    誠用此計、恐貽大朝之着矣。

    嗚呼、邊事之難處、如此。
    而、朝議之不一、如此。執端用中、何策為得。而、臣愚一得有異。

    ------------------------------------------

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  49. ③--------------------------------------
    (解決策)

    於是、宋臣蘇洵之言曰、『不審天下之勢、而能成天下之務難矣』。
    先儒又曰、『天生一世之才、足了一世之事』。
    是故、勢有順逆、而審其機、而行之、則無不順成事。
    有難易而任其才、而責之、則不見其難、臣未知。

    殿下、能盡二者之道、以為安邊之本。宁勢苟審矣。人苟得矣。
    今日之事、必不至此。臣於此、有可言者矣。

    嗚呼、
    審勢之道、其要有三。地勢也、時勢也、兵勢也。
    得人之道、其大有三。相臣也。帥臣也。使臣也。
    臣請、擧此六者之目、以證今日之失。

    臣謹按、兵書曰
    『不習地勢、為賊所擒』。此言、地勢不可不審也。
    而廼者、海島険遠、舟輯路窮。而遽欲驅不習之人、試不測之地。
    是可謂、審地勢。

    宁臣又按、孟子曰
    『雖有鎡基、不如待時』。此言、時勢不可不審也。
    而廼者、飢饉相仍、老弱填堅。而将欲擧了遺之呡、拓無用之地。
    是可謂、審時勢。

    宁臣又●●●
    『知彼知巳、百戦不殆』。此言、兵勢不可不審也。
    而者、兵力箪弱、恬憘日久。而直欲用不教之●、●韮茹之虜。
    是可謂、審兵勢。

    宁此臣、所謂●●●之道、在於審勢、而勢之不●●●、何以保●●●也。

    臣聞。
    司馬作宰相、而●●●●生事●●戒。則相臣、不可不得也。
    而廼●、●●宜夷、●●虜●朝。則其可謂、得相臣。

    宁●●
    ●淹為●●邊帥、而西賊有驚破膽之謡。則帥臣、不可不●得也。
    而廼者、恥甚蹙傹、而武之威敵、則其可●謂、得帥臣。

    宁臣聞、
    富弼使契丹、而能以大義、拒●地之請。則使臣、不可不得也。
    廼者、我使相望、而●求無己。則其可謂、得使臣。

    宁此臣所謂集事之係、於得人。而人之不得也。如此、何以集其事也。

    鳴呼、
    其人而徒欲、拓祖宗不拓之地。制祖宗未制敵。
    以若所為求、若所欲非徒、無益後必有●●與其區々於入海、據島。

    曷若先審其勢也、●●●其屑々於勅邊修備。
    曷若先得其人也、然則●●日、安邊之策。
    莫急於「審勢、得人」。伏願 殿●●。

    (以上、十一頁目まで)
    これで答案が「9枚半」ですが、これで終わっているような雰囲気もあります。

    ------------------------------------------

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  50. 小嶋日向守さんの訂正により読み替えます。
    「而臣知、是不可用也。何以言之。」と「今欝島、則不然。虚無人畜、麻不耕種。」
    が大事な所ですね。
    それにしても、小嶋さんの超人的な読み取り能力にはまったく脱帽します。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・・・奇策、人無如晦之善。
    断宜殿下莫適所、彼●●問於臣等也。
    如臣膚淺、素昧鞱畧、乃敢●口、妄論便否、則不亦着當世之士乎。
    然而揣摩時事、所憂則有之請。就聖問、熟數之。

    (第一の説への反論)
    於前其曰、『祖宗疆土、不可與人。擇送邊帥、先自據守』者、可謂「守經・持正之論」。
    而臣知、是不可用也。
    何以言之。
    王者以土地為寶者、以其有人畜財穀、而為國所需也。
    今欝島、則不然。虚無人畜、麻不耕種。
    此正古人所謂、此如石田、無所用之。
    豈可等此於有用之内地。而捉事於外夷也。
    今若入送邊帥、以為據守之地、
    則、我軍不習操舟、未諳水路行有之 ・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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  51. この部分ではないですが、よく出てくる「宁」はどういう意味でしょうか。いま後ろの文字にくっつけていますが、前の文字にくっつくのかもしれません。
    それから、最初のところで、
    臣對。
    臣聞、保国之道、在於審勢。集事之機、係於得人。
    能審其勢、則国無不保。苟得其人、則本而不集。
    の最後、「苟得其人、則本而不集」の「而」は、何か否定の言葉が入るのだと思います。「無」ではないようで、私には読み取れませんが。

    いずれにしろ、
    「今回発見された文献に関する論文は、来月「独島研究所 領土と海洋」というジャーナルに紹介される予定です。」(MBCニュース)
    「解釈を入れた内容は、来月、独島研究所 領土海洋研究集に紹介される予定です。」(KBSニュース)
    「柳美林博士は、この文書と関連した論文を『独島研究所領土海洋研究』というジャーナルに紹介する予定だ。」(大邱地方弁護士会ホームページ)
    とありますので、柳美林女史が「来月」すなわち12月に、翻刻と解釈を入れた論文を発表すると思います。

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  52. 十頁目の訂正です。
    手話通訳者で隠れていた部分がかなり判明しました。
    申徳函は、「巳」と書き誤っていましたが、「知彼知己百戦不殆」ですから「己」です。
    また「宁」か「乎」か悩んだ文字は殆どが「乎」でした。スミマセンでした。

