tag:blogger.com,1999:blog-26948035.post6485830157970932116..comments2024-01-26T17:48:29.804+09:00Comments on Dokdo-or-Takeshima?: 1948 - 12月12日 - 申奭鎬「独島所属について」『史海』創刊第一号Gerry Bevershttp://www.blogger.com/profile/14311939520870098017noreply@blogger.comBlogger100125tag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-74014536984205821992011-06-02T23:30:42.727+09:002011-06-02T23:30:42.727+09:00ここに出てくる中井猛之進博士の著書、欝陵島植物誌があります。(直接この投稿とは関係がありませんが)
...ここに出てくる中井猛之進博士の著書、欝陵島植物誌があります。(直接この投稿とは関係がありませんが)<br /><br />http://www.archive.org/details/reportonvegetati00naka<br /><br />15ページ目に欝陵島地図が記載あります。<br />http://www.archive.org/stream/reportonvegetati00naka#page/n15/mode/2upGTOMRhttps://www.blogger.com/profile/06881539471132140299noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-51595018329891301992010-01-01T18:49:00.062+09:002010-01-01T18:49:00.062+09:00Molvoのサイトとその他の経緯を見てみると、
2/28日の報道は、3/3に、韓国政府は、Weyla...Molvoのサイトとその他の経緯を見てみると、<br />2/28日の報道は、3/3に、韓国政府は、Weylandの手紙を、かれらの(領有権)主張の為に使うためにおそらく歪曲していると述べており、そして3/5日にアメリカによって否定されていますね。<br /><br />1953.02.28. 獨島漁民 恐怖一掃 空爆演習中止? 美軍? 保障<br />↓<br />1953.03.03.USDOS 1953c "Incoming Teleagram to US Secretary of State from US Ambassador Briggs in Korea" 1953/3/3 (USNARA/694.95B13/3-353)<br />発 The American Ambassador to Korea, Ellis O. Briggs<br />宛 the State Department<br />内容:(2/28の東亜日報に載った)2/27日の韓国国防大臣の声明<br />1.FEAFのOtto Paul Weylandが韓国国防大臣に書いた、Dokdoをもう爆撃しないと約束した手紙で、これが韓国国防大臣によって、アメリカ政府がDokdoに対する韓国の主権を認める事をほのめかしている<br />2.they believe the ROK Government has probably distorted the meaning of any such note from General Weyland to suit its own purposes. <br />↓<br />1953.03.04.1953.03.04 米国側は、竹島に対する韓国の領有権を承認した事実はないと発表<br />(『島根県竹島の新研究』) <br />↓<br />1953.03.05.<br />発 American Ambassador to Japan, Robert Murphy<br />宛 the State Department<br />1.日本外務省がWeylandがの声明の報道にかんして アメリカ大使館に照会をしてきた<br /><br />2.Weylandが韓国国防相に出した手紙の記録は見つからない<br />(Murphy also tells the Department that FEAF Headquarters can find no record of any letter from Weyland to the ROK Government on the subject)<br />3.韓国政府は、<br /><br />1953.03.11.USDOS 1953d, "Outgoing Telegram to US Embassies in Korea and Japan from Mr. Dulles (Secretary of State") 1953/3/11 (USNARA/694.95B13/3-353 CS/H)<br />発 Mr. Dulles (Secretary of State"<br />宛 US Embassies in Korea and Japan<br />内容:不明<br /><br />1953.03.17<br />発 The American Ambassador to Japan, Robert Murphy<br />宛 the State Department <br />内容<br />アメリカ大使館が、日本に対して通達した内容<br />1.General Weylandの手紙は証拠がない<br />(there was no evidence of General Weyland´s letter)<br />2.”韓国が主張する独島の認識”は公式なアメリカの声明ではない<br />(there was no official American statement recognizing the Korean claim to Dokdo)<br />↓<br />1953.03.19「日米合同委員会で竹島の米軍演習場指定解除」(田村)<br /><br />1953.03.03と03.04の原文資料が望まれるところです。<br />原文をおそらく見ているのにもかかわらず、肝心なところの原文資料が何故か彼のサイトには欠落しているようです。GTOMRhttps://www.blogger.com/profile/06881539471132140299noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-27863233743275627412010-01-01T18:21:54.576+09:002010-01-01T18:21:54.576+09:0052年12.04の資料は二つあり、
駐韓米国大使館から韓国外務省へのNote 187、
1952.1...52年12.04の資料は二つあり、<br />駐韓米国大使館から韓国外務省へのNote 187、<br />1952.12.04.USDOS 1952j. US Embassy in Korea "Note No.187 to ROK Ministery of Foreign Affairs" 1952/12/4 (USNARA/Doc. No: N/A)(on file with author)<br /><br />E. Allan Lightner, Jr. 在釜山アメリカ大使館から 米国務省北東アジア課への手紙<br />1952.12.04.USDOS <a href="http://en.wikisource.org/wiki/Possible_Methods_of_Resolving_Liancourt_Rocks_Dispute_between_Japan_and_ROK2" rel="nofollow">1952f. Mr E Allan Lightner Jr (Charge d'Affairs ad interim US Embassy in Korea)"Foreign Service Despatch from US Embassy in Korea: Incident regarding Alleged Bombing of dokdo ISland(Lianocurt Rocks)" 1952/12/4 (USNARA/694.9513/12-452)</a><br />というのがありますが、このNo.187の内容はわかりません。<br />。GTOMRhttps://www.blogger.com/profile/06881539471132140299noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-13044107425537795142010-01-01T15:44:35.723+09:002010-01-01T15:44:35.723+09:00Makotoさん
