竹島問題の歴史

9.7.10

2010 - July 7th - South Korean terrorist attacked Japanese Envoy

Korean government should stop brainwashing its own people and start educating them how to “debate” logically without resorting to violent act of terrorism immediately.

“I’m going to kill you, you **** !!”

On 7th July, 2010, "The our yard Dokdo keepers”(우리마당 독도지킴이) representative Kim Ki-joong assaulted Japanese Envoy to South Korea Shigeie Toshinori(重家俊範) with a 10-centimeter's rock twice in Korea Press Center in Seoul. Mr.Shigeie avoided the attack, but Mayumi Horie, his translator, was hit in the hand and taken to a nearby hospital.

I saw it on Japanese News, and it was ugly and appalling. But it was rare opportunity for Japanese viewers to see Japanese major TV news clearly reiterate Japanese government’s stance on Takeshima. Japanese media ignores Takeshima unless Korean do something stupid.

From the Ministry of Foreign Affairs of Japan’s site.
Japan's Inalterable Position on the Sovereignty of Takeshima
  1. In the light of historical facts and based upon international law, it is apparent that Takeshima is an inherent part of the territory of Japan.
  2. The occupation of Takeshima by the Republic of Korea is an illegal occupation undertaken on absolutely no basis in international law. Any measures taken with regard to Takeshima by the Republic of Korea based on such an illegal occupation have no legal justification.

(Note: The Republic of Korea has yet to demonstrate a clear basis for its claims that, prior to Japan's effective control over Takeshima and establishment of sovereignty, the Republic of Korea had previously demonstrated effective control over Takeshima.)

More on Japanese FNN News on 7th July and on 8th July.

According to Donga News, while police investigation, he cried out that he wanted to be a Ahn Jung-geun(安重根), a terrorist who shot and killed Ito Hirobumi(伊藤博文), but he failed.

“안중근처럼 그 ○○ 죽여 버리고 역사에 남고 싶었는데 못했다”

According to Joong-An Daily, a South Korean foreign ministry spokesman apologized to Japan.

“Minister Yu made a phone call to Ambassador Shigeie to express his regrets,” Foreign Ministry spokesman Kim Young-sun said in a briefing yesterday. “What happened last night was completely unacceptable and we are feeling very regretful about it.”

IMO, it is Korean government herself who are agitating its own people to act on unacceptably by its own barbarised acts of invading Japanese island Takeshima without any documented evidence which support their claim that Dokdo/Takeshima have been Korean territory since 512 A.D. !?

More on a Korean News.

27 comments:

  1. この男、韓国政府の歴史改竄政策の犠牲者ですな。搾取されたというが搾取できるほどの産品もなかったのにどうしたら搾取できるというのでしょう。第二次日韓協約によって統監府を設置以来、日本は資金も技術と資材も、そして人も惜しみなく注ぎ込んで朝鮮の近代化を支援したというのに、搾取されたの虐げられたのと嘘ばかり付いている韓国政府の歪んだ教育政策がこのようなテロリストを生み出したのだと思います。いかに教育が大切か、改めて認識させられました。

    ところが韓国政府は歴史の改竄をやめるつもりなどないようで、むしろエスカレートさせるというのだから呆れて言う言葉もありません。


    韓国の小・中・高校の社会科の教育課程に独島関連の内容が明記され、日本の領有権主張に対する反駁の記述が大幅に拡大される。


    安秉万(アン・ビョンマン)教育科学技術部長官は6月28日、国会の独島領土守護対策特別委員会に出席し、業務報告を通じて「2009年改訂教育課程総論の本教科学習主題に『独島教育』を追加するなど独島関連の教育過程の体系化を進めている」と明らかにした。


    安長官は、独島の銘記段階を解説書から教育課程に調整し、対象教科は8科目だと説明した。教師の使用する教育課程解説書に盛り込まれた独島関連の内容を学生の直接見る教科書に多くを移すという。


    独島関連の内容が記述される教科は、▲小学校の社会(歴史・地理領域:5~6年生)と道徳(3~4年生)▲中学校の道徳(1年生)▲高校の社会(地理領域)、東アジア史、世界地理、法と社会、政治などである。


    2007年改訂教育課程により教育課程の解説書に載せられた独島関連の内容は、「日本帝国が日露戦争中、独島を不法に日本領土に編入」(小学校)、独島の象徴的・地理的意味と日本の国際紛争化の意図(中学校)、「日本帝国の不法な独島の編入と…東アジアの緊張を高める領土問題」(高校)などである。


    安長官は、2011年に発刊する小学校の「センファレキルチャビ(生活道徳の参考的教科書:5年生))などの5科目、2012年に発刊する中学校の歴史(3年生)などの4科目、2014年に発刊する小学校の社会などの8科目で独島関連の記述を大幅に増やす方針だと強調した。教科部は海外在住の韓国人らを対象にした独島教育を強化するため、「国史編さん委員会」が主管する海外の韓国史検定試験に独島関連の内容を出題することにした。


    (翻訳 Korea.net Mihoko Waki)


    http://japanese.korea.net/news.do?mode=detail&guid=48384

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  2. Actually, this guy is kinda crazy and insane.
    More over, there are few stupid Koreans who cuts pheasants head and leek its blood and spoil it on Japanese flag.

    Koreans hate Japanese because Japan colonized Korea and did bad things such as assasinating the korean queen using ninja, use the korean girl as a prostitue, using humans for the expierment etc. Thats why some scary stuffs happen in Korea.

    After all those insane stuffs, Japanese government apologized just once at 1995.

    But, I don't really care about the past coz i never expierenced those stuffs.

    You said it is Korea who is just claiming without any evidence, but i think it is Japan who is just claiming for the natural gas without any evidence

    As you know, in Dokdo/Takeshima has Korean police officer since 1946(or maybe1948), and after 33 years Japan can't claim anymore.
    100 years remember?

    As far as i know, Korean goverment doesn't want this dispute to be an international dispute. If that happens, Japan gets more advantage coz Japan is stronger than Korea, and Japan might get Dokdo/Takeshima.

    That's why Japanese say that Korean government is cunning.
    I dunn really care ^-^ what Japanese say as far as we protect that land

    Wow my english sucks hahaha..