    呡拓無用之地是可謂審時勢乎臣又按孫子曰
    知彼知己百戦不殆此言兵勢不可不審也而廼
    者兵力箪弱恬憘日久而直欲用不教之●●
    匪茹之虜是可謂審兵勢乎此臣所謂得人
    之道在於審勢而勢之不辶蓫如此何以保
    國也臣聞司馬作宰相而其虜有●●生本以
    戒則相臣不可不得也而廼者厂無莫宜夷
    虜●朝則其可謂得相臣乎臣聞仲淹為
    邊帥而西賊有驚破膽之謡則帥臣不可不
    得也而廼者恥甚蹙傹而武之威敵則其可

    メモ 司馬作
    范仲淹

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  53. matsuさんに対句を整理して頂いたので、意味が分かりやすくなりました。

    七頁目の最下列の判読不能文字の数が、画像処理で判明しました。

    據守之地則我軍不習操舟未諳水路行有●
    疫疾飄沒之憂守有浮寄孤懸之患敵来而●
    可援之勢事急而無可歸之路矣誠用此計
    必敗 殿下之事矣其曰百年隣好不可相● (矣か?)
    任其往来修勅邊備者可謂審勢權宜之
    論而臣知其未盡善也何以言之王者以和●
    為事者以其各守境界而無相侵奪也●
    倭人則不然不念成約無故索地此古人●
    謂地有盡而秦之求無己者也豈慮其●
    好之有失而坐受其浸侮也今若任其徃●

    十頁の五行目 辶は、「迹」かも知れません。

    十一頁の五行目が、記載漏れでした。挿入願います。 
    「殿下於三者之勢既不能審處三者之任又不」

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  54. 二頁目は、本而ではなくて「事冏」でしょうか、ピントが惚けていてよく見えませんが、
    口ではなく、巳のようにも見えますが、回という字には、囘という異体字がありますから、冏の口を巳と書くこともあるのかも知れません。

    十頁の「匪茹之虜」という熟語に続く、六行目
    國也臣聞司馬作宰相而其虜有●勹生事以
    も、本ではなくて「生事以」だったみたいですね。

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  55. どうやらまたもや竹島は朝鮮の統治下になかったとの証拠を、韓国人は掘り出してきたようですね。ところが「鬱陵島」とあれば「鬱陵島+独島」と自動的に置き換えてしまう彼らは、そのことに気づいていないようです。嗤うべきか、哀れむべきか……。

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  56. 十一頁目の訂正です。

    謂得帥臣乎臣聞富弼使契丹而能以大義拒●
    地之請則使臣不可不得也而廼者我使相望而●
    求無己則其可謂得使臣乎此臣所謂集事之機
    係於得人而人之不得也如此何以集其事也嗚呼
    殿下於三者之勢既不能審處三者之任又不●
    其人而徒欲拓 祖宗不拓之地制 祖宗未制●
    敵以若所為求若所欲非徒無益後必有宲
    與其區々於入海據島曷若先審其勢也●
    其屑々於勅邊修備曷若先得其人也然則今
    日安邊之策莫急於審勢得人伏願 殿

    この他
    三頁の三行目の親臨隣大を「親臨大」に訂正。
    三頁の九行目の聖策口を「聖策曰」に訂正。
    五頁の二行目の垂●我を「垂涎我」に訂正。
    五頁の四行目の王待●を「王待夷」に訂正。「先王待夷狄」という成語がある。
    九頁の十行目の擧了遺を「擧孑遺」に訂正。「孑(ゲツ)」あるいは、「不」の誤記か。

    メモ 富弼(1004~1083)

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  57. 王様の出した朝廷内の二つの意見のうちのどちらをとるべきか、またそれとは別に「万全の良作」はあるか、という問いに、科挙の受験生たちは、自分の考えを述べるわけですが、それによって、当時の朝鮮王朝が、鬱陵島をどのように把握していたかを知ることができます。

    まず、「鬱陵島に軍事力を送って死守せよ」、という説には、無理だといって反論しています。

    (第一の説への反論)
    於前其曰、『祖宗疆土、不可與人。擇送邊帥、先自據守』者、可謂「守經・持正之論」。
    而臣知、是不可用也。

    何以言之。
    王者以土地為寶者、以其有人畜財穀、而為國所需也。
    今欝島、則不然。虚無人畜、麻不耕種。
    此正古人所謂、此如石田、無所用之。
    豈可等此於有用之内地。而捉事於外夷也。

    今若入送邊帥、以為據守之地、
    則、我軍不習操舟、未踏譜水路行、有之疫疾・飄沒之憂。
    守有浮寄、孤懸之患。敵来而可援之勢、事急而無可歸之路矣。
    誠用此●、必敗殿下之事矣。
    (つづく)

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  58. あるものの意見に言う。
    『先祖代々の領土を他人に与えるわけにはいかない。邊帥(辺境を守る将軍)を選んで送り、鬱陵島を拠点として死守せよ』というが、これは「守經・持正之論」というべきである。私の考えでは、これを用いることはできない。(これを用いてはいけない。)
    なぜか。
    王者は土地を以て寶となし、その土地に人畜や財穀があってはじめて、国の需となるのである。ところが鬱陵島は違う。人畜もおらず、麻を栽培する土地もない。
    これはまさに、古人のいうところの、石だらけの田は、之を用いる所が無い。ということである。鬱陵島は、有用の内地と同じであろうか。決してそうではない。(=無用の外地である!)而捉事於外夷也。(不明)しかも、外夷と事を起こすところである。(?)
    いま、もし、邊帥を送って、據守の地としようとすると、なにしろ我が軍は船の扱いに慣れておらず、行ったこともない水路を行けば、途中で病気が発生したり、漂流して沈没してしまう危険がある。
    また、守有浮寄、孤懸之患。(ここ不明。ああるいは別字か? とにかく、何か悪いことが起る。鬱陵島を拠点して守っていても、次の兵站がないわけだから、孤立してしまう恐れがある?)
    敵来而可援之勢、事急而無可歸之路矣。誠用此●、必敗殿下之事矣。
    そして敵が(日本側が)やってきて応援の勢いを見せれば、帰る路はなくなってしまう。
    この策を用いれば、必ずその政策は失敗に終わる。

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  59. Chaamieyさんも指摘したところですが、ここは重要です。
    我軍不習操舟、未踏譜水路行、有之疫疾・飄沒之憂。
    は、大事なポイントだと思います。
    「未踏の水路」というところは、とくに大事です。

    ところで、この「譜」はどういう意味でしょうか? あるいは別字でしょうか?