塚本孝論文の載っているサイトです。
http://www.pref.shima...Makotoさん<br /><br />塚本孝論文の載っているサイトです。<br /><br />http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/index.data/09.pdf<br /><br />非常に重要な論文だと思います。<br />・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />あわせて、ここで触れられている10月3日付書簡「リアンクール岩に韓国人Koreans on Liancourt Rocks」(あるいは「リアンクール岩の韓国人」)については、以下の半月城氏の本があります。さきほどのコメントとともにのせようと思って書き写していたのですが、長くなるのと、日本語訳を全文書き写すのが大変なのでカットしていました。上記の塚本論文にも言及されていますので、一部分ですが、せっかく写したので載せておきます。<br /><br /><br />内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争 歴史資料から考える』新幹社 2007・3・1<br />326p<br />アメリカ大使館の秘密書簡(朴炳渉)<br /><br />書簡は、アメリカ軍による第二次竹島=独島爆撃事件を機に、駐日アメリカ大使館により作成され、国務省に送られました。書簡の背景を明らかにするために「第二次竹島=独島爆撃事件」の概要を尹漢坤氏の文から左記に引用します。なお、書簡は、アメリカの韓国史研究者であるロブモ氏により発見されました。(1)<br /><br />1952年9月15日午前11時ころ、米極東軍司令部所属の爆撃機が独島上空に出現し、独島を二回旋回した後、四個の爆弾を投下して南へ飛んでいった。当時、独島には二十余名の船員と海女が操業していたが、幸いにも人命被害はなかったようだ。<br />ちょうど、国土究明事業で韓国山岳会の第二次鬱陵島・独島学術調査団一行三六名が9月18日に鬱陵島へ来ていたが、この時、(1948年についで)再度起きた独島爆撃の消息に接するようになった。一行は関係当局に電文を送り、この消息を伝え、調査団の安全な航海を保証してくれるよう要求した。しかし、一行が9月22日、二回目に独島(ママ)を出発し、午前11時ころ、独島付近2キロの海上に接近したとき、突然4台の飛行機が現われ、海上に爆弾を投下した。結局、再び上陸ができず、鬱陵島に帰還することになった。(2)<br /><br />(1)http://www.geocities.com/mlovmo/temp8.html#oct3<br />(2)尹漢坤「米軍の独島爆撃と独島領有権」(韓国語)『独島特殊研究』法書出版社 2001年239p<br /><br />書簡<br />発信 アメリカ大使館 東京 659 1952年10月3日<br />受信 国務省 ワシントン<br />件名 リアンクール岩の韓国人Koreans on Liancourt Rocks<br /><br />(原文印影・起こし、日本語翻訳あり)(省略)<br /><br />なお、(1)は、現在は、以下にあり<br />http://dokdo-research.com/temp8.html#oct3Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-74143635610102775562010-01-01T15:40:36.047+09:002010-01-01T15:40:36.047+09:00数日覗いていないだけで、議論が大きく進展していたのに驚きました。今年はこの、独島という怪物の成育史を...数日覗いていないだけで、議論が大きく進展していたのに驚きました。今年はこの、独島という怪物の成育史をテーマに、戦後の日韓米等の資料を精力的にあたって行きたいと思います。近いうちに情報を整理したうえで、必要な資料を集めて行くつもりですので、ご協力お願いします。Kaneganesehttps://www.blogger.com/profile/15533339719864245857noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-39537056419535178932010-01-01T14:52:16.944+09:002010-01-01T14:52:16.944+09:00Makotoさん
この12月4日書簡は、これまたこの一連のコメントのきっかけになったものですが、
...Makotoさん<br /><br />この12月4日書簡は、これまたこの一連のコメントのきっかけになったものですが、<br />Yabotarouさんのコメントからはじまります。(このページのずっと上のほうにあります)<br />再掲します。<br />・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />matsu さんは『獨島問題概論』を入手されているようですが、この中で1952年12月4日に駐韓アメリカ大使から韓国政府に送られてきた文書についてどのように書かれているか教えてください。<br /><br />『史的検証・竹島・独島』の214pに”同年12月4日、独島を爆撃演習地として使用しないという内容の回答文書が駐韓アメリカ大使より送られてきたことがある”とあり出典が外務部『獨島問題概論』47pとあります。<br /><br />アメリカが独島を爆撃演習地として使用しないという回答した”ことを韓国政府はアメリカが独島を韓国領と認めた何よりの証拠であると主張しています。内藤正中氏の『竹島=独島問題入門』にもそのように書かれています。<br />しかしサン・フランシスコ平和条約における竹島の取り扱い (塚本孝) の10pを見ると12月4日の文書には次のような文章があったことがわかります。<br /><br />”大使館は、外務部の通牒にある「独島」は・・・大韓民国の領土の一部である」との言明に注目します。合衆国政府のこの島の地位に対する理解は、ワシントンの韓国大使にあてたディーン・ラスク国務次官補の1951年8月10日付通牒において述べられています。”<br /><br />つまりこの12月4日の文書にはラスク書簡を持ち出して竹島は韓国領ではなく日本領であることを”回答した”部分があるわけですが果たしてこの部分は『獨島問題概論』に載っているのでしょうか?『獨島問題概論』には英文附録があるようですがどうでしょうか。<br />・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />これに対する私の返信<br /><br /><br />結論から言うと、『獨島問題概論』の付録にのっている英文に、該当の文章はありません。<br /><br />それが、この文集の不備によるものか、あるいは故意に削除したものを載せたのか、すなわちアメリカ側の原本をさぐればこの文章があるのか、それともはじめからそんな文章は無かったのか、よくわかりません。<br /><br />塚本さん紹介の「資料3」にある「合衆国の1952年12月4日付け通牒」(10p)は、この英文付録6(Annex6、187号覚書)と同じものなのかどうか。<br />同じもののようでもありますが、よくわかりません。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />こういう経緯ですが、<br />Makotoさんがおっしゃるように「米国側の資料も当たって見るべき」だと思います。<br /><br />「12月4日書簡」は、アメリカから韓国に送られたわけですから、アメリカに「控え」があるか、韓国に「現物」が残っているかです。<br />この「付録6」は、現物ではなく、1955年の資料整理の時にタイピングされたものでしょうから、「原物」は別にあるわけです。<br /><br />上記の<br />塚本さん紹介の「資料3」にある「合衆国の1952年12月4日付け通牒」(10p)とこの英文付録6(Annex6、187号覚書)は、別のものではないか、とも思っています。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-78058429196773342322010-01-01T14:12:20.798+09:002010-01-01T14:12:20.798+09:00OPPさん
