tag:blogger.com,1999:blog-26948035.post884805413370126482..comments2024-01-26T17:48:29.804+09:00Comments on Dokdo-or-Takeshima?: 1953 - 昭和28年の竹島に関する国会審議Gerry Bevershttp://www.blogger.com/profile/14311939520870098017noreply@blogger.comBlogger48125tag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-48747174726645244042010-02-20T13:21:47.747+09:002010-02-20T13:21:47.747+09:00>とすると、なかなか難しいのですかね。
一方的に提訴して国際司法裁判所が応訴管轄をどう取り扱う...>とすると、なかなか難しいのですかね。<br /><br /> 一方的に提訴して国際司法裁判所が応訴管轄をどう取り扱うかに賭けるというのは冒険ですから、普通に考えればできることではありません。あくまで、この問題の解決に向けての機運が整っているかどうかという状況によります。<br /><br /><br />>当時の社会党は、「反『韓国』」という構図だったのですかね。<br /><br /> 「親北朝鮮」だからその結果として「反韓国」だったのでしょう。どちらも同じ軍事独裁政権であったとしても。<br /><br /><br />2010.02.20Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-86349268135187706632010-02-20T09:14:50.082+09:002010-02-20T09:14:50.082+09:00Chaamieyさん
ありがとうございます。
>国際司法裁判所への提訴が成立するのは二国間の...Chaamieyさん<br />ありがとうございます。<br /><br />>国際司法裁判所への提訴が成立するのは二国間の合意があることが前提<br /><br />とすると、なかなか難しいのですかね。<br /><br /><br />しかし、当時の社会党の機関紙で、このように<br />竹島問題は国際司法裁判所に提訴すべきだ、という主張をしているのは面白いです。<br /><br />1978年7月というと、まだ朴正煕の暗殺以前の軍事政権の時代ですが、<br />当時の社会党は、「反『韓国』」という構図だったのですかね。<br /><br /><br />ところで、北朝鮮側が、<br />「韓国が戦後になって始めたもの」であるところの独島領有権の主張に、<br />いわば「同調」して、竹島問題に言及してくるのは、意外に遅いのではないか、とも思います。<br /><br /><br />2010.02.20Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-85253992561005780132010-02-18T21:11:57.502+09:002010-02-18T21:11:57.502+09:00応訴管轄は、本来、その裁判所にはその事件を管轄する(審理する)権限が無い場合でも、たまたま何かの事情...応訴管轄は、本来、その裁判所にはその事件を管轄する(審理する)権限が無い場合でも、たまたま何かの事情によって訴訟が提起されたときに、相手方が応訴をしたならば結果として裁判所の管轄権が成立する、という仕組みです。<br /><br />国際司法裁判所への提訴が成立するのは二国間の合意があることが前提となっていますから、原則としては、一方の国が合意なしに提訴したとしても国際司法裁判所にはその訴訟の管轄権は発生しません。<br /><br /> しかし、もし相手国がその裁判に応ずるならば裁判を行うという考えが国際司法裁判所にあるのならば、それは応訴管轄を認めているということになります。国際司法裁判所が応訴管轄を認めているのかどうかは知りません。<br /><br /><br />2010.02.18Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-58542667348261361592010-02-18T00:26:16.418+09:002010-02-18T00:26:16.418+09:00ラスク書簡の紹介ですが、上記1984年の塚本論文より早く、
1978年7月に次のような論文がありまし...ラスク書簡の紹介ですが、上記1984年の塚本論文より早く、<br />1978年7月に次のような論文がありました。<br /><br />花井浩司「竹島解決への新たな提案」(今日の焦点 国際)『月刊社会党』日本社会党中央本部機関紙局1978年7月 通号261<br /><br />http://opac.ndl.go.jp/articleid/1889116/jpn<br /><br />以下引用<br />180p<br />最近「1951年の米外交文書」が公表されたが、ヤン駐米韓国大使が竹島の領有権を主張したのに対し、ダレス国務長官は「われわれの情報によれば、竹島は1905年頃から韓国の一部として扱われたことがなく、島根県陰岐支庁(ママ 隠岐支庁か)の管轄下におかれている。それ以前においても韓国が領有を主張したことはない」と日本の固有の領土であることを韓国側に通告している。(51・8・10国務省覚書)<br /><br />この論文の著者は、「花井浩司 国際問題研究家」とあります。<br /><br />『月刊社会党』は社会党の機関紙ですが、花井浩司という人は国際問題の担当だったようです。国会図書館の論文リスト(雑誌記事索引)によれば、時事的な国際問題を継続して扱っていた人のようです。<br /><br />この論文では、竹島問題を、国際司法裁判所に「応訴管轄(フォルム・プロロガチューム)」という原則により提訴することを提案しています。<br />この原則は、当事国間に合意の意思が存在せず、相手国の応訴の意思が不明なままに他方の当事国が一方的に国際司法裁判所へ提訴し、訴えられた国が、後から応訴の意思を示し裁判が成立することをいうものだそうです。<br /><br />「応訴管轄(フォルム・プロロガチューム)」ということについて、よく知りませんが、どなたか教えてください。<br /><br /><br />2010.02.17Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-31443245839565866582010-02-13T14:34:16.952+09:002010-02-13T14:34:16.952+09:00This comment has been removed by the author.GTOMRhttps://www.blogger.com/profile/06881539471132140299noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-22648396587237588192010-01-17T20:21:33.887+09:002010-01-17T20:21:33.887+09:00最大の 不利な資料は カットして
見事に揃う ドクトは我が土地
韓島守最大の 不利な資料は カットして<br /><br />見事に揃う ドクトは我が土地<br /><br /><br />韓島守Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-5192723179089743002010-01-17T17:56:14.947+09:002010-01-17T17:56:14.947+09:001955韓国外務部政務局『獨島問題概論』の英文付録6(ANNEX6))の文献が、