    二つ目は、また今度にします。

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  60. 動作テストです(後で消します)

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  61. This comment has been removed by the author.

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  62. 訂正追加
    三頁の三行目の大●策を「大庭策」に訂正。
    十頁の八行目の虜●朝を「虜輕朝」に訂正。
    七頁は、

    據守之地則我軍不習操舟未諳水路行有●
    疫疾飄沒之憂守有浮寄孤懸之患敵来而●
    可援之勢事急而無可歸之路矣誠用此計
    必敗 殿下之事矣其曰百年隣好不可相矣

    踏や譜は、私のミスです。「未諳水路」に訂正願います。

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  63. 皆さんの徹底追及の姿勢には脱帽です。それで、及ばずながら、ごく一部についての解釈案です。

    7ページの「守有浮寄孤懸之患」は、「守るに有っても拠点(寄)がおぼつかず(浮)孤立するおそれがある」でどうでしょうか。辞書に「孤懸月」(ぽつんとさびしく空にかかっている月)という説明がありました。

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  64. 訂正追加です。

    三頁の三行目の多士●を「多士辱」に訂正。
    六頁の二行目の敢●口を「敢辱口」に訂正。

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  65. 度々で恐縮ですが、七頁の最下段の文字の判明分です。

    七頁目
    據守之地則我軍不習操舟未諳水路行有疾
    疫飄沒之憂守有浮寄孤懸之患敵来而無
    可援之勢事急而無可歸之路矣誠用此計
    必敗 殿下之事矣其曰百年隣好不可相失
    任其往来修勅邊備者可謂審勢權宜之
    論而臣知其未盡善也何以言之王者以和●
    為事者以其各守境界而無相侵奪也●   (夫か矣か人)
    倭人則不然不念成約無故索地此古人所
    謂地有盡而秦之求無己者也豈慮其陡可
    好之有失而坐受其浸侮也今若任其徃来

    十一頁の五行目
    殿下於三者之勢既不能審處三者之任又不能     能が判明

    三頁の三行目の「美」に似た文字は、「美」と判読しました。
    五頁の七行目の 聴●之を「聴合之」と判読しました。

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  66. matsuさんのコメントがまたはじかれたそうなので、代理投稿します。

    ①--------------------------------------
    なるほど、「未諳水路」ですね。

    「諳」という漢字は、昭和31年に国語審議会によって「暗」という形に書き換えられました。「諳」は「そらで読む」という意味の漢字です。
    この漢字の訓読み「諳んじる(そらんじる)」という言葉が「暗記」と類義の言葉です。(「暗記」も昔は「諳記」と書いていました)
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411644734

    「未諳の水路」ということは、水路を「諳んじる(そらんじる)」ことができない、ということになり、鬱陵島への航路が確定的なものではなかった、つまり行けるか行けないかもわからない状態だった、ということになります。
    鬱陵島の支配自体がおぼつかなかったことを現わします。

    この科挙の2年前、1694年の9月~10月に鬱陵島に行った張漢相は、
    「積年、空棄之地」と言っていますから、それも頷けます。
    http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/05/1693-1703.html

    (7-13)積年空棄之地
    http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/03/1693-1703.html

    反対に、日本からは、大屋・村川両家が、毎年交替で、確実に鬱陵島での漁をしていたわけですから、航路としてはしっかりと確立していたことになります。

    ----------------------------------------

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  67. ②--------------------------------------
    (第二の説への反論の部分です)

    其曰、『百年隣好、不可相●。任其往来、修勅邊備』者、可謂「審勢・權宜之論」。
    而臣知、其未盡善也。

    何以言之。
    王者以和●為事者、以其各守境界、而無相侵奪也。
    ●倭人則不然。不念成約、無故索地。
    此古人●謂「地有盡、而秦之求無己者」也。
    豈慮其●好之有失、而坐受其浸侮也。

    今若任其往、而只為退保之計。
    則、彼必喜得所欲、而益無所忌。
    小則有、恐喝・徴索之弊。
    大則有、覬覦・呑険之患。
    驕敵而招畏人之譏、示弱而失自強之策矣。
    誠用此計、恐貽大朝之着矣。

    また別の意見は言う。
    『百年の隣好は、お互いに失ってはならない。日本の鬱陵島への往来を自由にさせ、辺境の守りをきちんとすれば良い』と言うが、これは、「審勢・權宜の論」と言うべきである。
    私の考えでは、これは最善の策ではない。

    なぜか。
    王者は和を以って事となすというのは、それぞれ境界を守ってお互いに侵奪をしないということである。ところが倭人はそんな連中ではない。約束を守らず、無故索地。(不明)これはまさに、古人のいうところの「天下の土地がすべてなくなってはじめて、秦は侵略をやめる」ということである。日本との友好をおもんぱかって、座してその浸侮を受けるべきだろうか。決してそうではない。