この一連のコメントのそもそもである
内藤正中氏の「竹島=独島問題入門」で、「1953...OPPさん<br /><br />この一連のコメントのそもそもである<br /><br />内藤正中氏の「竹島=独島問題入門」で、「1953年3月19日の韓米合同委員会で演習地域の解除を決定した」とありますが、これについて何かご存じないでしょうか?<br /><br />についてですが、<br /><br />この「1953年3月19日の韓米合同委員会」なるものは、やはり「日米合同委員会」の間違いで内藤正中氏の「勘違い」なのではないでしょうか。あるいは韓国側の誰かの論文の誤解を、そのまま引き継いでいるのかも知れません。<br />いずれにしても「実証史家」である内藤正中氏としては、どこかで注記をして、根拠となる一次史料を示すべきでしょう。<br /><br />OPPさんの紹介されたのは<br />内藤正中『竹島=独島問題入門~日本外務省「竹島」批判~』2008.10.1刊 新幹社<br /><br />ですが、これとほぼ同じ内藤正中氏の文章が、韓国の嶺南大学の出している『獨島研究』NO4に「竹島問題の問題点~日本外務省の「竹島」批判~」として載っていて、半月城氏のサイトにあります。<br />http://www.kr-jp.net/ronbun/naitou/naito-0806.pdf<br /><br />「韓米合同委員会」について記す「Point 8」は、12枚目 12/16。<br />刊行日は2008年6月30日刊(16/16)で、こちらのほうが早いです。<br /><br />この『獨島研究』(6月30日刊)には、<br /><br />日米合同委員会海上演習場分科会の3月19日の議事録は、「竹島(リアンコールト列岩)爆撃場は今後在日米国空軍によって要求されないこと」と日米双方の合意を見た上で上申し、同日開催の合同委員会で承認されている。<br /><br />と、ありますが、新幹社版(10月1日刊)p55は、<br /><br />日米合同委員会海上演習場分科会の1953年3月19日の議事録(韓米合同委員会と同日)は、「竹島(リアンコールト列岩)爆撃場は今後在日米軍によって要求されないこと」と日米双方の合意を見た上で上申し、同日開催の合同委員会で承認されている。<br /><br />となっていて、「空軍」が消えて、「1953年」が加わって、<br />OPPさんも指摘されているように、「(韓米合同委員会と同日)」という記述があります。<br /><br />遅いほうの版である新幹社版(10月1日刊)で、このように「(韓米合同委員会と同日)」と「書き加えて」いることは、<br />内藤正中氏は、この「日米」「韓米」ふたつの合同委員会が同日に開かれていた、という認識を、確信的に持っていることになります。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-87371871486342869082010-01-01T14:05:24.184+09:002010-01-01T14:05:24.184+09:00matsuさん、1952年12月4日付の米大使館からの書簡って、米国の立場は「ラスク書簡」で伝えたと...matsuさん、1952年12月4日付の米大使館からの書簡って、米国の立場は「ラスク書簡」で伝えたとおりであるとの記載のあるものではないでしょうか。もしそうであるなら韓国は官民一体となって歴史を歪曲したことになりますね。<br />幸い覚書の番号まで明らかになっているようですから、米国側の資料も当たって見るべきかと思います。韓国外務部編『獨島問題概論』との違いがみられるかもしれません。<br /><br />2010.1.1Makotohttps://www.blogger.com/profile/02528932854910517750noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-9875563847677494382010-01-01T11:48:07.793+09:002010-01-01T11:48:07.793+09:00明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
Chaamieyさん
ありがとう...明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。<br /><br />Chaamieyさん<br />ありがとうございます。<br /><br />誠に、これでほぼ読めたと思います。<br /><br />韓国側がどう受け止めたか、という意味で、これはとても重要だと思います。<br /><br />このときに、獨島=韓国領をアメリカが認めた、と韓国側は「信じ込んだ」わけで、「独島教」の成立に大きな役割を果たしたのだと思います。<br /><br />さらに、実際にはどうであったのか、つまりアメリカは実は認めてなんかいなかったのだ、ということを、実証的に文献で暴く作業が、韓国内でずっと行われてこなかったんだろうと思います。<br /><br /><br />以下は韓国側の概論的記述です。<br /><br />金学俊『独島/竹島 韓国の論理』<br />Hosaka Yuji訳 論創社 2004・5・14,2007・11・5増補版<br />206~207p 増補版202p<br />1952年7月26日に、日米安保条約の実施のための日米合同委員会が、日米行政協定第二条に根拠を置いて、独島を米軍の演習区域に指定した。日本政府はこの事実を挙げて、「アメリカが竹島を日本領と認めたのである」と宣伝した。しかし韓国政府の抗議によって、アメリカは1953年2月27日にこの島を米軍の演習区域から除くと発表したため、日本政府の主張は意味を失ってしまった。<br /><br />愼鏞廈『史的解明 独島(竹島)』韓誠訳1997・6・6刊 インター出版<br />206p<br />独島が米・日合同委員会によって米空軍の演習基地に決まったという風聞に大韓民国政府から抗議を受けた米空軍司令官は、1953年2月27日付けで独島を空軍の演習基地から除外するという公式書簡を発表した。(注4)<br />(注4)往復文書 1953年9月9日付 韓国側口述書 資料集39~40p<br /><br />(参考)資料集=独島関係資料集 往復外交文書(1952~1976)<br />「竹島/独島問題」に関する日韓両国往復外交文書(1952〜76) 福原裕二<br />http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04c.data/4-6-01.pdf<br />39~40p<br /><br />田村清三郎『島根県竹島の新研究』島根県総務課1965年10月 復刻版1996年3月<br />上記「1953年9月9日付 韓国側口述書=韓国政府反駁声明」の翻訳<br />150p(八)<br />独島に対する声明の末尾で、日本政府は、「竹島は米駐留軍の演習地の一つとして選定されており、・・・日米合同委員会分科委員会は、昭和二十八年三月十九日竹島を演習地から除外することに決定した、云々」そして日本政府は独島が日本領土の一部であるという前提のもとにかかる処置のとられたものと了解する旨のべている。