塚本論文「資料3」...1955韓国外務部政務局『獨島問題概論』の英文付録6(ANNEX6))の文献が、<br />塚本論文「資料3」に言う1952年12月4日の「合衆国通牒」と同じ物であるにせよ、ないにせよ、<br />この「合衆国通牒」は、確かに韓国政府に送られ、そこにはラスク書簡に触れて「独島は日本領土であって韓国領土ではない」というアメリカ政府の認識が再確認されていたことは、上記塚本論文「資料2」および「資料3」から、明らかです。<br /><br />そのわずか3月足らず後の、1953年2月27日に、<br />韓国政府は、「アメリカ政府も独島が韓国領土であることを認めた」という公式発表をしていることになります。<br /><br />この間に、アメリカの認識が「変わった」ことを証拠だてる文献があるのかどうか。<br /><br />そうした文献を示さない限り、韓国政府はこの時点でアメリカ政府の意図を歪曲して発表した、という事実を否定することは出来ないことになります。<br /><br />さらに、<br />金東祚は、1955韓国外務部『獨島問題概論』を編纂する時に、ラスク書簡の存在を知っていたか、という問題ですが、<br />これは、論じるまでもない当たり前のこと、でした。<br />なぜなら、そもそもラスク書簡は「駐米韓国大使」にあてたものです。<br /><br />外務部の高官として独島問題にタッチするようになったときに、金東祚は、当然、その経緯や内容について、十分に把握していたはずです。<br /><br />よって、1955年に『獨島問題概論』を編纂する時に、金東祚は、<br />ラスク書簡の経緯やその意味ついても良く知っていたし、1952年12月4日にアメリカ政府がそれを再確認してきたことの意味も、十分に知っていたことになります。<br /><br />そして、彼は、ラスク書簡をめぐる経緯について『獨島問題概論』に載せようとはしなかった。<br /><br />アメリカ政府の「独島は日本領土であって韓国領土ではない」という認識を、彼は、韓国の「各在外公館長」には知らせないことにし、ひいては国民にも隠そうとしたわけです。<br /><br /><br /><br />では、ラスク書簡の存在が、一般に知られるようになったのは、一体いつからでしょうか。<br /><br />確認できるのは<br />塚本孝「サンフランシスコ条約と竹島~米外交文書集より~」『レファレンス』33-6 <br />1983年6月、からです。<br /><br />そして、おそらく、これが最初なのではないかと思います。<br /><br />この段階では、まだ会談に同席したアメリカ政府官僚(北東アジア課朝鮮担当官エモンズ)の記録を引用して一部が出ているだけで、ラスク書簡全体はわかっていません。<br /><br />塚本孝「平和条約と竹島(再論)」『レファレンス』44-3 <br />1994年3月、にいたって初めて、ラスク書簡の全貌がわかったことになります。<br /><br />この塚本氏の2本の論文は、ぜひ、英訳してほしいものです。<br />日本政府は、こうした論文集を英語でひろく発信すべきだと思います。<br /><br /><br />2010.1.17.Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-40768559326866991652010-01-13T18:53:24.360+09:002010-01-13T18:53:24.360+09:00上記のコメントの後半はGTOMRさんのサイトからコピペしたもので、塚本先生の論文とは関係ありません。...上記のコメントの後半はGTOMRさんのサイトからコピペしたもので、塚本先生の論文とは関係ありません。失礼しました。Kaneganesehttps://www.blogger.com/profile/15533339719864245857noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-66283213968207634632010-01-13T14:46:00.085+09:002010-01-13T14:46:00.085+09:00ところで、塚本先生の上記の論文に、私が以前から知りたかったことが書いてありましたので、メモ代わりにコ...ところで、塚本先生の上記の論文に、私が以前から知りたかったことが書いてありましたので、メモ代わりにコメントしておきます。(書き起こしにミスがあった場合はお知らせ下さい。)<br /><br />愈鎮午氏が崔南善氏を訪れて独島のことを聞くのは"1951年の3月末か4月初めに米国の対日平和条約草案に接し検討を開始したところ"だったと推測されます。<br /><br />(p50)なお、筆者の旧稿(本稿”端書き”参照)では、このパラン島について「漢字を当てれば波浪島だろうが、詳細は不明である」とした。その後、筆者は『朝鮮終戦の記録』の著者として有名な森田芳夫先生から、韓国政府の意見書作成に参画した愈鎮午氏の回想(注50)記にパラン島に関する記述があることを教えていただいた。その要旨を紹介すれば次の通りである。<br />[愈鎮午氏は]1951年の3月末か4月初めに米国の対日平和条約草案に接し検討を開始したところ、帰属財産(注.在韓国日本資産のこと)に関する第四条A項や領土に関する第二条に問題があることが判明した。韓国政府としてそれに対する意見書を出さなければならないと重い、直ちに意見書作成の準備に着手した。まず初めに崔南善氏(注.歴史学者)を訪問し、歴史的に見て韓国領土として主張できる島が何々であるかを尋ねた。崔南善氏からは、独島の来歴の説明を受け確信をもてた。対馬には領有の根拠がないことを教わったが、代わりに新知識を得た。木浦、長崎、上海を結んだ三角形の中心あたりの海中に「パラン島」があり、波間に見え隠れする。我が国の領土としてこの際確実にしておくのがよいとのことであった。もしパラン島の名を条約中に明記できれば韓国の領域が 島よりはるか西南に広がるので、崔南善氏の言葉に狂喜した。・・・パラン島は自信がなかったが、例え実在しないとしても意見書中に入れておいて害はないと思い、独島とともに平和条約第二条に追加することを要求した。・・・パラン島は、1951年夏に実地調査が行われたが、ついに発見できなかった。<br />塚本孝「平和条約と竹島(再論)」『レファレンス』国立国会図書館、 1994,3月号<br />(注50) 愈鎮午「韓日会談がひらかれるまで」上『思想界』1966.2<br /><br /><br />会談の韓国側の代表に任命された愈鎮午は、韓国の領有権に関する資料を用意すべく崔南善を訪ねて「李大統領によると対馬がわが領土どであるといわれるが、根拠があるのでしょうか」と聞くと、崔南善は「にっこりと笑いながら」次のように答えたという*<br /> 韓国の木浦と日本の長崎と中国の上海をつなげる三角形の真ん中くらいにパラン島という島がある・・・・・・・水深が浅くて島の表面が海の上にでたり沈んだりするので波浪島とよばれるのかもしれない・・・・・・このたびは、それもわが領土としてはっきりさせておくのがよかろう*<br />(朴實「韓国外交秘史」麒麟苑 1979 P289)Kaneganesehttps://www.blogger.com/profile/15533339719864245857noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-35983907414404052722010-01-13T12:05:49.814+09:002010-01-13T12:05:49.814+09:00LOT 56 D527 は国会図書館のマイクロフィルムには収容されていないようですね。
Confi...LOT 56 D527 は国会図書館のマイクロフィルムには収容されていないようですね。<br /><br /><a href="http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/senryo/YE_110.html" rel="nofollow">Confidential U.S. State Department Special Files, Northeast Asia, 1943-1956 資料群名(日本語仮訳) 国務省 ロト・ファイル:北東アジア 国会図書館</a><br /><br />憲政資料室に<br /><br /># 国務省 ロト・ファイル:日本 (憲政資料室所蔵 LOT)<br /># 国務省 ロト・ファイル:韓国(憲政資料室所蔵 YE-111)<br /># 国務省 ロト・ファイル:北東アジア 補遺1(憲政資料室所蔵 YE-118)<br /><br />があるようです。<br /><br /># 国務省 ロト・ファイル:韓国(憲政資料室所蔵 YE-111)については、慶応大学図書館にも所蔵があるようですね。<br /><br /><a href="http://www.mita.lib.keio.ac.jp/micro/info.php?ID=1227" rel="nofollow">Confidential U.S. State Department Special Files: Korea 1950-1957 慶応大学図書館</a><br /><br />それぞれLOT番号があるので、分かりやすいですね。<br /><br />最近ウィスコンシン大学で公開されたという外交関係のFRUS文書はこれらとは別のものなのでしょうか。LOT番号とかありません。<br /><br /><a href="http://digicoll.library.wisc.edu/cgi-bin/FRUS/FRUS-idx?type=browse&scope=FRUS.FRUS1" rel="nofollow"> Foreign Relations of the United States, University of Wisconsin Digital Collections</a>Kaneganesehttps://www.blogger.com/profile/15533339719864245857noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-85267436400813208792010-01-13T07:26:26.514+09:002010-01-13T07:26:26.514+09:00OPPさん ありがとうございます。