    いま、もし日本の鬱陵島への往来を認めれば、それは「退保の計」である。すなわち日本は喜んでその欲を満たそうとし、はばかるところがないであろう。
    これは、小さく言えば、「恐喝・徴索の弊」を受けることであり、大きく言えば「覬覦・呑険の患」があるということである。
    驕った敵は、畏人の譏(?)をまねく。弱さを見せれば「自強の策」を失うこととなる。
    誠に、この計を用いれば、恐らくは大朝の着(これ、別字か。何か悪いこと)をもたらすことになる。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    この第二の説への反論は、鬱陵島についての具体的な説明や言及は無く、当時の鬱陵島の状況を知るにはあまり有益でない部分でしたね。
    具体的に鬱陵島についてのべているところを解釈したほうがよさそうです。

    四頁目の
    彼欝島、亦載版籍地、属関東路。通日本漲海、連天人烟不接。

    かの鬱陵島は、また、(朝鮮の)版籍にのせ、関東路(=江原道)に属している。
    のあとの、「通日本漲海連天人烟不接」というのは何でしょうか?
    「日本に通じる海」という意味でしょうか。

    ----------------------------------------

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  68. 「漲海連天」の語は、唐の韓愈の詩に有りました。従ってこの文の区切りは
    「…通日本。漲海連天、人烟不接」でしょう。
    六頁の一行目の所彼●●を「所彼而得」に訂正。
    七頁の七行目の奪也●を「奪也今」に訂正。
    為事者以其各守境界而無相侵奪也今 (人と見えた中にラが有りました)

    さらに、matsuさんの解釈により、誤字が判明した
    七頁の七行目の 求無己を「求無已」に訂正します。
    また、これを承けて
    十一頁の二行目の、●求無己は、「秦之求無已」かとも考えました。
    しかし、上部が僅かに見える字体は偏と旁からなる漢字に見えまして、又字数がここは一字と考えられるため、「詭求無已」という成語を推定してみました。従って、
    十一頁の二行目から三行目に掛けて、●求無己を「詭求無已」としてみます。

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  69. 訂正追加です。

    十一頁の一行目は、ウ冠とりっとう(宀刂)が見えますので、「割」と判読出来ますので、
    拒●地之請を「拒割地之請」と判読しました。

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  70. なるほど、「連天」は水(海)が天まで連なるということでしたか。そうすると「彼欝島 亦載版籍地 属関東路 通日本 漲海連天 人烟不接」は、その鬱陵島は我が国の版籍に載り江原道に属するが、日本へ通ずる海が遥かに続き人は全くいない、というところでしょうかね。
    人烟=人煙=人家ということのようで。

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  71. matsuさんの代理投稿です

    --------------------------------------
    だんだん明らかになっていきますね。すばらしいです。

    こうしてみると、私の区切りは間違っていて、

    彼欝島、亦載版籍、地属関東。路通日本、漲海連天、人烟不接。

    とすると、4字ずつになって綺麗ですね。

    かの鬱陵島は、また朝鮮の版籍に載せてあり、その地は関東(=江原道)に属している。
    路は日本に通じているが、漲海が天に連なり、人烟は不接である。

    人烟は人家であるとするChaamieyさんの説に賛成ですが、最後の「接」は別字の可能性はありませんかね。

    それから、「路通日本」とすると、これまた重要で、当時、科挙の試験を受ける一般の知識人クラスまでが、鬱陵島への路が日本に通じている、ということを知っていたことになります。(政府の人間ばかりでなく在野の人間が、という意味です。)

    「鬱陵島の東」がどうなっているかについて、当時の朝鮮王朝がどういう認識を持っていたか、ということについては、このブログでもかつて大論争がありましたが、その参考になる話だと思います。

    ----------------------------------------

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  72. 「日本に通ずる関東路に属する鬱陵島が境界の地である」という朝鮮知識人の共通理解からすれば、鬱陵島より遙か彼方に見えた島は、彼らが日本領だと認識していた証拠の記述になると思います。

    なお本日の訂正分は十頁の六行目を
    「國也臣聞司馬作宰相而北虜有●句生事」に訂正です。
    あと、前頁を反転させて、画像処理した結果、
    不教之●●匪茹之虜 を「夷●匪茹之虜」

    何以言之王者以和● を「以和親」のような文字とみました。

    まあ、あと少し待てば、柳女史の論文が出るのでしょうが、例え、画像を隠されても、私たちが、ここまで到達したのだという、到達点を示すためにもう少し頑張りましょう。

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  74. しまった。matsuさんの指摘に従って昨日
    「着」を「羞」と訂正したのを忘れていました。

    二カ所、直して下さい。

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  75. 私なりの判読が完了しました。十一頁までの全文です。括弧で括った部分は怪しいので、訂正願います。全文をコピーして、対句部分を揃えて区切ったり、整理して戴ければ、印象も変わり新発見もあると思います。


    王若曰欝陵島退在東海中輿地勝覧屬之江
    原道雖云我國地而水路険遠人烟不通 祖宗
    朝刷還逃民遂虚其地矣近来倭人貪其篠蕩
    鰒魚之利假名竹島指為厥土請禁我民越境
    漁採屡遣近侍暁諭 竹欝之虚宲境界之有別
    而終無聴順之意頗有生梗之端予用是慮廣
    詢朝議則或以為 祖宗疆土不可與人而一為彼
    有則東界無蔽候風出沒情偽難測莫如擇送
    邊帥先自據守或以為海外小島自是空地而
    百年隣好不可相失因此構釁非計之得莫

    如任其徃来修勅邊備而己推此二説何者為
    得而抑此外別有萬全之良策歟子大夫讀
    書談道之餘必請安邊靖国之猷其各悉著
    于篇謄
    臣對臣聞保国之道在於審勢集事之機係於
    得人能審其勢則国無不保苟得其人則事冏
    不集是以漢元之弁珠厓近於蹙土損威而中
    国得以無虞者以其審勢而處之也齊威之用
    田盼不過守邊一吏而趙人不敢東漁者以其得
    人而任之也此豈非前事之明験而後王之可監