しかしながら、かかる前提は、全く日本政府によってなされた解釈であって何等根拠を有するものではない。反対に、日本政府は韓国政府が申し立てた抗議に対する回答として、昭和二十八年二月二十七日独島を米空軍が選定した演習場から除外する旨韓国政府に対し米空軍司令官から公式に通告をうけた事実を了解すべきである。<br /><br /><br />金柄烈『史的検証 竹島・独島』岩波書店2007・4・26 内藤正中と共著<br />214p<br />1952年9月18日、韓国山岳会主催の第二次鬱陵島・独島学術調査のため調査団が派遣された。だがアメリカの爆撃演習により独島に上陸できずに帰ってきた。(182)<br />韓国山岳会はそのことを韓国政府に知らせる。この知らせを受けた韓国政府は、1952年11月10日付で、同事件に関する資料提供と再発防止を要求する内容の公式文書を駐韓アメリカ大使に送った。これに対して、同年12月4日、独島を爆撃演習地として使用しないという内容の回答文書が駐韓アメリカ大使より送られてきたことがある。(183)<br />また、同年12月24日、韓国国防部は、今後、独島周辺で、爆撃演習をしないというアメリカ極東軍司令官からの通報を受けたと発表した。(184)<br />(182)外務部『独島問題概論』外交問題叢書11 外務部政務局1955 43-47p<br />(183)上掲書47p<br />(184)上掲書47p<br /><br />『獨島問題概論』韓国外務部政務局 1955<br />47p(拙訳)<br />こうして1952年11月10日付で、外務部からこのような不祥事が再発しないように駐韓アメリカ大使館に抗議を提出した。(付録5参照)<br />これに対し、1952年12月4日付の第187号覚書でアメリカ大使館から、そのような事実の確認調査は時日の経過で困難ではあるが、ともかく今後は同島を爆撃演習地として使用することはないだろうという趣旨を伝達してきており(付録6参照)、<br />1953年1月20日付の駐韓国連軍連絡基地司令部からは、爆撃演習地としてリアンクール岩(獨島)を使用することを即時中止するのに必要な措置について、すべての管下部隊に指令したと報告してきた。(付録7参照)<br /><br />*1955年のこの文献では1953年2月27日のことについては触れていない。<br />(上記「付録5,6,7」(英文)をきっちりと翻訳してみる必要があると思います。)<br /><br /><br />日本側は、上記の国会でのやりとりのように、<br /><br />「日米合同委員会が、昭和二十七年七月二十六日、在日米軍の使用する海上演習場として竹島を指定し、さらに昭和二十八年三月十九日の日米合同委員会分科委員会が、竹島を演習場区域からこれを除外するということを決定した」(椎名外相)<br /><br />「この島は去る昭和二十七年の六月に、日米合同委員会で、日本はこれをアメリカの爆撃演習場として貸しまして、そして翌年の二十八年の三月にはアメリカからこれを返されて、解除に同意したのであります。」(日本社会党 森元治郎議員)<br /><br />というストーリーのなかで、竹島をめぐっては日米間のやりとりで決まっているとして<br />竹島=日本領の根拠としています。(それが正しいと思います)<br /><br />これに対し、同じ「物語」をめぐって、韓国側では<br /><br />事件は<br />1952年9月18日、韓国山岳会主催の第二次鬱陵島・独島学術調査のため調査団が派遣された。(金柄烈)<br />ことから始まり<br /><br />韓国政府は、1952年11月10日付で、同事件に関する資料提供と再発防止を要求する内容の公式文書を駐韓アメリカ大使に送った。(金柄烈)<br /><br />のであるが、<br /><br />これに対して、同年12月4日、独島を爆撃演習地として使用しないという内容の回答文書が駐韓アメリカ大使より送られ、<br />また、同年12月24日、韓国国防部は、今後、独島周辺で、爆撃演習をしないというアメリカ極東軍司令官からの通報を受けたと発表した。(金柄烈)<br /><br />という「物語」で語り、<br /><br />さらには<br />昭和二十八年二月二十七日独島を米空軍が選定した演習場から除外する旨韓国政府に対し米空軍司令官から公式に通告をうけた(1953年9月9日付 韓国側口述書)<br /><br />ことによって<br />「アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し」た、(東亜日報1953.02.28)<br />という解釈を、勝手にしてしまったのだろうと思います。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-72400793615783942072010-01-01T04:41:31.470+09:002010-01-01T04:41:31.470+09:00明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
「アメリカ政府としても獨島は韓国...明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。<br /><br />「アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米「極東」総司令官により保障された」としていますが、これ逆なんじゃないですかねぇ? つまり、爆撃がないことを伝えられたので竹島の領有が認められたものと勝手な解釈をして「獨島は韓国の領土の一部であることを認定」されたのだと吹聴しているのではないでしょうか。米側の姿勢はラスク書簡以降、「竹島は日本領」で一貫しています。この立場は韓国側にも伝えられています。一度ならず何度もです。この記事の出る前の1952年12月にも伝えられていますし、翌年の1954年にはヴァン・フリート特使の勧告もなされています。このような状況の下で「独島は韓国領」だなんて言いますかねぇ。日本との協議の状況と照らし合わせて見る必要があるように思います。日本と爆撃地としないことを決定していて、韓国へはその結果を伝えたに過ぎないのではないかということです。<br /><br />それともう一点、国連軍は国際法の主体になれるのでしょうか。国連は主体たり得ると思いますが、国連軍はなれないように思います。したがって国連軍に領域主権を云々する権原はないのではないでしょうか。(国連を領有の権原にしたいなら、国際司法裁判所に付託することに同意すればいいんですよ。それは逃げて回っているくせして国連の威を借りようとするとは矛盾していますね。これってもしかしてエストッペルの原則違反の証拠になるのかな?)<br /><br />2010.1.1Makotohttps://www.blogger.com/profile/02528932854910517750noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-63014037269116504672009-12-31T19:08:20.109+09:002009-12-31T19:08:20.109+09:00matsuさん、ほぼ読めたと思います。
1953.02.28 東亜日報