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  3. Anonymous23/7/10 00:30

    [100年の記憶、100年の未来/光復後の韓日関係]
    日本総理、2000年首脳会談控えて「独島は日本の領土」

    [東亜日報] 2010年7月20日


    ■ 「独島受難」も進行形
      独島問題を巡る韓日間の葛藤が続いている。韓日強制併合100年という敏感な年である今年の3月、日本政府は、小学校5年生の社会科教科書に独島を日本の領土と明確に表示した教科書の検定を通過させることで、友愛外交を強調した鳩山由紀夫政権も独島問題では自民党と立場が違わないことを見せてくれた。

     歴史的に日本の総理たちは機会がある度に独島領有権を主張して来た。2000年9月、森喜朗日本総理は金大中大統領の訪日を控えてKBSとのインタビューで独島は日本固有の領土という主張を明らかにしたが、当時、KBSがこの部分を削除して放送して論難が起きたりした。

     日本は、1905年の島根県の告示を通じて一方的に自国領土に編入させることで、独島に対する野慾を現わし始めた。乙巳勒約を通じて朝鮮の国権を奪い、韓半島侵奪のために露日戦争を起こした時であった。

      1952年、李承晩大統領が韓半島周辺海域の領有権を宣布したいわゆる「李承晩ライン」を発表するや、日本は「国際司法裁判所で領有権紛争を解決しよう」と主張した後、今日まで同じ戦略を取っている。独島を占有している我が政府は、朴正煕政権以後原則的に静かでじっくりと対応して来た。

     日本の独島領有権主張は、1990年代後半に日本社会が右傾化傾向を帯びる中、次第に頻繁になった。日本は、1998年初頭、一方的に韓日漁業協定を破棄することで韓日関係を悪化させ、2000年には日本外務省の外交青書に「独島固有領土説」を書き込んだ。

     特にノ・ムヒョン政府の成立と共に紛争が激化した。2004年、我が政府の独島切手の発行に対して当時の小泉純一郎総理が「竹島は日本の地」と言って論難が起きた。2005年には島根県が独島の日を制定したことで、両国の外交的紛争はさらに激化した。2006年には日本が独島周辺の水路測量を試みて両国が対立したりした。
     独島問題を研究する保坂祐二世宗大学教授は、「2005年を境として独島問題が騒がしくなり、日本国内でも島根県民くらいしか関心を持たなかった独島問題を日本全体に拡散させる結果を生んだ。」と評した。

     最近、我が政府は、政府で発行する資料において独島に関する歴史的、国際法的事実が過って書かれることがないようにするため、北東アジア歴史財団独島研究所の検証を経るように措置した。





    2010.07.23

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  4. chaamieyさん

    いつもありがとうございます。

    この東亜日報の分析、いつもどおり一方的ではありますが、冷静な論調で時系列に沿って検討していて面白かったです。この分析から分かるように、彼等自身側の「挑発」も日本の態度を硬化させる主な原因となっていることが理解できるのはいつのことでしょうか。

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  5. Anonymous24/7/10 20:02

    さあて、いつのことでしょうか。

      韓国では、一時期、どうしようもないほどまでに捏造、歪曲されていた日韓近代史でしたが、資料に基づいて考察する一群の学者たちの登場により、ずいぶんと状況は改善されて静かになりました。

     竹島問題についても同様のことがあれば状況の変化は期待できるのかも知れませんが、しかし、竹島問題に関しては、韓国ではまだ誰も踏み込んでモノを言える状況にはなっていませんからねえ。独島教恐るべし、南無不法独島経、南無不法独島経、南無不法独島経・・・・・・。



     まあ、でも、日本側からあれこれの手段で韓国の世論をちくちくつっついていけば、公式反応は別として、水面下での受け止め方は少しずつ変って行く・・・・・・・・と期待したいところです。




    で、公式反応です。



    国会「独島特委」全体会議、独島で初の開催

    毎日新聞 2010年7月23日


      独島で初の国会全体会議が開催される予定だ。去る4月に構成された国会独島領土守護対策特別委員会(委員長カン・チャンイル)の関係者は、最近、「来月10日、独島で第4次全体会議を開いて“韓日会談、独島など領土関連非公開文書公開促求決議案”を採択する方案を推進中」と語り、「会議では独島警備隊と燈台守などの業務現況の報告を受けて決議案を採択する方針」と明らかにした。

      特別委は、天候が悪い場合は鬱陵島で会議を開き、独島では決議案を朗読する方案も検討中であることが分かった。今回の独島会議には、独島特委所属の与・野党議員16人と外交通商部、国土海洋部、文化財庁、慶尚北道鬱陵邑など政府部処関係者など25人が参加する予定だ。

      国会議員では民主党のカン・チャンイル委員長を始め、李ビョンソク、李チョルウ、ク・サンチャン、朴ヨンア、チュ・クァンドク(以上ハンナラ党)、ムン・ハクジン、チョン・ビョンホン、チャン・セファン、チョン・へスク(以上民主党)、朴ソンヨン(自由先進党)、 金ウルドン(未来希望連帯) 議員などの参加が判明している。




    <コメント>
     日本の領土で韓国の国会を開く? 外交通商部も出席? ほんとかな。本当だとしたら日本の外務省が抗議してうやむやになる・・・・・ような気がする。それでも強行するなら日本の世論も熱くなる。どっちでもいい。


      

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  6. Anonymous26/7/10 18:01

    日本民主党、独島領有権を明らかにするか

    [毎日経済] 2010年7月25日


      韓・米合同軍事訓練、中国海軍の東支那海進出などで北東アジア地域に微妙な軍事的緊張関係が醸成されている中で、日本防衛省が来る30日に「2010年版防衛白書」を発表する予定であり、すごく関心が集まっている。特に今年の防衛白書において、独島に対する領有権主張がどう反映されるかも注目される。

      日本は、2005年の防衛白書で独島を北方領土とともに日本領土と記述して以来、5年連続で同じ立場を維持して来た。しかし、去年9月に民主党政権が誕生した以後に初めて発表される今年の防衛白書には、独島関連の部分に一部変化があるかも知れないという展望も出る。

      もし今年の防衛白書にも独島に対する日本の領有権主張が含まれれば、韓・日強制併合 100年を迎え推進中の韓・日両国の和解の雰囲気に水を差すことになるという観測も申し立てられている。日本は韓日併合の発表日(8月29日)100年の前後に、過去史に対する謝罪文談話と日帝強占期に掠奪した文化財の一部送還を推進中だ。

      一方、日本の海上自衛隊は34年ぶりに潜水艦増強計画を推進中と産経新聞が25日報道した。日本の防衛省は、今年末に改訂する予定である「防衛計画」で、海上自衛隊の潜水艦を現在の18隻から20隻に増やす計画だ。日本が潜水艦を増やすのは、1976年の防衛計画で潜水艦保有隻数を18隻と決めた以後、今回が初めてだ。潜水艦増強計画は、東支那海と太平洋において中国海軍の活動が強化されている中、韓国天安艦沈沒事件などによって情報収集能力を強化しようとする意図と見られる。






    2010.07.26

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  7. Anonymous1/8/10 18:53

    姑息な日本、「独島は日本の領土」の表記はそのまま……防衛白書の発表時点だけ延期

    [世界日報] 2010年7月28日

    8月韓日合併100年……韓国刺激を憂慮



      日本の菅直人政権が、最初は来る30日に発表する予定だった「2010年度防衛白書」の発表時期を8月以後に延ばすことにして、韓日両国の外交家に波紋が広がっている。

      日本の言論は、来月22日の韓国強制併合100年を控えて独島領有権主張を盛り込んだ防衛白書を発表した場合に韓日両国間の外交摩擦が激化することを憂慮した菅直人政権首脳部の判断によるものと分析している。菅総理が特に仙谷由人官房長官を中心に韓日合併 100年に臨む総理特別談話を準備しているという点を配慮したという説明だ。

      実際、防衛白書の発表延期に対して北沢俊美防衛相など防衛省の関係者たちが激しく反対したが、総理室が「韓国内の反日感情を刺激しないように延期しなければならない。」として延期決定を押し切ったと日本言論は内情を伝えている。