    者乎今我 主上殿下念軫東郡憂深中朝謀
    諸聖心者熟矣詢于拂士者廣矣而尚慮夫
    美有遺策事或失宜親臨大庭策我多士辱
    此両端之問欲聞萬全之策臣承合主臣伏而思
    之是謀非臣所能及也雖然五餌懐敵莫試賈
    誼之術長纓係虜徒切終軍之願而今幸至前
    使有所道丹裏所激白面何嫌請以審勢得人
    之説終始申告焉
    臣伏讀聖策曰欝陵島止虚其地矣臣圭復再
    三隕越于下臣窃伏推環海立国畫野分界而

    退彼欝島亦載版籍地属関東路通日本漲海
    連天人烟不接則粤自 祖宗視同異域移其民
    於邦内置此地於度外者豈非勢有所不能
    也雖然或取或舎時有前後之不同一得一失要
    在處置之如何苟能審勢而處之得人而任之
    軽重利害自主其權鎮服控制各得其宜則
    終無僨事之患而能盡保国之道矣伏願 殿
    下留心焉
    臣伏讀聖策曰近来倭人止萬全之良策歟臣
    圭復再三隕越于下島在絶海物自今古草

    木長焉魚龞養焉厥木巨竹其魚大鰒惟彼倭人
    推利是貪垂涎我物産生心我土地假彼竹島之名
    眩我欝陵之宲隂逞甞試之計請禁漁採之民其
    心巧矣其言肆矣而以 殿下緩遠之徳行先王待夷
    之道不較曲直明示暁諭近侍御合冠蓋織路而
    卞其虚宲不啻日中之難決定我境界未免海
    外之無憑魷心不悛終無聴合之意壑慾無厭
    惟肆貪得之心頗有不遜之状而亦多生梗之端
    以至邊鄙繹験人心危惧肆我 殿下隠憂於中
    歴問于朝而周謀孔多漢著争借朝之王朴之

    奇策人無如晦之善断宜殿下莫適所彼而得
    問於臣等也如臣膚淺素昧鞱畧乃敢辱口妄
    論便否則不亦羞當世之士乎然而揣摩時事
    所憂則有之請就聖問熟數之於前其曰 祖
    宗疆土不可與人擇送邊帥先自據守者可
    謂守經持正之論而臣知是不可用也何以言之
    王者以土地為寶者以其有人畜財穀而為國所
    需也今欝島則不然虚無人畜麻不耕種此正
    古人所謂此如石田無所用之豈可等此於有用
    之内地而捉事於外夷也今若入送邊帥以為

    據守之地則我軍不習操舟未諳水路行有疾
    疫飄沒之憂守有浮寄孤懸之患敵来而無
    可援之勢事急而無可歸之路矣誠用此計
    必敗 殿下之事矣其曰百年隣好不可相失
    任其往来修勅邊備者可謂審勢權宜之
    論而臣知其未盡善也何以言之王者以和(親)
    為事者以其各守境界而無相侵奪也今
    倭人則不然不念成約無故索地此古人所
    謂地有盡而秦之求無已者也豈慮其陡可
    好之有失而坐受其浸侮也今若任其徃来

    而只為退保之計則彼必喜得所欲而益無所
    忌小則有恐喝徴索之弊大則有覬覦呑険之
    患驕敵而招畏人之譏示弱而失自強之策矣
    誠用此計恐貽大朝之羞矣嗚呼邊事之難處
    如此而朝議之不一如此執端用中何策為得而
    臣愚一得有異於是宋臣蘇洵之言曰不審天
    下之勢而能成天下之務難矣先儒又曰天生一世
    之才足了一世之事是故勢有順逆而審其機
    而行之則無不順成事有難易而任其才而責之
    則不見其難臣未知 殿下能盡二者之道以為

    安邊之本乎勢苟審矣人苟得矣今日之事
    必不至此臣於此有可言者矣嗚呼審勢之
    道其要有三地勢也時勢也兵勢也得人之
    道其大有三相臣也帥臣也使臣也臣請擧此
    六者之目以證今日之失臣謹按兵書曰不習
    地勢為賊所擒此言地勢不可不審也而廼者
    海島険遠舟輯路窮而遽欲驅不習之人試
    不測之地是可謂審地勢乎臣又按孟子曰雖
    有鎡基不如待時此言時勢不可不審也而
    廼者飢饉相仍老弱填堅而将欲擧孑遺之

    呡拓無用之地是可謂審時勢乎臣又按孫子曰
    知彼知己百戦不殆此言兵勢不可不審也而廼
    者兵力箪弱恬憘日久而直欲用不教之(夷寇)
    匪茹之虜是可謂審兵勢乎此臣所謂得人
    之道在於審勢而勢之不遮遂如此何以保
    國也臣聞司馬作宰相而北虜有(傿句)生事
    戒則相臣不可不得也而廼者(仄無)莫宜夷
    虜輕朝則其可謂得相臣乎臣聞仲淹為
    邊帥而西賊有驚破膽之謡則帥臣不可不
    得也而廼者恥甚蹙傹而武之威敵則其可

    謂得帥臣乎臣聞富弼使契丹而能以大義拒割
    地之請則使臣不可不得也而廼者我使相望而詭
    求無已則其可謂得使臣乎此臣所謂集事之機
    係於得人而人之不得也如此何以集其事也嗚呼
    殿下於三者之勢既不能審處三者之任又不能
    其人而徒欲拓 祖宗不拓之地制 祖宗未制
    敵以若所為求若所欲非徒無益後必有宲
    與其區々於入海據島曷若先審其勢也亦
    其屑々於勅邊修備曷若先得其人也然則今
    日安邊之策莫急於審勢得人伏願 殿