国会図書館に見に行こうと思っていましたが、便利な時代になったも...OPPさん ありがとうございます。<br /><br />国会図書館に見に行こうと思っていましたが、便利な時代になったものです。<br /><br />これで、塚本論文に載っている資料の原文が読めます。<br /><br />資料2<br /><br />http://en.wikisource.org/wiki/Possible_Methods_of_Resolving_Liancourt_Rocks_Dispute_between_Japan_and_ROK2<br /><br />前のコメントで起こした部分<br /><br />伝達書を以て、我々が韓国外務部に今送った通牒の写しを送ります。最後の段落に、11月27日付け国務省電報第365号において示唆された、1951年8月10日付けディーン・ラスクの梁大使あて通牒に言及する文言があります。<br /><br />I am sending with a transmitting despatch, a copy of the note that we have just sent to the Ministry of Foreign Affairs which includes as a final paragraph the wording suggested in the Department’s telegram no.365 of November 27 and which refers to Dean Rusk’s note to Ambassador Yang of August 10, 1951. <br /><br />有難い事にラスク書簡原文もリンクされていますね。<br />http://en.wikisource.org/wiki/Rusk_note_of_1951<br /><br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />資料3<br /><br />http://en.wikisource.org/wiki/Possible_Methods_of_Resolving_Liancourt_Rocks_Dispute_between_Japan_and_ROK<br /><br />前のコメントで、起こした部分<br /><br />1951年8月10日の通牒を韓国へ出して以来、合衆国政府は、この問題に関し一度だけ追加的な伝達を行っている。これは、合衆国軍用機が独島を爆撃したとして韓国が抗議したことに対する応答として行われた。合衆国の1952年12月4日付け通牒は、次のように述べた。<br />「大使館は、外務部の通牒にある「独島(リアンクール岩)は…大韓民国の領土の一部である」との言明に注目します。合衆国政府のこの島の地位に対する理解は、ワシントンの韓国大使にあてたディーン・ラスク国務次官補の1951年8月10日付け通牒において述べられています。」<br />この通牒が出された時、以前表明された我々の見解のこの繰り返しにより、紛争からの我々の撤退と、大韓民国をして“すでに十分困難な日韓交渉に無用の問題を押し込む”のを思いとどまらせることが期待された。明らかに、我々の努力は、これまでのところ所期の効果を上げていない。<br /><br />Since sending the August 10, 1951 note to the ROK Government, the United States Government has sent only one additional communication on the subject. This was done in response to the ROK protest of the alleged bombing of Dokdo Island by a United States military plane. The United States note of December 4, 1952 states:<br />"The Embassy has taken note of the statement contained in the Ministry's Note that 'Dokdo Island (Liancourt Rocks) .....is a part of the territory of the Republic of Korea.' The United States Government's understanding of the territorial status of this island was stated in assistant Secretary dated August 10,1951."<br />At the same time this note was sent it was hoped that this more reiteration of our previously expressed views would withdraw us from the dispute and might discourage the Republic of Korea from "intruding a gratuitous issue in the already difficult Japan-Korean negotiations." Apparently our efforts to date have not had the desired effect.<br /><br /><br />ただし、原文の影印を見ると、肝心の、二つ目のパラグラフにあるThe United States note of December 4, 1952の引用部分の翻刻では、下から2行目の一行が抜けています。正しくは<br /><br />"The Embassy has taken note of the statement contained in the Ministry's Note that 'Dokdo Island (Liancourt Rocks) .....is a part of the territory of the Republic of Korea.' The United States Government's understanding of the territorial status of this island was stated in Assistant Secretary of State Dean Rusk’s note to the Korean Ambassador in Washington dated August 10,1951."<br /><br />原文の影印<br />http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0e/BurmasterP2.jpg<br /><br />こういう間違いは、引用されて広がってしまうので怖いですね。直してもらうのはどうしたらいいんでしょうか。<br /><br />あて名のNA - Mrs. Cunning<br />もMrs. Dunning の間違いですね。<br /><br /><br />それはさておき、韓国側の文書を引用した部分の日本語訳で<br />「独島(リアンクール岩)は…大韓民国の領土の一部である」の<br />…に何が省略されているのか、気になっていたのですが、<br />原文でみると、この部分は、<br /><br />'Dokdo Island (Liancourt Rocks) .....is a part of the territory of the Republic of Korea.' <br /><br />となっており、<br /><br />『独島問題概論』ANNEX5<br /><br />Dokto Island (Liancourt Rocks) which is a part of the territory of the Republic of Korea.<br /><br />と比べると、抜けているのは、何とwhichだけですね。<br /><br /><br /><br />なお、<br />>1952年12月4日付け通牒そのものはこのマイクロにもありませんでした。<br /><br />とOPPさんは書かれていますが、<br /><br />このサイトの冒頭に注記されている、<br />NARA Confidential U.S. Lot58 D118 and D637 Records of the Office of Northeast Asian Affairs, Japan Subject Files, 1947-1956, Reel39<br /><br />のうちのJapan Subject FilesでなくKorea 関連で探せば何かがあるのではないかとも思います。しかし、どうやってアプローチしていいのか、よくわかりません。<br /><br />塚本氏の別の論文「平和条約と竹島(再論)」『レファレンス』44-3 1994年3月に注22に、以下のような注記があり、参考になるかも知れません。<br /><br />NARA:RG59,Bureau of Far Eastern Affairs, LOT 56 D527 Records of the Office of Northeast Asian Affairs Relation to the Treaty of Peace with Japan ,Box 3 Peace Treaty<br /><br />NARA=米国国立公文書館Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-26335661118116902152010-01-12T02:39:41.480+09:002010-01-12T02:39:41.480+09:00matsuさん