      今回の決定は、日本政府が韓国側に配慮するような形だが、内容を見れば、防衛白書に独島領有権主張を書くという日本政府の方針には変化がないことが分かる。発表の時期だけ8月という敏感な時期を避けただけであり、独島領有権を巡る葛藤の火種はそのまま残っている状況だ。

      自衛隊の防衛白書は、日本の防衛省が過去1年間の政策や自衛隊の活動について国民の理解を得て今後の国防活動の指針とするために毎年発行している年次報告書だ。日本は、2005年版防衛白書から独島が日本の固有領土という主張を明文化している。日本は2009年度防衛白書では「固有の領土である北方領土と竹島の領土問題が相変らず未解決のまま存在している」と主張した。特に白書の付録の最後の章である「主要部隊などの所在地」の地図には独島を「タケシマ」と書き、日本の固有領土と表示した。〈地図参照〉

      韓日の外交消息筋は、韓国政府と国民の抗議にもかかわらず、2010年の防衛白書にもこのような主張と地図がそのまま含まれるものと予想している。





    2010.08.01

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  8. Anonymous10/8/10 22:28

    国会独島特委、独島訪問会議取り消し

    [ニューシース] 2010年8月10日


      慶尚北道は、10日、国会独島領土守護対策特別委員会の独島現地訪問が天候の関係で取り消されたと明らかにした。国会独島特委は、鬱陵郡庁において委員12人、慶尚北道知事、鬱陵郡守、国会事務処関係者、政府部処関係者、慶尚北道鬱陵邑関係者など 50余人が参加して会議を開催する予定だった。

      日本に対して過去の韓日会談、独島など領土関連非公開文書の公開を促す決議案を上程するなど、大韓民国国会の独島守護意志を再度明らかにして日本に警戒心を悟らせるきっかけのために準備された。

      国会独島領土守護対策特別委員会は国会議員 18人で去る 4月27日に独島特委を構成して活動を始めていた。日本政府が中学校教科書に続き高等学校教科書、小学校教科書にまで独島領有権を主張する蛮行を続けている時点で、独島問題対応のための中長期対策を用意するために構成された。

      慶尚北道は、今回の会議で道が推進している独島関連懸案事業の力強い推進意志を表明して協助を要請する計画だった。





    2010.08.10

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  9. Anonymous11/8/10 22:10

    「独島決議案」上程、採択は失敗
    [ニューデイリー] 2010.08.11


      国会の独島領土守護対策特別委員会(委員長カン・チャンイル)は、11日、「韓日会談独島など領土関連非公開文書公開促求決議案」を上程したが、与党議員たちの大挙不参により議決定足数不足で決議案を採択することができなかった。

      独島決議案は、去る 6月に民主党のムン・ハクジン議員が発議して ▲日本政府が歴史と真実に立脚した相互尊重の歴史に発展するように韓日会談関連文書を公開すること、▲大韓民国政府が外交努力を傾注することなどの内容を記している。

      与・野党議員たちは、この日、独島問題をめぐって国会と政府間の立場の差を現わして神経戦をした。民主党のチャン・セファン議員が「日本の防衛白書に独島を日本領土と主張することに対しても、独島はわれらの領土という立場を強く表明しなければならない。」と述べると、ハンナラ党の朴ミンシク議員は「独島問題は政派的接近によって誤解を生じないように慎重でなければならない。」と反論した。

      民主党のムン・ハクジン議員は、「政府の態度を見れば、問題が沸き起こって国民的関心事になった時だけ独島に関心がある振りをしている。」と指摘し、自由先進党の朴ソンヨン議員は、「韓日強制併合100年を迎え、韓日会談で日本がどんな準備をしたのかを明らかにする内部文書は必ず公開するように決議案を採択しなければならない。」と促した。

      独島特委は、去る 10日に独島を訪問して独島関連文書の公開を促す決議案を採択することにしていたが、台風「デンム」による気象悪化で取り消した。






    2010.08.11

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  10. Anonymous11/8/10 23:30

    日本漁村に「独島領有権 利益大きい」大型広告看板発見

    [CNBニュース]2010.08.11



      国務総理室傘下の韓国海洋水産開発院(KMI)は、11日、日本の漁村である島根県隠岐の島町久見 で独島領有権の経済的利益を宣伝する大型広告看板を捜し出したと明らかにした。

      KMI研究陣が先月26日の現地調査の際に見つけたこの広告看板は横約5m縦3mの大きさで、防波堤に取り付けられていて、去る2008年1月ごろに設置されたものと推定される。この広告看板は、独島(竹島と表記)の写真と位置、面積などを書き、島の周辺に寒流と暖流が出会って水産資源が豊かだという点を強調しているとKMIは伝えた。正確な広告文言は「対馬暖流とリマン寒流が出会う地点なので魚種と数量が豊かだ」となっている。広告は、「竹島領土権確立隠岐期成同盟」など現地NGO(非政府組織)の二つの名義で書かれている。

      隠岐の島町地域は独島と近いために韓国と漁業権争いが熾烈な所で、以前にも「竹島を返せ」などの標語が書かれた広告塔を設置したことがある。KMI関係者は、「独島の経済的重要性を著しく表わした大型広告看板が発見されたのは、隠岐の島町地域でも異例」と述べ、「実利的理由で独島領有権を願う現地世論が強いということを示す事例だと解釈される」と語った。






    2010.08.11

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  11. chaamieyさん

    いつもありがとうございます。なかなかコメント出来なくて、ごめんなさい。8月末までは裏でごそごそやっていますが、そのうちこちらでご披露できると思います。

    近頃日韓関係で様々な動きがありますが、韓国政府も首相談話に向けて裏工作を続けていたようですから、その影響もあるのかもしれませんね。KMIも、はるばる隠岐にお金を落としていって下さって有難い事です。

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  12. Anonymous13/8/10 16:42

      はいはい、次の投稿を楽しみに待っておりますです。トップ・ページを開くたびにヒゲのおっさんの写真が目に飛び込んでくる状況は、なるべく早く改善していただければ、と(笑)


    「韓国領」明示1949年の米国の地図を発見(2ちゃんねる)

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  13. 「朝鮮没落の主犯は、国際情勢に疎かった指導者層にある。」などということ、事実であろうと口にできないものでした。言った途端に袋叩きにあって場合によっては本当に命を落としかねなかったのですから。しかしようやく歴史の真実に目を向けるべきとの動きが出てきたようです。

    駐日大使や外相を歴任された孔魯明・世宗財団理事長が「韓国史を率直に省察すべき」として冒頭の指摘をしたのだそうです。(http://www.chosunonline.com/news/20100808000005

    ただまだ「日帝の非道徳性を受け入れられないが」などという余計な言葉が挟まっていますけど、一歩前進したことだけは評価したいと思います。

    金完燮『親日派のための弁明』は細部は別として大筋では歴史を客観的に見た良書だと思います。ところが韓国ではこの本事実上の発禁処分になっているのだとか。そりゃそうでしょう、これを国民が読んで真実を知ったなら国が持たないでしょうからね。でもねこの本を発禁処分にしている間は韓国は自由という価値観を持つ国とは認めがたいですね。その意味で「菅首相談話」には違和感を持つのですが、それはさておき、韓国が「日帝絶対悪史観」から抜け出せない限り竹島問題は解決しないと思います。それまでの間、日本は粘り強くその領有を主張すべきです。

    2010.8.13

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  14. Anonymous13/8/10 20:10

     東北アジア歴史財団の学術会議の名称に「近代東アジア国際秩序と韓半島の100年:省察と展望」というふうに「省察」という2文字が入っているんですね。これはちょっと意外でした。



    2010.08.13

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  15. Anonymous14/8/10 11:01


    日本常識問答<13>
    独島には無関心な日本人が普通?