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  76. 修正後に従って読んで見ます。まだわからない所が多いです。

    王若曰。
    欝陵島、遥在東海中。輿地勝覧、屬之江原道。雖云我國地、而水路険遠、人烟不通。
    祖宗朝、刷還逃民、遂虚其地矣。
    近来、倭人貪其篠蕩・鰒魚之利。假名竹島、指為厥土、請禁我民越境漁採。
    屡遣近侍、暁諭竹欝之虚實、境界之有別。而終無聴順之意、頗有生梗之端。

    予用是慮、廣詢朝議。
    則或以為、「祖宗疆土、不可與人。而一為彼有、則東界無蔽。候風出沒、情偽難測。
    莫如、擇送邊帥、先自據守。」
    或以為、「海外小島、自是空地。而百年隣好、不可相失。因此、構釁非計之得。
    莫如、任其徃来、修勅邊備而己。」
    推此二説、何者為得。而抑此外、別有「萬全之良策」歟。

    子大夫・讀書、談道之。
    餘必請「安邊靖国」之献、其各悉著于篇、謄。

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  77. 臣對。
    臣聞。保国之道、在於審勢。集事之機、係於得人。
    能審其勢、則国無不保。苟得其人、則事冏不集。
    是以、漢元之弁珠厓、近於蹙土損威。而中国得以無虞者、以其審勢而處之也。
    齊威之用田盼、不過守邊一吏。而趙人不敢東漁者、以其得人、而任之也。
    此豈非前事之明験、而後王之可監者乎。

    今我主上殿下、念軫東郡、憂深中朝、謀諸聖心者熟矣。詢于拂士者廣矣。
    而尚慮夫美有遺策事
    或失宜親臨大庭策、我多士辱此両端之問、欲聞「萬全之策」。
    臣承合主。

    臣伏而思之、是謀非臣所能及也。
    雖然五餌懐敵、莫試賈誼之術。長纓係虜徒、切終軍之願。
    而今幸至前使、有所道丹裏所、激白面何嫌。請以「審勢・得人之説」、終始申告焉。

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  78. 臣伏讀聖策曰、
    「欝陵島止、虚其地矣。」
    臣圭復再三隕越于下。臣窃伏推、環海立国、畫野分界。
    而退彼欝島、亦載版籍、地属関東。路通日本、漲海連天、人烟不接。
    則粤自祖宗、視同異域、移其民於邦内、置此地於度外者、
    豈非勢有所不能也。
    雖然、或取或舎、時有前後之不同。一得一失、要在處置之如何。
    苟能「審勢」而處之「得人」、而任之軽重、利害自主、其權鎮服、控制各得其宜。
    則、終無「僨事之患」、而能盡「保国之道」矣。
    伏願殿下留心焉。

    臣伏讀聖策曰、
    「近来倭人止、「萬全之良策」歟。」
    臣圭復再三隕越于下。島在絶海、物自今古。
    草木長焉、魚龞養焉。厥木巨竹、其魚大鰒。
    惟彼倭人、推利是貪。垂涎我物産、生心我土地。
    假彼「竹島之名」、眩我「欝陵之實」。
    隂逞甞試之計、請禁漁採之民。其心巧矣。其言肆矣。

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  79. 而以殿下緩遠之徳、行先王待夷之道。
    不較曲直、明示暁諭、近侍御合、冠蓋織路。
    而卞其虚實、不啻日中之難、決定我境界、未免海外之無憑。
    魷心不悛、終無聴合之意、壑慾無厭、惟肆貪得之心。
    頗有不遜之状、而亦多生梗之端。
    以至、邊鄙繹験、人心危惧、肆我殿下、隠憂於中、歴問于朝。
    而、周謀孔多、漢著争借、朝之王朴之奇策、人無如晦之善断。
    宜殿下莫適所彼、而得問於臣等也。
    如臣膚淺素昧鞱畧、乃敢辱口妄論便否、則不亦羞當世之士乎。
    然而、揣摩時事、所憂則有之請。就聖問熟數之於前

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  80. 其曰、『祖宗疆土、不可與人、擇送邊帥、先自據守』者、可謂「守經・持正之論」。
    而臣知、是不可用也。何以言之。
    王者以土地為寶者、以其有人畜財穀、而為國所需也。
    今欝島、則不然。虚無人畜、麻不耕種、此、正古人所謂「此如石田、無所用之」。
    豈可等此、於有用之内地、而捉事於外夷也。
    今若、入送邊帥、以為據守之地。
    則、我軍不習操舟、未諳水路、行有疾疫・飄沒之憂。守有浮寄・孤懸之患。
    敵来而無「可援之勢」、事急、而無「可歸之路」矣。
    誠用此計、必敗殿下之事矣。

    其曰、『百年隣好、不可相失、任其往来、修勅邊備』者、可謂「審勢・權宜之論』。
    而臣知、其未盡善也。何以言之。
    王者以和為事者、以其各守境界、而無相侵奪也。
    今倭人、則不然。不念成約、無故索地。此、古人所謂「地有盡、而秦之求無已者」也。
    豈慮其陡、可好之有失、而坐受其浸侮也。
    今若、任其徃来、而只為退保之計。
    則、彼必喜得所欲、而益無所忌。小則有、恐喝・徴索之弊。大則有、覬覦・呑険之患。
    驕敵而招「畏人之譏」、示弱、而失「自強之策」矣。
    誠用此計、恐貽大朝之羞矣。