獨島漁民の恐怖一掃 空爆演...matsuさん、ほぼ読めたと思います。<br /><br />1953.02.28 東亜日報<br />獨島漁民の恐怖一掃 空爆演習中止を アメリカ軍で保障 <br />1953-02-28 夕刊<br /><br /> 一時期、『獨島』の漁民を恐怖の中におとしいれていた『獨島』周辺攻撃演習は、韓国と国連「軍当局」との「合意」で、隣接する住民達の不安を一掃することになったという。昨二十七日、「軍当局」が発表したところによれば、去る九月十五日、国籍不明の飛行機の爆撃事件以来問題であった独島は、その間我が政府と国連軍当局間に完全合意を見て、アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米「極東」総司令官により保障されたとして、爆撃により大打撃を受けてきた漁民達も、●●●は安心して漁労に従事できるようになったという。<br /><br /><br /><br /> 「アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、」は、この記事にはそう書いてあると思います。もちろん、これは韓国側の受け止め方ということだと思いますけどね。<br /><br /><br /><br /><br /> ついでに翻訳情報を一つ。黄相基氏の「独島領有権」全6回のうち4回まで翻訳ずみですが、残る第5回と第6回は、この「独島領有権」の連載の前に連載された金基洙という人の「独島領有権問題」という寄稿の誤りを指摘するものなので、差し当たり翻訳はやめて、他のことをすることにします。<br /><br /><br /><br />2009.12.31Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-12956891256989716742009-12-31T16:09:57.605+09:002009-12-31T16:09:57.605+09:00Chaamieyさん
ありがとうございます。
新たに読んでいただいた部分は、その通りだと思います。...Chaamieyさん<br />ありがとうございます。<br /><br />新たに読んでいただいた部分は、その通りだと思います。<br /><br />実は、むしろ、読めていると思っている部分のほうが心配なのですが、<br />なにしろ一番肝心な、<br />「アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、」<br />の部分ですが、これで間違いないでしょうか。これが違うと、またコケます(笑&汗)。<br /><br />それから、「UN(国連)国防局」なるものがあるんでしょうか。<br />「国防側」かな、とも思います。<br /><br />さらに、誰が保障しているのか、という部分もこれまた非常に肝心なところですが、<br />確かに、米国「軍」総司令官ともみえるのですが、パッチムが○のようにも見えます。<br /><br />これはWeylandと特定できているのであれば、「空」ではないか、とも思います。<br /><br />the Commander of the Far East Air Force (FEAF), General Otto Paul Weyland,<br /><br />これまでも紹介されているロブモ氏のサイト<br /><br />3/3/53: The American Ambassador to Korea, Ellis O. Briggs, sends a telegram to the State Department about a statement made on February 27 by the ROK Defense Minister. The Defense Minister was quoted in the Korean press as saying that the Commander of the Far East Air Force (FEAF), General Otto Paul Weyland, sent the ROK Defense Ministry a letter promising that no further bombing of Dokdo would take place; with the Minister implying that this letter was essentially a U.S. Government recognition of Korean sovereignty over Dokdo. <br /><br />http://dokdo-research.com/page9.html<br /><br />新訳案<br />一時期、『獨島』の漁民を恐怖の中におとしいれていた『獨島』周辺攻撃演習は、韓国と国連国防局(側?)との協議で、隣接する住民達の不安を一掃することに「なった」という。昨二十七日、国防局(側?)が発表したところによれば、去る九月十五日、国籍不明の飛行機の爆撃事件「以来」「問題」●「であった」「独島は、」その間我が政府と国連軍「当局間に完全合意を見て」、アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米国「軍(空?)総」司令官により保障されたとして、爆撃により「大打撃」を受けてきた漁民達も、●●●は安心して漁労に従事できるようになったという。<br /><br />この記事のニュースソースは、韓国の「国防部」ですよね。<br />上のロブモ氏のサイトでも、<br />The Defense Minister was quoted in the Korean pressとあるように。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-33246390411646296382009-12-31T14:31:13.565+09:002009-12-31T14:31:13.565+09:00matsuさん、確かに印刷が滲んで見にくいですが、若干の修正意見を出して見ます。
1953.02....matsuさん、確かに印刷が滲んで見にくいですが、若干の修正意見を出して見ます。<br /><br />1953.02.28 東亜日報<br /><br />獨島漁民の恐怖一掃 空爆演習中止を アメリカ軍で保障 <br />1953-02-28 夕刊<br /><br /> 一時期、「獨島」の漁民を恐怖の中におとしいれていた「獨島」周辺攻撃演習は、韓国と国連国防局との協議で、隣接する住民達の不安を一掃することになるという。昨二十七日、国防局が発表したところによれば、去る九月十五日、国籍不明の飛行機の爆撃事件●●●●●●●「独島は、」その間我が政府と国連軍「当局間に完全合意を見て」、アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米国「軍総」司令官により保障されたとして、爆撃により「大打撃」を受けてきた漁民達も、●●には安心て漁労に従事できるようになったという。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-7849521088637851362009-12-31T12:08:15.697+09:002009-12-31T12:08:15.697+09:001953年2月27日に、「アメリカが韓国に伝えたこと」、ないしは「それを韓国がどう受け取ったのかとい...1953年2月27日に、「アメリカが韓国に伝えたこと」、ないしは「それを韓国がどう受け取ったのかということ」、と言い換えたほうが正確かも知れませんが、<br />これは、「独島教」というモンスターの生成に、おおきな役割を果たしているのではないかと思われます。<br /><br />それだけに、充分な資料を集めたいと思います。<br /><br />上記、東亜日報の翻訳は、まだ非常に不完全だと思います。<br />「곳」の例もあります(冷汗)ので、慎重にしたいと思います。<br />Chaamiey さん、見ていただけたら幸いです。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-2290842764013713132009-12-31T02:51:47.313+09:002009-12-31T02:51:47.313+09:00アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米国...アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米国●●(空総か)司令官により保障されたとして、<br /><br /><br />アメリカの内部文書に ”FEAF Headquarters can find no record of any letter from Weyland to the ROK Government on the subject”とあるのをみると上の記事の文章はまるっきり作り話のようです。恐るべきチャレンジ精神です。。。yabutarouhttps://www.blogger.com/profile/16266569351900219828noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-53661251203799735112009-12-31T02:43:00.016+09:002009-12-31T02:43:00.016+09:00chaamiey さん早速の翻訳ありがとうございます。