    [ニューデイリー] 2010.08.02



      韓国の学校の教室で教師がクイズを出すとしよう。「東海の最も東の端にある我が国の領土で・・・・・・」。ここまで話せば、腕白坊主でさえ直ちに「ハイ、ハイ」と次々に手をあげる。正解の「独島」を知らない子はただの一人もいない。利口な子なら次のように答えるかも知れない。「所在地は慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑独島里山1番地から37番地まで、東島が海抜 98メートル、西島は海抜168メートル、全体面積は18.6 平方キロメートルだからおおよそ5万坪で・・・・・・」

      今度は日本の学校の教室。日本の教師がクイズを出す。「島根県隠岐から北西方へ157キロメートル離れた無人島で、韓国との間にしばしば領有権紛争が起きる・・・・・・」。誰かがさっと手をあげて「竹島」と返事してくれるのを密かに期待するけれども、子供たちは首をかしげて互いひそひそ話しをするだけだ。「一体それってどこ?」。

      独島に関する韓国人と日本人の認知度の差異はそれほど大きかった。韓国では・・・・・・・(長いので以下省略)

    続きはこちらにあります。




    2010.08.14

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  16. Anonymous14/8/10 21:53

    鬱陵、独島で世界大学生祝祭

    毎日新聞 2010.08.14


      社団法人韓国未来青年フォーラム(代表金ククソン)は、17~20日、鬱陵島と独島で「第1回8.15独島世界大学生祝祭」を開催すると11日明らかにした。
      韓国未来青年フォーラムは、大学生60人と国内に居住する外国人大学生50人を招待して鬱陵、独島を探訪する計画だ。参加する学生たちは、18日午後に鬱陵島に到着して「サンフランシスコ平和条約と独島」を主題とする保坂祐二世宗大学教授の講演を聞いて、19日には独島現地を訪問して大型太極旗を広げて光復節記念行事を行う。
      金ククソン韓国未来青年フォーラム代表は、「独島探訪を通じて学生たちに海洋領土の重要性と愛国心を悟らせ、外国の学生たちには独島が大韓民国の領土であることを確かに伝えるために行事を行う。」と語った。




    2010.08.14

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  17. Anonymous15/8/10 11:22

    13日付の朝鮮日報(日本語版)に、鄭秉峻教授の記事がのっていました。

    またまた、みんなが知っている周知の事実を「発見」したようです。

    サンフランシスコ条約の「草案」段階で、アメリカがリアンクール岩を朝鮮側に帰属させていたことは、
    もはやこれまでの研究で周知のことと思います。

    しかし、「草案」が「決定案」となってサンフランシスコ条約として公式に締結された時には、
    竹島は、日本が放棄すべき領土には含まれない、すなわち日本領であることが確定したわけです。

    地図自体は「新発見」なのでしょうが、これをもって
    「日本に対抗できる十分な資料」とコメントするシン・ヨンハ教授の見識も疑われます。

    (いずれアーカイブ化されて読めなくなると思いますので、コピペしておきます。画像(地図)は省略されてしまいます)

    http://www.chosunonline.com/news/20100813000016

    独島:「韓国領」明示1949年の米国の地図を発見
    鄭秉峻教授が米国で発見
    「日本に対抗できる十分な資料」

     米国が、第2次大戦終戦後、対日講和条約の草案を準備する中で、独島(日本名:
    竹島)を韓国領と明示していた地図が、12日に公開された。

     この地図は米国務省が1949年11月2日付で作成し、東京のマッカーサー連合国軍総
    司令部(GHQ)司令官に送ったもの。韓国・日本・台湾の領土を表示しており、独島
    は韓国領内に明示されている。この地図は、鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花女
    子大教授(韓国現代史)が2008年に米国バージニア州ノーフォークのマッカーサー・
    アーカイブで発見し、今週発行される著書『独島1947』(石枕)に収録した。

     この地図と共に送付された「対日講和条約草案」の領土条項6条では、「日本は、
    韓国本土および近海のすべての島に対する権利・権限を放棄し、これには済州島・巨
    文島・鬱陵島・リアンクール岩(独島)および東経124度15分より東、北緯33度より
    北…を含む」とされ、独島が韓国領に属すると明白に記している。また鄭教授は、こ
    のほかにも独島を韓国領と表示した米国政府の地図があり、その地図は敗戦国日本の
    領土を確定するため1947年10月14日に国務省の政策企画団が作成した、という事実を
    明らかにした。この地図は、これまで1949年から1950年ごろに作られたと推定されて
    いた。

     鄭秉峻教授は、「独島を韓国領とした国務省の1949年の地図は、カイロ宣言・ポツ
    ダム宣言により事実上日本の領土を確定する権利を持っていた米国が、これを具体化
    した最終的な作品。しかし米国は、日本を同盟国として育てるため、1951年のサンフ
    ランシスコ講和条約で日本の領土を確定せず、独島領土紛争の発端を作った」と語っ
    た。独島学会会長を務める漢陽大のシン・ヨンハ碩座(せきざ)教授(寄付金によっ
    て研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は、「1949年の米国務省の地図
    は、学界に知られていなかった新たな資料で、今後の日本との独島領有権論争で十分
    な根拠となるだろう」と語った。



    http://www.chosunonline.com/news/20100813000019

    独島:鄭秉峻教授「1947年が重要な分岐点」
    資料を公開した鄭秉峻教授

     鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花女子大史学科教授(45)は、『雲南・李承晩
    研究』『夢陽・呂運亨評伝』『韓国戦争』など重厚なテーマを正面から掘り下げた分
    厚い著書を相次いで出版してきた。その彼が独島(日本名:竹島)研究に関心を持つ
    ようになったのは2005年、米国立文書記録管理庁(NARA)でサンフランシスコ条約締
    結当時の英国が独島を韓国領土と規定したことを示す英国外務省の地図を発見してか
    らだった。「独島研究はあまりにも現実政治と結び付いているから、時流に便乗せ
    ず、当たり障りのない研究テーマを選べ」という「忠告」も受けた。しかし、同教授
    は「歴史学者として、歴史的に重要なテーマについては避けて通らず、正面から勝負
    すると決心した」と語った。

     鄭教授は「1947年が独島問題の重要な分岐点だった」と指摘する。この年、韓国は
    独島についての本格的な調査に着手することで、独島を新たに認識し始めた。日本は
    独島・鬱陵島が日本領であるという虚偽情報を盛り込んだ領土関連パンフレットを作
    成した。米国は対日講和条約草案を作成する上で、独島を韓国領と明示した。3カ国
    の政策は相互に作用しながら1951年のサンフランシスコ条約に至り、その後各自の道
    に分かれていったというわけだ。今回の著書のタイトルを『独島1947』と付けたのも
    そうした認識からだった。

     鄭秉峻教授は「日本が独島を領土紛争化したのは、米国がポツダム宣言の規定通り
    に日本の領土を明確に画定しなかった点によるところが大きい」と指摘する。独島問
    題は北東アジアに対する米国の政策的影響力と決定力が招いた地域問題というわけ
    だ。鄭教授は「独島問題を解決するためには、独島に関する韓国の主張が合理的で根
    拠があるという事実を世界に向けて絶えず提示することが重要だ」と話した。


    金基哲(キム・ギチョル)記者

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    2つ目の記事で、
    >「1947年が独島問題の重要な分岐点だった」と指摘する。この年、韓国は独島についての本格的な調査に着手することで、独島を新たに認識し始めた。

    というのは、ホントのことだと思います。
    このときまで、韓国は、独島の存在自体に関心もないし、よく知らなかったのだとと思います。


    >日本は独島・鬱陵島が日本領であるという虚偽情報を盛り込んだ領土関連パンフレットを作成した。

    この「パンフレット」とは、何のことでしょうか?