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  81. 嗚呼、邊事之難、處如此。而、朝議之不一如此、執端用中、何策為得。
    而臣愚、一得有異。

    於是宋臣・蘇洵之言曰、『不審天下之勢、而能成天下之務難矣』。
    先儒又曰、『天生一世之才、足了一世之事』。
    是故、
    勢有順逆、而審其機、而行之、則、無不順成。
    事有難易、而任其才、而責之、則、不見其難。

    臣未知、殿下能盡二者之道、以為安邊之本乎。
    勢苟審矣。人苟得矣。
    今日之事、必不至此。臣於此、有可言者矣。

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  82. 嗚呼、
    「審勢」之道、其要有三。地勢也。時勢也。兵勢也。
    「得人」之道、其大有三。相臣也。帥臣也。使臣也。
    臣請擧此六者之目、以證今日之失。

    臣謹按、兵書曰、『不習地勢、為賊所擒』。此言、地勢不可不審也。
    而廼者、海島険遠、舟輯路窮。而遽欲、驅不習之人、試不測之地、是可謂審地勢乎。
    臣又按、孟子曰、『雖有鎡基、不如待時』。此言、時勢不可不審也。
    而廼者、飢饉相仍、老弱填堅。而将欲、擧不遺之呡、拓無用之地、是可謂審時勢乎。
    臣又按、孫子曰、『知彼知己、百戦不殆』。此言、兵勢不可不審也。
    而廼者、兵力箪弱、恬憘日久。而直欲、用不教之(夷、寇)匪茹之虜、是可謂審兵勢乎。

    此臣所謂「得人之道、在於審勢」、而勢之不遮遂。如此、何以保國也。

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  83. 臣聞、司馬作宰相、而北虜有(傿、句)生事戒、則相臣不可不得也。
    而廼者、(仄無)莫宜、夷虜輕朝、則其可謂、得相臣乎。
    臣聞、仲淹為邊帥、而西賊有驚、破膽之謡、則帥臣不可不得也。
    而廼者、恥甚蹙傹、而武之威敵、則其可謂、得帥臣乎。
    臣聞、富弼使契丹、而能以大義、拒割地之請、則使臣不可不得也。
    而廼者、我使相望、而詭求無已、則其可謂、得使臣乎。

    此臣所謂「集事之機、係於得人」。而人之不得也、如此、何以集其事也。

    嗚呼、殿下。於三者之勢、既不能審處。三者之任、又不能其人。
    而、徒欲、拓祖宗不拓之地、制祖宗未制 敵。

    以若所為求、若所欲、非徒無益、後必有實。
    與其區々、於入海據島、曷若先審其勢也。
    亦其屑々、於勅邊修備、曷若先得其人也。
    然則、今日「安邊之策」、莫急於「審勢・得人」。
    伏願 殿 (殿下、と続くか)

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  84. 1696年(粛宗22年)の「文科殿試」は、11月21日だったようです。

    『承政院日記』粛宗22年11月20日条に、以下の記録があります。

    숙종 22년 11월 20일 (계유) 원본368책/탈초본19책 (9/20)
    ○ 明日仁政殿文科殿試時, 開門罷漏時。
    http://sjw.history.go.kr/inspection/insp_result.jsp?mode=k&sjwid=SJW-D22110200-00900

    숙종 22년 11월 20일 (계유) 원본368책/탈초본19책 (13/20)
    ○明日仁政殿文科殿試時,讀券官三,柳尙運•崔錫鼎•徐宗泰。對讀官四,趙相愚•兪得一•趙泰采•宋徵殷。慕華官武科殿試時,參試官三,閔鎭長•柳重起•李後晟。參考官三,金涑•鄭道徵•李望雲。
    http://sjw.history.go.kr/inspection/insp_result.jsp?mode=k&sjwid=SJW-D22110200-01300


    讀券官に「柳尙運」の名前が見えます。『粛宗実録』9月27日(庚辰)条に、領議政柳尙運として出てくる人物です。

    http://sillok.history.go.kr/inspection/inspection.jsp?mTree=0&id=ksa
    (日付のところをクリックするとハングル訳の原文がでます。「원문」(原文)を押すと原文の翻刻が、「이미지」(イメージ)を押すと影印が出ます。)

    「備邊司推問安龍福等」で始まる有名な9月25日(戊寅)条や、「引見大臣備局諸臣」で始まる10月13日(丙申)条は、この直前ですから、11月21日の文科殿試の時には、朝鮮の重臣達は「安龍福事件」をよく知っていたはずです。

    ところが、安龍福の日本へ「呈文」事件は、よく知られていたにもかかわらず、この「申徳函文書」(科挙の試験問題・答案)に、全く「松島」や「子山島」や「于山島」の名前が出てこないことは、安龍福のいう子山島=松島=独島については、当時の朝鮮朝廷が全く無関心だったことを示すのではないかと思います。
    この科挙の試験が、日本との関わり方、そのものを出題している以上、もしも関心があれば、「松島」や「子山島」(あるいは「于山島」)の名前が、「出題」の側にでも、「答案」の側にでも出てきてしかるべきでしょう。