opp さん
>1953年3月4...chaamiey さん早速の翻訳ありがとうございます。<br /><br /><br />opp さん<br /><br />>1953年3月4日 米国側は竹島に対する韓国の領有権を承認した事実はないと発表<br />これですが、田村氏の著作ですよね?田村氏の本は手元にないのですが、もし出典が書かれていたら教えて下さい。<br /><br /><br /><br />GTOMR さんも紹介しているロブモ氏のこちらのページ<br />http://dokdo-research.com/page9.html<br />の3/3/53の項目に駐韓アメリカ大使館の見解としてこんな文章があります。<br /><br />"any future communications to ROK Govt relating to Dokdo...would be transmitted through [the] Embassy so that there can be no possible misconception as to [the] US position, which as we understand it is that this Island [is] not...subject [to] Korean jurisdiction."<br /><br />さらにロブモ氏自身の解説にこうあります。<br /><br />The State Department would later look into the allegation that Weyland wrote such a letter and would conclude (by March 12) that he did not do so, nor was any such letter sent to the ROK Defense Ministry. <br />国務省は、Weylandがそのような手紙を書いたという申し立てを、後で調査します。そして彼はそのようにしなかった、あるいは韓国の国防省に送られたそのような手紙はなかったと”三月十二日に”結論を出した。<br /><br />加えて3/5/53の項目にこうあります。<br /><br /> Murphy also tells the Department that FEAF Headquarters can find no record of any letter from Weyland to the ROK Government on the subject<br /><br /><br />これを見れば少なくとも米国側がWeylandが竹島に対する韓国の領有権を承認した事実はないと確認したのは事実のようです。<br /><br /><br /><br />GTOMR さん<br /><br />Mark MolvoのページにGeneral Weylandの話が出ていて、そこにも「アメリカが竹島を韓国の領土と認めたと歪曲しているというのがあります」が、<br />原文がなぜかないのでどうやってこの内容を得たのかに興味があります<br /><br /><br />Mark Molvoの該当ページの一番上にとても小さい文字でこうあります。原文を見て書いたものと思われます。<br /><br />The majority of information provided on this webpage was obtained from File 322: "Liancourt Rocks", from the Seoul Embassy Records, Record Group 84, the National Archives at College Park, Marylandyabutarouhttps://www.blogger.com/profile/16266569351900219828noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-26122189843063287312009-12-31T02:19:09.683+09:002009-12-31T02:19:09.683+09:00This comment has been removed by the author.Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-78158389771288994912009-12-31T02:18:29.966+09:002009-12-31T02:18:29.966+09:00GTOMRさん
さっそくありがとうございます。
1953年2月28日は、上のYabutarou さ...GTOMRさん<br />さっそくありがとうございます。<br /><br />1953年2月28日は、上のYabutarou さんの年表に<br /><br />1953年2月27日 韓国国防部はアメリカが竹島が韓国領であると認めたと発表(『島根県竹島の新研究』)<br />”ウエイランドアメリカ極東軍司令官は今後同島周辺で爆撃演習を行わないと韓国政府に通告した”<br /><br />という、その記事でしょう。<br /><br /><br />3月20日のほうは、もし19日に「韓米合同委員会」なるものがあったとしたら、出ているはずだと思いますが、この紙面で見る限り記事はないと思います。<br /><br />しかし、もし「日米合同委員会」だったにしても、当時の韓国の独島への関心からすると、日本からのニュースとして報道されていてしかるべきとも思います。これは「秘密」の話なんでしょうか? それとも少し遅れてでてくるのかどうか。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br />記事の画面がにじんで何とも読みにくいですが、半分「心眼」で読んで見ます。(笑)<br />間違いがあると思います。<br />専門用語などで、またこれまでに知られている事実からして、これはありえないというところがあったら指摘してください。<br /><br />1953.02.28 東亜日報<br />獨島漁民 恐怖一掃 空爆演習中止? 美軍? 保障<br /><br />獨島漁民の恐怖一掃 空爆演習中止を アメリカ軍で保障 <br />1953-02-28 夕刊<br /><br />一時期、「獨島」の漁民を恐怖の中におとしいれていた「獨島」周辺攻撃演習は、韓国と国連国防局との協議で、隣接する住民達の不安を一掃することになるという。昨二十七日、国防局が発表したところによれば、去る九月十五日、国籍不明の飛行機の爆撃事件●●<br />●●●●●●●●●●我が政府と国連軍●●官●●●協議を行い、アメリカ政府としても獨島は韓国の領土の一部であることを認定し、今後、獨島付近には爆撃がないことを米国●●(空総か)司令官により保障されたとして、爆撃により●●を受けてきた漁民達も、●●には安心て漁労に従事できるようになったという。<br /><br /><br />ところで、なぜ「獨島」にかぎかっこがついているんでしょうか。Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-77487325479872159782009-12-31T00:05:50.137+09:002009-12-31T00:05:50.137+09:00この話に関係がありそうなのは、
1953.02.28 東亜日報