    Kaneganeseさんは
    外務省「Minor Islands in the Pacific, Minor Island in the Japan Sea」(1947年6月)としていますが、この外務省文書は、アメリカ(連合軍)むけに作ったもので、非公開だったのではないでしょうか?

    ReplyDelete
  18. Anonymous15/8/10 11:24

    記事が、もうひとつありました。


    http://www.chosunonline.com/news/20100813000017


    独島:初めて領土標識を立てた「独島学術調査隊」
    1947年8月、過渡政府・朝鮮山岳会共同で「独島学術調査隊」結成

    副隊長の洪鍾仁朝鮮日報局長が学術調査隊の「公式報告書」を作成

    紙面で独島周知に尽力

    宋錫夏氏など専門家らも多数参加

     鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花女子大教授(韓国現代史)は、新しい著書
    『独島1947』(石枕)で南朝鮮過渡政府と朝鮮山岳会が1947年8月に共同で結成した
    「鬱陵島・独島学術調査隊」による独島現地調査の写真と資料を公開した。

    朝鮮山岳会鬱陵島・独島学術調査隊。中央のワイシャツにネクタイ姿の男性が洪鍾仁
    (ホン・ジョンイン)編集局長、その右側が方鍾鉉(パン・ジョンヒョン)ソウル大教授だ。

    1947年8月に結成され、朝鮮山岳会会長で民俗学者の宋錫夏(ソン・ソクハ)氏が率
    いた「鬱陵島・独島学術調査隊」は、朝鮮日報の洪鍾仁(ホン・ジョンイン)編集局
    長が副隊長を務め、国語学者の方鍾鉉(パン・ジョンヒョン)氏、考古学者の金元竜
    (キム・ウォンヨン)氏、「チョウ博士」の石宙明(ソク・チュミョン)氏、漢学者
    の任昌淳(イム・チャンスン)氏、歴史学者のシン・ソクホ氏など最高峰の専門家ら
    が参加した。約80人で構成された大規模学術調査隊の派遣は、安在鴻(アン・ジェホ
    ン)氏が行政のトップとして民政長官を務めていた過渡政府の公式事業だった。調査
    隊は1947年8月20日に独島を訪問し、動植物の標本採集、目測による測量、島の地形
    の把握、写真撮影など、よく知られていなかった独島の実態を調査した。


     当時、朝鮮日報は「鬱陵島学術調査隊の独島調査、思いがけぬオットセイの発見」
    (1947年8月23日付)、「絶海の鬱陵島」(1947年9月4日付)など独島関連の記事を
    相次いで掲載し、「独島が韓国領」であるという事実を真っ先に伝えた。朝鮮日報の
    洪鍾仁編集局長は、過渡政府の準機関紙である『漢城日報』に「鬱陵島学術調査隊報
    告記」を4回にわたって連載した。朝鮮山岳会の副会長だった洪鍾仁の報告書は学術
    調査隊の最終報告書として評価されている。洪鍾仁はまた、1948年6月17日付の朝鮮
    日報で「東海(日本海)のわが国土-悲しい流血の記録」というタイトルで1年前の
    探査に関する回顧録を書いたりもした。


     鬱陵島・独島の現地調査はその後、講演会や展覧会の開催、調査報告書の作成と新
    聞報道、資料公開へと引き継がれ、「鬱陵島・独島理解」のブームを引き起こした。
    朝鮮山岳会は1947年9月から洪鍾仁氏・方鍾鉉氏・金元竜氏・石宙明氏など各分野の
    専門家らによる報告講演会を開いた。同年11月には、ソウル同和百貨店(現新世界デ
    パート)4階ギャラリーで報告展覧会を開催し、大邱と釜山、鬱陵島でも展覧会を開いた。


     鄭秉峻教授が公開した資料の中で特に目を引くのは、学術調査隊が過渡政府と朝鮮
    山岳会の共同名義で立てた二つの領土標識を撮った写真だ。学術調査隊が1947年8月
    20日独島の東島に立てたこの標識には、右側に「朝鮮鬱陵島南面独島」、左側に「鬱
    陵島、独島学術調査隊記念」と漢字で書かれている。この領土標識は、韓国が植民地
    支配から解放された後、独島が韓国領であると標示した初の施設物だ。学術調査隊が
    独島に領土標識を立てたという事実は知られていたが、写真が公開されたことはな
    かった。大韓民国政府が正式に樹立される前に領土標識を立てたことは、当時の韓国
    社会が独島にかなりの関心を持っていたことを示している。


    金基哲(キム・ギチョル)記者

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  19. Anonymous15/8/10 12:01

    もと記事です。

    http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2010/08/13/2010081300166.html

    [단독] 1949년 美국무부 지도 '독도는 한국영토' 명시
    김기철 기자
    입력 : 2010.08.13 03:06

    정병준 교수, 미국서 찾아내 "일본에 맞설 든든한 자료"
    미국이 2차 세계대전 종전 후 대일(對日)강화조약 초안을 준비하면서 독도를 한국 영토로 명기한 지도가 12일 공개됐다.

    미국 국무부가 1949년 11월 2일자로 작성해 도쿄의 맥아더 연합국최고사령관에게 보낸 지도는 한국•일본•대만의 영토를 표시하면서 독도를 한국 영토 안에 명기했다. 이 지도는 정병준 이화여대 교수(한국현대사)가 지난 2008년 미국 버지니아주 노포크의 맥아더 아카이브에서 찾아내 이번 주 발간된 저서 '독도 1947'(돌베개)에 수록했다.

    ▲ 미 국무부가 1949년 11월 2일자로 작성해 맥아더 연합국최고사령관과 국방부에 보낸 지도. 독도를 한국 영토로 표시했다. 가운데와 아래는 독도를 확대한 사진. 울릉도 아래 점을 에워싼 타원형 점선으로 독도를 표시했다.
    이 지도와 함께 송부된 '대일강화조약 초안'의 영토 조항 6조는 '일본은 한국 본토 및 근해의 모든 섬들에 대한 권리•권원을 포기하며, 여기에는 제주도, 거문도, 울릉도, 리앙쿠르암(독도) 및 동경 124도 15분 경도선의 동쪽까지, 북위 33도 위도선의 북쪽까지…포함된다'라고 하여 독도가 한국 영토에 속한다고 명백하게 밝히고 있다. 정 교수는 또 독도를 한국 영토로 표시하고 있는 또 다른 미국 정부 지도가 1947년 10월 14일 국무부 정책기획단이 패전국 일본의 영토를 확정하기 위해 작성했다는 사실을 밝혀냈다. 이 지도는 이제까지 1949~1950년 무렵 만들어진 것으로 추정됐었다.