LOT Reel 34、0468-0651、0665-0674は昔確認しました。
h...matsuさん<br />LOT Reel 34、0468-0651、0665-0674は昔確認しました。<br />http://en.wikisource.org/wiki/Possible_Methods_of_Resolving_Liancourt_Rocks_Dispute_between_Japan_and_ROK2<br />http://en.wikisource.org/wiki/Possible_Methods_of_Resolving_Liancourt_Rocks_Dispute_between_Japan_and_ROK<br /><br />1952年12月4日付け通牒そのものはこのマイクロにもありませんでした。<br />もしかしたら、韓国が隠匿しているのを知っていてアメリカは秘密解除してないのかもしれません。opphttps://www.blogger.com/profile/01174343282738727130noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-83121476585589313252010-01-12T01:22:41.465+09:002010-01-12T01:22:41.465+09:00塚本論文に立ち返って考えて見ます。
http://www.pref.shimane.lg.jp/s...塚本論文に立ち返って考えて見ます。<br /><br />http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/index.data/09.pdf<br />9/15(p83) ~ 10/15(p84)<br /><br />PDFが、コピペ出来ないようになっているので、写すのが大変です。<br />略したところも、出来たら読んで下さい。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />資料2<br />駐韓米国大使館臨時代理大使 E. アラン・ライトナー(E. Allan Lightner, Charge d’affaires a. i. American Embassy, Pusan, Korea)発 米国務省極東局北東アジア課長ケネス・T・ヤング(Kenneth T. Young, Jr., Director, Office of Northeast Asian Affaires)あて1952年12月4日付け書簡<br /><br />(最後のパラグラフ)<br />伝達書を以て、我々が韓国外務部に今送った通牒の写しを送ります。<br />最後の段落に、11月27日付け国務省電報第365号において示唆された、1951年8月10日付けディーン・ラスクの梁大使あて通牒に言及する文言があります。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />「我々が韓国外務部に今送った通牒の写しを送ります」とあり、12月4日に送った通牒の写しが、アメリカの北東アジア課に送られていることがわかります。<br />ラスク関連部分は「最後の段落」です。<br />次に、<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />資料3<br />国務省北東アジア課バーマスター(L.Burmaster)による覚書「日韓間リアンクール岩紛争のありうべき解決策(Possible Method of Resolving Liancourt Rocks Dispute between Japan and the Republic of Korea)」1953年7月22日、北東アジア課長代理マッククラーキン(Robert J. G.McClurkin)及び同課ダニング(Alice L. Dunning)あて<br /><br />(略)<br />1951年8月10日の通牒を韓国へ出して以来、合衆国政府は、この問題に関し一度だけ追加的な伝達を行っている。これは、合衆国軍用機が独島を爆撃したとして韓国が抗議したことに対する応答として行われた。合衆国の1952年12月4日付け通牒は、次のように述べた。<br />「大使館は、外務部の通牒にある「独島(リアンクール岩)は…大韓民国の領土の一部である」との言明に注目します。合衆国政府のこの島の地位に対する理解は、ワシントンの韓国大使にあてたディーン・ラスク国務次官補の1951年8月10日付け通牒において述べられています。」<br />この通牒が出された時、以前表明された我々の見解のこの繰り返しにより、紛争からの我々の撤退と、大韓民国をして“すでに十分困難な日韓交渉に無用の問題を押し込む”のを思いとどまらせることが期待された。明らかに、我々の努力は、これまでのところ所期の効果を上げていない。<br />(略)<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />この「資料3」という文書の性格は、<br />アメリカの国務省(外務省)北東アジア課の内部で、課員のバーマスターという人が、同じ課の、課長代理と同僚の課員にあてた提案、というところでしょうか。<br /><br />ここで、この1953年7月22日の段階において、バーマスターという人は、「合衆国の1952年12月4日付け通牒」を見て、この覚書(提案)を書いています。<br />よって、北東アジア課には、この「通牒」の「写し」が確かに残っていたことになります。<br /><br />とすれば、アメリカにはこの文書がたしかに存在するわけですが、この「合衆国の1952年12月4日付け通牒」という文書は、もう公開されているのではないでしょうか。<br /><br /><br />また、塚本氏の注ⅳ(p81)に<br />「本稿で訳出する文書は、いずれも、国立国会図書館の憲政資料室においてマイクロフィルムの閲覧が可能である。LOT Reel 34、0468-0651、0665-0674」<br />とあります。少なくとも引用された部分の英文は復元・確認できるでしょう。<br /><br /><br />Chaamieyさん<br /><br />アメリカ大使館が韓国外務省に正式に送った文書の中で、Dokto island という韓国側の名称だけの表現がでるのは、やはりおかしいと、私は思います。<br />ラスク書簡でも、「独島又は竹島、ないしリアンクール岩として知られる島」としており、<br />すくなくとも、Liancourt Rocks という名前は、入ってしかるべきだと思うのです。<br />でも、まあ、これは水掛け論かもしれませんね。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-4481642911641495832010-01-11T20:24:18.773+09:002010-01-11T20:24:18.773+09:00 とは言え、韓国が Dokto,Dokto と言ってきたので、アメリカが Dokto という言葉を... とは言え、韓国が Dokto,Dokto と言ってきたので、アメリカが Dokto という言葉を用いて返事した、って可能性もあるかも知れませんね。もともとその手紙の主題は独島/竹島という地域限定の話ですから。<br /><br /> 特に、一回目に出てくる Dokto は、韓国側の書簡の内容を説明する部分ですよね。<br /><br /><br /> それと、etc は、爆撃「等」には使わない、っていう意味ではないですか。爆撃は止めても、他に、例えば機銃掃射の演習があっても怖いですから。<br /><br /><br /><br /><br />2010.01.11Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-27057902479705327322010-01-11T20:20:26.544+09:002010-01-11T20:20:26.544+09:00This comment has been removed by the author.Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-77232446032180144212010-01-11T17:37:28.674+09:002010-01-11T17:37:28.674+09:00matsuさん