獨島漁民 恐怖一掃 空爆演習中止? ...この話に関係がありそうなのは、<br />1953.02.28 東亜日報<br /><a href="http://db.history.go.kr/url.jsp?ID=np_da_1953_02_28_0190" rel="nofollow">獨島漁民 恐怖一掃 空爆演習中止? 美軍? 保障</a> <br /><br /><br />1953.03.20 東亜日報<br /><a href="http://db.history.go.kr/front/dirservice/ibrowser/viewIpqDataNP.jsp?pItemCode=np_da&pIpqParam=np_da_19530320_x0001&pLevel=6&pDatabase" rel="nofollow">題名不明(検索でひっからず、アドレス上から検索</a>)<br /><br /><br /> <br /> <a href="http://dokdo-research.com/page9.html" rel="nofollow">Mark Molvo</a>のページにGeneral Weylandの話が出ていて、そこにも「アメリカが竹島を韓国の領土と認めたと歪曲しているというのがあります」が、<br /> 原文がなぜかないのでどうやってこの内容を得たのかに興味がありますGTOMRhttps://www.blogger.com/profile/06881539471132140299noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-35032313919934427622009-12-30T21:33:08.479+09:002009-12-30T21:33:08.479+09:001953年3月19日に、もし「韓米合同委員会」が開かれていたのだとしたら、翌日の新聞に載っているので...1953年3月19日に、もし「韓米合同委員会」が開かれていたのだとしたら、翌日の新聞に載っているのではないでしょうか?<br /><br />GTOMRさん、東亜日報は出ませんか?Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-33795391323692641492009-12-30T17:17:33.755+09:002009-12-30T17:17:33.755+09:00yabutarouさん。
米軍の話を政府間の条約と同等なものとしている内藤等へ反論です。そもそも軍に...yabutarouさん。<br />米軍の話を政府間の条約と同等なものとしている内藤等へ反論です。そもそも軍にそんな権限なんかないということです。ちょっと強引な部分がありますがマンションに例えてみます。<br /><br />Aさん:マンションの所有者(日本)<br />Bさん:マンションの間借り人でDさんの息子(米軍)<br />Cさん:マンションの間借り人の部屋に居座っている居候(韓国)<br />Dさん:マンションに抵当権を設定しているAさんの債権者(アメリカ政府)<br /><br />Aさんのマンションを差し押さえられるのはDさんだけだった(ポツダム宣言)のですが、Aさんは借金を返済したのでその抵当権も消滅しました(サンフランシスコ条約)。Bさんも賃借契約が切れたのでAさんと再契約しました(竹島爆撃地指定)。Bさんは気分転換に部屋の模様替えをしました(爆撃演習の実施)。居候のCさんが「おいおい勝手に俺の部屋の模様替えをするな。元に戻せ」とBさんに要求しました(爆撃演習被害への抗議)。BさんはAさんに言って賃貸契約を解除するとともに(日本との爆撃演習地解除合意)、模様を元に戻しました(韓国への爆撃演習解除通知)。Aさんは、賃貸契約が終わったので部屋の空けわたしをCさんに要求しましたが、Cさんは所有権は俺にあると拒否しています。また、Cさんは「Bさんは俺の言うことを聞いて壁紙を元に戻した。これは俺に所有権があることを認めた証拠だ」と言ってます。しかしながら、所有権も抵当権もないBさんの言動はAさん所有権にいかなる影響を及ぼすものではなく、無権限のBさんの言動をもってCさんの所有権なんか証明はできません。<br />竹島に話しを戻しますと、「使用者にしかすぎない米軍の言動を所有権(権原)の証明にはできない。管理瑕疵を防止するため韓国への通知なり調査許可を行ったのであろう。日本に竹島放棄を要求することもできたアメリカ政府は、結局サンフランシスコ条約で放棄を要求せず、条約後も一環して日本領の立場である」と書いてしまった後で、米韓合同委員会に米国の政府代表が入っていては格好がつかないので米韓合同委員会の性格を知りたかったのです。<br /><br />>1953年3月4日 米国側は竹島に対する韓国の領有権を承認した事実はないと発表<br />これですが、田村氏の著作ですよね?田村氏の本は手元にないのですが、もし出典が書かれていたら教えて下さい。というのもネットでもたまに「リアンクール島と言うのは、東島に有る大きな洞窟を李朝時代に李安窟と呼んでたからだ」と韓国が荒唐無稽な主張をしたと見かけるのですが、以前この一次史料を知りたくて調べたら田村氏の著作につきあたりました。しかし、田村氏の本には出典がかかれておらず一次史料が不明だったことがあります。他の人の著作でもこの1953年3月4日のことに触れたものを見たこともないので、裏がとれるまではペンディングにしておきたいと思います。竹島問題研究所に李安窟の件も含めて問い合わせしたいと思います。<br /><br />>(鄭秉峻, 2008 )のPDFファイルの7Pにのっている米軍政当局の文書に”この島の終局的な帰属問題は日々迫りつつある対日平和会談において決定される問題である”<br />これは、貴重な情報をありがとうございます。原文を見たいところですね。オーストラリアの国立図書館にはあるようですが。。opphttps://www.blogger.com/profile/01174343282738727130noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-35345090395586942292009-12-30T15:13:18.073+09:002009-12-30T15:13:18.073+09:00↑ の翻訳改良です。
1947년 조선산악회의 조사 때 해안경비대가 함정을 제공했으니 이번에...↑ の翻訳改良です。<br /><br />1947년 조선산악회의 조사 때 해안경비대가 함정을 제공했으니 이번에는 해군이 배를 제공해줄 것으로 기대됐다. 그러나 이때는 전쟁 중이라 해군은 미군의 통제를 받고 있었다. 독도 영유권을 둘러 싼한일 갈등을 잘 알고 있던 미 군사고문단은 해군에 함정을 제공하지 말라고 지시 했다. <br /><br /><br /> 1947年の朝鮮山岳会の調査の時に海岸警備隊が艦艇を提供したので、今度は海軍が船を提供してくれるものと期待された。しかし、この時は戦争中であり、海軍は米軍の統制を受けていた。独島領有権をめぐる韓日の葛藤をよく分かっていた米軍事顧問団は、海軍に艦艇を提供するなと指示した。<br /><br /><br /><br />2009.12.30Anonymousnoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-10664012492370736642009-12-30T13:51:02.672+09:002009-12-30T13:51:02.672+09:00opp さん