    정병준 교수는 "독도를 한국령으로 그린 미 국무부의 1949년 지도는 카이로•포츠담선언에 따라 사실상 일본의 영토를 결정할 권리를 갖고 있었던 미국이 이를 구체화한 최종 작품"이라며 "그러나 미국이 일본을 동맹국으로 키우기 위해 1951년 샌프란시스코 강화조약에서 일본의 영토를 확정하지 않아 독도 영토 분쟁의 실마리를 제공했다"고 말했다. 독도학회 회장 신용하 한양대 석좌교수는 "1949년 미 국무부 지도는 학계에 알려지지 않았던 새로운 자료로 향후 일본과의 독도영유권 논쟁에서 든든한 근거가 될 것"이라고 말했다.

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    この記事には動画によるインタビューがついています。

    http://books.chosun.com/site/data/html_dir/2010/08/13/2010081300559.html

    "1947년은 韓•日•美가 본격적으로 독도문제 관심갖는 시기"
    김기철 기자 kichul@chosun.com
    입력 : 2010.08.13 05:16 / 수정 : 2010.08.13 07:35

    자료 공개한 정병준 교수

    정병준 교수
    정병준(45) 이화여대 사학과 교수는 '우남 이승만 연구' '몽양 여운형 평전' '한국전쟁' 등 굵직한 주제를 정면으로 파고든 묵직한 저서를 잇달아 출간해 왔다. 그런 그가 독도 연구에 관심을 갖게 된 것은 2005년 미 국립문서기록관리청(NARA)에서 샌프란시스코 조약을 맺을 당시 영국이 독도를 한국 영토로 규정했음을 알리는 영국 외무부 지도를 발굴하면서부터다. "독도 연구는 너무 현실정치와 연관돼 있으니 시류에 편승하지 말고 점잖은 연구주제를 택하라"는 주위의 '충고'도 들었다. 그러나 그는 "역사학자가 되면서 역사적으로 중요한 주제에 대해서는 회피하지 않고 정면승부를 걸겠다고 결심했다"고 말한다.

    정 교수는 "1947년이 독도문제의 중요한 분기점이었다"고 말한다. 이 해 한국은 독도에 대한 본격적 조사에 착수하면서 독도를 새롭게 인식하기 시작했다. 일본은 독도•울릉도가 일본령이라는 허위정보를 담은 영토 관련 팸플릿을 제작했다. 미국은 대일평화조약 초안을 만들면서 독도를 한국령으로 명시했다. 세 나라의 정책은 길항작용을 거쳐 1951년 샌프란시스코조약에 도달했으며, 이후 각자의 길로 갈라졌다는 것이다. 이번 저서의 이름을 '독도 1947'로 지은 것은 그런 인식에서였다.

    정병준 교수는 "일본이 독도를 영토분쟁화한 데는 미국이 포츠담선언에 규정한 대로 일본의 영토를 명확하게 확정하지 않은 탓이 크다"고 했다. 독도문제는 동북아에 대한 미국의 정책적 영향력과 결정력이 초래한 지역문제라는 것이다. 정 교수는 "독도 문제 해결에는 독도에 관한 우리 주장이 합리적이고 근거가 있다는 사실을 세계를 향해 끊임없이 제시하는 것이 중요하다"고 했다.

    ReplyDelete
  20. Anonymous15/8/10 12:03

    もう一つの記事です

    http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2010/08/13/2010081300115.html

    해방 후 첫 '독도는 한국땅' 팻말 세웠다
    김기철 기자 kichul@chosun.com
    입력 : 2010.08.13 03:06 / 수정 : 2010.08.13 05:16

    1947년 8월 과도정부•조선산악회 공동 '독도 학술조사대' 구성
    부대장인 조선일보 홍종인 국장, 학술조사대 '공식 보고서' 작성
    紙面으로 독도 알리기 앞장서… 송석하 등 전문가들도 대거 참여
    정병준 이화여대 교수(한국현대사)는 새 저서 '독도 1947'(돌베개)에서 1947년 8월 남조선 과도정부와 조선산악회가 공동으로 '울릉도•독도 학술조사대'를 구성, 독도를 현지 답사한 사진과 자료도 공개했다.

    1947년 8월 조선산악회 회장인 민속학자 송석하가 이끈 '울릉도•독도 학술조사대'는 조선일보 홍종인 편집국장이 부대장을 맡았고 국어학자 방종현, 고고학자 김원용, '나비 박사' 석주명, 한학자 임창순, 역사학자 신석호 등 최고 전문가들이 참여했다. 80여명으로 구성된 대규모 학술조사대 파견은 민세 안재홍이 행정 책임자인 민정장관으로 있던 과도정부의 공식 사업이었다. 조사대는 1947년 8월 20일 독도를 찾아 동•식물 표본 채집, 목측(目測)에 의한 측량, 섬의 지형 파악, 사진 촬영 등 자세히 알려지지 않았던 독도의 실태를 조사했다.



    당시 조선일보는 '울릉도 학술답사대 독도 조사, 의외의 해구(海狗) 발견'(1947년 8월 23일자), '절해의 울릉도'(1947년 9월 4일자) 등 독도 관련 기사를 잇달아 실어 '독도가 한국 땅'이라는 사실을 알리는 데 앞장섰다. 홍종인 조선일보 편집국장은 과도정부 준기관지인 '한성일보'에 '울릉도 학술조사대 보고기'를 네 차례 연재했다. 조선산악회 부회장이었던 홍종인의 보고서는 학술조사대의 최종 보고서로 평가받고 있다. 그는 또 1948년 6월 17일자 조선일보에는 '동해의 내 국토-슬프다 유혈의 기록'이란 제목 아래 1년 전 답사 회고기를 쓰기도 했다.

    울릉도•독도 현지 조사는 이후 강연회, 전람회 개최, 조사보고서 작성과 신문 보도, 자료 공개로 이어져 '울릉도•독도 알기' 붐이 일었다. 조선산악회는 1947년 9월부터 홍종인•방종현•김원용•석주명 등 각 분야 전문가들의 보고 강연회를 열었다. 그해 11월엔 서울 동화백화점(현 신세계백화점) 4층 갤러리에서 보고전람회를 개최했고 대구와 부산, 울릉도에서도 전람회가 열렸다.

    ▲ 조선산악회 울릉도•독도학술조사대. 가운데 와이셔츠차림에 넥타이 맨 이는 홍종인 조선일보 편집국장, 그 오른쪽은 방종현 서울대 교수다.