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  87. 殿試(翻訳)

    http://100.nate.com/dicsearch/pentry.html?s=K&i=241151&v=43

    朝鮮時代、文科・武科の第3次試験。

    朝鮮時代の文科・武科には、初試・覆試・殿試の3段階の試験があった。殿試は国王の親臨下に、覆試で選抜された文科33人、武科28人の合格者を再試験し、等級を決定する試験であった。
    この試験では、不正を犯したり特別な理由がない限り、落ちることはなかった。また、答案を書くことが出来なかった人でも、次の殿試でまた試験が受けられるようになっていた。
    文科の試官は、上試官を読券官、参試官を対読官といった。これは中国宋代の天子が、読券官に試券を読ませ、対読官に横で間違いがないかを確認させたことに由来するものだ。
    読券官は、はじめは2品以上の3人だったが、後には議政1人、従2品以上の2人となった。対読官は、はじめは3品以下の3人で、後に、正3品以下の3人に変えた。
    武科殿試の場合は、武科覆試の試官と同じように、2品以上の文官1人、武官2人と、堂下官の文官1人、武官2人を試官とし、両司各1人を監試官とした。ただし議政1人を命官として差出したのが武科覆試と違う。
    文科殿試の考試科目は、何度も変わったが、『経国大典』に至って、対策・表・箋・箴・頌・制・詔の中の1編を試験することにした。しかし『続大典』に至り、論・賦・銘を加え、10科中の1編を試験するようにした。しかし、事実上最も多く出題されたのは対策だった。

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  88. 試題は、国王が直接出題することもあるが、大慨は読券官が出題して、王に報告した後、施行することが普通だった。試験問題は試験当日に王が席に座った後、読券官が出すことが慣例だったが、燕山君以後は試験一日前に出題するように変わった。試験の日には、文科殿試儀を挙行した後、試験に入った。
    武科殿試の考試科目は、初めは騎撃毬・歩撃毬だったが、後には11技中の1~2技を試験するようになっていた。
    文科殿試では、試験成績により、1等の状元(主席合格者)を含む甲科3人、乙科7人、丙科23人を定めた。武科殿試でも、やはり状元(主席合格者)を含む甲科3人、乙科5人、丙科20人を定めた。
    文科の主席合格者1人は従6品の職、甲科2人は正7品の職を実職で与え、乙科7人は正8品階を、丙科23人は正9品階を与えた。そして武科甲科は従7品階を、乙科は従8品階を、丙科は従9品階を与えた。
    及第者がすでに官品を持っている時には、主席合格の場合、4階を(文科の場合)、甲科の場合、3階を、乙科の場合、2階を、丙科の場合は1階を、各々その官品でさらに上げた。上げた官品が受ける官品と同じである時には、そこで1階をさらに上げた。そして堂下官の脈が満ちた人は、無条件で堂上官に上げた。

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  89. ところで、高麗時代には、朝鮮時代の殿試に該当する試験を覆試といった。高麗の覆試は王が座主になって科挙の最終試験を実施したので、王権強化策と一定の関係がある試験だった。このような高麗時代の覆試は、成宗の時から睿宗の時に至る約140余年間実施されてきて、母方の親戚勢力が強化された仁宗の時から廃止された。これは王権が貴族勢力によって相対的に弱まったことを意味する。そうするうちに、1369年(恭愍王18)に至って、王権強化策の一環として、元国から科挙三層法が入ってきて実施された。 これに伴い、初試・覆試と合わせて殿試を実施することになって朝鮮時代まで続いた。 →科挙、武科、文科

    参考文献 経国大典
    参考文献 続大典
    参考文献 高麗科挙制度史研究(許興植、一潮閣、1981)
    参考文献 学制と科挙制(曹佐鎬、韓国史10、国史編纂委員会、1974)
    参考文献 韓国の科挙制度(李成茂、春秋文庫9、韓国日報社、1976)

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  90. 殿試まで行った人は、落ちることはなかった、とありますから、申徳函も位階をもらったか、あるいはそのまま任官したのでしょうが、『承政院日記』や『朝鮮王朝実録』で申徳函を検索しても出てきません。申德涵という人がいるようですが、別人でしょうか。

    とすると、申徳函は、実は実際に殿試を受けたのではなくて、誰か合格者の文章をただ写しただけなのだ、ということになるのかも知れませんが、科挙の合格者の文章が一般にまで出回ったりするのか、よくわかりません。いちおう個人の答案であり、その意味で秘密の文書ではないかと思いますから。

    やはり、本人が、自分の答案を、試験会場で写して、それをあとで自分の文集に収録した、と考えるのが自然ではないかと思います。小嶋さんの、この文集の最後にある年代の判読により、殿試の翌年にこの文集が書かれていることが確かですから。

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  91. matsuさんの探求心には頭が下がります。

    うっかりしていた「殿下」の「下」の補足も有り難う御座います。
    私も少しは、不明な文字の字句を調べているのですが、さっぱり判りません。
    ただ、五雑組に「而乃有西賊破膽之謡」の句があることと、
    王陽修の邊戸という詩に、「將吏戒生事」の句があることがわかった程度です。
    また
    「兵力単弱」 (申徳函の字は「箪」に見えますが)
    「昇平日久」
    「上下恬憘」
    「北虜有」
    「匪茹之虜」 
    「蹙境」
    などの成語があるようです。
    それで、
    「兵力単弱恬憘日久而直欲用不教之民戰」
    などと推理してみましたが意味的にどうでしょうか?

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  92. 小嶋日向守さん、matsuさん、お疲れ様でした~。竹島は問いにも答えにも出てこないこと、竹島は彼らの認識の範囲外であることが確定ですね。さて柳美林は何と書くことやら。

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  93. 被災首長「申厚命」とは何者でしょうか?
    鬱陵島境界紛争(1693年)の少し前の、粛宗十三年(1688年)の五月に、江陵の府使(市長に相当)から江原道の観察使(知事に相当)に出世した、申厚命という人物がいるようです。この人は申函徳または申涵徳より、年長で、あるいは親の世代に当たるくらいの年齢だったのかもしれませんが、この人物がどのような人物であったのか、ご存じの方、御教示下さい。

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