>>則ち、政府と軍を使い分けることによって「アメリカ政府」は一環して竹島を日本領とし...opp さん<br /><br />>>則ち、政府と軍を使い分けることによって「アメリカ政府」は一環して竹島を日本領として扱った上で、国際法上の言質をとられないように韓国をあしらったということになります。ただ一つ気になったのが内藤のいう韓米合同委員会でした。このため、この委員会のメンバー構成等(アメリカ大使等が入ってないか)を知りたかったのです。<br /><br />むう。。私は国際法には詳しくないのでいまいち意味が分かりませんが、<br /><br />1952年12月4日 駐韓アメリカ大使館から韓国政府外務部への書簡でラスク通牒に言及<br />1953年3月4日 米国側は竹島に対する韓国の領有権を承認した事実はないと発表<br /><br />この二つの歴史的事実がある以上opp さんの推論は事実上意味がないと思います。<br /><br /><br /><a href="http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=262&aid=0000002125" rel="nofollow">韓国語のこちらの記事</a>にこんな記述かあります。<br /><br />1947년 조선산악회의 조사 때 해안경비대가 함정을 제공했으니 이번에는 해군이 배를 제공해줄 것으로 기대됐다. 그러나 이때는 전쟁 중이라 해군은 미군의 통제를 받고 있었다. 독도 영유권을 둘러 싼한일 갈등을 잘 알고 있던 미 군사고문단은 해군에 함정을 제공하지 말라고 지시 했다. <br /><br />”独島領有権をかけてサンハンである葛藤をよく分かっていた米軍事顧問団は海軍に落とし穴を提供するなと指示した. ”とはよく意味が分かりませんが米軍が1952年の学術調査隊の竹島行きを許可したことは、決して米軍が竹島を韓国領と認めたからではないことを示していることは間違いなさそうです。<br /><br />また”1947年朝鮮山嶽会の調査の時の海岸警備隊が落とし穴を提供したから”とありますが、(鄭秉峻, 2008 )のPDFファイルの7Pにのっている米軍政当局の文書に”この島の終局的な帰属問題は日々迫りつつある対日平和会談において決定される問題である”とあるので、米軍政当局が1947年の学術調査隊の竹島行きを許可していたとしても、それは竹島を韓国領と認めたからではないのは明らかです。<br /><br /><br /><br />あと「日本国とアメリカ合衆国の間の安全保障条約第3条に基づく行政協定」ではアメリカが軍が使用しなくなった施設及び区域は日本政府に変換するという条文があったと川上健三の著書に書いてあったように記憶しています。<br />、yabutarouhttps://www.blogger.com/profile/16266569351900219828noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-91285324758824849662009-12-30T09:38:50.791+09:002009-12-30T09:38:50.791+09:00matsu さん
爆撃地指定は以下の経緯でなされてます。
●「日本国とアメリカ合衆国との間の安全...matsu さん<br /><br />爆撃地指定は以下の経緯でなされてます。<br /><br />●「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」1951年9月8日署名、1952年4月28日発効<br />第一条〔駐留米軍の使用目的〕平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許宇し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全<br />の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。<br />第三条〔行政協定〕アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。<br /><br />●「日本国とアメリカ合衆国の間の安全保障条約第3条に基づく行政協定」、1952年2月28日署名、1952年4月28日発効<br />第2条<br />日本国は、合衆国に対し、安全保障条約第1条に掲げる目的の遂行に必要な施設及び区域の使用を許すことに同意する。ここの施設及び区域に関する協定は、この協定の効力発生の日までになお両政府が合意に達していないときは、この協定第26条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。<br /><br />●「行政協定に基づく日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」、1952年7月26日署名・発効<br />日本国とアメリカ合衆国の間の安全保障条約第3条に基づく行政協定第2条第1項に基づき、日本国がアメリカ合衆国に提供する施設及び区域<br />附表2<br />空軍訓練区域<br />9 竹島爆撃訓練区域<br /> (一)北緯37度15分 東経131度52分の点を中心とする直径10マイルの円内<br /> (二)演習時間毎日24時間<br />------------------------------------<br /><br />「行政協定に基づく日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」の前に日米合同委員会があったんでしょうけど、同日に協定という条約を締結してます。また、ラスク書簡は国務省限りで駐韓米大使館も承知してませんでした。このため、ラスク書簡を1952年11月14日に知らされた駐韓米国大使館は「長い間間違った前提で活動していた」と国務省に回答してます。軍と大使館と主体は違ってますが、軍もラスク書簡を知っていたとも思えず、「1952年9月7日の釜山の海軍当局が学術調査隊の竹島行きの許可」はこの間違った前提での活動に該当するものと思います。<br />http://en.wikisource.org/wiki/Possible_Methods_of_Resolving_Liancourt_Rocks_Dispute_between_Japan_and_ROK2<br />We were subsequently made aware of the fact that Article 2(a) was not to be amended but had no inkling that that decision constituted a rejection of the Korean claim. Well, now we know and we are very glad to have the information as we have been operating on the basis of wrong assumption for a long time.opphttps://www.blogger.com/profile/01174343282738727130noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-26948035.post-34696899219998008852009-12-30T00:15:52.941+09:002009-12-30T00:15:52.941+09:00この国会の椎名外務大臣の答弁からすると、
「日米合同委員会が、昭和二十七年(1952年)七月二十六...この国会の椎名外務大臣の答弁からすると、<br /><br />「日米合同委員会が、昭和二十七年(1952年)七月二十六日、在日米軍の使用する海上演習場として竹島を指定」した、ということは事実として認められると思います。<br /><br />すなわち、上にあるYabutarouさんの「年表」の一番最初に、この事実が来るのだろうと思います。<br /><br />そして、それを<br />「”竹島が駐留米軍の射爆場であることを当局が知らなかった”」こと、<br />だからこそ、<br />「1952年9月7日 釜山の海軍当局が学術調査隊の竹島行きを許可。」<br />したことは、<br /><br />アメリカ側がこの時点でも、韓国側に<br />「日米合同委員会が、昭和二十七年七月二十六日、在日米軍の使用する海上演習場として竹島を指定」したという事実を伝えていないこと、<br />すなわち、竹島は韓国とは関係がないので伝える必要がない、という認識を持っていたことを証拠付けているのではないかと思います。Anonymousnoreply@blogger.com