    정병준 교수가 공개한 자료 가운데 특히 주목할 것은 학술조사대가 과도정부와 조선산악회 공동명의로 세운 영토 팻말 2개를 찍은 사진이다. 학술조사대가 1947년 8월 20일 독도의 동쪽 섬 동도(東島)에 세운 이 팻말에는 오른쪽엔 '조선 울릉도 남면 독도', 왼쪽엔 '울릉도, 독도 학술조사대 기념'이라고 한자로 썼다. 이 영토 팻말은 해방 이후 독도가 한국 영토임을 표시한 최초의 시설물이다. 학술조사대가 독도에 영토 팻말을 세웠다는 사실은 알려졌으나 사진은 소개된 적이 없다. 대한민국 정부가 정식 수립되기도 전에 영토 팻말을 세운 것은 당시 한국 사회가 독도에 커다란 관심을 가지고 있었던 것을 보여준다.

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  21. Anonymous15/8/10 12:03

    This comment has been removed by the author.

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  22. Anonymous15/8/10 13:12

    別の記事です。朝鮮日報のHPにありますが、ソースは「聨合ニュース」となっています。
    記事を書いた記者も違うようです。12日付けで、こちらの記事のほうが早いです。

    上記の「パンフレット」は、Kaneganeseさんのご指摘の通り、外務省「Minor Islands in the Pacific, Minor Island in the Japan Sea」でよいようですね。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    http://books.chosun.com/site/data/html_dir/2010/08/12/2010081201824.html
    독도 영유권 문제 분수령 된 1947년
    연합뉴스
    입력 : 2010.08.12 21:58

    ’독도 1947’ 출간

    일제의 항복으로 제2차 세계대전이 끝난 후인 1947년 6월. 일본 외무성은 미국을 비롯한 연합국에 16쪽 분량의 얇은 팸플릿을 보냈다.

    「独島1947」出版
    日帝の降伏で第2次世界大戦が終わった後の1947年6月。日本の外務省は、米国をはじめとする連合国に16ページの分量の薄いパンフレットを送った。

    이 팸플릿의 영문 제목은 ’일본 본토에 인접한 작은 섬들(Minor Islands Adjacent Japan Proper)’이었지만 일본어 제목은 이와 뉘앙스가 완전히 다른 ’일본의 부속소도(日本 附屬小島)’였다. 즉, 전쟁 직후부터 일본이 집요하게 주장해온 일본 주변 섬들의 영유권과 관련한 문서였던 것이다.
    このパンフレットの英文の題名は「日本本土に隣接した小さい島々(Minor Islands Adjacent Japan Proper)」だったが、日本語の題名はこれとニュアンスが完全に違った「日本の附属小島」であった。 すなわち、戦争直後から日本が執拗に主張してきた日本周辺の島々の領有権と関連した文書だったのだ。

    정병준 이화여대 교수는 일본이 현재까지 전혀 공개하지 않는 이 팸플릿을 미국 국립문서보관소(NARA)에서 찾아냈다. 놀랍게도 팸플릿은 ’일본해’(동해) 지역의 일본 ’부속 소도’로 독도와 울릉도를 들고 있었다.
    鄭秉峻(チョン・ビョンジュン)梨花女子大教授は、日本が現在まで全く公開していないこのパンフレットを米国国立文書保管所(NARA)で捜し出した。驚くべきことに、パンフレットは「日本海(東海)」地域の日本の「付属小島」として、独島と鬱陵島を含ませていた。

    정 교수는 최근 출간한 ’독도 1947’(돌베개 펴냄)에서 이 팸플릿에 담긴 허위 정보를 지적하고 독도 영유권 문제의 분수령이 된 이 해를 기준으로 한ㆍ미ㆍ일 3국의 정책 방향을 분석한다.
    チョン教授は、最近出版した「独島1947」(トルペゲ=石枕 編集)で、このパンフレットに含まれた虚偽情報を指摘し、独島領有権問題の分水嶺になったこの年を基準として、韓・米・日3国の政策方向を分析する。

    1947년 일본의 팸플릿은 독도에 대해 ’다줄렛(Dagelet. 서양에 알려진 울릉도의 이름)에 대해서는 한국 명칭이 있지만 리앙쿠르암(독도)에 대해서는 한국명이 없으며 한국에서 제작된 지도에 나타나지 않는다’는 등 조작된 내용을 사실인 것처럼 언급한다.
    1947年、日本のパンフレットは独島について、「タジュレ(Dagelet. 西洋に知られた鬱陵島の名前)には韓国の名称があるが、リアンクル岩(独島)には韓国名がなく、韓国で製作された地図に現れない」などと、捏造された内容を事実のように述べている。

    심지어 울릉도에 대해서도 ’도요토미 히데요시의 한국 원정’(임진왜란) 이후 이 섬은 모든 면에서 일본 어업기지로 남아 있었다’ ’17세기 초부터 일본과 한국 사이에 이 섬의 소유권 문제를 둘러싼 협상이 반복됐다’ 등 울릉도를 일본령으로 날조하려는 의도를 보였다.
    さらに、鬱陵島についても、「豊臣秀吉の韓国遠征(壬辰倭乱)」以後、この島はすべての面で日本の漁業基地として残っていた」 「17世紀始めから、日本と韓国の間にこの島の所有権問題をめぐっての交渉が反復された」等、鬱陵島が日本領であるように捏造しようとする意図を見せている。

    저자는 이 팸플릿이 ’대마도’를 다루고 있지 않다는 점이나 영문 제목과 일문 제목이 다른 점으로 미뤄 여러 섬에 대한 영유권을 주장하기 위해 만들어진 것임이 틀림없으며 이런 이유로 일본이 아직 이 문서를 공개하지 않는 것이라고 보았다.
    著者は、このパンフレットが「対馬」を扱っていない点や、英文の題名と日文の題名が違う点から推測して、色々な島に対する領有権を主張するために作られたものに間違いなく、その理由で日本がまだこの文書を公開しないのだと見ている。

    물론 이 당시 한국도 독도 영유권 문제에 관심이 컸다. 해방된 지 불과 2년 뒤 정부도 아직 수립되지 않았던 1947년 남조선과도정부 민정장관 안재홍은 독도학술조사대를 꾸려 독도를 조사했다.
    もちろん、この当時、韓国も独島領有権問題に関心が大きかった。解放されてわずか2年後、政府もまだ樹立されていなかった1947年、南朝鮮過渡政府の民政長官、安在鴻(アン・ジェホン)は独島学術調査隊を設けて独島を調査した。

    미국도 처음에는 한국의 입장을 지지했다. 1947년 초 작성되기 시작한 대일평화조약의 다양한 초안들은 리앙쿠르암(독도)이 한국령임을 명시하고 있다.
    米国も、初めには韓国の立場を支持した。1947年初めに作成され始めた対日平和条約のさまざまな草案は、リアンクル岩(独島)が韓国領であることを明示している。

    하지만 1948년 이후에는 일본이 만든 팸플릿의 영향을 받은 듯 혼란된 모습을 보인다. 독도에 대한 미국의 정책적 입장은 여러 차례 바뀌었고 결국 샌프란시스코평화회담의 최종 조약문에서는 독도 조항이 빠지고 말았다.
    しかし、1948年以後には、日本が作ったパンフレットの影響を受けたように、混乱した姿を見せる。 独島に対する米国の政策的立場は何回も変わり、結局サンフランシスコ平和会談の最終条約文では独島条項はなくなってまった。

    저자는 한국 영토가 확실한 독도가 일본과 마찰을 일으키게 된 원인제공자로 미국을 지목했다.
    著者は、韓国領土であることが確実な独島が、日本と摩擦を起こすことになった原因の提供者として、米国を名指しする。