”Dokto Island は韓国側の表現であって、アメリカ側がこのように「独島」...matsuさん<br /><br />”Dokto Island は韓国側の表現であって、アメリカ側がこのように「独島」だけを単独で呼ぶ表現をするはずがない。<br />よって、この ANNEX6は、改竄されていることが明らかです。”<br /><br />鋭いご指摘、有難うございます。これはひょっとするとひょっとして...ですね。Kaneganesehttps://www.blogger.com/profile/15533339719864245857noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-73158834614540446992010-01-11T09:35:22.310+09:002010-01-11T09:35:22.310+09:003つの英文付録 ANNEX の独島に関する表現を見ると次のようになっています。
ANNEX5
韓国...3つの英文付録 ANNEX の独島に関する表現を見ると次のようになっています。<br /><br />ANNEX5<br />韓国外務部 から アメリカ大使館 あて<br />Dokto Island (Liancourt Rocks) <br /><br />ANNEX6<br />アメリカ大使館 から 韓国外務部 あて<br />Dokto Island<br /><br />ANNEX7<br />駐韓国連軍連絡基地司令部 から 韓国外務部長官 あて<br />Liancourt Rocks (Dokto Island)<br /><br /><br />このうちANNEX6の「アメリカ大使館から 韓国外務部あて」で、<br />Dokto Island<br />となっていますが、これはありえない表現だと思います。<br /><br />Dokto Island は韓国側の表現であって、アメリカ側がこのように「独島」だけを単独で呼ぶ表現をするはずがない。<br />よって、この ANNEX6は、改竄されていることが明らかです。<br /><br />ANNEX7にも<br />(Dokto Island)と括弧の中にありますが、原資料に実際にそう書いてあったかどうかもあやしいと思います。<br /><br /><br />また、ANNEX5に<br />Korean Marine Corps<br />という表現がありますが、これは、『独島問題概論』本文44pにも「海兵」という表現があり、前後の文脈から見て「海女」の間違いであると思いますが、ここで実際にアメリカ側に送った英文にも Korean Marine Corps とあったのかどうか。<br />1952年9月15日段階で、独島に韓国の海兵がいることはありえない話ではないかと思います。<br /><br />外務部政務局長 金東祚の序文に、<br />「本概論は、韓日両国間で往復された覚書を中心として整理したもので、付録は問題を理解するにおいて正確を期するため原文のまま掲載しました。」<br />と書かれているにもかかわらず、この英文付録は改竄だらけではないかと思います。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-83808144447898696992010-01-11T00:11:13.561+09:002010-01-11T00:11:13.561+09:001953年2月27日の韓国国防部の発表は、「韓国領であるから独島の爆撃を中止するように」とアメリカに...1953年2月27日の韓国国防部の発表は、「韓国領であるから独島の爆撃を中止するように」とアメリカに言ったらその通り中止したので、”アメリカも韓国領と認めた(ので中止した)”というロジックもしくは脳内変換だったんでしょうね、もとは。でもアメリカが明確に否定したので、今ではシンヨンハ氏くらいしか堂々と主張することをしなくなった、ということでしょう。<br /><br />matsuさん<br /><br />私もあれから読み直したのですが、etc.が実に不自然なのは正直否めません。ただ、今実家に滞在中で、あすの夜まであまり細かい作業が出来ません。あと、ここで検討することは内容的に不可避だと思っているのですが、画像をアップするのは、少しお時間頂きたいと思います。事情は...皆さんご存じのとおりです。(困りましたねぇ...)Kaneganesehttps://www.blogger.com/profile/15533339719864245857noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-75631726158996152712010-01-10T18:53:40.121+09:002010-01-10T18:53:40.121+09:001955 韓国外務部政務局編『独島問題概論』(外務部政務局長 金東祚の序文)
独島問題をめぐる...1955 韓国外務部政務局編『独島問題概論』(外務部政務局長 金東祚の序文)<br /><br /> 独島問題をめぐる韓日間の関係を全般的に把握するに当たり、関係諸位の参考に供するため、既発刊の独島問題概論を増補してここに発刊いたします。<br /> 本概論は、韓日両国間で往復された覚書を中心として整理したもので、付録は問題を理解するにおいて正確を期するため原文のまま掲載しました。<br /> 本概論は公表を目的とするものではなく、各在外公館長が本問題を正しく理解し、日本人の不当な宣伝に対備するのに参考になるものと考えて発刊したものであり、多く利用されることを望みます。<br />檀紀4288年5月 日 外務部政務局長 金東祚<br /><br /><br />第一章 独島についての史的考察 第3節 三 韓国民の独島への関心<br />(4)第二次調査団派遣と米軍機爆撃事件<br />47p<br />こうして1952年11月10日付で、外務部からこのような不祥事が再発しないように駐韓アメリカ大使館に抗議を提出した。(付録5参照)<br />これに対し、1952年12月4日付の第187号覚書でアメリカ大使館から、そのような事実の確認調査は時日の経過で困難ではあるが、ともかく今後は同島を爆撃演習地として使用することはないだろうという趣旨を伝達してきており(付録6参照)、1953年1月20日付の駐韓国連軍連絡基地司令部からは、爆撃演習地としてリアンクール岩(獨島)を使用することを即時中止するのに必要な措置について、すべての管下部隊に指令したと報告してきた。(付録7参照)<br /><br />英文付録<br /><br />ANNEX 5<br />NOTE VERBALE<br /><br />The Ministry of foreign affairs of the republic of Korea Presents its compliments to the embassy of the united states of America and has the honor to refer to an incident caused by a U.S. Military plane on Dokto Island (Liancourt Rocks) which is a part of the territory of the Republic of Korea.<br />It was reported by the competent authorities that a single engine plane identified as being under the command of the United States Forces in the Far East , which appeared at 11:00 a.m., September 15, 1952 over the said island where grouped the men of the Korean Marine Corps and Korean fishers engaged in fishing, had whirled around and dropped four bombs for unknown reason, flying away southwards.<br />Viewing this incident with deep concern, the Ministry wishes to request the Embassy to apprise the former of any detailed information collected by the latter and it further wishes to request the Embassy to take necessary steps in order to prevent recurrence of such incident.<br />The ministry avails itself of this opportunity to renew to the Embassy the assurance of its highest consideration.