    미국은 처음부터 독도가 한국 영토라는 것을 알면서도 2차대전 직후 일본을 징벌하기보다는 동맹국으로 삼아 ’반공의 보루’로 삼으려는 정책을 펴는 과정에서 독도 관련 갈등 소지를 제공했다는 것이다.
    米国は、初めから独島は韓国領土であるということを知りながらも、第2次大戦直後、日本を懲罰するよりは同盟国として「反共の砦」としようとする政策を展開する過程で、独島関連の葛藤の素地を提供したということだ。

    이와 같은 근거를 통해 저자는 독도 문제를 한일 간 역사적 영유권의 문제로만 바라보는 시각은 국제정치적인 문제 구조를 보여주지 않는다고 비판하고 독도문제는 ’한일 관계가 아니라 한미일 관계의 성격이 강했으며 역사적 영유권의 문제보다는 국제정치적 지역문제의 성격이 강했다는 주장’을 견지한다.
    このような根拠を通して、著者は独島問題を韓日間の歴史的領有権の問題としてだけ見る視覚は国際政治的な問題構造を見せなくすると批判し、独島問題は「韓日関係ではなく、韓・米・日関係の性格が強く、歴史的領有権の問題というよりは、国際政治的な地域問題の性格が強かった」という主張を堅持している。

    1천4쪽. 5만원.
    1004ページ 5万ウォン.

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  23. matsuさん

    ありがとうございます。

    こうなってくると、「パンフレット」に竹島だけでなく鬱陵島も日本プロパーな島と入れた事は、米国が単に日本の主張をそのまま鵜呑みにしたのではなく、後のシーボルト勧告も合わせて、その正当性を考慮した結果であったことの証明になりますね。

    「ダジュレ島とは異なり竹島には朝鮮名がなく…」という箇所がラスク書簡等にあらわれることから、日本のロビー活動を証明するとの批判があるようですが、そもそもこのパンフレットは米国からの助言で書かれた物である(出典を失念してしまいました。)ことと、敗戦国が講和準備をすることは当然であることから、日本のロビーで竹島の帰属が日本に決まったのではなく、翌月(1947年7月、2008年鄭論文。原典不明)に日本人が所有権を主張して韓国漁民を排除しようとした事で初めて独島の存在が韓国本土に知られることになり、8月に入って朝鮮・韓国の政府として歴史上初めて調査団を派遣したという韓国側の領有根拠の薄弱さが、独島の韓国所属を否定されることにつながったと思います。

    ReplyDelete
  24. Thanks for doing a lot of work on the subject. However, you focus too much on blaming the S. Korean government and angry Koreans.

    Needless to say, the Rocks energize a lot of patriotic Koreans and Japanese citizens.

    It appears that the Japanese claim over the Rocks since 1904/5 is weak. Incorporation of the Rocks into Japan proper can easily construed to have been part of the forceful annexation of Korea. Your claim that Koreans have not literally/specifically claimed the island is also weak. In those times, who could care so much for some rocks in the middle of no where?

    Korean claims on it since liberation also appear to be weak. The poor old Chosun hermit kingdom couldn't care less about the Rocks which are geographically closer to it than Japan and must have surely been within the general sphere of influence of various Korean kingdoms. Their land was never so precious until the sting of a brutal imperial aggression.

    (But don't cry Korea too much. At the time, most peoples of the world were under the yoke of brutal European and American imperialism. Japan was only hurrying to join the imperial club when it set its eyes on you and China.)

    But how important the Rocks are today- fishing rights, tourism, natural resources, territorial waters, and nationalism. There is definitely national interest in either side of the pond with respect to these resources.

    As a former imperial power, Japan has the added national interest in preserving any of her spoils achieved in the past, despite having lost to the US. Perhaps claiming the Rocks as Takeshima is one way to avert losing other imperial gains, including Okinawa and other islands which were also incorporated into Japan proper during those times.

    Kind regards.

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  25. charles,

    Thanks for your comment.

    "It appears that the Japanese claim over the Rocks since 1904/5 is weak."

    Japanese Government officially incorporated Takeshima into Shimane in 1905. Any "claim", weak or strong, since 1905 is not required. What most important is Korean are required to show the evidence to prove they had recognized Takeshima/Dokdo was their territory "before" 1905. However, they keep failing to do so. Even Prof. Naito Seichu and Ikeuchi Satoshi, pro-Korean Japanese professors, admit they have not seen those evidences. Prof. Naito even urge Korean to find them!!

    Korean loves to tie with Takeshima Issue with imperialism, but the Japan's incorporation was done legally and peacefully. It had nothing to do with Japan's annexation of Korea. Korean fanatically try to flare up their people's nationalism since they has no single documented historical evidences to back up their claim that "Dokdo had been Korean land since 512."

    1905 - January 28th: the decision to incorporate Takeshima in to Shimane by a Cabinet meeting (公文類集第29編 竹島編入閣議決定)

    There are many evidences that Korean didn't considered the island as their territory.
    After they were informed Japan's incorporation by Shimane delegates in 1906, Korean Imperial government ordered to investigate the situation, but no further action was done. (Korean government doesn't open the related documents, so we don't know what happened later. My guess is they "found" Dokdo was not the adjacent island to Ulleungdo. ) They didn't even make inquiry to the Resident-General. In other word, they officially acquiesced the Japan's sovereignty over Takeshima/Dokdo by not expressing protest against Japan.

    1906 - Feb 20 & April 17 - "Official Documents of the Ministry of Internal Affairs Vol.1" - Korean government protested about land transaction in 竹邊浦 

    Korean government are known to have answered to Japanese Resident-General that the dimensions of Ulleungdo as sixty ri from east to west and forty ri from north to south for a total of 200 ri, excluding Takeshima/Dokdo.

    1906 - July - Korea Omits Dokdo from Uldo County (皇城新聞 「鬱島郡의 配置顛末」)

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  27. Kaneganese quotes:
    Japanese Government officially incorporated Takeshima into Shimane in 1905. Any "claim", weak or strong, since 1905 is not required…”


    Wow, Kaneganese, now you are an international lawyer preaching to us what is “required” or not. Listen “counselor” beyond the legal debate there are principles the Japanese Government themselves have to justify before then can ever hope to gain sovereignty over Dokdo.

    Before Japan can take shots at Korea’s claim to Dokdo they need to logically explain why so many Japanese maps and records show they considered the islets as Korean. Because Edo Japan clearly recorded Dokdo as Korean in 1837, we can see that greedy Meiji Japan’s 1905 claim of terra nullius was incorrect. Japan didn’t do their homework before they seized the islands in 1905.

    http://www.dokdo-takeshima.com/the-takeshima-incident-of-1837.html

    Korea was cognizant and involved on Dokdo before Japan’s Navy Seized the islands during the Russo Japanese War.

    http://www.dokdo-takeshima.com/japans-takeshima-x-files-ii.html

    Not only that, Korea protested Japan’s annexation numerous times. Because Japan had already taken over the Korean Foreign Affairs Office by this time, we may never know exactly was happed afterwards.

    http://www.dokdo-takeshima.com/korean-objections-to-japans-1905-claim.html

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