<br /><br />Pusan, November 10, 1952<br /><br /><br />ANNEX 6<br />No. 187<br />The Embassy of the United States of America presents its compliments to the Ministry of Foreign Affairs and has the honor to refer to the latter’s note of November 10,1952 stating that a single engine airplane described as being under the Command of the United States Forces in the Far East dropped bombs on Dokto Island on September 15, 1952. The embassy is advised that the limited amount of information provided in the Ministry’s note as well as the very long time which has elapsed since the incident is said to have taken place make it virtually impossible for the United Nations Command to determine the facts in the case. Preparations have, however, been expedited to dispense with the use of Dokto island as a bombing range, etc.<br /><br />American Embassy,<br />Pusan, December 4, 1952<br /><br /><br />ANNEX 7<br /><br />HEADQUATERS<br />KOREAN COMUNICATION ZONE<br />OFFICE OF THE COMMANDING GENERAL<br /> /PO 234<br />20 January 1953<br /><br />Dear Mr. Minister:<br />In response to your note verbale of 10 November 1952, addressed to theEmbassy of the United States of America, the commanding-in-chief , United Nations Command, has authorized me to inform you that he has directed all commanders concerned to take necessary action to immediately discontinue the use of Liancourt Rocks (Dokto Island) as a bombing range. <br />I am pleased to report that the order of the commander-in-chief is now in effect.<br /><br />With highest esteem, I am <br />Sincerely yours,<br />(Signed): Thomas W. Herren<br />Major General, United States <br />Army Commanding<br /><br />Honorable Cho Chong -Hwan<br />Acting Minister of Foreign Affairs <br />Republic of Korea<br />Pusan, Korea<br /><br />・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />韓国側がこの「ANNEX 6=第187号覚書」の全文を公開することは、金輪際、ありえないでしょうから、アメリカ側に残っているかもしれない「控え」を探すしかないのでしょう。<br /><br />Mark Lovmo氏は、はたして、この文書を見つけては、いないのでしょうか?<br /><br />Kaneganeseさん<br />上記ANNEX5,6,7の画像が掲載可能であれば示していただければと思います。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-66994203354122181692010-01-10T18:53:09.263+09:002010-01-10T18:53:09.263+09:00Yabutarouさん
金東祚が『獨島問題概論』を編集した当時ラスク書簡を知っていて意図的に載せな...Yabutarouさん<br /><br />金東祚が『獨島問題概論』を編集した当時ラスク書簡を知っていて意図的に載せなかったのは明らか。<br /><br />というYabutarouさんの指摘が、いかに鋭いものであったのかが、今にしてわかりました。<br /><br />塚本論文の「資料3」にある「合衆国の1952年12月4日付け通牒」<br />と<br />『獨島問題概論』英文付録6(ANNEX6、第187号覚書)1952年12月4日<br /><br />という、同じ日付を持つ、いずれも「アメリカ大使館」から、「韓国外務部」に送られたふたつの文書は、やっぱり実は同じものなのでしょう。<br /><br />最近になって、この「英文付録ANNEX 6」をよくよく眺めてみると、最後にetc.とあるのに気がつきました。つまりこれは、省略されている、という意味だと思います。<br /><br />すなわち、実際には第187号覚書という文書には、ラスク書簡(アメリカが、独島は日本領土であって韓国領土ではないという認識を韓国に伝えた書簡)にふれた部分があるのに、1955年段階に、韓国の外務部政務局が独島関係の資料を整理するときに、あまりに韓国側に不利な情報なので、それを隠して、省略してしまった、ということなのでしょう。<br /><br />韓国の外交のための参考とするべく、韓国内部の秘密文書として編纂されたこの資料集にして、実は、真実を糊塗している、つまりは仲間内をも騙そうとした、ということなのだと思います。<br /><br />これまでの経緯を、ふたたび掲げます。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・<br />最初のYabutarouさんの質問<br /><br />matsu さんは『獨島問題概論』を入手されているようですが、この中で1952年12月4日に駐韓アメリカ大使から韓国政府に送られてきた文書についてどのように書かれているか教えてください。<br /><br />『史的検証・竹島・独島』の214pに”同年12月4日、独島を爆撃演習地として使用しないという内容の回答文書が駐韓アメリカ大使より送られてきたことがある”とあり出典が外務部『獨島問題概論』47pとあります。<br /><br />アメリカが独島を爆撃演習地として使用しないという回答した”ことを韓国政府はアメリカが独島を韓国領と認めた何よりの証拠であると主張しています。内藤正中氏の『竹島=独島問題入門』にもそのように書かれています。<br />しかしサン・フランシスコ平和条約における竹島の取り扱い (塚本孝) の10pを見ると12月4日の文書には次のような文章があったことがわかります。<br /><br />”大使館は、外務部の通牒にある「独島」は・・・大韓民国の領土の一部である」との言明に注目します。合衆国政府のこの島の地位に対する理解は、ワシントンの韓国大使にあてたディーン・ラスク国務次官補の1951年8月10日付通牒において述べられています。”<br /><br />つまりこの12月4日の文書にはラスク書簡を持ち出して竹島は韓国領ではなく日本領であることを”回答した”部分があるわけですが果たしてこの部分は『獨島問題概論』に載っているのでしょうか?『獨島問題概論』には英文附録があるようですがどうでしょうか。<br />・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />これに対する私の返信<br /><br />結論から言うと、『獨島問題概論』の付録にのっている英文に、該当の文章はありません。<br /><br />それが、この文集の不備によるものか、あるいは故意に削除したものを載せたのか、すなわちアメリカ側の原本をさぐればこの文章があるのか、それともはじめからそんな文章は無かったのか、よくわかりません。<br /><br />塚本さん紹介の「資料3」にある「合衆国の1952年12月4日付け通牒」(10p)は、この英文付録6(Annex6、187号覚書)と同じものなのかどうか。<br />同じもののようでもありますが、よくわかりません。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />そしてMakotoさんの関連のコメント<br /><br />matsuさん、1952年12月4日付の米大使館からの書簡って、米国の立場は「ラスク書簡」で伝えたとおりであるとの記載のあるものではないでしょうか。もしそうであるなら韓国は官民一体となって歴史を歪曲したことになりますね。<br />幸い覚書の番号まで明らかになっているようですから、米国側の資料も当たって見るべきかと思います。韓国外務部編『獨島問題概論』との違いがみられるかもしれません。<br /><br />2010.1.1<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />それに対する私の返信<br /><br />おっしゃるように「米国側の資料も当たって見るべき」だと思います。<br /><br />「12月4日書簡」は、アメリカから韓国に送られたわけですから、アメリカに「控え」があるか、韓国に「現物」が残っているかです。<br />この「付録6」は、現物ではなく、1955年の資料整理の時にタイピングされたものでしょうから、「原物」は別にあるわけです。<br /><br />上記の<br />塚本さん紹介の「資料3」にある「合衆国の1952年12月4日付け通牒」(10p)とこの英文付録6(Annex6、187号覚書)は、別のものではないか、とも思っています。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />というわけで、このとき私は、このふたつは、あるいは別のものではないか、と考えていたのですが、上記のように、これはやっぱり同じものだと思います。<br /><br />『独島問題概論』の序文(Chaamieyさんの翻訳を一部参考にさせていただきました)<br />そして47pの翻訳(再掲)、<br />および英文付録5、6、7の起こしは以下の通りです。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-50270947309350162972010-01-10T18:44:51.261+09:002010-01-10T18:44:51.261+09:00Chaamiey さん
ありがとうございます。
それでは、とりあえずの決定稿、ということで
一時...Chaamiey さん<br />ありがとうございます。<br /><br />それでは、とりあえずの決定稿、ということで<br /><br />一時期『獨島』周辺を恐怖の中におとしいれていた『獨島』周辺攻撃演習は、韓国と国連軍当局との合意で、隣接する住民達の不安を一掃することになったという。<br />昨二十七日、軍当局が発表したところによれば、去る九月十五日、国籍不明の飛行機の爆撃事件以来問題であった独島は、その間我が政府と国連軍当局間に完全合意を見て、アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米極東総司令官により保障されたとして、爆撃により大打撃を受けてきた漁民達も、今後は安心して漁労に従事できるようになったという。<br /><br />한동안『독도』주변을 공포 속에 뺄게하던 『독도』주변공격연습은 한국및 UN군당국과의 합의로 이웃주민들의 불안을 일소케하였다고 한다. <br />작廿七일 군당국이 발표한 바에 의하면 지난 九월십五일 국적불명의 비행기의 폭격 사건 이래 문제●이던 독도는 그간 아정부와 UN군당국간에 완전합의를 보았으며 미국정부로서도 독도는 한국의영토의一부임을 인정하고 금후독도부근에는 폭격이 없을것이 미극동총사령관에의하여 보장되었다하며 폭격으로 인하여 대타격을 받아오던 어민들도 차후로는안심하고어로에 종사할수 있게 되였다한다.Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-57135184986881657582010-01-10T18:14:24.431+09:002010-01-10T18:14:24.431+09:00matsuさん、
冒頭は「周辺」でしょう。「おとしいれていた」は「뺄게하던」、「今後は」は「차...matsuさん、<br /><br /> 冒頭は「周辺」でしょう。「おとしいれていた」は「뺄게하던」、「今後は」は「차후로는」ですね。「問題」の次の一文字は分かりません。<br /><br /><br /><br />2010.01.10Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-28476786312113142492010-01-10T16:15:38.653+09:002010-01-10T16:15:38.653+09:00なお、半月城氏は上記の「半月城通信」で、愼鏞廈教授の独島百問百答(5)、のQ92(シーボルトのロビー...なお、半月城氏は上記の「半月城通信」で、愼鏞廈教授の独島百問百答(5)、のQ92(シーボルトのロビー活動)を注記していますが、むしろこの事件に直接関係があるのは、Q89.(米軍演習場)だと思います。<br /><br />http://www.han.org/a/half-moon/hm104.html#No.760<br /><br />愼鏞廈教授の独島百問百答<br />Q89.(米軍演習場)<br /> このころ、米軍が「独島」を米空軍の演習場として使用したが、鬱陵島漁<br />夫を多数爆死させたことがあり、日本側は米空軍が独島を日本領と見なしたた<br />めに米空軍演習場として使用したものであると主張したが、そのような事実が<br />あるのか?<br /><br />ANS.<br /> 大韓民国政府が樹立される直前である1948年6月30日、アメリカ空軍機が<br />独島周辺で爆撃演習を実施したが、独島に出漁中であった韓国漁民30余名が犠<br />牲になる不祥事があった。<br /> しかるに、この時期は独島を含め韓半島が駐韓米軍政統治下にあったので<br />あり、決してこの事実が独島を日本領と見なしたとする傍証になるのではない。<br />日本側の主張はまったく不当なものである。<br /> 大韓民国は、政府樹立後である1950年4月25日、アメリカ第5空軍にこれを<br />照会、抗議した。アメリカ第5空軍から同年5月4日付で「当時、独島とその近<br />辺における出漁が禁止された事実はなく、また独島は極東空軍の演習目標に<br />なっていなかった」という要旨の回答を受けとった。<br /> その後、韓国戦争期間中に独島が米・日合同委員会によりアメリカ空軍の<br />演習基地に選定されたという情報が韓国に入った。<br /> 大韓民国政府は米空軍へこれに抗議したが、米国空軍司令官は1953年2月<br />27日付で「独島」はアメリカ空軍の演習地から除外されたという公式回答を大<br />韓民国政府に送ってきた。<br /> このような事実は、大韓民国政府が樹立した1948年8月15日以後「独島」<br />に対して主権を行使してアメリカ空軍司令部と抗議文書を交換したのであり、<br />アメリカ空軍司令部も「独島」を韓国領として認定してそれに回答し、承服し<br />たことをよく示すものである。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />まず、1948年の事件は、6月8日が正しいと思いますが、韓国側の資料では6月30日と出てくることが多いです。これは間違いだと思います。<br /><br /><br />それはさておき、ここでは<br /><br />「米国空軍司令官は1953年2月27日付で「独島」はアメリカ空軍の演習地から除外されたという公式回答を大韓民国政府に送ってきた。」<br /><br />と「公式回答」となっており、愼鏞廈氏は「公式書簡」説は撤回しているようです。<br /><br />しかし、それがどうして<br /><br />「このような事実は、大韓民国政府が樹立した1948年8月15日以後「独島」に対して主権を行使してアメリカ空軍司令部と抗議文書を交換したのであり、アメリカ空軍司令部も「独島」を韓国領として認定してそれに回答し、承服したことをよく示すものである。」<br /><br />という解釈を愼鏞廈氏に可能にするのか、全く理解できません。<br /><br />1948年6月、1952年9月の事件ともに、被害を受けたのが韓国人だったから、アメリカは韓国側に回答しただけであり、主権や領土問題とは一切関係がないのではないでしょうか。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-27995237375551021182010-01-10T16:14:51.951+09:002010-01-10T16:14:51.951+09:00塚本論文p80に触れられている半月城通信です。
http://www.pref.shimane.lg...塚本論文p80に触れられている半月城通信です。<br />http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/index.data/09.pdf<br />80p<br /><br />ここに「リアンクール岩に韓国人Koreans on Liancourt Rocks」(または「リアンコールト岩の韓国人」)の日本語訳があります。<br />http://www.han.org/a/half-moon/hm111.html#No.822<br /><br />塚本氏の論文に明瞭なように、この半月城氏の主張は、完全に論破されています。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />半月城通信 No.111(2005.6.1)<br />目次 12 竹島=独島と駐日アメリカ大使館 <br />竹島=独島と駐日アメリカ大使館<br />2005/ 5/22<br />Yahoo!掲示板「竹島」#9494<br /><br /> 半月城です。<br /> RE:9455<br /> kwsk_myさん、最近マーク・ロブモ氏により発見された重要な資料の紹介および翻訳<br />をありがとうございました。しかし、翻訳は機械翻訳のため意味が通じにくいのが難点で<br />す。これを私なりに翻訳してみました。文末に掲げます(注1)。<br /><br /> この資料の価値ですが、サンフランシスコ講和条約前後、竹島=独島問題で迷走を繰<br />りかえしたアメリカの最終見解を知るのに貴重な資料です。<br /> この文書で特に重要なのは、アメリカが何回か竹島=独島問題を検討した結果、1952<br />年10月の時点で、リアンコールト岩(竹島=独島)は「ある時期に朝鮮王朝の一部であっ<br />た」という結論を出したことです。<br /> この結論は、ラスク国務次官補の書簡(1951.8.10)と明らかに矛盾します。同書簡は<br />駐米韓国大使宛てにこう記しました。<br /> --------------------<br /> 独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られている島に関しては、この通常無<br />人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として扱われたことが一度もなく、1905<br />年ごろから日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領<br />土主張がなされたとは思われません。<br /> --------------------<br /><br /> この書簡の一年後に、上記のように竹島=独島は「朝鮮王朝の一部だった」と結論を<br />だしたのはナゾです。考えられるのは、竹島=独島問題に熟知していないアメリカがまた<br />もや猫の目のように見解を変えた可能性です。<br /> そうでないとしたら、アメリカは政治的意図をもって韓国へ冷たい書簡を送ったのか<br />も知れません。日本政府顧問のシーボルトは1949年にアメリカ国務省へ同島の軍事的価値<br />を強調しましたが(注3)、アメリカはそれを考慮し、同島を日米安保協定下で軍事利用<br />した方がベターと考え、韓国大使にはつれなく回答したのかもしれません。<br /><br /> いずれにしても、イギリスのみならずアメリカも竹島=独島は朝鮮王朝の一部であっ<br />たとの結論を出した事実は、今後の領有権論争に大きな影響を与えそうです。<br /><br />(注1)<駐日アメリカ大使館の秘密資料><br /> ロブモ氏HP<Memo #659, American Embassy to State Department><br /><br /> 秘密(解除)<br />発信:アメリカ大使館・東京 659<br />受信:国務省、ワシントン 1952.10.3<br />件名:リアンコールト岩の韓国人<br /><br /> 韓国と日本の間で相次ぐ利害関係の衝突により、両国関係が悪化している。最近、発<br />生したある事件は、今後より大きな問題に発展しかねない。また、アメリカへ少なからぬ<br />影響を与えかねない。その事件と言うのはリアンコールト岩(独島)をめぐる領土紛争で<br />あり、日本と韓国の間で領有権をめぐる紛争である。<br /><br /> 国務省はリアンコールト岩の歴史をすでに数回も検討したことがあるが、それをここ<br />で詳述する必要はない。その岩はアザラシの繁殖地であり、ある時期、朝鮮王朝の一部で<br />あった。その岩は、日本がその帝国を朝鮮に拡張した時、もちろん朝鮮の残りの領土とと<br />もに併合された。<br /> しかしながら日本政府は、帝国支配の過程においてこの領域を日本の本土に編入し、<br />ある県の行政下においた。<br /> そのため、日本が平和条約の第2章で「済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対す<br />るすべての権利、権原及び請求権」を放棄することに同意した時、条約の起草者はこの岩<br />を放棄すべき領域に含めなかった。<br /> 日本は、リアンコールト岩に対する日本の領有権は理由のあることとしている。それ<br />に韓国が異議を唱えているのは明白な根拠にもとづくものである。<br /><br /> この岩は韓国と日本の間にある日本海の公海上にあり、国連軍の航空機にとって北朝<br />鮮での爆撃から戻る際に有用である。この岩は、投下目的地で使用されなかった爆弾を落<br />とせるレーダー照準点として使うことができる。<br /> リアンコールト岩は無人島で、しかも航路の目印になるので、実際の爆撃の標的とし<br />て理想的である。そのため、日米安全保障協定にもとづく合同委員会による作戦区域の選<br />定において、この岩は上記の目的に役立ち、日本政府により施設として指定されることが<br />合意される。<br /> その岩は爆撃目標になっており、危険区域として宣言され、週7日、24時間のベー<br />スで立ち入り禁止区域として知らされている。<br /><br /> この効果に関する情報は、極東司令部やおそらく極東空軍および海軍・極東の下部組<br />織をつうじて配布された。つい最近、情報は真珠湾にある太平洋艦隊の最高司令官に流さ<br />れた。水兵への通達、あるいは hydropacの形で事務的に配布できるようにするためであ<br />る。<br /><br />(注2)Foreign Relations of the United States, 1951,Vol4<br />(注3)半月城通信<愼鏞廈教授の独島百問百答(5)、Q92(シーボルトのロビー活動)><br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />前掲、塚本論文に明瞭なように、この半月城氏の主張は、完全に論破されています。<br /><br />81p<br />以上のことから、論者(Matsu注:半月城氏)の主張とは逆に、米国政府としては1951年8月当時の立場(Matsu注:1951年8月10日のラスク書簡にいう、独島は日本領土であって韓国領土ではない、というアメリカ政府の認識を示す立場)を再確認したことが資料的に明らかになっている。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-64765969854451384282010-01-10T13:34:11.120+09:002010-01-10T13:34:11.120+09:00Chaamieyさん
不明文字判読
冒頭の東亜日報の翻訳のうち●で残っていた部分は、「今後は」で...Chaamieyさん<br />不明文字判読<br /> 冒頭の東亜日報の翻訳のうち●で残っていた部分は、「今後は」でまちがいありません。2010.01.08<br /><br />ありがとうございました。<br />このところちょっと忙しくて反応が遅くなりました。<br />意味としては、これで確定して良いのだと思います。<br />改めて読み直して見ましたが、ハングルで確定できない文字があるので教えてください。<br /><br />一時期、『獨島』の「住民(周辺?)」を恐怖の中におとしいれていた『獨島』周辺攻撃演習は、韓国と国連軍当局との合意で、隣接する住民達の不安を一掃することになったという。昨二十七日、軍当局が発表したところによれば、去る九月十五日、国籍不明の飛行機の爆撃事件以来問題であった独島は、その間我が政府と国連軍当局間に完全合意を見て、アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米極東総司令官により保障されたとして、爆撃により大打撃を受けてきた漁民達も、今後は安心して漁労に従事できるようになったという。<br /><br />한동안『독도』주민(주변?)을 공포 속에 ●●하던 『독도』주변공격연습은<br />한국및 UN군당국과의 합의로 이웃주민들의 불안을 일소케하였다고 한다. <br />작廿七일 군당국이 발표한 바에 의하면<br />지난 九월십五일 국적불명의 비행기의 폭격 사건 이래 문제●이던 독도는 <br />그간 아정부와 UN군당국간에 완전합의를 보았으며<br />미국정부로서도 독도는 한국의영토의一부임을 인정하고 <br />금후독도부근에는 폭격이 없을것이 미극동총사령관에의하여 보장되었다하며<br />폭격으로 인하여 대타격을 받아오던 어민들도<br />●후●는 안심하고어로에 종사할수 있게 되였다한다.<br /><br />冒頭は「漁民」ではないように思います。<br />「住民」とすると、独島に人が住んでいる、と当時の東亜日報の記者は考えていたのでしょうか?<br /><br /><br />2010.01.10Anonymousnoreply@blogger.com